第8話 戦乙女は無自覚に恋敵と対峙する

 ハルノキリエが現世に蘇って早一週間。怜一は相変わらず不良を演じているが入学したての頃と比べると真面目に登校し、早退する事も無く下校する日々を送っていた。いつも通りの退屈な毎日にうんざりしている様だが、彼女のお陰で僅かながら変わっていっているのかもしれない。


「怜一! 渋谷区の方で新しくラーメン屋が出来たらしいぞ! 一緒に来てくれ!」

「毎日ラーメンばっか食べれるわけねーだろ!!」

「今日はラーメンではあるがつけ麺メインの店なんだ。君はそっちを食べてくれ。それなら文句あるまい?」

「ラーメンもつけ麺も一緒だろーが!!」


 一方、キリエはというと、一週間前の世間知らずっぷりが嘘のようにこの世界に順応していた。暇な時は小百合が色々連れまわしたり部屋で映画やドラマを観させたりと、この時代の文化を結構なペースで学ばせているようだ。

 今ではスマートフォンを駆使してインターネットに記載されている色々なレストランの情報を調べて怜一を連れまわそうとする始末だ。


「大体お前金はどうしてるんだよ?」

「毎日小百合から貰ってるぞ」

「毎日って……お前、存外図々しいんだな」

「遠慮したら何故か怒られたんだ。だから遠慮無く貰う事にしている」

「んだよソレ。俺なんて姉ちゃんから小遣いなんて一度も貰ってねぇのによ。ケチ女め」


 随分と甘やかされてるな、と怜一は不平を漏らした。小百合は何故一人暮らしをしないのかが不思議な程に稼いでいる。家賃代としてきちんと両親への仕送りも渡しているし、その他諸々の支払いも滞りなく払っている様だし、何なら衣服やタバコといった無駄な出費も多い方だ。しかしいくら収支に問題無いと言えども毎日キリエに金を渡すのは些かやり過ぎな気がする。


「お姉ちゃんの陰口禁止!」


 偶然話を聞いていた小百合が怜一の部屋の戸を開けて侵入するや否や軽く少年の頭を小突いた。


「アンタは男の子でしょうが。お金が欲しけりゃバイトでもしなさい」

「校則でバイト禁止なんだよ」

「不良を演じてる奴が何校則守ろうとしてんのよ。校則なんてバレなきゃ違反じゃないの。お姉ちゃんはバイトしながらでも成績上位維持し続ける事出来たんだしアンタも頑張りなさい」


 それにしても同じ血を分けた者とは思えない程に論理が破綻している、と怜一は叩かれた頭を擦りながら姉の背中を忌々しそうに睨みつけてバレない程度に舌打ちをした。


「……バイトねぇ。俺もやってみるかな」

「バイトか。私も興味がある。やるなら君と一緒に――」

「やらねーよ。第一お前はやる必要ねーだろ」


 言われるが儘に始めるのは癪だったが、バイトと学業を両立して成功を収めている身内が目の前にいる以上、出来なくもない事だと判断した怜一は早速スマートフォンで求人サイトのページを開き、自分が働ける条件に合った募集先を検索し、片っ端から応募していく事にした。


「黒のボールペンあったっけな」


 アルバイトの面接には履歴書が必要不可欠である。そして履歴書を記入する際のペンを探すべく怜一は勉強机の引出しを順々に開けていく。その中の一段が何かが詰まって途中で止まってしまった。

 壊れる事を覚悟して思い切り引っ張った。運良く引出しは無事な上に開ける事も出来たが、中身は案の定ガラクタというガラクタで散乱していた。そのまま仕舞えばまた同じミスを繰り返す事になる。面倒だが一旦整理する事にした。


「怜一、まだ壊れてない様だが捨てるのか?」

「もうそんなモン高校生にもなって遊んでたら笑われちまうっての」


 キリエがゴミ箱から拾い上げたものは、小学生男子の間では知らない人は居ないとまで言われていた位に流行したベーゴマを象った玩具であった。当時は狂った様に友達の家で回して遊んでいたが、ふとした瞬間に熱は冷めて触らなくなってしまった。

 昔の思い出が蘇っていく様な品々で埋め尽くされていたが、どれもこれも子供じみていて愛着は失せていた。怜一は惜しむ様子すら微塵も見せず、手に取っては容赦無く捨てていく。一方でキリエはまだ形を保っているのにゴミ扱いされている物を拾っていって感慨深そうに眺めていた。


「……!!」


 整理整頓も進んでいき、残り僅かとなっていた。その中の奥底に封印していた様に眠っていた一枚の裏返しになっていた写真を見つける。此処の所、キリエの事で気を取られていて油断していたのだろう。何気に表にした事で怜一は絶句した。


「これ、怜一だろう? その隣に居る女は誰だ?」

「み、見てんじゃねーよ!!」


 これもまた怜一のの一つ。しかし彼にとっては忘れ去りたい過去の一つ。中学生時代の怜一と、当時露木凛橙が写っている代物であった。写真が苦手であったが半ば強引に彼女に付き合わされて撮った物であったので、ぎこちない表情を浮かべていた。

