第13話 戦乙女は俺の助けに応じていく
怜一は悪夢を見ていた。いつもならば落ち込んだり密やかに涙を流していた所であったが、今日は違った。恐怖を乗り越え、凛燈と対峙する事を一人で決意した怜一の行動はいつもと違っていた。
「れ、怜一? 昨日
「別に……。何となくだよ」
誰よりも早く起床した怜一は、今まで家事というモノを一切しなかったにもかかわらず、自分から率先して手伝い始めたのである。これには家族一同大いに驚愕していた。
「怜一、まだ熱でもあるんじゃないか……? それか何か別の病気が併発していたりだとか……。だとしたら無理させるワケには……」
「キリエ、アンタ寝てる時に何か変なモノでも食べさせたりした……?」
「わ、私は何もしていないぞ……?」
「全部聞こえてんだよ! 熱も無いし何ともねーよ!」
ただ全員分の朝食を用意しているだけなのに、病気か正気かを疑われ始めたので怜一は少しばかり不服そうにしながら配膳していった。こんな事を言われる位なら、もっと家の手伝いを面倒くさがらずにやっておくべきだった、と内心後悔していた。
「もういいじゃない。怜一はやりたいからやってるだけなのよ。そうよね?」
「……まぁ、そんな所だけど」
「……そっか。そうかそうか。怜一も成長したって事だな、うんうん」
「お姉ちゃん嬉しい反面、ちょっと寂しかったりするわ」
「どいつもこいつもイチイチ大袈裟なんだよ。ったく……」
「……その割には嬉しそうだな、怜一」
「はぁ? そ、そんなんじゃねぇっての」
心なしか、怜一が勝手に隔てていた壁に亀裂が入っていた。久々に一家が揃って朝食を摂るのは久方ぶりの事であった。何処か気恥ずかしそうにしながらも晴れ晴れとしている表情を浮かべていた怜一を見ていたキリエも、何処か嬉しそうであった。
※
学校でも怜一の行動に変化があった。いつもは上の空で明後日の方向を見ているか、机の下でスマホゲームをしているかのどちらかで授業を真面に聞いていなかったのに、今日はちゃんと教科書とノートを広げて、きちんと板書をしているのだ。
「す、春原。お前、何かあったのか?」
「何かって何が。……ですか」
「い、いや何でもない」
様子がおかしいと思い、いつも怜一を目の敵にしていた教諭が授業中にもかかわらず中身の無い質問を繰り出す始末。普段の彼ならば例え聞かれていようが無視をするか反発するかのどちらかだったが、敬語を使って返事をしてきたのである。調子が狂ってしまうのか、先生はそれ以上は何も追求せずに授業を再開した。
「春原お前本当にどうした?」
「何か悩みでもあんのか?」
「俺達で良ければ相談に乗るぞ?」
「皆して似たような反応してんじゃねーよ! ……今更だけど授業は真面目に聞いとかないとお前らにとばっちりが来るだろって気付いただけだ」
「おいやべーよ、春原が他人に気を遣ってるぞ」
「おえぇぇぇ……、違和感の極みだ」
「お前ら流石に度が過ぎてると思うぞ」
今まで好き勝手やってきた反動からなのか、クラスメイトからは気味悪がられる有様であった。随分と失礼な事を好き放題言ってくれているが、これまでの自分の業を胸に手を当てて振り返ってみれば相当な迷惑行為を行い続けていたので、怜一は非難している一同に反論出来ずに居た。
これまでとは違った目で見られる事になり、怜一は居心地が悪くなった教室を後にして誠司の所へ遊びに行く事にした。戸を引いて廊下に出た瞬間、偶然にも誠司と鉢合わせた。
「おっ、怜一! 悪いけど匿ってくれ!」
そう言って教室へと逃げ込むと、誠司は有無を言わさず怜一だけを残して戸を閉めてしまったのである。大体察しがついた。直ぐに瑞希が随分と立腹な様子で此方に問い詰めて来たからのである。
「春原君! 誠司何処に行ったか知らない!?」
「……あっちに行ったぞ」
「今日という今日は絶対逃がさないんだから!!」
怜一が明後日の方向を指すと、彼女は直ぐに走り去って行ってしまった。嵐が通り過ぎたのを確認すると、誠司は何事も無かったかの様に廊下に出てきたのである。
「サンキュー、怜一。全くめんどくせぇったらありゃしねぇよ」
「バスケ部に戻れって話?」
バスケ部。その単語を口にした瞬間、誠司が少し苦虫を嚙み潰したような顔をした気がした。
「……ああ、そうだよ。ったく。俺はもう飽きたから辞めて、もうボールも触りたくも無いってのによ」
誠司が
「……本当に飽きたからなのか?」
「何だよお前まで。……まさか俺にまたバスケやれって言うんじゃないだろうな?」
「嫌いになったのならやらなくていいと思う。でもまだやりたいって気持ちが少しでもあるなら――」
「……嫌いになるワケねーだろ。曲がりなりにもガキの時から時間と魂を掛けてやってきた事だぜ? けど、もう辞めた。そんでもってもうやらないって決めた。……悪いけどこの話はもう二度と出さないでくれ」
いつもの誠司は其処には居なかった。単純で、陽気で、そして楽天的。そんな男の姿ではなく、暗雲が立ち込めている様な面持ちであった。
何か言いたくない事情でも有るのだろう。だったら無理にでも聞き出すのは無粋と言うものだ。だが夢で過去の事を顧みた際に誠司へ返さなくてはならない恩義がある事を思い出した怜一は彼の事を放っておけないと感じた。
「誠司!! 見つけたわよ!!」
「やべぇ!!
