第10話 戦乙女は枯れた涙を取り戻す

 キリエは間接的に凛橙からの宣戦布告を受け取った。自分の手を汚さず、他人の力を用いて傍観者を徹底するその姿勢に憤慨していた。

 勝つには完膚無きまでの圧勝。二度と舐めた真似をしようとは思わせない程に徹底しなくてはならない、と彼女は意気込んでいた。


「怜一、機嫌を直してくれ。申し訳無い、私が悪かった」

「知らん。今日一日話しかけんな」


 怜一はと言うと、キリエに背を向けて臍を曲げていた。彼女の機転で約束通り指一本触れさせない様に悪漢を一蹴したが、有ろう事かキリエは怜一を屋上と言う名の孤島に置き去りにして帰ってしまったのであった。

 彼女のスマートフォンに掛けても一向に繋がらず、結局仕事中であろう小百合に電話して何とか救出されたものの、その時には既に日が沈んでいた時刻となっていたのだ。これに怜一は御冠となっていたのである。


「怜一、キリエがアンタに何したかはよく分からないけどいい加減機嫌直して仲直りしなさい。お姉ちゃんが今度楽しい所連れてってあげるから」

「別に怒ってねぇよ。顔も見たくないし声も聞きたくないだけだ」

「困った子ねぇ、誰に似たのよ?」

「小百合もすまない。仕事を抜け出してきて怜一を助けてくれたんだろう?」

「いいのよ、怜一を守るのが私の役目なんだから」


 案の定小百合は仕事中だったらしく、聞けば大事な会議中であったにもかかわらず素っ飛んで来たとの事。建物の所有者に話をつけて屋上の鍵を開けて貰い、怜一は無事解放された。

 許せなかったのは多忙の姉の手を煩わせた事だ。会議を勝手に抜け出して、それで厳重処罰を受けたりでもすれば、申し訳が立たなくなる。それを見透かされたのか、彼女は怜一の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫で回した。


「大丈夫よ。あんなしょうもない会議なんてどーだっていいの。大体会議なんて話し合う前から結論が決まってるモノよ」

「でも!」

「身内を助けるという大義名分で抜け出したから会社の皆も分かってくれるわ。——分からせるつもりだけど」


 何やら不穏な言葉が聞こえた様な気がしたが、敢えて言及しないでおいた。つくづく小百合という姉は末恐ろしい。噂によれば学生時代はこの地域全員の不良凡そ百人を一方的に叩きのめし、一時的に都内の犯罪件数を減らした伝説の存在だと囁かれている。彼女曰く、ちょっと尾鰭が付いている、との事である。


「……お前、次からスマホはちゃんと常備しとけよ」

「すまない、コレは肌身離さず持っておくべきものとは知らなくてだな……」


 彼女が気にしていない以上、いつまでもウダウダと拗ねている訳にもいかない。小百合に免じて許す事にした。次は許さない、という意味も込めてキリエが手に持っているスマートフォンを指して釘を刺しておいた。


「もういい。……俺もちょっとばかり女々しい態度を取り過ぎた」

「そうか。……有難う、次はもう少し上手く君を守れるように頑張るよ」


 期待しないでおく、と怜一は少しぶっきら棒に返した。これ以上自分から首を突っ込もうとするなと言いたい所であった。自分以外を巻き込むのは例えキリエだろうが心苦しいのである。だが一人では凛燈相手に勝ち目なんて無い。

 彼女を利用しなくてはどうしようもない状況と、自分以外の誰かが不幸に遭うという良心の呵責との板挟みに苛まれているのである。


「所で聞きたい事がある。君は二度と口にするな、と言っていたが露木凛燈についてだ」


 先に断っておきながらキリエは敢えて怜一の不可侵領域に踏み込んでいく。決して忘れていない事、折角和解出来たのにまた仲違いするかもしれない覚悟の元、問い掛けている事は把握出来た。

 凛燈関連の記憶が蘇る度に、嫌悪感が募ってくる。しかし、彼女の心構えを無碍にするわけにはいかない。深呼吸して平常心を保ちつつ、質疑応答の準備を始めたのであった。


「……アイツの何について聞きたいんだ」

「君が知っている事全部話してくれ。話したくなければ話さなくていい」

「最初に言っておくが、何の為に?」

「無論、露木凛燈と戦う為だ。戦において情報は重要だ。有るのと無いのとでは全然違うからな」


 酔狂にも程がある。本気で立ち向かおうとしているらしい。奴と戦う事は死ぬかもしれないという事。それだけの相手である。どうしようか迷ったが、一歩も退きそうに無かったので答える事にした。


