第4話 戦乙女は着実に任務を完遂する
――君、名前は? ……春原怜一って言うんだ。じゃあレイ君だね。そう呼んでもいいでしょ?
――ねぇレイ君。私の事どう思ってる? ……へぇ~、そうなんだ。うん、私も好きだよ。……ホントだよ?
――レイ君、今年のクリスマスにデートしようよ。サプライズ用意しておくからプレゼント用意しておいてよね?
――アハハ、もしかして私の言ってたコトに気付かなかった? ごめんねぇ? でもレイ君が悪いんだよ? だってレイ君は――
※
怜一は悲鳴と共に飛び起きた。寝ていた筈なのに肺が詰まりそうだった。さっきまで見せられていたのは例の過去の記憶を総編集にして映し出されたノンフィクションの悪夢だと分かり、思わず舌打ちをした。
(ようやく見なくなったと思ったらこれだ)
ちょっと前まではこれが原因で毎晩
時刻は六時半。朝の支度をするには早いが、朝っぱらから嫌な物を見せられて気分を害したので怜一は制服に着替えて早めに登校して気を紛らわせる事にした。
「おはよう怜一。今日は早いのね、朝御飯は?」
「コンビニで何か買うから要らない」
「そう……、じゃあ晩御飯は?」
「用意しなくていい」
「そんな、今日はキリエちゃん歓迎会も兼ねて御馳走を振舞おうと――」
「要らないって言ってるだろ。何回も言わせんな」
一階には怜一よりも早起きして朝の支度を始めている母の姿があった。昨夜こそ散々怒鳴り散らしていたものの息子を何より大切に想っていて、心を閉ざしている息子に対しても心配しているのである。そんな事はハッキリ分かっている。少年は口には決して出さないものの、そんな優しさは眩し過ぎて受け取れないのである。不愛想に返答する怜一に少し悲しそうな表情を見せていたが、直ぐに目を背けて家を出ようとした。
玄関の扉を開けると、今日も太陽が
怜一は朝も太陽も嫌いだった。人間は裏切り裏切られこそ本質だが、太陽は一方的に裏切り続ける存在だ。
「何処へ行くんだ?」
のんびりフラフラした後、昼休み位から学校へ行こう。今日の完璧な計画を立てた途端に奴が現れる。昨日も昨日で此方を掻き乱したイレギュラー。ハルノキリエがいつの間にか外に出ていて待ち伏せていた。
「……お前には関係無いだろ」
「そういう訳にはいかない。君がマジメに学校に行くように見張っておいてくれと母上殿に頼まれた」
余計な事をしやがって
正直な所、利用されたキリエは何も悪くない。悪いのは母なので怒るのは筋違いだ。だが悪くないとは言っても計画に邪魔な存在である事に変わりはない。追い払うか、隙を見て逃げるかしよう。面倒事が増えたと、怜一は舌打ちをして歩き始めた。
「所で、ガッコーとは何だ?」
「……勉強する所」
「成程、勉学に励む場所か。……しかし、研鑽を積むのにわざわざ遠征をする必要があるのか?」
「……知らねぇよ」
そんな事、寧ろこっちが聞きてぇよ。毎日毎日と同じ所へ行って、つまんねぇ話を聞いて、つまんねぇ奴らと一緒に過ごさなきゃならねぇ身にもなれっつうんだ。
キリエの純粋な疑問に心の中で毒吐く怜一。正直な所、学校は嫌いだった。人間が多い場所というのは嫌いな奴と遭遇する確率が高くなる場所だ。昨日も大通りで危うくアイツに見つかりそうになったし、中学の時だって学校でアイツと出会ってしまった。
また絶対に思い出してはいけないあの女の事で頭が一杯になっていた。これ以上侵略されてたまるか、と怜一は腹ごしらえをして忘れようと通りかかったコンビニに入っていく。それに追従してキリエも入店した。
「怜一! 何だここは!?」
「コンビニ。……いちいち騒ぐな、鬱陶しい」
「怜一! この棚だけ凄く冷たいぞ!? どうなっているんだ!?」
「だぁぁもう! 騒ぐなっつってんだろうが!」
コンビニエンスストアという、殆どの人は目にした事がある筈であろう施設を、まるで初めて見たかの様に感銘を受けているキリエ。その異様な立ち振る舞いに他の客達や店員が白い目で見ている。見ているこっちが恥ずかしくなってくる。怜一は急いで買い物を済ませると、問答無用で彼女の手を引いて退店した。
「……お前はもうちょっとこの世界を勉強しておけ。それと常識も」
「わ、分かった。済まない、取り乱してしまって」
「もういい。……お前、メシは?」
「私は大丈夫だ。気にしないでくれ――」
戦乙女とは言え、人間と同じく身体は正直らしい。口より先に腹の音が返事をした。そんな漫画みたいな事があるかと思いつつも気恥ずかしそうにしているキリエを見て、仕方なく怜一は餞別とばかりに湯を入れておいたカップ麺と割り箸を分け与えた。
「これは?」
「俺の朝飯分けてやる。三分経ったら食べていいぞ」
「……有難う。思った通り、君は優しいんだな」
「やめろ。そんなのガラじゃねぇんだよ」
二人が朝飯片手に気の向くまま歩いていると丁度河川敷に通りかかったので、其処の坂になっている芝生の上で座って食べる事にした。ビニル袋に入っていた菓子パンの袋を開け、頬張る怜一。それに対して、キリエは手に持っていたカップ麺をまじまじと見ているだけであった。
「……どうした? 早く食わねぇと伸びるぞ」