 何故こんな物を見つけてしまう。何故こんな物を捨てずに取っておいた。呆気に取られていると、キリエが後ろから覗き込んできたので慌ててグシャグシャに丸めて急いで放り捨てた。これはもう誰にも知られたくない怜一にとって最大のタブーなのである。


「別に私は君が誰かと娶った過去があっても気にしないぞ? 最終的に私の横にいればそれで構わないのだからな」

「そんなんじゃねぇって!! ――そんなんじゃあ、ねぇよ……」


 キリエは彼の苦い過去に苦しんでいる気持ちも知らずに遠慮無く足を踏み入れていく。どうしてこうも察しが悪く、図々しい女なんだと怜一は凛橙とはまた違った方向で腹立たしさを感じていた。


「……お前もう一生その話題は出すな」

「む? どうしたんだ? ……もしかしてこの写真の女の事、まだ好きだったりするのか?」

「いいから話題に出すなっつってんだろ!!」


 冗談でも言っていい事ではない。何故未練に思う必要がある? 寧ろそんな断ち切れるモノなら断ち切って欲しい。それが出来ないクセに軽々しく口に出すな。思い出さない事が唯一の安らぎなのだから。


「……出掛ける」

「何処にだ?」

「何処だっていいだろ」

「私も一緒に行こう」

「ついてくんな」


 ヒステリックに喚いたがそれで解決する筈が無かった。怜一はペンを買いに行くついでに無聊を慰めようと外出する。無論、一人で。キリエが一緒に居ると調子がくるってしまうからだ。

 そんな彼の傷心にも気付かずに彼女が執拗について来ようとしているのである。ここで更に憤慨すると誇張抜きで頭の血管が切れそうだった。一旦深呼吸をして落ち着かせ、搦め手を試みる事にした。


「……留守番してろ。帰りに美味いプリンを買ってやる」

「本当か!? 分かった、殿しんがりは任せてもらおう。約束だぞ」


 押してもだめなら引いてみろとはあるが、此処まで綺麗に成功するとは僥倖だった。食べ物に釣られたキリエは大人しく引き下がり、居間の方へと戻ったのであった。怜一は守るかどうかも定かではない約束と共に家を抜け出したのであった。


 ※


 ボールペンを買うだけの筈なのに、怜一はまだ外を彷徨っていた。辺りは街灯と月光だけが照らしているだけの闇夜。静寂に包まれている夜の世界をこよなく愛していた。ただ雪が降り頻る冬の夜だけは駄目だ。が疼くからだ。


「……プリン、買うか」


 何故態々嫌な記憶を引き摺り出して反芻しなければならない。どうも嫌な傾向にある。どうにかしないといけない。

 そんな時にふと頭に過ったのはキリエとの約束だった。あの戦乙女と居るとどうも調子が狂う。暴走族から助けてくれた命の恩人でもあるが、あの何食わぬ顔でズケズケと人の心の中へ入り込んでくる所は油断ならないし、恐ろしくもある。餌付けして抑止させるのとあの時の礼を言い忘れた埋め合わせをするのが目的であって、決して好意があるからその贈るのではない、と自分に言い聞かせて、怜一はまだ営業していて近くにあった洋菓子店で一個約三百円するプリンをなけなしの金をはたいて四個購入する事にした。

 箱の中の見てるだけ舌が糖分過多になりそうなカスタードがギッシリと詰まった四つの瓶を確認する。父の分と母の分、姉の分、そしてキリエの分。保冷剤を入れて貰っているとは言え、温くなってしまっては品質にかかわる。店を出て家に帰ろうとした時だった。


「へぇ、って甘いの苦手じゃなかったっけ? お父さんとお母さんとお姉ちゃんの分と買う必要ある?」


 一瞬にして全身の血が凍り付いた様な感覚に襲われた。そして熱を決死の勢いで生み出そうと鼓動が異常な程に激しくなる。が耳に入ったからだ。それは幻聴でもなく、確実に肉声だった。

 振り返ると、其処は忘れたくても忘れられない姿があの時と変わらずに其処にあった。あの時の立ち振る舞い、あの時の表情、あの時の眼。その存在を認知するだけでも怜一は戦慄してしまう。


「……お前には関係無いだろ」

「レイ君冷たくなったねぇ。それがに対する言い草?」

「元カノならもう話し掛けんじゃねぇよ」

「レイ君にそんな拒否権があると思う?」


 露木凛燈。怜一と対峙している少女の名前だ。端から見れば昔話に花を咲かせているように見えるが、二人の関係は歪なもので、元カレ元カノだけの過去で納まるものではない。


「そういや私が送った気に入ってくれた?」

「……リン、もう辞めろ。俺の事はいい。だけど他の関係無い奴を巻き込むのは違うだろ」

「レイ君のクセに格好つけないでよ。そんなの私のレイ君じゃないよ」


 禅問答が続く。一刻も早く怜一は立ち去りたい。しかし凛燈はそれを受け入れない。


「もうレイ君は知ってるでしょ? 私にの。ちょっと本気出しちゃえばレイ君の家族だって滅茶苦茶に――」

「辞めろって言ってるだろっ!!!」

「アハハ、なんてね。そんなやらないよ。レイ君の余裕ぶっこいている顔が気に食わなくて言ってみただけだから安心してよ。けど、気分次第では本当になるかもね」


 いつの間にか流れを掴まれた。露木凛燈は怜一に嘘を吐いた事が無い。自分の手を汚さずに一家の暮らしを潰せるといった事はハッタリでない。彼女を何より理解出来ているからこそ尚恐ろしいのである。


