第12話 俺は失意のどん底に落ちていく

 喧嘩別れの様に家を出た俺は取り敢えず誠司の家に転がり込んだ。普通の家なら受験勉強の邪魔になるだろうから受け入れてくれないだろうけど、誠司はスポーツ推薦で入るから勉強なんて一切やってないからすんなり居候させて貰えた。

 小学生の頃からペンを持ったり教科書見てたりすると眩暈と吐き気がするからバスケで何とか良い所目指そうと頑張ったら色んな所からスカウトの話が来るほどにまでになったんだとか。凡才の俺にしてみれば相当鼻につく様な話だけど、大の勉強嫌いな誠司らしいと思った。


「そういや喧嘩の理由って何だ? 良かったら聞かせてくれよ」

「……今付き合ってる女と別れろって姉ちゃんに言われて、それで腹が立って喧嘩した」

「あーそりゃあ俺も腹が立つかな……ってお前彼女出来てたのかよ!?」


 分かりやすく誠司は動揺していた。そういや言ってなかったっけ、と俺もとぼけていた。俺もリンとの勉強に夢中になってたから誠司とあまり話してなかったからちょっと悪い事してしまったな、と今更だけど謝っておこう。


「まぁ、一応は」

「んだよ水くせーな。それに先駆けかよ」

「先駆けって何だよ。お前だって立花が居るだろ」

「だーかーら、瑞希とはそんな関係じゃねぇって」

「その言葉聞き飽きたぞ」

「てかそんなんどーだっていーんだよ。で、何組の誰だよ?」


 露木凛燈。俺がそう告げると、誠司もあまり良い反応はしてくれなかった。誠司も誠司で何となくリンの素性を察していたのだろうな。


「あー、その、何だ。露木には気を付けとけよ」

「お前まで何だ?」

「先に断っておくけどこれはあくまで噂での話だぜ? ……露木は色々とやべー奴なんだよ」

「はぁ? んだよソレ」

「だからあくまで噂での話って言ったろーが。……露木議員って知ってるか?」

「朝の情報番組で良く見かけるな。……まさか」


 そのまさかだった。誠司の言っている露木議員はリンの父親だった。付き合ってた彼女の親が偉い立場の人物だったってだけなら特別珍しい話って程じゃないけど、露木議員ってのがまずかった。


「ニュース見てるのなら知ってるだろ? あの議員がやべー奴だって」


 昔から結構騒がれていた気がする。金銭絡みの不祥事、不倫による隠し子騒動など、叩けば埃が出る政治家として名前が良く挙げられる程だった。それでも失脚せずに今も政治活動を続けているのはそれだけ議会で力を持っているって事なんだろうな。


「だから何だってんだよ。親父がやべー奴ならリンもやべー奴だって言いたいのか?」

「まぁ……こんな憶測だけで決めつけるのは良くねーのは分かってるけどよ、取り敢えず露木には今後気を付けとけよって事だよ」


 誠司が姉ちゃんと違って言葉を選んで心配してくれている事は当時でも理解出来た。それに此処でも誠司と喧嘩でもしたら文無しの俺は路頭に迷う事になると踏んでいた。だから俺は内心腑に落ちないでいたけど、適当に相槌を打って誤魔化したんだった。隠しているつもりだったんだけど、きっと不服そうな感じが見え見えだったんだろうな。言及はしなくなったけど、誠司も仄かに俺の事を見限った様な感じが見え隠れした様な気がした。


 その時からだな。俺と誠司の間にわだかまりを感じた。表面上こそ折り合いを付けて仲良くやっていたけど、何処か互いに遠慮してる様な、少しばかり気まずい関係が続いた。結局の時が来るまで必要最低限のコミュニケーションしか取らなくなった。最終的に誠司よりも誠司の両親との会話の方が多くなってた程だった。


「そういやそろそろクリスマスだね、レイ君」

「ん? ああ、そういやそうだな」


 そんな鬱屈した日々が続いて十二月。俺がいつもの様にリンと遅くまで学校で受験勉強をしていて、その帰り道だった。気分転換にといつもと違う道を歩いていると、リンは大通りに飾られてある大きなクリスマスツリーを見上げて俺に話しかけてきた。


