第6話 戦乙女は怜悧に策を弄する
学校にカチコミを仕掛ける暴走族を壊滅させたキリエの噂は瞬く間に広がった。門外不出の拳法の免許皆伝者だったり、実はこの世一帯を締めている裏のスケバンだったりと噂に尾鰭が付いて回っていたが、怜一以外は誰も彼女が普通の人間ではなく、古代の大戦争を止めた戦乙女だとは知る由も無いだろう。そんな謎のスーパー美少女と化した彼女に生徒達は魅了されてしまい、話題は何処も彼処もキリエの事で持ち切りだった。
「つうか何でキリエさんみたいな高貴で可憐なる御方が春原とかいうろくでなしクズ不良に靡いてるワケ? おかしくね? 殺すしかなくね?」
「マジメな奴が報われない世の中とかクソゲー過ぎんだろ……! 死ねっ! 死ね……っ! 春原糞野郎死んでしまえ……っ!」
「もしかして俺らも不良になればワンチャンある……?」
彼女のお陰で怜一を見る周りの目は変わった。皆の憧れの対象となったキリエは何故か怜一に惚れ込んでいる。残念な事に彼以外は眼中に無い。今まで卑しみと蔑みで見られている目は、今となっては妬みと嫉みに加えて殺意も込められた目で見られるようになった。
確実に悪化はしたのだろうが、ある意味好転もしたと思われる点もあった。
「春原君、今までキミの事をイケ好かない高デ失敗ゴミ野郎って見下してたけど、改めて俺と仲良くしていかないかい?」
「はぁ? てかお前誰?」
「な、頼むよ。そしたら一緒に遊びに行こう。勿論キリエさんも一緒で――」
「結局そういう事だろうな!! お前の我欲を満たす為だけに仲良くするワケねーだろ!!」
「春原、俺らマブダチだよな? マブダチだと思うのならせめてキリエさんの連絡先でも……」
「お前ら俺をダシにしてんじゃねーよ!!」
今まで誰も話しかけてこなかった同級生が、下心を備え付けているものの気軽に話しかけてくるようになったのだ。それもこれも全部キリエの所為でもあり、キリエのお陰でもあった。そんな怜一の苦悩も知らずに誠司は見に徹して楽しんでいた。
「人気者は大変そうだな」
「俺が人気ってわけじゃねーよ」
午前の授業が終わり、時刻は昼休みとなる。怜一と誠司のはぐれ者コンビが偶然鍵が壊れている事を発見して誰も人が来ない屋上を陣取り昼食を取る事にした。いつもの様に怜一がコンビニで買っておいた総菜パンを食べようとした時だった。
「此処に居たか。探したぞ」
突然気配も無く背後から声を掛けられ、怜一は情けない声と共に飛び上がる。すっ転んで痛い目に遭うわ手に持っていた貴重な食糧も落としてしまうわで散々な無様を晒してしまった。
噂をすれば何とやら。声の正体はキリエであった。いくら学園の危機を救った英雄とはいえ部外者だからと教員達から学校を追い出されてしまい、今度こそ家に帰った筈の彼女が何故か再び学校に現れたのであった。
「おまっ!? 何処から来た!?」
「何処からって……下から跳んで来たんだが?」
「せめて普通に入り口から来いや!!」
「そんな事すれば門前払いを食らってしまうだろう。それだと追加で承った母上からの使命も果たせないからな」
そう言って差し出されたのは、母に散々要らないと言ってきた筈の手作り弁当だった。彼女曰く、最近不摂生だからせめて昼食だけでも栄養のあるものを、と思い作った弁当を届けるようにと頼まれたらしい。ついでに一緒に食べてきたら、とキリエの分まで用意されていた。
それを聞いた怜一は溜息を吐いて、どんだけお節介焼けば気が済むんだよと辟易していた。
「……わざわざ持って来ておいてなんだが要らねぇ。母さんの手作りなら猶更食べる気が失せる」
「そんな事を言えば母上が腹を立てるだろう。折角作ってくれた御馳走を無下にしてはいけない」
「だったらお前が全部食えよ。頼んでねぇのにうっとーしいんだよ」
奇襲を受けて周章狼狽していた姿を誠司に見られた際の気恥ずかしさ、更に必要以上に過干渉をしてくる家族の腹立たしさに耐えかねて怜一は拗ねて寝転がった。
「お前ら何? 同棲でもしてんのか?」
「同棲って言うな。コイツは俺ん家の居候」
「一緒に住んでる事は否定しないんだな。——怜一、お前……」
「な、何だよ改まったりして」
「一つ屋根の下で暮らしてるとなると、一発位やったのか?」
「やらねーよ!! 誰がこんな変な奴とやるか!! 何でどいつもこいつもそういう話を持ち掛けてくるんだよ!!」
真剣な面持ちで何下衆じみた事を聞いてきやがる。怜一は飛び起きて真っ先に否定すると、まるで答えを予測していたのか誠司は大笑いを上げていた。そして追撃とばかりにキリエに何かを耳打ちし始めたのであった。
「キリエちゃん、"怜一にキズモノにされた"って廊下を走りながら唱え続けてみてくれない? これ怜一が素直になる呪文だから」
「分かった。怜一が素直になるのならやってみるとしよう――」
「よーし!! そんな呪文唱えなくてもいい!! お前は此処で俺と一緒に飯を食おう!! 腹減ってるだろ!!」
何の疑問も無く、誠司の悪ふざけだと気付かずに実行に移そうとするキリエ。事実無根とはいえその様な衝撃発言が昨今の不安定な情勢に陥っている校舎内に知れ渡りでもすれば、人望が薄い自分には弁明の余地無く抹殺されかねない。