「ねぇレイ君。生まれ持ってきたへきさがってのを抑えられる人間なんて存在しないと思うの。今のレイ君はそうやって悪ぶって弱い自分を誤魔化しているけど、一皮剥いたら人一倍臆病で人一倍寂しがりでしょ?」

「そういう優等生ぶってるお前の本性は病的な程のサディストだろうが……!!」

「そうだよ? レイ君の苦しんでる姿が見たくて見たくて堪らない。レイ君が苦痛で苛まれる姿を見る為なら何だってしたい。だからレイ君も私の事を理解してほしいんだよ」

「ふざけんな、イカレ女」

「アハハ、何それ? せめてこっちの目を見て強がってみせてよ」


 目を合わせる事すら出来なかったが、凛燈が急接近して胸倉を掴んできたので不本意ながら視界に入ってくる。そして彼女の磨り硝子の様な瞳を目の当たりにすると、蛇に睨まれた蛙の如く、足が竦んで動けなくなった。


「怜一、何処で道草を食っている。晩御飯の時間だぞ」


 丁度良いタイミングでキリエが現れた。凛燈がそっちに気を取られている隙に拘束を振り解いて彼女の方へと退いた。


「……お前、何で居場所が分かったんだ?」

「小百合があいふぉーんのあぷりとやらで怜一の居る場所を特定してくれた」


 あのクソ姉、勝手に人のスマートフォンを弄って監視していやがった。


 プライバシーもへったくれも無い行為に腹立たしく思ったが今回ばかりは感謝するべきなのだろう。だが根本的な解決には至っていない。凛燈は怪訝そうに戦乙女に目を合わせる。


「……レイ君、誰その女?」

「ハルノキリエだ。怜一と一緒に暮らしている。君は怜一の恋人だな? お初にお目にかかる」

「私はレイ君に聞いてるんだけど?」

「私の正体を知りたいのならば態々怜一を介さずとも私が答えた方が手っ取り早いだろう」

「だから! アンタは口を出さないでくれる!?」

「む? 何故怒っている? 変な事を言ってしまったのか?」


 この光景、前に見た事がある。姉と母が割と強めの口喧嘩をした時だ。女同士の本気の喧嘩は互いに遠慮が無い。険悪な雰囲気が漂い始め、怜一は割って入る事すら出来なかった。


「そもそもアンタ、レイ君と一緒に暮らしてるって何!? ふざけてる!?」

「何か問題でもあるのか? 君と怜一の縁は切れているのだろう? 君が首を突っ込む筋合いは無いと思うが……」

「勝手に縁を切ってる事にしないで貰える!? 私はまだレイ君の事が好きなの!」

「君は今も好きだとしても怜一が君の事をまだ好きとは限らないだろう。それに怜一は近い未来私の夫になる男だ」

「ならねぇよ……」

「アンタねぇっ!!」


 恐らくキリエは悪意が無い。凛燈の神経を逆撫でしているという自覚すらない。片や烈火の如く怒りを露にし、片や毅然とした表情を崩さずにいる。


「気に入らない……! 気に入らない気に入らない気に入らない!!」

「む、そうか。私もどちらかというと君とは多分仲良く出来ないと思っているぞ」

「ハルノキリエ……! その顔と名前、覚えたから! 生まれてきた事を後悔させてあげる!」

「……こういう時は礼儀として私も顔と名前を覚えるべきなのか? そうだとしたらあまり気乗りはしないが君の名前を教えてくれ」

「馬鹿にしてんの!?」

「む? 何がだ?」

「この……っ!!!」


 暖簾に腕押しとはこの事だろう。キリエを睨みつけると、凛燈は言葉に出来ない怒りと共に去って行ってしまった。戦乙女は分かっていない。彼女を敵に回す事の恐ろしさを。


「……しかしあの女、さっきから何を怒っていたんだ? まぁいい。取り敢えず怜一、早く帰るぞ。晩御飯が冷める」

「……お前って奴が恐ろしく感じるよ」

「む、どういう意味だ?」

「何でもねぇよ」


 凛燈とはまた違った恐ろしさを身に染みて実感した怜一であった。ある意味命の危機をその場凌ぎであるが回避は出来た。だが嫌な予感が頭に渦巻いては離れない。厄介な事にならなければいいのだが、と怜一は不安を胸にキリエと共に家に帰っていったのだった。


 そして家に帰ると、直ぐに勝手にスマートフォンのロックを解除して細工を施した事を小百合に問い詰め、買ってきたプリンを没収したのであった。

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