第11話 俺は下らない劣等感に囚われる

 今思えば、俺は昔から誰かに迷惑掛けっぱなしだった。幼い頃の記憶を辿っていけば、いつも近くには姉ちゃんが居た。そしていつも姉ちゃんが俺の事を守ってくれていた。


「寄って集って怜一を虐める奴は姉貴ーーック!!」

「ごふしっ!!」

「うわぁ! 春原ン所の姉貴だー!! 早く逃げろ!! ●●●●握り潰されるぞー!!」


 姉ちゃんは小学生の頃から相手が男子中学生だろうと、男子高校生だろうと、果ては大人の男だろうと圧倒する程の人外染みた力を秘めていた。俺が泣かされる度に、それを察知して何処からともなく現れては加害者に鉄拳制裁(たまにやり過ぎる場合もある)を加えていた。


「ふん、ケツの青いクソガキの●●●なんて触りたくもないっつうの。……ほらお姉ちゃんが蹴っ飛ばしてやったからいい加減泣き止みなさい」

「ごめん……僕、姉ちゃんに助けられっぱなしで……僕も姉ちゃんみたいに強くなりたいよ」

「……怜一。力よりも先に強くなるべきものがあるわ」

「……え? 何それ?」

「まだ分からんか……心じゃよッ!」

「心……?」

「そう。心よ。いくら体の力が強くても使い方を間違えたら、自分だけじゃなくて大切な人も傷付けてしまうのよ。まずは心を鍛えなくちゃ意味無いわ」

「それってどう鍛えるの?」

「それはね、人に優しくしようと思う気持ちさえ忘れなければ自然と強くなるわ」

「姉ちゃんの話、難しくって分かんないよ」

「その内分かる時が来るわ。だから怜一、優しい男になりなさい」


 俺は最後まで姉ちゃんの言ってた事が分からなかった。けれど、あの時までは分からないなりに姉ちゃんの言っていた事を守ろうとしていた。


 俺は姉ちゃんみたいに嫌な奴を一撃でブッ飛ばす力も持っていないし、頭なんて勉強してたらまぁ妥当だろって感じの普通の成績って感じの俺に比べたら、姉ちゃんは国立の難関大学を首席で合格する程だったしで、明らかに俺は凡人そのものだった。


「姉ちゃんって何でも出来ちゃうんだな。……僕って別の家の子なのかな?」

「怜一、そんな事言ったらパパとママが悲しむでしょ」

「怜一はまだ小さいだけなのよ。大きくなったらお姉ちゃんみたいになれるわよ」

「そうだぞ。怜一も小百合も、両方とも僕達の大事な自慢の息子と娘だ」


 これが姉ちゃんの言ってた優しさって奴なのかなって、思ってた。父さんと母さんはどっちか一方だけ優遇するなんて事無く、本当に平等に俺と姉ちゃんを愛してくれたんだと思う。それを今更になって気付いた。けど、気付かないふりをした。

 俺は三人の想いに応えたかった。強くなりたかった。けど、歳を重ねても、どう足掻いてもなれなかった。そんな出来損ないの春原一家の恥晒しなんて放っておけばいいのに、父さんも母さんも姉ちゃんも俺の事を見捨てようとしなかった。

 そんな優しさは俺には眩し過ぎる。いくら遮っても降り注いでくる光、それすらも素直に受け取れなくなった自分が情けないと思う一方で、腐り切った心はもうどうしようもないと諦めてしまっていた。


 俺自身が憎い。憎くて憎くて、仕方が無い。こんな自分でも存在価値があるのだと信じてくれた家族皆の気持ちを裏切り続けた。でも俺自身、どうしたらいいのか分からない。どうすればいいんだ。教えてくれ。



「俺さ、クリスマスまでに彼女作ってデートしたいんだよ怜一」

「唐突だな」


 姉ちゃんとの約束を守るべく、周りの人には優しくしようとしたし、俺の出来る範囲で手助けもしたりもした。俺の事を陰で偽善者だと馬鹿にする奴はごまんと居たけど、受け入れてくれる奴は少なからず居た。櫻井誠司だ。小学生の何年生の頃だったかは忘れてしまったけど、お互い意気投合して悪友関係に至った。


「だってよ、早い奴は中学でとっくにヤってるらしいんだぜ? 俺も負けてらんねーよ!」

「そんな焦る程の事じゃないだろ」

「かーっ、分からんかね春原くぅん! 周りで彼女居ないの俺らだけなのだよ!?」

「え? お前アイツと付き合ってないの? 同じバスケ部の……」

「瑞希? 冗談キツイって! 何で俺があんな口煩いチンチクリンの俎板まないた女と付き合わなきゃならねーんだよ! 何だよあの胸! 横になったらグランドキャニオンじゃねーか!」