トリックスターはこれ見よがしに彼女が持ってきた弁当箱を指で差していたので、彼が脅迫する目的は分かった。怜一は強引に彼女を引き留め、風呂敷を広げて弁当箱を開け始めたのだった。
「じゃーな、ごゆっくり。櫻井誠司はクールに去るぜ」
「お前覚えとけよコラ!!」
追い掛けようとしたが後手に回った怜一に勝ち目は無い。既に退路を確保し、手をヒラヒラと振りながら何処かで聞いた事のあるような台詞と共に先に誠司は立ち去った。そして屋上には二人っきりとなった。
「怜一、腹が減ってるのだろう? 早く食べよう。私もお腹が空いているんだ」
「……何でこうなるんだよ」
仕向けられたとは言え吐いた唾は飲めないというもの。怜一は不本意ながらキリエと一緒に昼食を再開する事にしたのだった。
「やっぱり母上の作る料理は美味しいじゃないか。君もそう思うだろう?」
「普通」
「この美味しさで普通とは……! 君の母上は普段からこの高度な技術を駆使しているというのか!? ならば晩御飯に作ってくれる本気ってのはどんな味になるというのだ!?」
「普通」
「……おい怜一!? こんな料理を食べておいて、その上を行く筈の料理を"普通"と評するのは有り得ないだろう!? ――そうか理解したぞ! 原理は分からないが、美味しい物を食べ過ぎて逆に異常反応を起こしているのだな君の舌は!? そうだろう!? そうと言ってくれ! でないとこんな至宝の一品を毎日作ってくれている君の母上が浮かばれないじゃないかっ!」
「……普通」
一口味わうごとに気分を高揚させ、舌鼓を打ちながらどんどんと口数を増やしていくキリエ。それに反して母の手料理など食べ慣れ過ぎていて寧ろ飽き始めているまである怜一は黙々と口に入れて胃袋へと通す作業を繰り返す。彼女との温度差に逐一反応する事が馬鹿らしくなっていき、botと化した男は自動音声機能を利用してこの場を凌ごうとしていた。
「怜一、私は改めてこの時代を気に入った。飯は美味いし自然も豊かだし文明も発展している。そして何より戦争が無い。理由無く命を落とす人が居ないという事は素晴らしいな」
「……日本ではそうであって、世界の何処かでは何かしら戦争しているけどな」
「それでもだ。世界終末の危機に陥っていない戦争なんて有って無いようなものだ。私や姉様達が必要としないのならば猶更平和な方だ」
今話している間にも何処で何かしらの紛争が起きて大量に命を落としている。日本国内では無差別に人が大勢死ぬ事は万が一にも有り得ないだけであって、全体で考えれば世界平和には程遠いだろう。
今でこそ生まれながらにして平穏を享受しているから、彼女の語る戦争が想像出来なかった。そもそも世界が終わる大規模な戦争など、理解したくも無かった。
「……ところで聞いてくれ怜一。あの騎馬隊と戦った時点で痛感した。今の私は人間よりも僅かに強いだけの凡百な存在に過ぎない。情けない話だ」
「僅かって言葉の意味知ってるか?」
お前は人間を何だと思ってる。少なくとも人類は掌底一発でバイクを吹き飛ばして粉々にする力は持ち合わせてねぇよ。
怜一の冷ややかな指摘もキリエは気にせずに話を続ける。
「だから決めたよ怜一。私はせめてこの町の平和だけでも守りたい。こんな小規模な戦争を止める事すら出来ない無力な戦乙女の使命なのかもしれないと思ってる」
「……好きにしてくれ」
十分規模が大き過ぎてついていけない。だが戦争の中でしか存在価値を見出せないと嘆いていた彼女の生きる意味を見つけて小躍りしている事だけは察する事が出来た。
だからといって自分には全く関係無い話だ、と怜一は適当に相槌を打って眠りに就こうとした。
「まずは平和への第一歩だ。怜一、取り敢えずこの町を案内してくれないか?」
「断る。俺を巻き込むな」
「そんな事を言わずにだな……」
「嫌だ。お前一人で勝手にやってろ」
「——確か、誠司が教えてくれた呪文は……"レイイチニキズモノニサレター"!」
「はぁ!?」
キリエは平板な声で誠司が残していた置き土産の言葉を唱え始める。そして廊下へ目掛けて走り去ろうとしていた。
なんて強かな奴だ。今は感心している場合じゃない。冗談抜きで殺される。社会的にも、肉体的にも。怜一は直ぐに飛び上がって彼女は追い掛けた。
「レイイチニキズモノニサレター! レイイチニキズモノニサレター!」
「お前ふざけんなっ!!! 止まれ!! 止まれってオイ!!」
「……ふふっ。レイイチニキズモノニサレター!」
「あ、お前今笑っただろ!! 面白がってるだろ!! もう許さねぇ!! 俺を本気で怒らせたな!!」
キリエは愉快そうに逃げる。怜一は怒りながら追い掛ける。だが自称人間よりも僅かに強いだけの彼女にすら追いつけない。姿が見えなくなった。振り切られてしまった怜一はこれまでの人生を悔やみ、これからの人生を覚悟した。
もう捕まえられないと諦めて足を止め、俯きながら肩で息をしていると、瞬く間に余裕綽々そうな彼女が目の前に現れた。ふと顔を見上げると、キリエは無邪気そうな笑みを浮かべていた。
「どうだ? 素直になったか?」
「この……クソ女……!!」
これだから女って奴は。怜一は改めて女という存在は油断してはならない生物で、まだ自分には勝ち目の無い悪魔の様な天敵なのだと思い知ったのだった。
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