「……露木凛燈。アイツは議員の娘だ」

「議員?」

「この国の権力者みたいなモンだよ」

「成程、その権力とやらを使って悪事を働いているという事だな」


 大体はその解釈通りだろう。聞いた話によると凛燈は衆議院議員の中でも強大な力を持っている父からの寵愛を受け、勝手気儘の限りを尽くしている。犯罪の隠蔽や情報の操作は勿論の事、裏社会の人間を意のままに操れるとまで噂されている。先程の半グレ達や怜一の学校を襲わせた暴走族も全て凛燈が大金をチラつかせて送ってきたのであろう。


「要はその父親とやらが居なければ何も出来ないただの人間の小娘同然じゃないか」

「……まさかお前、凛燈の親父を?」

「いや、これは私と露木凛燈の喧嘩だ。奴の父とは関係無い」

「関係無い事ねぇだろ。懲らしめたとしてアイツが綺麗サッパリ俺らから潔く手を引きますって性質タチじゃねぇの分かってるだろ?」

「その時はその時だ。尻拭いとして父親を読んでくるならソイツとも戦う。ついでに父親の事も何か知っていたりするか?」


 結局は徹底抗戦になる様だ。情報を欲しがっていた割には大した策も講じずに迎え撃つだけらしい。本当に大丈夫なのか、と不安がよぎった。だが此処まで話しておいて口を噤むのも今更だったので話を続ける事にした。


「……凛燈の父親は元々高い愛国心の元に政治活動をしていた名うての議員だった。けど、再婚してから段々と汚職に手を染めていくようになった……らしい」

「その再婚した相手が原因なのか?」

「その可能性が高いって言われてるな。若くて美人らしいから現代社会の楊貴妃と揶揄されているって話だ」

「成程。大体分かった。すまない、嫌な事を思い出させてしまっただろう」

「何を今更。俺の分かってるのはこの位だ。あとは姉ちゃんにでも聞いてみな。姉ちゃん結構そういうの詳しいから」


 キリエに告げたものは全部小百合の言伝で聞いたものである。彼女は今働いている仕事上結構な情報通らしく、凛燈との事件が遭った際に事の仔細を話すと、いつにもなく激怒し、そして露木家の弱点を探るべく、危険な橋を渡ったりして情報を得たとの事だ。今も虎視眈々と凛燈達を滅ぼそうと画策しているらしい。


「敵は思ったよりも強大だな」

「怖気ついたか?」

「寧ろ燃えてきた所だ。小悪党の小娘にきな臭いソイツの両親。説教のし甲斐があるってモノだ」


 頼もしい限りだ。若干の皮肉交じりに怜一は吐き捨てた。しつこい様だが敵と彼女との力の方向性が違う。殴ったり蹴ったりするだけならキリエが大分有利だろうが、個人対国全体となると到底勝ち目が無い上に今後安寧の時を過ごす事が出来ないであろう。戦乙女はその事を重々理解した上で軽々しく言ってのけているのだろうか。


「それに、君の仇を取ってやる」

「……はぁ?」

「あの様子を見れば分かる。君は露木凛燈に苦しめられているのだろう」

「!!」


 やはりキリエは相容れない存在だと知った。確かに凛燈に虐げられた過去がある。それこそが何よりも触れられたくない箇所だというのに、調子に乗っているのか彼女は更に言葉を続ける。


「君の痛みが少しでも軽くなるのなら――」

「……ちょっと黙ってろ」

「む? 違ったのか? 当たらずとも遠からずとは思ったが――」

「黙ってろって言ってんだろうが!!!」


 やはり何も分かっていない。何でこうも平然と人の古傷を穿ほじくり返す事が出来る? どれだけ自分が惨めな目に遭い、どれだけ苦しい思いをしたのか。そしてそれがどれだけ情けない姿なのか。何故察する事が出来ないのか。その無神経さに苛立ちを隠せずに怜一は声を荒げた。


