第5話 戦乙女は完璧に無敵に圧倒する

「今日は来るのかなアイツ」

「アイツならまたどうせ昼からだろ」

「教室にアイツがいると考えるだけで気分悪くなるんだよなぁ。早く転校とか長期入院とか――」

「お、おい。後ろ――」


 廊下で屯しているクラスメイト三人(名前は憶えていない)が対象を濁し、分かりやすく春原怜一の嫌味を放っていた。そうだ。これこそが俺の求めていたものだ、と怜一は内心安堵していた。例のが朝から遅刻せずに学校に来るとは、ましてや話を聞かれてしまったとは思わず、三人組は仰天してばつが悪そうにしていた。


「な、何だよ。やるってのか?」


 じっと三人を見ていると、その内の一人が開き直って身構える。今まで喧嘩をした事はあまり無いが、コイツならあっさり勝てそうだと思う位に不似合いなファイティングポーズを見て、怜一は阿呆らしくなって素通りした。そもそも校内で殴り合いでもすればお互い停学待った無しだろう。高校生にもなってそんな事も分からないのか、と冷めた様子で呆れていた。


「怜一ぃ、ちょっと面貸せや」


 教室に入ろうとすると、後ろから誠司がチョークスリーパーを極めてきた。結構本気で絞め落とそうとしている。落ちる前に思わずタップした。咳込みながら振り返ると、悪友は何故か立腹した様子であった。


「いきなり何すんだよ!?」

「お前俺に内緒で抜け駆けとはいい度胸してんじゃねぇの」


 話が取り留めが無く見えてこない。何故怒っている。何故怒る必要がある。寧ろ不意打ちされたこっちが怒りたい程だ。


「な、何の事だ?」

「とぼけんな! ネタは上がってるんだ! 俺は見たぞ、おっぱいデカくてカワイイと一緒に居たじゃねぇか!」

「あ、あれは――!」

「しかも! 何か喧嘩してたそうじゃねぇか! あの子悲しそーな顔して帰ってったぞ!」


 最悪だ。校門前でのキリエとのやり取りを一部始終見られたらしい。よりにもよって誠司コイツに。それによって知りたくもない情報も知らされる事になった。


「何か勘違いしてるようだけど俺とアイツは別にそんな関係じゃあ――」

「皆まで言うな。お前も自分を変える努力して、心入れ替えて、あんな巨乳女子引っかけたんだな! 先を越されたがお前の数少ない友人を代表して祝福するぜ!」

「話聞けよ!! てか彼女とかそんなのならお前の方が――!」

「居たーー!!!」

「げ、瑞希……」


 噂をすれば何とやら。騒々しい声と共に急接近する何か。その正体を見て誠司が鬱陶しそうに溜息を吐いていた。二人の背後には怒り肩で息を切らしながら此方を睨んでいる、明らかに発育が遅れている少女が怒りを露にしながら立っていた。狙いを誠司に定めると、その小さな身体で迫った。


「誠司! アンタ何でバスケ辞めちゃったの! 悪い事は言わないからさっさと復帰しなさいよ!」

「毎度毎度うるせぇな。お前には関係無いだろ」

「アンタにはバスケ以外に取り柄が無いの知ってんでしょ!?」

「お前には胸が無いの知ってんだろ」

「胸無いって言うな!!」


 誠司がこの女子の禁句を言ってはぐらかそうとしていた。案の定少女は烈火の如く怒り、猛突進を繰り広げる。それを最低限の動きでかわす。そんなやり取りを繰り広げていた。

 彼女の名前は立花たちばな瑞希みずき。誠司とは中学時代同じバスケットボールでの付き合いで、怜一とはあまり面識は無いが一応知り合いに当たる。瑞希もまた低身長というハンディを感じさせない実力の持ち主で、何かと誠司に対抗している。好敵手と自称しているが、二人の関係は端から見ればイチャついているカップル同士にしか見えない。そう言うと誠司は本気で嫌がっていたので、金輪際言わないでおいているが。


「悪いな怜一! 邪魔が入った! また後でな!」

「あ! コラ! 今日という今日は逃がさないわよ!! ……それはそうと春原君!!」

「……あぁ?」


 一陣の風の如く逃げ出す誠司。一瞬にして逃げられた瑞希は、一旦追い掛けるのを中止したと同時に標的を怜一に変えた。思わぬ不意打ちに気の抜けた声を漏らしていると、彼女は人差し指を喉元に突きつけて捲し立て始める。