「レイ君って何歳までサンタさんを信じてた?」

「サンタか。そうだな、小学生の三、四年生位だったかな。サンタは今年から来なくなるからって急に告げられて、何となく察したよ」

「そうなんだ。……私はね、今も信じてるよ。サンタさん」

「何だそりゃ。まぁでもリンらしいな」


 そんな他愛無い会話を繰り広げていると、そうだ、とリンは両手を軽く合わせて余談を打ち切った。


「レイ君、今年のクリスマスにデートしようよ。用意しておくからプレゼント用意しておいてね?」

「は? 俺ら受験生だぞ? 今年じゃなくても――」

「いいからいいから。じゃあ終業日の25日楽しみにしてるね。お互い忘れられない日にしようよ」


 強引に約束を取り付けると、リンは寒空の下、俺を置いて帰ってしまった。その時の俺はというと、平然を装うのに必死になっていた。リンにまんまと乗せられていたという事も露知らず俺は柄にも無く舞い上がっていた。ただでさえ金が無いのに馬鹿正直にリンのプレゼントとしてマフラーも買った。そしての時が来る――。


 ※


 終業式を終えて、冬休みに入った。とは言え、休みになってもやる事は変わらず勉強三昧だった。同級生達は日に日に募ってくる受験へのストレスからか浮かない顔をしているのが殆どだった。けど俺は違ってた。その日はリンとのデートの事しか頭に無かった。

 リンのライントークからデートの詳細を伝えられた。場所は約束した通りのクリスマスツリーの下。時間は十九時。俺が時間になるまで適当に暇を潰そうかと考えていたら、家出した時ぶりに姉ちゃんから電話が掛かってきた。久々に姉ちゃんの声を聞こうかと思ったけど、どうせまた喧嘩になるだろうと思って無視してしまった。

 それはきっと神様とやらが俺に施してくれた虫の知らせだったんだと、今になって気付いた。けど、その時の俺はそれに気付けなかった。そして今になってもずっと後悔している。

 あの時出ていれば俺は普通に、そして真っ当に生きられたのだろうか。そんな事ばかりずっと考えている。


 時刻は十八時五十二分。俺は約束の時間よりも少し早く来てしまった。リンは来ていない。

 この日は雪が降っていて凍える程に寒い夜だった。寒空の下、俺は身を震わせながらプレゼントを抱えてリンが来るのを待っていた。一分、二分、三分……。時間の進みが遅いと感じるまでに俺はリンが来るのをずっと待ち望んでいた。


 約束の時刻となる。けど、リンは来ない。俺は何も考えずに待っていた。


 約束の時刻から五分経過する。されど、リンは来ない。俺は何か些細なアクシデントにでもあったんだろうと考えて待っていた。


 約束の時刻から十分経過する。それでも、リンは来ない。俺は何かあったに違いないと思い、急いでリンに連絡した。


「れ、レイ君—―」

「……オイ、どうなってんだ? 何かあったのか?」

「たすけ――」


 その嫌な予感が的中したと思い込んでいた俺は通話が途絶えた瞬間、無我夢中でリンの元へと向かっていた。リンがライントークに貼り付けた位置情報を頼りに走っていく。所々地面が凍っているのに走るもんだから滑って転んで、肘や膝に擦り傷が出来ていた。けど俺は形振り構わずに立ち上がって只管ひたすら走った。


「リン!!!」

「レイ君……!」


 俺がリンの所へ辿り着くと、如何にも強そうでガラの悪い連中に囲まれていた。俺に到底敵う筈も無い相手だ。けど俺はリンを護りたい一心で立ち向かった。

 殴り、殴られ、蹴り、蹴られ。アドレナリンが分泌されていた俺は痛みを堪える事が出来た。決死の思いで戦っていた。血塗れになっていた。俺はそれでもリンを護ろうとしていた。

 人間には限界ってものがある。俺も例外ではなかった。完膚無きまでに叩きのめされて俺は動けなくなってしまった。俺が引き付けている間に逃げ延びていればそれでいい。とこの期に及んで他人の心配をしていた時だった。