「……すまない、要らぬ世話、だった様だな」

「……お前、もう出ていけ。居候のクセして図々しいんだよ」

「ちょっと怜一! さっきから聞いてたけどいくら何でも言い過ぎよ! それにキリエはアンタの為を思って――!」

「俺の気持ちも知らねぇで俺の為だとか気色悪いんだよ!! いいから消えろよ!!」


 今までの鬱憤を全てぶちまけた怜一は、圧倒されているキリエと彼女に肩を持つ小百合を部屋から追い出し、鍵を閉めるとそのまま布団の中へと潜り込んだ。

 まだ春の時期だというのに今日はどうも寒い日らしい。それにアイツの悲しそうな横顔を見ていたら、何故か気分が悪くなってきた。少しばかり寝たらすっきりするだろう。


それにしても、何故あんな事を言ってしまったんだろうか。誠司が言っていた事、何一つとして為せていない。そもそも本当の自分って何なんだろうか。自分でも分からない気持ちを他の奴が分かる筈もない。何て自分は小さい人間なんだ。そんな自分が嫌いだった。嫌いだからこそ、見せたくない。きっと自分の矮小さを知られたら、幻滅されるだろうから――。



 居間のテーブルに着席していたキリエは項垂れていて分かりやすく落ち込んでいた。そんな彼女を慰めるべく、小百合はマグカップにコーヒーを淹れて差し出してきた。一礼してから一口啜る。いつもより苦い味がした。


「小百合……。君には悪い事をした。怜一の傷を癒すどころか、更に傷つけてしまった様だ」

「ううん。キリエは悪くないわ。それにアレは傷付いてるってワケじゃないわよ」

「む? どういう事だ?」

「怜一はね、どうにか乗り越えようとしてるのよ。過去の自分との訣別、といった所ね。だからこそ苦しいし悶えてると思う」


 何となく言いたい事が分かった。そして少しばかり彼を過小評価していたと気付いた。怜一は自分に勝つべく苦悩している。その努力に対して、干渉し過ぎてしまった様だ。


「……小百合は何だかんだ言って怜一の姉なんだな」

「ちょっとそれどーいう意味?」

「ああ、すまない。怜一の事を誰よりも理解わかっていて、誰よりも見ていたんだなって思った。私には到底敵わないな」

「当たり前でしょ? 何年あの子のお姉ちゃんやってると思ってるの。本来なら私の可愛い弟を泣かせたあの親のすねかじりのクソガキを潰す事位容易い事だし、何ならこの手で何百倍にして泣かして表の道を歩けない様にしてやりたい位よ。けどそれじゃあ根本的解決にはならないのよ。怜一の成長の為にも、幸せの為にも、私は傍観を選択したの」

「……怜一が羨ましいな。私にもそんな姉が欲しかった」

「馬鹿ね、アンタも私のみたいなモンよ」


 怜一と小百合との掛け替えの無い絆を目の当たりにして、羨望の余り思わず妬み混じりの言葉を漏らすと、頭をわしゃわしゃと撫で回された。

 永い眠りに就く前の記憶には戦いの光景しか浮かび上がってこなかった。そして共に戦った姉達との姉妹愛など皆無だった。彼女達は人として受肉して居ながら、人の持つべき感情を捨ててしまったのだ。


「……本当にいいのだろうか? 私が、その、小百合の妹だなんて」

「何を今更遠慮してんのよ」

「怜一の言った通りで私はただの食客で、怜一や小百合、それに君らの母上や父上の血が流れていないだぞ?」

「そんな事ないわ。キリエちゃんは私達の家族よ」

「そうとも。キリエちゃんと怜一の孫がどんなのかも見てみたいし、な?」


 怜一には言えなかったが、キリエはずっと悩んでいた。そして不安を抱いていた。本当は家族というものに重荷として感じていた。何かしらの形で恩義を果たさなければ、きっと愛想を尽かされてこの家に居られなくなってしまうだろう。

 家事の手伝いも買って出たし、もう少しこの現代の営みに慣れてきたらアルバイトでもして日銭を稼いで渡そうとも思った。しかし春原一家は違った。最初から見返りを求めていなかった。それが猶更心苦しかったのである。