「貴方みたいなのが誠司に悪影響を及ぼすからこれ以上近付かないで!! 昨日も誠司をそそのかして学校抜け出したの知ってるんだから!!」

「いや寧ろアイツの方が俺に近付いてる――」

「い・い・わ・よ・ね!? じゃあさようなら!!」


 何なんだ。この作品には人の話を聞かない奴しか登場しないのか。此方の事情も聴かずに一方的に言いたい事だけ言ってのける面々にうんざりしていると、美月は怜一の返答も聞かずに去ってしまった。

 朝っぱらから疲れる事ばかりだ。これ以上何かに巻き込まれたら身が持たない。怜一は真面目に聞く気が無い授業で休もうと、教室に入ろうとした。


 その瞬間、けたたましい何かがグラウンドから聞こえてきた。どんどんと音が大きくなっていく。それがバイクの排気音の群だと分かった。

 朝から近所迷惑もいい所だ。気にせずに手に掛けていた戸を引いて入室しようとするが、怜一はそれが此方に近付いている事に気付いた。気のせいかと思ったが、同じく騒ぎを聞きつけた生徒達がグラウンドが見える窓に集まり始めたのだ。


「何だよアレ?」

「令和の時代にアレって……」


 流石に只事ではない。面倒事の連続だったので見て見ぬふりしようとも考えたが、好奇心には勝てない。昨日はその好奇心の所為で人生で五本の指に入る程の災難に遭ったが、それでも怜一は野次馬共に便乗してグラウンドの景色を覗き込んでみた。


「はっはー!!」


 其処には派手な特攻服を羽織り、改造されて本来の姿が失ったバイクに跨る、時代錯誤も甚だしい暴走族が爆音を轟かせながらグラウンドに侵入してきたのだ。その数は凡そ十台程。あっという間に占領されて、我が物顔でバイクを縦横無尽に走らせ、後者を荒らそうとしている。真面目な生徒達が通う進学校に場違いな連中が何故殴り込みに来たのだろうか。


「春原怜一!! この学校に居るんだろ!? 降りてこいや!!」


 理由は直ぐに分かった。自分だ。此方には何の面識も無い筈の暴走族のヘッドらしき男が何故名前を知っているのかは分からないが、予想は出来た。連中を差し向かせたのは間違いなくだ。目的も何となく察する事が出来た。これは宣戦布告なのだと。

 廊下の生徒達がざわめき始める。そして輩の目標である怜一を見定めた同級生達は、蔑んだ目で此方を見ていた。周りからの冷たい視線で理解してしまった。自分には安寧な生活を送る資格が無いのだと。


 あれだけ散々好き放題しておいて、まだ足りないというのか。足りないから、自分以外の人間を巻き込むのか。神様は何故あの様な人道を唾棄する様な悪逆無道を野放しにしているのか。

 怜一はこの世の不条理さをしかと噛みしめ、運命を憎んだ。諦観の境地に至った悲劇の主人公が階段を降りていき悪党共の元へ向かおうとした時、誠司と瑞希が追い掛けてきたのだ。



「怜一! お前が馬鹿正直に出る必要ねぇだろ!」

「……いいんだよ。もう疲れた。向こうの望みは俺なんだろ? お前らが怖い思いをする必要なんて無い」

「誠司の言う通りだよ春原君! 先生が通報したんだし警察が来るのを待っておけば――」


 瑞希の言葉を遮る様に、勢いよくガラスが割れる音と甲高い悲鳴が鳴り響く。騒音を鳴らすだけでなく、とうとう危害まで加え始めたのだ。


「早く降りてこい!! 火ィ点けてこの学校燃やすぞコラ!!」


 痺れを切らしてこんな過激な事をしているらしい。理性のブレーキを壊した悪は躊躇が無い。ましてやの送り込んだ悪党共ならば本当に火事を起こしかねない。正直、怖い。死にかけるか死ぬかのどちらかだろう。だが此処で逃げて誠司達を危険な目に遭わせる自分が許せなかった。自分が犠牲になるだけでいいなら、それでいい。


 怜一が二人の制止を振り切り、グラウンドへ向かう。族達は獲物を見つけるや否や一斉に車体を此方に向けて停止させ、ヘッドライトを輝かせて狙いを澄ました。スロットルを捻り、排気音で威嚇する。怜一は悟った。これは確実に死ぬと。人間死ぬと分かると、恐ろしく冷静になれる様だ。


「恨みは無いけど取り敢えず死んどけやぁ!!」


 一台が鉄パイプの先端を地面に擦らせながら特攻を仕掛けた。死ぬと覚悟を決めた筈なのに、やはり死への恐怖には逆らう事が出来なかった。直撃を食らうまで数秒も無いだろう。思わず目を瞑り、無様に身構えてしまった。


(化けて怨み殺してやる!! 露木つゆき凛燈りんどう!!)


