第14話 戦乙女は妖艶に手玉に取る

 誠司と加賀見との確執を探るべく、怜一は双方に気付かれない様に情報収集を開始した。校内を右往左往して加賀見について聞き回っていたが、有力な情報を掴む事が出来なかった。恐らくは加賀見に機先を制され、事情を知っている連中全員は口止めされているのだろう。瑞希が聞き出した情報も確信を突くには至らなかった。


「さて、どうしたもんかな……」


 あれ以降、誠司とは顔を合わせていない。寧ろ向こうから避けられている。今日も屋上にはいつもの姿が見えない。仕方なくまた勝手に学校に来ていたキリエと一緒に昼食を取る事にした。


「これからどうするつもりなんだ?」

「さぁな、地道に聞き込みをするしかねーけど、加賀見に徹底マークされてるから大きく動けないしなぁ……」


 嗅ぎ付けようとしている事が発覚されて常に加賀見が目を光らせている。その所為で怜一は八方塞がりと化していた。だからと言って何もしない訳にはいかず、屋上で寝転がりながら画策していたが、一向にアイディアが思い浮かばない。

 地道に二人に勘付かれない様に情報を聞き出すしかないかと体を起こすと、鈍く金属が擦り合う様な音が聞こえてきた。誠司が来たのか、と振り返って見ると意外な来訪者だった。


「あら、此処は立ち入り禁止の筈だけど?」


 昨日、誠司の手当てをしてくれた女が其処に佇んでいた。この学校の養護教諭こと持田もちだは羽織っている白衣を初夏の涼しい風に靡かせながら、屋上で屯している怜一達を優しく叱りつけて来た。


「先生……保健室はいいのかよ?」

「保健室の先生もたまには外の風を当たってゆっくりしたいものなのよ」


 普段は保健室で適当に時間を潰しているらしいのだが、今日に限ってはまるで怜一の事を探していたかの様だった。その割には我関せずとばかりに彼等を横切り、フェンスを隔ててグラウンドの景色を眺めていただけだった。それを焦れったく感じた怜一は単刀直入に聞く事にした。


「何か俺に用があって屋上に来たんだろ?」

「……やっぱり気付かれた? 春原君って人を遠ざけようとしている割には人の感情に人一倍敏感だからね」

「怜一、何なんだこの女は」


 此方が聞いて来る事も想定内らしい。食えない女だ、と怜一は訝しんだ。キリエも彼女の飄々としている佇まいに少しばかり警戒していた。


「御託はいいから話を続けてくれよ」

「……そうね。じゃあ結論から言うけど、加賀見先生は櫻井君に殴られる様に唆した」


 やはり思った通りだった。ならば其処から切り崩せれば何とでもなる筈だ。一つ疑問なのは、何故只の養護教諭である彼女が知っているのか、である。怜一の浮上してきた疑問に答えるべく持田はすかさず話を続けた。


「私は殴られた加賀見先生の手当てをしていたの。その時に怪我の理由を知りたいから加賀見先生に事の経緯いきさつを聞いたの」

「そしたら誠司が加賀見を殴ったって言ったのか……。でも何でそれで加賀見が仕向けたって分かるんだよ?」

「あの人の喋り方、表情、仕草……。全部見て分かったわ。ああ、この人はって。証拠なんて無いから私は特に追求する事は出来なかったけどね」

「何でそんな事で分かるんだ?」

「分かるわよ。数十年の付き合いだからね」

「数十年……?」

「知らなかった? 加賀見先生と私は高校の時の同級生なの」


 思わず怜一は驚いた。なんと加賀見と持田は長い付き合いだったらしい。それにしても三十後半とは思えない程の若い姿をしている彼女と、見た目は四十半ば位であろう薄ら禿の男が同い年とは思いたくも無かった。彼女曰く、若い頃は髪もまだ健在でバスケ部に入ってて相当モテていたらしい。これもまた聞きたくない過去だった。