瑞希に索敵された瞬間、さっきまで不穏な空気を漂わせていた誠司は忽ちいつものおちゃらけた様子へと戻して立ち去って行ったのであった。
「ちょっと春原君! 誠司を庇う様な事しないで!! アイツの為にもならないの!!」
––にしても、まず誠司とバスケ部に何かあったのかを聞く必要があるな。今のアイツが話してくれる筈もないし……。
「聞いてるの!? ねぇって!! 誠司にはバスケが必要なの!! 分かる!?」
立花は何にも知らなさそうだなぁ……。誠司の事情知ってたらあんな毎日馬鹿みてーな大声出してしつこく復帰を迫ったりするワケねーしなぁ……。本当つっかえねー女……。胸が貧しければ頭も貧しいのかよ。誠司もこんなチンチクリンの何処が良いんだか……。
「……何か今失礼な事考えてなかった!?」
「立花。ちょっと来い。話がある」
戦力になるかどうかは不明であるが、味方は多いに越したことは無い。怜一は瑞希を半ば強引に連れていく事にした。後ろで何かゴチャゴチャ言っている気がしたが、人気の無い所に到着するまで無視を決め込んだ。
「いきなり何!? 告白!? 言っとくけど春原君はキリエさんが居るし、私も貴方みたいな不良のキャラ作ってる様な痛い人は好みじゃないんだけど――」
「んなわけねーだろ、アホか。てか俺の事そんな風に思ってるのかよ」
きっと瑞希以外にもそう思っている人は少なからず居るのだろう。今まで道化を演じていた事に気付き、怜一は少しばかり気恥ずかしく思えた。
「お前、誠司をバスケ部に引き戻したいんだよな?」
「まぁ……そうだけど」
「じゃあ聞くけどよ、そもそもお前は何で誠司がバスケを辞めたか知ってるのか?」
「バスケが飽きたの一点張りだけど……違うの?」
「それマジで言ってるのか」
まるで話にならない。そんなのお前や俺をはぐらかす為の嘘に決まってるだろうが。そんな単純な嘘に気付けないとか相当御目出度い奴だな。
怜一は瑞希の鈍さに思わず大きな溜息を吐いた。彼女だけは何故失望されたのか腑に落ちない様子であった。
「小中、そして高校の途中まで続けてバスケで特待生になってた奴が飽きたって理由だけで辞めるには不自然過ぎるだろ。バスケ部と何かあったから辞めざるを得なかったんだと俺は踏んでる」
「た、確かに……」
「だからお前がどんだけ毎日ピーチク言ったって誠司がまたバスケやるってなるワケねーだろ? バスケ部で何かあったのならそれを何とかしないと根本的解決にならないだろうが」
ようやく本質を見抜けた瑞希は全て納得したのか、思わず感嘆の声を漏らした。この先が思いやられる、と怜一は彼女の間抜け加減に不安を拭いきれずに思わず頭を抱えた。
「つーワケで立花。バスケ部に何かあったか部員に聞いてこい」
「わ、私が!? 春原君協力してくれるんじゃあ!?」
「部外者の俺が急に探りを入れてきたら怪しまれるだろうが」
瑞希は少し腑に落ちない様子のまま話はお開きとなった。渋々校舎へ戻っていった彼女が部員に聞いているなら此方はバスケ部の顧問辺りを探ってみようと思いつき、怜一もまた出来る範囲から探りを入れようと画策した。
「確か男子バスケ部の顧問は……加賀見だったか」
噂は聞いている。学年主任の
直接聞こうにも前までの素行不良が枷となってしまってまともに取り合ってくれないのは目に見えている。だったら加賀見が担任しているクラスの生徒に聞けばいい。怜一は直ぐに教室へと向かい話を聞いてみる事に。
「おう春原か。急にどうした?」
「ちょっと聞きたい事があってさ」
中学生三年生の時に同じクラスだった生徒が居たのを思い出したのでそいつに詳しく聞いてみる事にした。
「お前の所の加賀見ってさ、バスケ部で何か変な事起こしてたりして無いかと思ってな」