「せ〜い〜じ〜!!?」


 この時から誠司と立花の夫婦漫才的なノリを見せてたっけな。二人共顔を合わせれば口喧嘩ばかり(大体は誠司が原因)したり、追い掛け合い(大体は誠司が追い掛けられてる)を始めたりしてるけど、誰がどう見たって好き同士だろって思う。お互い素直じゃないんだよな。まぁそんなの、今の俺が言えた事じゃないけど。


 ただ誠司が言っていた彼女がどうこうってのは俺も少しばかり興味はあった。姉ちゃんは何でも出来てモテる筈なのに彼氏作ろうとする気配無いし、寧ろ俺や父さんや母さんの事ばかり優先している始末だ。せめて俺が一人で何でも出来るって事を見せてあげたら姉ちゃんの負担を少しでも軽く出来るかなって思っていた。


「てめぇふざけんじゃねーぞコラ!!」


 誠司が立花と鬼ごっこしてて一人で校舎をフラついていたそんな時、俺の人生を大きく変える人物にしてしまう。そう、露木凛燈だ。あの時アイツは何でか知らねーけど、柄の悪い連中共に追い掛けられていた。今思えばリンのヤツが何かしでかして不良が被害に遭っていたんだろうけど、昔の俺はそんな事も知らずに助けたっけな。ほんっとに馬鹿なヤツだよな、俺ってヤツは。


 多少は姉ちゃんにある程度の力喧嘩は出来る位には鍛えて貰ったけど、喧嘩慣れしている不良、それも複数相手に挑もうなんて無謀な事はしない。

 俺はちょっとした策を弄する事にした。どんな不良も尻尾を巻いて逃げると言われていた体罰上等の先生を唆して奴等がそっちに気を逸らしている内にリンを逃がすというものだ。結果は恐ろしい程に大成功



柿本先生シブガキには誰も逆らえねーからな。いい気味だ」

「……どうして私を助ける様な事を?」

「え? うーん……。さぁな、分からん。何となくだ」

「アハハ、変なの」


 姉ちゃんが言ってた優しい男になる為、なんて恥ずかしくて言えなかった。今思えばあの時の俺は優しさの本質なんて微塵も分かってなかった。ただ困っている様に見えたから。そんな浅はかな理由で人をおいそれと助けるモンじゃない。でなけりゃ裁判制度なんてものはこの世に存在しない。改めて気付かされたもんだ。


「とにかく、助けてくれて有難う。君、名前は?」

「春原。春原怜一だ」

「……春原怜一って言うんだ。じゃあだね。そう呼んでもいいでしょ?」


 助けた際に感じたリンの第一印象は、とても馴れ馴れしい奴だと思った。出会って間もない奴の事を普通渾名で呼ぶか? でもリンは程じゃないにせよルックスは良かったから、可愛い女子と親しくなれた事に少しばかり舞い上がってた。


「何だよ、レイ君って……」

「気に入ってくれた? あ、私の名前は露木凛燈。凛燈って名前、あんまり好きじゃないからって呼んでね」

「呼ぶかよ、そんなこっ恥ずかしいの」

「アハハ、じゃあまたね。レイ君」


 そこから俺とリンとの付き合いが始まったっけな。確かその時は中学三年の六月辺りだった。同級生達がぼちぼち受験勉強始めてる頃だったかな。

 それなりに勉強してた俺は常に学年で半分より上の順位をキープし続けてたけど、リンは常に一位だった。それも何食わぬ顔で。取れて当たり前だろって感じで。その時の俺はどうしてもリンに追いつきたかった。だからリンに勉強を教えて貰っていた。そのお陰か学年二位になれた事もあったっけな。結局最後までリンには勝てなかったけど。


「ねぇレイ君。私の事をどう思ってる?」


 それから時が経って八月。夏休み期間を利用して俺がリンと一緒に図書館で勉強してた時にアイツは何気に聞いてきた。その質問の意図は後で知る事になる。


「どうって……その、言いにくいけどよ。好きだと思うよ、リンの事」

「へぇ〜そうなんだ」

「お前はどうなんだ?」

「うん、私も好きだよ」

「お前は恥ずかしげも無くすぐそんな事を言う……」

「ホントだよ?」


 勉強を教えて貰っている内に、友達同士って関係じゃ満足出来なくなって、俺はコイツと高校生になっても一緒に居たいと思っていた。リンも俺と同じく家族の期待に応えたいから勉強を頑張っていると当時は語っていた。俺はそんなリンを応援したいと望んでいた。リンの言っていた事が嘘か本当かは、今となっては知る由もないけどな。