 怜一の最期の願いは叶わない。何故ならまだ死んでいなかったから。もっと言えば、彼に受ける筈の痛みが迸らなかったからだ。

 鈍い音が間近で聞こえる。鉄の様な何かが地面に擦れる音が聞こえる。男の悲鳴も聞こえる。意味が分からずにゆっくり開眼すると、ただでさえ現実離れした状況だというのに、現実を疑うような光景が怜一の目の前に広がっていた。


「何だてめぇ!!?」


 黒く長く艶のある髪を風に靡かせている背中が一つあった。それは見覚えがあった。さっき校門前で追い返した際に見せていた、意気消沈している背中ではない。凛としていて、何処となく頼もしさを醸し出している背中だった。


「君達、此処は未来を担う若人達の学び舎だ。君達の様な無学者が来ていい場所ではない。早々に立ち去るがいい」


 ハルノキリエが其処に居た。仲間の一人を倒されて殺気立っている暴走族を物ともせず、仁王立ちで怜一の盾となっていたのだ。


「な、何で来たんだよ!?」

「帰る途中で鉄の馬を率いた軍勢を見かけてな。戦争が起きたのかと思って追い掛けてみたら此処に辿り着いていた」

「何一つとして理解出来ねーよ!!」


 相変わらずの禅問答だった。だがその神妙不可思議さで命は助かった。それに何故か心地よかった。

 増援が一人。しかも女。悪党共は侮っていた。多勢を相手にしようとしているキリエの無謀さが理由なのか、彼女に守られている怜一の情けなさが理由なのかは定かではないが抱腹絶倒していた。一通り笑い切った後、気迫を込めた声をキリエに浴びせた。


「その綺麗な顔を台無しにされたくなかったら消えな!! 俺らはソイツに用があるんだよ!!」

「やってみろ。の馬術なぞ私に触れる事すら出来ん。地べたを舐めたい奴だけ向かって来い」


 男は容赦無く脅す。だが戦乙女は決して退かない。寧ろ挑発までする始末だ。暴走族が何よりも唯一誇れる走りを虚仮にされ、怒り心頭の悪党共は全力疾走でキリエに向かった。

 直前まで彼女は動かない。怜一と違って、今更になって恐怖で動けなくなっていたわけではない。彼女は不退転の覚悟と共に敢えて待ち構えていた。間合いに入った瞬間、彼女の上段回し蹴りが男の頬を貫く。鈍重な音と共に男は転げ落ち、彼女の言う鉄の馬も明後日の方向へ滑っていく。辛うじて生きているが、重傷なのは間違いないだろう。


「てめぇよくも!」


 またしても同胞を倒され、報復とばかりに彼女に襲い掛かる男達。手に持っていた木刀の一薙ぎが彼女を襲う。だがキリエは自身の身長よりも高く跳躍して虚を切らせた。


「何処を見ている? 私は此処だ」

「ど、どうやって!? くそ!! 振り落としてやる!!」

「馬鹿! 前見ろ!!」


 義経の八艘飛びの如き身のこなしで敵の視界から消え失せたキリエは、何と跳び越した後にバイクの後部シートに着地していた。有り得ない動きで背後を取られた事に動転し、前方不注意という運転するにあたって一番危険で愚かな行為を犯してしまう。互いの単車が衝突する。派手な音を鳴らしていて両者一溜まりもないだろう。寸での所で難なく離脱したキリエは無傷だった。


「な、何だよこれ!? ぞ!?」


 悪党共は今頃になって後悔していた。まさか可憐な少女に部隊を壊滅させられるとは思いもしなかっただろう。彼女は汗一つ掻く事無く、息一つ乱す事無く残り一人にまで追い詰めたのだ。


「怜一と此処の皆に暴虐の限りを尽くして怖がらせた事を詫びて罪を償え。そうすれば見逃してやる。命あっての物種だぞ?」

「ふ、ふざけんな!! そんなみっともない真似が出来るか!!」


 孤立無援と化し、圧倒的絶望を受け入れる事を拒んだ男は決死の特攻を仕掛ける。風を切り裂く程に加速し続け、この場を切り開く事しか頭にないヤケクソ混じりの猛スピード。だが現実は非情である。戦乙女はその華奢な細腕一本だけで鉄塊を真っ向から押し出して動きを止めたのだった。