「怜一、これは何だ? どうやって食べる?」
「何って、ラーメンだよ。——ったく、本当に何も知らねぇんだな」
折角譲ってやった貴重な食糧を台無しにされては金の無駄だ。痺れを切らした怜一は三分以上経っているであろうカップ麺の蓋を剥がし、割り箸を割って再び彼女に差し出した。
慣れない手つきでキリエは麺を掴む。奇妙そうに見つめた後、それを思い切り啜った。
「何だこれは!? 物凄く美味いぞ!? こんな絶品食べた事無いぞ!?」
「だから、いちいち大袈裟なんだよ」
たかだか二百円以下の即席ラーメンを絶賛する彼女の舌が馬鹿なのか、それとも超絶不味い物しか食べてこなかったからなのか。無我夢中で貪るキリエの姿に思わず鼻を鳴らす様に笑ってしまった。
腹が一杯になれば、睡魔が来る。太陽は嫌いだが、心地良い気温を降り注ぐ事による眠気には逆らえない。昼休みの時間になるまで少しばかりこの柔らかい芝生のベッドで眠りに就こうとした。だが同じくして完食したキリエがそれを許さなかった。
「所で怜一。学校はどうするつもりなんだ?」
「……めんどくせーからサボる」
「それは駄目だ。怠惰は大罪だぞ」
「学校なんて昼から行けばいいんだよ。……大体お前の所為でこっちは寝不足なんだよ。寝るから少し黙ってろ」
違う。キリエの所為なんかじゃない。何もかも悪いのはアイツだ。本当はアイツが施した呪縛の所為なんだ。
此処で全てを言ってしまえば楽になるのだろう。だが怜一は口が裂けても言えなかった。弱みを見せる事、本音を曝け出す事は即ち全面降伏する事と同等だ。付け上げられて植民地の奴隷になるのがオチだ。
心にも無い事を言ってしまう。だが今更撤回なんて出来ない。彼の言葉を真に受けて責任を感じたのか、キリエは閉口していた。何故か棘が刺さった様な感触がして、怜一は目を背けるべく寝相を変えた。
「……分かった。ならこうしよう」
嫌な予感がした。そして嫌な予感が的中した。キリエはまたしても寝ている怜一を抱きかかえ始めたのだ。その突飛な行動に少年はたまらず狼狽えたのであった。
「おい何のつもりだ!!」
「そのまま眠っていてくれ。君が眠っている間に私が学校まで送り届けよう。そうすれば問題あるまい」
「ふざけんな!! 降ろせ!!降ろせっての!!」
「安心しろ、君は結構軽いから何てことない。学校の場所だけ教えてくれ」
「そういう事じゃねぇよ!! 恥ずかしいだろうが!!」
抱っこされたまま練り歩かれるのは赤ん坊扱いされる事とほぼ一緒だ。他人、ましてや同級生に見られでもしたら一生の恥だ。怜一はキリエの腕の中で藻掻くも、意に介さずこの状態のまま出発しようとしていた。
「分かった!! 分かったから!! 普通に自力で学校に行くから降ろせ!!」
「そうか? 別に遠慮しなくてもいいんだぞ?」
「だからそういう意味じゃ……。はぁ、もういい」
それを聞くと彼女はあっさり怜一を降ろした。昨日も同じような事をされた気がした。だから空の彼方で脅しを掛けられるのだけは避けたかった。
悪意は無いのだと思いたい。それはそれで
どいつもこいつも近寄ってくる。いくら遠ざけようとしても、いくら突き放そうとしても御構い無しだ。このやり場のない苛立ちを放出する場所が見当たらない。目の前のキリエを標的にしてもきっと彼女には命中する事無く擦り抜けていくのだろう。
怜一が改めてキリエに感じたのは、相手にしづらいという事。嫌いだとか憎いだとか、そんな感情ではない。他人との関わりを持たないと決めていた筈なのに、彼女が近くにいるだけでその信念が打ち砕かれそうになるのが癪だという事だ。
男は何も言わずに学校へ向かう。それに女はついていく。無知なキリエは後ろで何かを尋ねているが、無視を徹底した。また繋がりを作って誰かに傷付けられる最悪のシナリオを想像すると、これ以上踏み込むだけの勇気が消え果てた。
春の穏やかな気温には不釣り合いな寒い空気を何とか打開しようとキリエは健闘する。しかし怜一に届く事はない。そうこうしている内に学校の校門にまで到着し、彼女は目の前に
「これが学校なのか。随分とでかいな。私はてっきり神殿かと思ったぞ」
「……もうお前の役割は終わっただろ。早く家に帰れ」
「待ってくれ怜一。……急に黙り込んでいたが、どうかしたのか? 気付かない内に私が気に障る様な事をしてしまったのか?」
何でこいつは自分が悪いと決め込む。何で俺の所為にしない。ただの八つ当たりだと何で分からない。これでは俺のやっている事、アイツとまんま一緒じゃねぇか。
「いいからさっさと帰れよ!!」
お前は何も悪くない。振り返ってそう告げれば良いのに、その簡単な一言が喉の奥に詰まって吐き出せない。そればかりか、怒鳴り散らして無理やり黙らせてしまった。
キリエの顔は見ない。見たくなかった。怜一は背を向けたまま校舎へ向かう。遠くまで歩いてから後ろを振り返ると、表情が見えない位小さくなっていた彼女が少し重い足取りでこの場を後にしようとしているのが確認出来た。
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