「にしても加賀見もバスケやってたのか。だったら誠司とも気が合いそうな筈なんだけどな」

「……それがそうもいかなかったの」


 途端に持田の顔が曇る。彼女の表情からして大体は察しがついた。


「加賀見先生は三年間どれだけ足掻いても、どれだけ藻掻いても表舞台に立つ事が出来なかった。悲しいけどあの人は只の凡人なのよ。……聞いた話によると櫻井君はバスケットに関しては一年生の時点でレギュラー入り確定な程の天才なのよね?」


 邪推が確信に変わった。加賀見は誠司の才能を妬んでいる。その嫉妬が暴走して、彼を陥れる様な事をしたのだろう。

 それにしても、多少妬ましいと思っていても実際に他人の才能を潰す様な浅ましい行為を平気でやってのけてしまうものなのだろうか。これまた顔に出てしまっていたのか、持田は何処か遠くを見つめながら更に話を続けた。


「人の感情ってのは計り知れないものよ。は必ずあるの。加賀見先生はどうしても櫻井君を許せなかったのでしょうね」

「でも、アイツの自分勝手な感情で誠司を――」

「そう。あの人は人として在るべき道を外した。己の夢を諦め切れず、他の人の夢を壊す事で自尊心を保ってる醜い存在に変わり果ててしまったの。……春原君、私は君達に協力するわ」


 思いがけない申し出だった。加賀見の事を知っている持田が味方になるのは大きかった。


「いいのかよ? アンタの同級生を陥れる様な事して」

「今のあの人はもう見たくないの。バスケットを純粋に楽しんでいるあの人に戻って欲しいの。……昔のようにね」


 それじゃあまた何かあったら保健室にでもいらっしゃい。そう言って少し寂しそうな面持ちを浮かべたまま持田は屋上を後にしたのだった。


「……怜一。人間の感情とやらは複雑なモノだな」

「……そうだな。複雑で分かりにくい。それに建前だらけだ。だからこそ相手の僅かな本音でも知りたいって思う……らしい」

「何だ、それは?」

「どっかの誰かが言ってた事だ。さぁ、あの薄らハゲにお灸を添えてやろう」


 予鈴が校内に鳴り響いた。引導を渡すべく、怜一は狙いをしかと定めたのであった。


 ※


 放課後。部外者が消え去り、閑散とした保健室に怜一達は集まり、作戦について議論していた。


「実際の所、どういう方向に行けば目標達成って言えるんだ?」

「加賀見が自分のしでかした事を認め、誠司に謝罪。そして誠司がバスケを再開する、といった所か」

「——そうね。ただ、最初が一番の難関ね」


 方針は決まった。しかし出鼻は挫かれる事になった。一番為すべき事が一番難しく、最初を失敗すればもう終わりとなる。

 凡策や下策は許されない。侃々諤々かんかんがくがくと意見をぶつけ合う中、持田が一つ妙案を出した。しかし内容の一部始終を聞いていた怜一は難色を示し、キリエはあまり理解出来ていない様であった。


「アンタ仮にも先生だろ。そんな事に加担していいのかよ」

「毒を食らわば皿までって言うでしょう? それとも今更怖気づく気なのかしら?」

「そうじゃねぇけどよ。それで本当に上手くいくのか不安しかねぇんだよ。しかもそんな大役をコイツがってのが――」

「心配するな怜一。よく分からんが必ず成功させてみせるぞ」


 思い立ったが吉日。他に打開策が無い以上、遂行するしかない。不安は募る一方であったが持田に唆されるまま怜一とキリエは作戦の準備を始めたのであった。


 ※


「春原君の彼女さん、危なくなったら直ぐに逃げてちょうだいね」

「先生、コイツにそんな心配は無用だぜ。……おい、分かってるとは思うが――」

「分かっている。戦わずして勝てばいいのだろう?」


 本当に分かっているのか。そう不安を募らせていくと頭が痛くなってきた。失敗は許されないというのにキリエの泰然自若さは崩れなかった。それが逆に危うく感じてしまうのである。