「動け!! 動けよ!?」

「逃げずに立ち向かった褒美だ。とくと味わえ」


 深く息を吸い込みながらガラ空きになっている方の掌を車体に置く。そして緩めていた腕を一気に伸ばし、抑え込めていた力を呼吸と共に解き放った。

 男はバイクと共に宙を舞う。奴の相棒とも言える二輪は粉々に粉砕され、雨の如く金属の破片が降り注ぐ。不時着しても辛うじて意識があった小悪党は悲鳴を上げながら尻尾を巻いて逃げようとしたが、事が済んだタイミングで到着した警察車両が奴の退路を断ったのだった。


「む!? 増援か! 望む所――」

「アホ! 一番戦っちゃいけない人達だ! こっち来い!」


 まだ戦いのほとぼりが冷めないキリエは相手が治安維持の為に働く組織だと知らず迷う事無く身構える。下手をすれば逮捕される。グラウンドにバイクの残骸を巻き散らかして戦意喪失している暴走族達に警察が気を取られている隙に怜一は彼女を校舎の方へと押しやって身を隠した。


「助けてくれ!! 化け物が!! 化け物が皆を!!」

「はいはい署まで話を聞こうね」


 まさか少女一人に壊滅させられたと思うまい。経緯を見てない第三者からはただの世迷言にしか聞こえないようだ。超常的なキリエの大立ち回りを目の当たりにした怜一は、彼女が本当の戦乙女で人間を遥かに凌駕する力を持っているのだと改めて実感した。

 さっきまでの威勢は何処へやら。反社会的勢力が警察に泣きついているザマは違和感の塊でしかなく滑稽極まりなかった。一部始終を見ていた生徒達は爆笑していた。だが、怜一は何一つとして笑えなかった。


「どうした怜一? ……もしかして朝の事まだ怒って――」

「んなわけねぇだろ。……ちょっと朝飯に毒を盛られてその腹痛が続いてるだけだ」

「そうなのか。では次から君の分は私が毒見を……」

「せんでいい。……なぁ、あのさ、その……」


 心の中を覗かれそうだと察した怜一は咄嗟に嘘で誤魔化した。彼女は納得してそれ以上は何も言わなかった。

 朝の八つ当たりの事を謝ろうと思った。だが芽生え始めている罪悪感と自分の奥に秘めている不信感がせめぎ合い、上手く言葉で表す事が出来なかった。ならせめて命を救ってくれた謝礼をと、怜一は喉を詰まらせながらも少しずつ紡いでいく。


「その、何だ……あれだ。……ありが――」

「怜一の彼女さん無事!?」


 間が悪く、誠司が駆け付けて怜一の勇気を振り絞った言葉を遮り、友人を押し退けて彼女の前に立つ。キリエが無傷で生還している所を見ている筈なのに白々しい事を口走る誠司。勿論下心で近付いているのは古くからの付き合いなので予想は出来た。


「私は無事だが。……君は?」

「初めまして。怜一君の友達やっております櫻井誠司と申します。いつも怜一君がお世話になっております」

「は、はぁ……」


 ナンパな性格の誠司が美少女を見つけたとなればもう止まらない。キリエが珍しく狼狽える程に馴れ馴れしく、歯が浮く様な口振りで早速アプローチを仕掛けている姿に怜一は頭を抱えて溜息を吐いた。


「所でお姉さん、差し支えなければスリーサイズをお伺いしても――」

「初対面相手にセクハラすんなアホ誠司!! あ、ごめんなさい! この馬鹿の言う事何て気にしなくていいですから……!」


 最低な質問を投げつける誠司を鉄拳制裁で瑞希は叱咤する。そんな二人を相手にしている間も無く、恐怖から解放された生徒達が一斉にキリエの元へ駆けつけてきて、結集したのだった。


「暴走族ぶっ飛ばしてくれて有難う!!」

「ビビッて逃げてくのを見てすっきりした!!」

「名前は!?」

「歳は!?」

「あのバイク吹っ飛ばした拳法何処で習ったの!?」

「おっぱいを大きくする秘訣は!?」


 最早回答させる気など毛頭無い質問攻めを受けるキリエ。矢継早に繰り出される言葉のシャワーを受けて明らかに困惑していた。今首を突っ込めばまた厄介な事になる。怜一はどさくさに紛れてこの場を去ろうとした。それを目敏く見逃さなかったキリエは、囲んでいる生徒を押し退けてでも想い人を追い掛けていくのであった。

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