、コイツどうします?」

「あーあ、動かなくなっちゃったか。まぁそりゃそっか」


 俺は耳を疑った。目を疑った。脳を疑った。ボロボロになって横たわっていた俺の目の前にリンが立っていて、明らかに俺を見下していたのだ。


「火事場の馬鹿力ってのは起きないものなんだね」

「そりゃそうっすよ。こんなモヤシ野郎、逆立ちしたって俺達に勝てるワケ無いって」

「……!?」


 俺は混乱していたんだろうな。それを見透かしていたリンは俺を嗤っていた。そして周りの敵であった悪漢達も同調して嗤っていた。


「アハハ、もしかしてに気付かなかった? ごめんねぇ? でもんだよ? だってレイ君はから」

「な……ん……で……?」

「弱っちいクセに正義感ぶって人を助けようとするレイ君だからこそになっちゃったんだよ。弱いなりに必死こいてる顔が見たかったの。もっと言えば、その顔も見たかったの。レイ君は私の事、好きだよね? もっとレイ君の悶え苦しむ顔、見せて欲しいな――?」


 俺はようやく気付いた。露木凛燈はイカレているのだと。俺とリンの間に愛なんてものは無く、俺を支配下に置く事だけを考えていたのだと。


 俺はようやく気付いた。俺はリンの事を何にも知らなかったし、知ろうともしなかったのだと。姉ちゃんや誠司が正しかったのだと。


 俺はようやく気付いた。俺が選んだ選択肢は、とんでもない大間違いだと――。


 ※


 満身創痍の俺は薄汚い路地裏に捨てられた。俺の体にどんどんと雪が降り積もっていき、俺はそのまま凍り付いて死んでいくのかな、なんて思っていたら、俺の目の前に誰かが立ちはだかった。骨を軋ませ、腫れ上がった目蓋を懸命に開けて見上げると、其処には姉ちゃんの姿があった。


「姉……ちゃん……、俺……」

「何も言わないで。……帰りましょ」


 そう言うと、姉ちゃんは傷だらけの俺の体を軽々と背負い込んで、雪の中を歩いて行った。俺と身長がそんなに変わらないのに、姉ちゃんの背中がとても大きく思えた。


「ごめんね……。お姉ちゃん怜一の事、護れなかった。ごめんね。本当に、ごめんね――」


 家に着くまで、姉ちゃんは涙声で何度も、何度も何度も何度も謝っていた。姉ちゃんは何も悪くないのに、明らかに俺の所為なのに、ずっとずっと泣きながら謝っていた。俺も、ずっと謝りながら泣いていた。

 父さんと母さんは俺の無惨な姿を見て驚いていた。そして咽び泣いていた。家出して久々に帰ってきたら大怪我を負っていたとなれば当然の事だろう。

 姉ちゃん達に手当てを受けた俺は、再び元の家族の形に戻れた事への祝福も兼ねたクリスマスパーティーに参加した。口の中が切れて鉄臭い血の味がしたけど、ケーキも料理も美味しかった。美味し過ぎて、また泣きそうになったのは内緒だ。


「別れたい?」

「……。そういう事でいい。だから――」

「だから手を切りたいってワケ? ……別にいいよ」


 後日、俺はもう家族に迷惑を掛けないというケジメとして、明らかに俺の方が不平等な条件を提示してリンとの縁切りを試みた。色々と覚悟していたつもりだったけど、あっさり快諾された。拍子抜けだと思ったら、リンは俺の想像以上に一筋縄ではいかない女だと改めて思い知らされた。


「――でもレイ君。私から逃げられると思わないでね? 私はレイ君をとことんにまで苦しませたいの。があれば、レイ君とをいつでも不幸のどん底に落とす事が出来るの。その事を忘れないでね?」


 リンが俺に見せていた狂気は相当なものだった。それがもし、リン以外にも秘めているとしたら? そう考えると、ゾッとする。


 それから俺は姉ちゃんに改めて謝った。すっかり仲直り出来て、今もたまに一緒に外で遊んだりもしている。

 父さんと母さんにも謝った。親不孝な俺なのに帰る場所をずっと用意してくれて、今も普通に接してくれている。

 誠司にも土下座して謝った。あっさり許してくれて、今もつるんで落ちこぼれ同士馬鹿やってたりしている。


 皆は俺に何て事ない日常を与えてくれた。けどあの事件以降、俺はそれが偽りの世界なのではないかと思う様になった。そう考えると、上手く笑えなくなっていた。


 そしてふとした時に夢を見る事がある。リンに裏切られた俺が暗い闇の底へどんどんと沈んでいく。どれだけ俺が助けを求めても、誰も手を取ってくれない。姉ちゃんも、父さんも、母さんも、誠司も。俺の近くに立っている筈なのに、誰も俺を助けてくれない。リンが本当に俺の周りの人達を不幸のどん底へと落とし、皆がお前の所為だと恨み辛みを俺にぶつけていく。そんな夢だ。


