第9話 戦乙女は強烈で荒々しく熱唱する

 キリエと凛橙の一悶着があったが、その後は平和そのものであった。あれ以来、彼女からの嫌がらせも無く安寧の時を過ごしていた。しかし怜一の心は迷っていた。


 ――そうやって悪ぶって弱い自分を誤魔化しているけど、人一倍臆病で人一倍寂しがりでしょ?


 違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。露木凛燈の言い掛かりだ。誤魔化し? 臆病? 寂しがり? 断じて否だ。でなければ何故今の自分が居る? 今までやってきた事は何だ? 何の為にやってきた? 今もやらなければいけない事なのだろうか? じゃあ今の自分は一体――。


「怜一、怜一。どうした? ボーッとしちゃって」

「あ……? いや、何でもない」

「大丈夫か? 五月病って奴か?」


 授業も終わり、休み時間に突入していたのにも拘わらず怜一は上の空のまま頬杖を突いていた。さっきからその様子だったらしくいつもおちゃらけている誠司が心配する程であった。


「そんなんじゃねぇよ。考え事していただけだ」

「考え事ねぇ。キリエちゃんか?」

「……そんな所だ」


 嘘である。真っ赤な嘘と言えば間違いになるが、ただ本筋ではないだけだ。キリエは戦乙女で、常人離れした力を持っている。だが敵に回した露木凛燈という相手は膂力だけでどうにか出来る程甘くは無いのである。身を以て味わったからこそ彼女の恐ろしさを理解出来ている。この先どうなるのかが心配なのも悩みの種の一つではあった。


「喧嘩でもしたか?」

「別に……いつも通りだよ」

「いつも通りヤる事ヤらずに?」

「だから何でそーなるんだよ!!」

「怜一。お前あんな可愛くて乳もデカい子と一緒に暮らしておいて行為を行わないってのは『俺は●●●です』って言ってるようなもんだぜ?」

「あのなぁ! 俺の昔の事知ってるんだろ!?」

「知ってるさ? あの女に痛い目に遭わされたんだろ? でもあの性悪女とキリエちゃんが一緒だと思うか?」

「いや全然違ぇけどさ……」

「もういいんじゃないか? 一度騙されたんなら二度も三度も同じ事だって考えてみろよ」

「簡単に言うなよな」


 軟弱石頭め、と誠司が悪態を吐く。もう一回騙されたっていい? それこそ学習能力が無い馬鹿と言っている様なものだろう。超能力や魔法を使わない限り人は他人の心の中を読む事が出来ない。察する事は辛うじて出来るのだろうが、それが常に正しいとは限らないのである。

 もしキリエがあの単純で天然ボケ気味の立ち振る舞いが全て偽りで、自分への好意も幻だとしたら? そう考えると本気で立ち直れそうに無いかもしれない。


「要するに所詮他人ってのは肚ン中を見えない様にしているからマトモに相手するなんて馬鹿らしいと?」

「……そういう事になる、のかな」

「馬鹿め。本音ってのは建前があるからこそ意味があるんだよ。建前だらけだからこそ相手の僅かな本音でも知りたいって思うんだよ」

「何が言いたい?」

「お前は二の舞を演じる事を怖がって本音を知ろうと動こうとしない。そんなんじゃこの先やっていけねーぞ?」


 あの時の凛燈の言葉が蘇った。要するに臆病だと評しているのだ。誠司の言っている事は何も間違っていないし、理解も出来る。だが、納得が出来るかと言えばそうではない。


「御忠告どうも」

「おっと説教臭くなった。いかんいかん、こんなの俺のキャラじゃねーよな」

「それがお前の建前って奴か?」

「さぁな? 知りたいか?」

「いいや全く」


 その余計な一言さえなければ深く重くのしかかってくる筈なのに一気に台無しになった。真面目な話をしている時が本当の誠司なのか、それともふざけた態度を取っている時が本当の誠司なのかは分からない。だからこそ本当を知りたいに繋がるのだろうか。怜一は未だにハッキリしていなかった。


「まぁまぁそんなに性欲溜まってないのはよーく分かった。じゃあ溜まってるのはストレスだな」

「いつになく正解を言い当てやがった」

「よし、じゃあ今日はカラオケだ。お前はキリエちゃん呼んで来い」

「は? 何で?」

「男二人でカラオケ行くとかモテない奴等だと思われるだろうが」


 カラオケの店員は一々客の関係なんて考えていないと思うが。確かに二人だと交代交代で歌わなければならないから休憩する時間が短くて疲れる。かといって何もせずにいたら部屋代の無駄になる。