「いやぁ、まさか怜一が彼女連れて来るなんてなぁ」

「リンちゃん大丈夫? この子、ちょっと捻くれてるから大変でしょ?」

「余計な事言うなっつうの!」

「いえ、レイ君は優しいです。だから好きになりました」


 リンは外面は滅茶苦茶良い。だから父さんや母さんにえらく気に入られていた。家に呼んで勉強してたら偶然鉢合わせただけなのに、気が付けば快く夕食を一緒に食べ合うにまで至っていた。——姉ちゃんを除いて。

 姉ちゃんだけはリンの事を毛嫌いしていた。それはきっと、姉ちゃんだけがリンの本性に気付いていたからだろうな。姉ちゃん、人を見る目は結構あるから彼氏もおいそれと作れなかったんだろうなって今になって分かった。


「……アンタ、名前は何て言うの?」

「え? ……露木、凛燈です」

「……そう。いい名前ね。そうだ、その秋刀魚の塩焼きなんだけどね。美味しい食べ方があるの知ってる?」

「何ですか? 是非とも食べてみたいです」


 リンがそう返すと、姉ちゃんは台所から七味唐辛子の瓶を手に取ると、大根おろしと醤油が既に掛かっている秋刀魚の塩焼きにそれの中身を丸々ぶち撒けた。もう魚の形が見えなくなる程に真っ赤になっていたな。皆が唖然としていると、姉ちゃんは空になった瓶をテーブルに叩きつけてリンを威圧していた。


「どうしたの? 食べてみたいと口にした以上食べて貰おうじゃない。それとも、この食べ方にケチつけようってワケ?」

「辞めろよ姉ちゃん!!」


 その時はただ乱心していたとしか思えなかったので俺は姉ちゃんとリンとの間に入って仲裁しようとしていた。リンは顔を引き攣らせながら七味風味の、いや、七味そのものを食べようとしていたので母さんと父さんも慌ててリンを止めて、姉ちゃんを叱りつけた。


「いい加減にしなさい小百合! リンちゃんが可哀想じゃない!」

「そうだぞ! 仲良くしないか!」

「出来るワケないでしょ、と。……アンタ、随分と猫を被るのが上手い様ね」

「な、何の事ですか――」

「うちの怜一に何かしようってんなら惨めったらしくブッ殺してやるから」

「ッ!?」

「いい加減にしろよッ!!!」


 俺は最後のチャンスをふいにしてしまった。あの時は、どうしても姉ちゃんが許せなくて、折角仲良くなれたリンと疎遠になる事が怖くて、俺は姉ちゃんと初めて本気の喧嘩をする事となった。


「リンに謝れよ姉ちゃん!!」

「怜一、落ち着いて聞いて。もうアイツと仲良くするのは辞めなさい」

「何で!!」

「何でもよ。アイツはアンタを傷つける人種よ。きっと後悔する」

「姉ちゃんはいっつもそうだ!! いっつも俺の事付き纏って!! 俺のやる事邪魔して!! 姉ちゃんは俺の何なんだよ!!」

「分からず屋!! とにかく今のアンタはお姉ちゃんの言う事聞いてたらいいの!! お姉ちゃんはアンタの為を思って……」

「……もういいよ。俺、姉ちゃんの弟じゃないから。姉ちゃんはそんな事言っておいて、どうせ俺の事見下してるんだろ? 俺は姉ちゃんと違って一人じゃ何も出来ない落ちこぼれだから。俺は本当は生まれて来たのが間違いだったから、姉ちゃんも、母さんも、父さんも、本当は俺の事を疎ましく思ってんだろ?」


 その時、姉ちゃんに本気のビンタを食らい、壁に叩きつけられた。おちゃらけて何回か優しめの暴力を受けた事はあったが、今回は違ってた。いつも笑っていた姉ちゃんは、体を震わせる程怒っていた。そして、


「……取り消しなさい、今の言葉」

「嫌だ」

「いいから取り消しなさい!!」

「嫌だって言ってんだろうが!!」

「怜一! 小百合! もう止めて!」

「落ち着け二人共! こっち来なさい! ゆっくり話し合おう!」


 それ以降、俺と姉ちゃんの間に壁の様なものが出来た様な気がした。お互い口も利かなくなったし、顔を合わせる事もしなくなった。父さんも母さんも、腫物を触る様な感じで扱われて、険悪な感じが夏休みの間ずっと続いていた。


「怜一! 荷物纏めて何してんの!!」

「家を出るんだよ。俺は此処の家の子じゃないから」

「馬鹿な事は止めなさい怜一!」


そんな気まずい空間に居られなくなって、馬鹿らしくなって、俺は家出をする事にした。玄関で荷物を抱えて靴を履いていると、何も言わずに遠くから俺を見ていた姉ちゃんの顔は、悲しそうな顔をしていた。そんな顔を何故か見ていられなくて、家を出た瞬間に走っていた。

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