 勿論、夢の話だ。夢から醒めれば、皆は俺に笑顔を見せてくれる。けど、その後ろで憎悪に満ちた表情がチラついて仕方がない。


 なるべく思い出さない様にと頑張った。思い出してしまうと必ず夢に出るからだ。けど無理だった。皆が俺を見限り皆が俺を裏切る所を想像してしまう。そうなると、悲し過ぎて涙が止まらなくなる。辛過ぎて何も出来なくなる。

もうそんな思いをするのは嫌だった。だから俺は、皆の想いを裏切って壁を作る事にした。少しでも俺の古傷が開かない様に。


「怜一! 何よその髪!」

「別にいいだろ。成績は落とさない様にする。迷惑を掛ける様な事は絶対しない。遅くなるなら連絡入れる。それで問題ねーだろ」


 そしてせめてこれ以上俺が裏切る事が無い様にと、先に壁を作っておく事にした。誰も寄せ付けないように髪を派手な色に染め上げ、素行不良の問題児を演じる事を決めた。効果は覿面てきめんで、俺に近寄ろうとする奴は居なくなった。安心はするけど、何処か寂しかったし、虚しくなった。


 俺はそうやってリンの影に怯えながら一生一人で孤独に生きていくのだと思った。それが俺の宿命なのだと諦めていた。


 ――そんな時にが現れた。


――どうした? この私に見惚れていたんだろう? 遠慮するな。もっと見ても構わないぞ。……おい、遠慮するなと言っただろう。目を逸らさず私を見ておけ。


 そして気が付けばいつも俺の近くにはアイツが居た。そしてアイツと居ると、ずっと忘れられない嫌な記憶を忘れる事が出来た。だからアイツがわざわざ蒸し返してきた時は滅茶苦茶腹が立って滅茶苦茶怒鳴り散らしてしまった。冷静になって考えてみればとんでもねぇクソヤロウじゃねぇか、俺。後味悪いし取り敢えず後で謝っておこう。


 まぁ、その、何だ。まさかお前に気付かされるとは正直思いもしなかった。お前はリンと喧嘩をするとか言ったな。その前に俺もリンとの因縁に決着をつけないといけないって事を気付かせてくれた。お前の決してブレない意志の強さ、そして不可能を可能にしてくれそうな雄姿を見ていて、俺も辛い事から目を背けて逃げるのはもう御免だって強く思えた。


 確かに俺はお前と違って力も無い只の人間だ。だがな、俺も一応は男だ。男としての意地を張らなきゃならない時が来たようだ。このままおめおめと食い物にされ続けるワケにはいかない。そんなの、の前で恰好付かないからな。お前の様な強くて美しい女の隣に相応しい男ってのはそういうモンだ。……そうだろ!? なぁ! キリエ!!


 ――首を洗って待っていろ、リン! がお前に引導を渡してやる!!


 ※


 怜一の瞼が開く。暗かったが、見慣れた天井が見えた。キリエと小百合を部屋から追い出したら途端に具合が悪くなって、いつの間にか寝てしまっていた様である。時刻は午前三時の真夜中。皆が既に寝静まっている時刻である。


「夢、か……」


 それはとてもとても長い夢。久しぶりに見た過去の夢。怜一のこれまでの出来事を劇場化した様な夢だった。されど、男の表情は不思議と晴れやかだった。


「って何でコイツ此処で寝てんだ?」


 重い感触のする腹部を見てみると、何故か転寝をしているキリエの姿があった。鍵を閉めていたのに何で入っているのか。何で此処で寝ているのか。甚だ疑問だらけではあったが今の怜一にとっては些末な事だった。

 彼女の寝顔をまじまじと見つめる。それはさっきまで凛燈との戦いに算段を立てていた者とは思えない程の呑気で安らかなものだった。


(惚れた女の前で恰好付かないからな、か。……いやいやいや!! 何かの間違いだ!! そうだ!! これは気の迷いだ!! 誰がこんなイカレ女に惚れるかってんだ!!)


 結局、キリエへの想いは悪夢によって生じた不具合に過ぎないと決めつけた怜一は、何も知らずに爆睡している彼女に舌打ちを一つお見舞いして、そのまま布団に潜って二度寝を決めたのであった。

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