「バスケ部? うーん……。それが関係しているかどうかは分からないけどよ、何か顔に怪我してて手当してもらってた日があったな。ボールぶつけられたか、殴られたかしたんだろうな」
いきなり物騒な展開になってきた。その詳細が分かれば確信に繋がりそうだ。更に詳しい話を聞こうとすると、後ろに何か気配を感じた。そして元クラスメイトの顔が思わず引き攣っていた。
「春原ぁ……、その髪元に戻せって言わなかったかぁ? お前の頭にはカニミソでも詰まってんのか? あぁ?」
噂をすれば何とやら。振り返ると其処には加賀見が居て、逃げる間も与えずに派手に染め上げた髪の毛を鷲掴みにして壁へと押し付けた。
「明日から黒染めしてこい。その気になればいつだって停学処分に出来るんだぞ?」
「……加賀見先生。髪が薄いからって俺の髪に嫉妬しないで欲しいんすけど」
「……クソカスがぁ~、ちょっと本気にならねぇと分からねぇのか?」
脅しのつもりで迫っているのだろうが、凛燈から受けたアレに比べれば子供騙しに過ぎない。怜一が不敵な笑みを浮かべて減らず口を叩くと、加賀見は思い切り突き飛ばして壁に叩きつけた。これもまたアレに比べれば優しい物だったので余裕の笑みは崩れなかった。
「おい怜一大丈夫か!」
体罰に近い指導を受けていると、たまたま通りかかった誠司が急いで駆け寄った。そして加賀見の方へ見やると、今まで見た事の無い形相を浮かべて
「……何だ櫻井? 屑は屑同士庇い合いか?」
「加賀見!! てめぇまだ殴られ足りねぇようだなぁ!!」
誠司は本能のままに動く獣の如く冷静さを欠いていた。学校内で、ましてや教諭に手を上げる事がどういう事なのか分かっていた怜一は直ぐに彼を羽交い絞めをして拘束した。
「また暴力か? やっぱり血は争えないって事か?」
「てめぇが怜一にやった事も暴力だろうが!!」
「誠司落ち着けって! 俺は別に何ともねーから!」
「ふん、馬鹿の相手は疲れる。バスケットを失ったお前なんぞ屑以下だ」
加賀見が怜一達を鼻で笑うと、そのまま勝ち逃げをする様に教室へと入っていってしまった。それでも誠司は絡みついていた両腕を怒り任せに振り解いてそのまま襲い掛かろうとする勢いであった。ちょっと前まではスポーツマンのフィジカルとスタミナ、これ以上抑え込むには限界だった。
「……おい! どうせまた来てるんだろ! 手を貸せ!」
「了解した」
怜一が呼び掛けると、学校内で待機していたキリエが颯爽と現れ、瞬時に誠司の眉間目掛けて、内側に丸めていた中指を一気に解き放って弾いた。戦乙女の放ったデコピン。大人しくさせるには申し分無い一撃だったらしく、忽ち白目を剥いて気を失った。
「コイツがこんなに取り乱すなんてな……。加賀見と何かあったに違いない」
「怜一。誠司なんだが何処へ運んでいけばいい?」
「取り敢えず保健室へ連れていこう」
誠司の怒鳴り声は校舎中に響いていたらしく、人が集まり始めた。これ以上騒ぎ立てるにもいかず、怜一達は気絶している誠司をそそくさと運び込んでいったのであった。
※
アルコールの様な独特な匂いを漂わせている保健室。普段から授業をサボる時に頻繁に利用していたので怜一と養護教諭とは結構な顔馴染みだった。だからなのか彼女は誠司の負傷した理由やキリエの存在などに特に詮索する事も無く、キリエのデコピンによって負傷した箇所を手当してからベッドに寝かせてくれたのであった。
「軽い
「……先生、いつも有難う。これからはなるべく真面目に授業受けるよ」
「……ふふ、何かあったらいつでもいらっしゃい」
養護教諭は軽く微笑んで保健室を後にした。それと擦れ違う形で瑞希が血相を変えて入室してきた。
「大丈夫なの誠司!?」
「気を失ってるだけだ。命に別状は無い」
「すまない、手加減したつもりなんだが……」
「……事情は聞いたわ。加賀見先生に殴りかかろうとしたんだってね」