「後は……あ、丁度いいトコに。瑞希ー!!」


 誠司は丁度通りかかっていた瑞希を呼び止める。いきなり大声での事だったので彼女は少しばかり跳び上がって驚愕していた。


「きゅ、急に何!?」

「お前放課後カラオケな。決定事項だから」

「唐突過ぎない!? 私に予定とかあったらどうすんの――」

「じゃあ別に来なくてもいい」

「待って待って!? 行かないってまだ言ってないじゃない!」


 何だかんだ言って二人の仲は良好だと思う。彼女もまたバスケットが絡まなければいがみ合う様な事はしない。寧ろ、誠司と一緒に居る事を望んでいる様に見える。これが彼の言う建前で埋め尽くされている本音を発掘したいという行為の一部なのだろうか。


「……居るんだろ。お前どうするんだ?」

「興味はある。音楽は聞くだけで今まで歌う事は無かったからな」

「よっしゃ、決まりだな!」


 怜一の呼び声に呼応してキリエはまたしても跳躍一つだけで二階の開いている窓から校舎へと侵入してきた。突如として現れた事に瑞希は大いに驚いていたが、男達は何食わぬ表情で会話を繰り広げていた。


「何で二人とも涼しい顔してんのよ!? 二階の窓から入ってくるとか有り得ないでしょ!?」

「いやまぁキリエちゃんだしこんなのどうって事ないだろうし、なぁ?」

「立花。こんなのでイチイチ驚いてたら疲れるだけだぞ」

「む、人間はそこまで高く跳べないものなのか?」

「……キリエさんって一体何者なの……?」


 キリエの事を一から説明しても構わないが、した所で理解してくれるとは思わないだろうし、面倒な事は目に見えている。だから敢えて何も言わないでおく事にした。瑞希の反応が正常なのだろう。いつの間にか怜一も非現実的な戦乙女に毒されている様だった。


 ※


 帰りのHRも終わり、四人は早速学校近くのカラオケボックスへと赴いた。黄色を基調とした外観ににっこりと笑いながらマイクを持っている猫のマスコットキャラが特徴の店だ。此処は基本料金も安くて飲食物が持ち込み可能な、学生にとって非常に有難い仕様となっている。

 部屋へ案内され、鞄をソファに置いてマイクを取り出していざスタート、と思いきや誰も曲を送信しようとしなかった。


「来ておいて何だけど俺人前で歌うのちょっと苦手だからさ」

「私もあんまり……」

「お前らカラオケ舐めてんのか? いいか、誰か絶対次の曲入れろよな」


 仕方なくトップバッターは誠司となった。彼の歌唱力は見事なもので、プロの歌手やネットで高評価されている歌い手なる者と比べたら若干劣るものの、大いに盛り上がる事が出来る流れを作ってくれた。


「怜一、この曲を歌ってみたいんだが」

「お前この曲知ってんのか?」

「小百合と一緒に観たドラマで何回も聞いたから覚えた」


 キリエが慣れない様子で端末を操作して怜一に示したのは少しばかり昔に高視聴率を取って流行した、それこそ小百合が好きそうな恋愛ドラマの主題歌だった。エンディングに主演女優と主題歌を歌うアーティスト兼俳優が踊っているダンスも一時期話題となり、踊ってみた動画も頻出していた程だった。

 怜一はカラオケ機器を手に取ると慣れた手付きで曲名を入力して送信する。画面に表示された事を確認してから、歌に熱中している誠司へと目線を戻した。


「上手いな!」

「アンタそんなに歌上手かったの!?」

「まぁ俺に出来ない事なんて無いんだぜ」

「何か知らんがムカつくなお前……」


 水先案内人として歌い終えた誠司に拍手喝采が起きる。彼の振舞いからして異様に鼻につく感じがして多少の嫌悪感があったが、それを掻き消す程に見事な歌だった。採点機能も九十点と高評価だった。