「じゃあそれで私と通話出来るから私の指示通りにしてくれる?」

「了解した」

「……もうどうにでもなれ」


 作戦が決行される。時刻は二十一時過ぎ。高校生が外を出歩いていたら補導の対象になるであろう闇夜にて三人は獲物を待ち構えていた。最終チェックとばかりにキリエと持田は通信機の具合を確かめていた。


「! 来たわ!」

「しくじるなよ」

「任せてくれ。……にしてもこのかつら? ってのはなんかムズムズして好かないな。それにこの靴も動きづらいぞ」


 キリエは用意された金髪の鬘を被った。まるで別人の姿になった彼女は用意された派手で露出の高い服を身に纏い、慣れないハイヒールの靴を鳴らしながら既にへべれけになっている加賀見の元へと向かった。


「『お兄さん、私と一杯呑まない? って言ってみて』」

「お、お兄さん。わ、私と、一杯、の、呑まない?」


 持田の考えた作戦はキリエを疑似餌としたベッタベタのハニートラップであった。加賀見が毎週金曜日に此処の繁華街で浴びるほど酒を呑んでから帰宅する事を熟知していた彼女だからこそ考案出来た作戦である。しかし、肝心の囮が妖艶さには程遠いキリエだというのが不安要素でしかない上にこんなカビが生えた古典的な罠に引っ掛かる奴はそうそう居ないだろうと怜一は踏んでいたのだが……。


「うお、な、何だ君。わ、悪いんだけどもうそろそろ帰る時間で――」

「……先に謝っておくわ、春原君。『彼女さん。加賀見先生の腕を掴んで胸に引き寄せてちょうだい』」

「おいっ!!」

「我慢して。当てさせるだけで揉ませるつもりはないから。『……そこからおねが~いって誘ってみて』」

「そういう問題じゃねーだろ!」


 コイツ最低だ。そんなもんアイツにやらせんじゃねぇよ。……そんでもってお前も躊躇いなくやるんじゃねぇよ!!

 卑しい指示を出す持田に思わず声を荒げてしまう怜一。腑に落ちなかったが、何よりその恥知らずな行為に何の疑念も無く実行に移すキリエを見ているとここ最近遭遇した出来事の中でも五本の指に入る程に腹立たしかった。


「お、おねが~い?」

「そ、そこまで言われちゃしょうがないなぁ~! じゃ、じゃあさじゃあさ僕のお勧めの店があるんだ! そこにいこっか!」


 幸か不幸か持田の采配は成功する。今の所は順調に事が進んでいる。進んでいるが、その代償として加賀見への憎悪と嫌悪の炎に油を注ぐ事となった。まんまと釣り針に引っ掛かった助平野郎及び腰にそいつの手を回されているキリエの後を追いながら怜一は一発そのにやけ面を殴ってやると心に誓ったのだった。


 ※


「いらっしゃ――って何だお前か」


 キリエが加賀見に連れてこられたのは如何にも穴場と言った感じのバーであった。顔馴染みなのか腐れ縁なのかは定かではないが其処の店主は加賀見を見るなり、大きな溜息を吐いていた。