誠司と加賀見の件、彼女の耳にも入っていたらしい。あれだけ大騒ぎすれば当然の事だろう。瑞希もショックを隠し切れていない様だ。
「絶対加賀見と何かあったに違いないな。でなきゃコイツが我を失ってまで殴り掛かろうとするって事は絶対しない筈だ」
「……私、バスケ部の男子から聞いたんだけどね。誠司と加賀見先生、殴り合いの喧嘩をして、それで退部したんだって。そんなの私……聞いてない」
「言う訳ねーだろ、そんな事」
一同が声の元へ振り返る。さっきまで臥せていた誠司が目を醒まし、頭を抱えて身体を起こしていた。
「誠司! アンタ……どうしてそんな事したのよ!?」
「……アイツが気に食わねぇから殴った。アイツの下でやるバスケなんて辞めた方がマシだって思えたからだ」
「嘘吐かないで! アンタがそんなしょうもない理由で人を殴るワケないじゃない! それに本当はやりたいんでしょ!?」
誠司のあの癖は出していなかった。しかし、何か隠している様にも見えた。つまり本当の事は言っているが言いたくない事は隠しているといった感じだろう。後ろから怜一は冷静に分析していた。
「どうして分かってくれないの!? 私は、アンタの居ないバスケをやったって楽しくないの! アンタと一緒にやりたいの!」
「……知らねぇよ。俺はお前の事なんぞ何にも思っちゃいないし、どこぞの適当な奴引っかけて切磋琢磨したらいいだけの話だろ」
蟀谷を掻きながら誠司は心にも無い事を口走った。瑞希がその行為に意味がある事を知っているか否か。
「何よそれ……! もう知らない!! 誠司の馬鹿!!」
恐らく後者であろう。瑞希は涙を浮かべて走り去ってしまった。彼女が完全に姿を消した事を確認してから、誠司は溜まりに溜まった鬱憤を解放するかの如く、大きな溜息を吐いた。
「……お前も出て行ってくれ。俺はもうちょい寝たら戻る」
「誠司。俺が言えた義理じゃねぇけどよ、立花だけには
「はぁ? ……本当にお前が言えた義理じゃねぇな」
「そんな事俺が一番分かってる。お前にも迷惑掛けた事だってある。でも――」
「ほっとけないってか? お前みてぇな過去の事いつまでも引き摺ってメソメソしてる奴の施しなんて要らねぇんだよ」
これ以上は何も反論出来なかった。誠司に自分の一番触れられたくない事を言われたからではなく、それを言わせてしまったからである。現に彼は失言をした事に気付いていた。それを必死に隠そうと寝返りを打って顔を背けた。これ以上お互いに傷つけ合う必要は無い。怜一はキリエの手を引いて退室しようとした。
「……おい、行くぞ」
「いいのか?」
「俺達は邪魔の様だ。そっとしてやれ」
確かに誠司の言う通りで、凛燈の過去に囚われている。しかしそんな過去と訣別したい。その為には凛燈に関わった事で迷惑を掛けてきた人達に贖罪しなければならない。でなければ、自分との過去に向き合えてすらいない。怜一はそう考えていた。
しかしそれは本当に誠司の為になるのだろうか? 自分の罪悪感を消す為の綺麗事ではないのか。思い悩む怜一の心境を察したか、キリエが背中を後押しする様に問い掛けてきた。
「……怜一、君はどうしたい?」
「……今の誠司を助けたい。それが俺に出来るアイツへの罪滅ぼしだ」
「それが君のやりたい事なんだろう? だったら迷う事は無い。君も君の気持ちに素直になればいい」
「……ヘッ、言うようになったじゃねーか」
例え偽善と思われようがどうだっていい。助けたいという気持ちに偽りは無いのだから。誠司に助けられた事があるのは確かだ。だったら今度はこっちの番だ。
怜一の心に迷いが無くなった。誠司の居る保健室を一瞥し、大きな一歩を踏み出したのであった。
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