 そして次はキリエの番だ。マイクを手に取り、少し身体を揺らして彼女はリズムを取っている。


「あ、この曲懐かしい!」

「そういやこのドラマの女優と主題歌歌ってる奴と結婚したよなぁ」

「俺達、ドラマなのにノンフィクションを見せられてたってワケだ」


 聞き覚えのあるイントロ中にドラマに関連する昔話に花を咲かせる三人。二人の結婚報道は波紋を呼んだ。そんな事もあったなぁと懐かしんでいると、キリエは大きく息を吸ってAメロへの準備を整え、そして歌い始める――。


「♬※&▲#♫$●*@■√∀×♪~!!!」

「ぐううううう!?」

「な、何なのこれええええええ!!」

「耳があああああ!!」


 腹の底から発せられたキリエの声量は凄まじかった。だがそれ以上に驚異的なのは、聞くに堪えない程恐ろしい音痴さだった。マイクによって馬鹿でかい歌声は更に倍増し、外れに外れた音程と、抜けに抜けているリズム感とズレにズレているテンポとが不協和音を生み出して耳を塞いでもガンガン響いてくるという拷問じみた有様だった。

 カラオケに来ておいて酷な事だが歌うのを止めろと告げてもキリエは聞く耳持たなかった。何故か彼女はいつにもなく昂揚していて周りが見えていない程に歌に熱中していた。


「……ふう、歌うってのは楽しいな! 私ともあろうものか夢中になってしまったぞ! ……どうした? 皆?」


 死屍累々と化した部屋の中で、ほんのりと顔を紅潮させているキリエ。自分が殺人的な音痴だと気付いていない様で、画面に表示されている『測定不能』という判定にも目もくれないでいた。


「よし、それじゃあ次の曲を……」

「次俺歌う!」

「その次私!」

「じゃあ次一周回って俺!」

「む、では私も――」

「お前腹減ってるだろ? 食べ物も注文出来るから選んでろ」

「キリエさんドリンクバーあるから一緒に行こう!」


 一刻も早くキリエからマイクを奪わなければ確実に死んでしまう。ぐったりと項垂れていた怜一達は端末を奪い合い次々と曲を入れていく。無論、彼女に入れさせる余地を与えずにである。割って入ろうとする音痴をあの手この手で上手く騙して怜一達は何とか死地を乗り越えたのであった。



「カラオケというものはいい所だな。また今度誘ってくれないか?」

「お、おおお、おう! また今度な!」

「え、ええ! また今度、ね! じゃあ私達帰り道こっちだから!!」


 誠司と瑞希はキリエの歌にトラウマを植え付けられたらしい。目に見えて動揺している。無理もない。あれは聴覚器官と精神を崩壊させる凶器だ。これ以上被害者を出してはならないものだ。

 二人は守るつもりの無い約束を交わすと、早歩きで去って行ってしまった。PTSDを起こさなければいいが、と怜一は誠司達の元気が失せている背中を見送って哀れんでいた。


「私達も帰ろうか」

「……そうだな」


 怜一とキリエもまた、いい時間になっていたので家へと帰ろうとする。今日は楽しめたのか、上機嫌でこれまた音程の外れた鼻歌を歌っていた。

 戦乙女の腑抜けている姿を見ているだけで、色々と悩んでいた自分が馬鹿らしく感じていた。ある意味、誠司の提案したカラオケが功を奏したのだろう。少しばかり心が軽くなった気がした。


 歌に夢中になっているキリエをそっちのけで怜一がスマートフォンを取り出してネットを見ながら帰っていると、途端に彼女の鼻歌が途絶えた。ふと横を覗いていると、さっきまでの呑気な表情から剣呑なものへと一変していた。


「……怜一、誰かにつけられているぞ。敵意剝き出しの穏やかじゃないものだ。数は四人程だな」


 勘付かれない様に注意して振り返って見ると確かに誰かが此方を追跡している影を察知出来た。やはり腐っても戦乙女らしい。


「……どうすんだよ?」

「私が君を抱えて全力疾走すれば撒く事は容易い。だが確かめたい事がある」

「確かめたい事? ……何するつもりだ?」

「安心してくれ。君には指一本触れさせない。幸いにも奴等は私達が気付いている事にバレていない様子だ。それを逆手に取る」


 彼女には強い説得力があった。護ると言ったら必ず護る。そんな安心感があった。怜一は些かの不安があったが、こちらも確かめたい事があったので彼女の作戦に承諾した。

 二人は早速、敢えて人が通らない様な仄暗い路地裏へと目指す。限界まで、平然を保ちつつ、追跡者達を誘き寄せる。人の群が薄くなっていくにつれてどんどんと足音が大きくなっていく。そして痺れを切らした何者かが一気に距離を詰め始めたのだった。