「お前って何だお前ってぇ! 俺はお客様だぞぉ!」

「お客様の所為でムードが台無しなんだが。……取り敢えずさっさと座れよ」


 文句を言いながらも店主はカウンターに座らせて手慣れた様子で最初の一杯を用意し始める。既に加賀見は酩酊状態で意識が混濁している様子であった。


「で、お客様。どんな悪事を働いたんだ?」

「悪事ィ!?」

「既婚者がこんな別嬪引っ掛けておいて悪事じゃねぇなら何になる」

「この子が誘ってきたたんだっつーの! 据え膳食わぬは男の恥ってもんだろーが!」

「はいはいそういう事にしておいてやるよ」


 にしてもなぁ、と店主は昔の事を語り出していくのでキリエは思わず耳を傾けた。


「堕ちたもんだな。昔は引く手数多のお前が今じゃ冴えない公務員勤務で自棄酒とはな」

「……うるせぇ。俺だってなぁ、やれた筈なんだよ……。けど神様ってのが味方してくれなかっただけだ」


 持田が語っていた高校時代の事をぼやいているのだろうか。何か手掛かりになるのかもしれない。キリエは好機と思うと同時に持田から指示が届いた。


「——昔はどんな人だったんだ……ですか?」

「ああコイツ、小中までは相当優秀なバスケ選手だったんだ。けど高校からはてんで通用しなくなってきてな。その栄華が忘れられねぇんだろうよ」

「ちげぇよそんなんじゃあ!! ……そんなんじゃ、ねぇよ」


 さっきまでの威勢は何処へやら。酔っ払いは虚ろ気な眼差しと共に俯きながら言葉を詰まらせていた。


「……なぁ加賀見。昔のよしみとして忠告しておいてやる。もう過去に囚われるのは辞めろ」

「……お前に俺の何が分かる。簡単に夢や目標を捨ててのうのうと生きてきたお前によぉ」

「捨てられずに生きてきた結果がか?」


 店主の反論に何も言い返せなくなり、沈黙する加賀見。キリエも黙って聞いていたが、何となく察しがついた。誠司の事であろう。


「お前は極悪人を演じているつもりだろうが、所詮は酒に逃げてるだけの小物だよ」

「……それ以上喋るな」

「図星を突かれたって所か。つくづく救えねぇ奴」


 店主の減らず口が加賀見の憤怒の引き金となり、勢いよく立ち上がるや否や胸倉を掴んで睨みつけた。それでも店主は動じずに小悪党を睨み返していた。キリエは瞬時に察した。この気配は決して脅しなんかではなく、本当に殴り掛かろうとしているのだろうと。


「どうした? けしか


 安い挑発だった。だが答え合わせには十分過ぎた。逆上した加賀見は咆哮と共に左腕を大きく後ろへ引き、頬を貫こうとしたが失敗に終わる。何故なら、寸での所でキリエに手首を掴まれ止められたのだから。


「な、何だお前!?」

「——御仁、すまないが店を荒らす事になる」


 悪漢は大いに驚き、殴られる覚悟を決めていた筈の店主は呆気に取られている。こんな細く白い腕一本だけで成人男性の動きを止めていたのだから。その隙を逃すつもりのないキリエは一瞬の内に掴んだ手首を捻り上げて背後を取ると、カウンターに組み伏せさせた。彼女の迅速な判断により店への被害は近くに置かれてあったグラス一個だけに済んだ。


「いででっ! いでぇ! は、離せ!! 離しやがれ!!」


 酔っ払いが必死に振り解こうとするも戦乙女の力の前には無力同然である。片手だけで加賀見を抑え込んだキリエはもう片方の手で鬘を鬱陶しそうに脱ぎ捨てて正体を現した。


「お前……! 暴走族を一人で壊滅させた女!?」

「傷害罪にならずに済んだ事をコイツに感謝しとけよ」

「春原! それに……持田!? 貴様ら嵌めやがったな!?」


 怜一達が店に駆け込んでくる。二人の男達は混乱していたが、持田の顔を見るや両者共に三人の意図を瞬時に理解した様だ。


「嵌めるだなんて人聞きが悪いわね。全部聞いてたワケだけど自白した様なものじゃない」

「くそっ! おい! 助けろ!」

「申し訳ありませんが今手が離せないので御自身で何とかして下さい、お客様」


 持田側に付いた店主はすっとぼけた様子で床に落ちて割れたグラスの破片をこれ見よがしに片付け始めながら見て見ぬふりをしたのであった。四面楚歌と化した加賀見は観念したのか、無駄な抵抗を止めた。


 手筈は整った。後は徹底的に絞り出すだけだ。夜はまだまだ長くなる。此処が正念場、とばかりに怜一は気合を入れ直したのであった。

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