「私は……この家に居ながら何も出来ずに居るというのに……」

「そんな事言ったら怜一だって家事らしい事殆ど何もしてないわよ。ついでに小百合もね」

「小百合の様に金を入れるべきなのに、寧ろ貰ってばかりで……」

「僕はこう見えても結構お金を持ってるんだ。小百合のお金はどうしてもって言うから受け取ってるだけ。別名義で貯金してるけど」

「初耳なんだけど?」

「当たり前でしょ。受け取れるワケないじゃない。これは小百合が何か必要な時に使うお金として置いてあるの」


 小百合と両親との団欒を目の当たりにするキリエ。その輪の中に自分も入ってもいいらしい。

 怜一と小百合の両親は、全く以て重荷と思っていない。両手を血に染めていた自分の手を取ってくれた。そして居て欲しいと言ってくれた。


 ――愛情。友情。我ら戦乙女にそんなもの必要無い。必要なのは闘争心。それ以外のモノは塵屑ごみくずだ――。


 ――人間に絆されるとは貴様それでも戦乙女か? 我が妹ながら情けない。人間共々滅んでいればいいものを――。


 ――戦えない戦乙女なぞ必要無い。せめてもの手向けだ。私の手で殺してやろう。死ね――。



 春原家の温もりを受ける度に脳裏に蘇ってくるのは、姉からの殺意と侮蔑、そして戦乙女としての戒め。確かに自分は戦争を根絶させる為に生まれてきた。だが感情を殺せなかった。善良な人間が傷付くと同じ様に心が痛み、闘争心が鈍る。結局、終戦まで道具としての使命を全うする事が出来なかった。

 だからこそ現代の平和な国で目覚め、そして最初に怜一に出会えた事が幸せだと感じた。戦乙女は戦う事こそが生きる意味、と彼に大口を叩いたのだが本当は戦いたくなんてなかった。そして戦わずに過ごす日々を送ってもいい、と言われた様な気がしたのだ。


「……どうしたの? キリエ?」

「な、何でもない。すまないがどうもこの淹れて貰ったコーヒー、少しばかり苦味が強過ぎたようだ」


 自分が春原家の一員になれた事を実感すると、思わず涙が滲んできた。に見つかれば、戦乙女の名折れだと折檻されるのであろう。もう感情を抑えなくてもいいのだが、せめてもの矜持を示すべくキリエは目頭に浮かんで来た一雫を拭い、の前で強がって見せた。小百合もそれを汲み取ってか、これ以上は言及してこなかった。



「……さぁ、湿っぽいのは其処までにして晩御飯にしましょ。キリエちゃん、怜一呼んで来て」

「あ、そういや怜一がキリエに酷い事言ってた事思い出したら腹立ってきた。ちょっと一発拳骨入れてやろうっと」


 これにて一件落着、とはいかなかった。キリエの溜飲は下がったが、肝心要の怜一の件はまだ終わっていない。彼もまた心の中を吐き出せずに苦しんでいるに違いない。嫌がるかもしれないが、怜一の苦しみを取り除いてあげたい。部屋に閉じ籠っている怜一を呼び出そうとキリエは二階へ上る。ついでに小百合も拳を鳴らしながらついてきた。


「怜一、御飯が出来た。降りて来てくれ」


 呼び掛けても、返事が無い。戸を軽く叩いてみても、反応すら無い。


「怜一! いつまで拗ねてんの!! いい加減にしないとお姉ちゃん怒るよ!!」


 キリエを押し退けて小百合が大きく戸を殴りながら怒声を放つ。それでも音沙汰一つも無い。その瞬間、彼女の音が聞こえた様な気がした。


「首洗って待ってなさい……! こんな鍵で閉じ籠っていられるって思わない事ね……!」


 小百合は自分の部屋に行ったと思いきや、すぐさま戻ってきて、一本の鍵を手に取り取っ手に備えてあった鍵穴に突っ込んだ。何故か怜一の部屋の合鍵を作っていたらしい。前日のスマートフォンでの追跡アプリもそうだが、些か弟への愛が重い気がする。


「怜一!! 一発殴らせてもら……!?」

「どうした?」


 開錠するや否や小百合は勢いよく戸を開け、怜一の部屋へと侵攻する。しかし、彼の姿を見て言葉を失っていた。

 キリエも彼女の後ろから覗き込んでみると、布団の中で脂汗を掻きながら苦しそうに息を乱して臥せている怜一の姿が其処にあったのであった。

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