「あっちだ!」


 怜一は丁度都合よく見つけた細道を指してキリエと共に逃げていく。ふと後ろを振り返ると、追っ手は二人だけ確認出来た。どう考えても数が合わない。恐らくはこの路地裏まで誘導させて、残り二人が出口で待ち伏せをして挟み撃ちにしようという魂胆なのだろう。だが残念な事にその作戦では相手が悪過ぎるのだ。

 予定通り、怜一達は小路へと逃げ込む。さて、ここで普通に行けば鉢合わせて逃げ場を失ってしまうだろう。其処でキリエの出番だ。


「歯を食いしばれ!」


 キリエが怜一を瞬時に抱えると、大きく膝を曲げ腰を下ろす。そして下半身のバネで一気に跳躍。あっという間に建物の屋上へと逃げ切ったのであった。


「おい!? 例の女は!?」

「そっちに来てただろ!?」

「いや来てねぇよ!」

「おかしいな、確かにこの道に入ったんだが――」


 悪党共は大いに困惑していた。確実に追い詰められる手筈が、一瞬の内に見失ってしまった。常識では有り得ない事が起きている。向こうも想定していないであろう。標的は超絶イレギュラーな存在だという事に。

 次にキリエは慌てふためいている四人の元へと飛び降りる。大きな音と共に現れた彼女に脳が理解を拒んでいる様だ。虚を突かれあからさまに隙だらけとなっている男達に、戦乙女の武術が迸る。

 喉、顎、鳩尾みぞおち蟀谷こめかみ、人体の急所を的確に、そして迅速に打ち、瞬く間に無力化させたのであった。


「な、何もんだこの女……!」

「……一つ聞きたい事がある。誰の差し金だ?」

「い、言うかよ売女バイタが」

「……そうか。手荒な真似はあまりやりたくは無いが、仕方ない」


 そういうと辛うじて意識があった一人の頬を掴み、無理やり開口させる。そして、空いている方の手を突っ込む。男の苦痛に満ちた声が屋上の方からもはっきりと聞こえてきた。


「がああああああ!!!」

「ふむ。やはりこの歯、虫に食われているな。ちゃんと歯は磨いた方がいいぞ。次はその並びの悪い前歯辺りを抜いてやるとしよう」


 彼女はなんと腕力だけで抜歯した。歯科医じゃないので麻酔は当然無し。歯は神経が密集している為に、人体で二番目に痛みを感じやすい部位と言われている。その激痛を想像するだけで寒気が走った。


「露木! 露木凛燈って奴だよ!! 金渡すから死なない程度に痛めつけて辱めろって――!!」

「そうか。取り敢えずさっさと失せろ。そして二度と私と怜一の前に現れるな」


 痛みを堪えながら凛燈の放ってきた刺客達はいそいそと逃亡した。その後どうなるかは分からない。恐らく口封じの為に何か施す事は確かだ。彼女は平気で人を弄ぶ事が出来る人種だ。

 怜一が恐れていた不安が現実となった。これから先一体どうなるのだろう。恐怖が再び襲ってきて、身震いしてしまった。


「露木凛燈……。もし怜一に何かしてみろ。天がお前を許しても私がお前を許さないぞ」


 一方キリエは怜一と違い、徹底抗戦の意志を強めている様だ。そして彼女は大きく踏み出し、次の戦へと備えるべく家に帰ろうとしたのであった。


「——む? 何か忘れている様な気が……」

「おい早く俺を降ろせって! おい聞こえているのか!? オイって!」



 怜一を建物の屋上へ移したままキリエは帰ろうとしていた。室内へと繋がっている扉は鍵がかかっていて降りられず。かといって彼女の様に三階建て程の高さから飛び降りようものなら普通の人間である怜一は運良く致命傷、最悪即死だろう。つまり完全に孤立してしまっていたのであった。

 どんどんとキリエの姿が小さくなっていく。男は懸命に呼び掛けるも、カラオケで歌い続けた事によって声が枯れている為、彼女の耳に届く事は無かったのである。

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