第3話 戦乙女は手荒く手厚い歓迎を受ける

 時刻は二十三時を過ぎていた。LINEには大量のトークと着信の履歴が表示されていた。今まで馬鹿をやっても特に何も言われなかったがこれは確実に殺される。ましてや見知らぬ女を夜中に家へ連れ込んできて、この家に住まわせてやってくれなんて言おうものならば、命乞いする間も与えられずに嬲り殺しにされるだろう。此処で怜一は一つ策を講じる事にする。


 作戦は簡単なものである。まず、母親を起こさない様に細心の注意を払ってゆっくり家に帰る。次にまだ起きているであろう姉を味方につける。最後に日の出まで起きておいてこの馬鹿女を何かしらの理由を付けて追い出して(気が乗らないが)学校へ行って睡眠をとる。単純だが完璧なシナリオだ。


「いいか? 家に入るのは別にいいけど物音一つ立てるなよ」

「自分の城に入るのにコソコソ入る必要があるのか?」


 家を城と表現するこのメルヘンさ。頭痛の激しさが増してきそうだった。だがここで怒りに身を任せれば作戦に支障を来しかねない。渋々怜一は深い溜め息を吐いて落ち着かせると、諭す様に女に説明する事にした。


「……俺の城主は暴君なんだ。主の眠りを妨げる様な不届き千万な家来は即刻打ち首に処される。俺は死にたくないし、お前だって自分の不注意で俺を殺す様な後味の悪い事はしたくないだろ?」

「成程、心得た。夜盗の如く気配を消す事にしよう」


 自分でも呆れ返る程に荒唐無稽な口実。だが少女はあっさりと信じてしまった。人を疑うという事を知らない単純さ。心配になってくる有様だが、馬鹿で助かったと怜一は安堵した。


 戦乙女曰く城、……というには小さ過ぎるが二階建てで坪数も申し分無い自宅の前までやってきた。一階は全体的に暗く誰も人が居なさそうだが、二階の一部屋だけは明かりが灯っていた。読み通り。姉はまだサブスクで夜遅くまで映画でも観ているのだろう。


 落ち着け、春原怜一。お前は怪盗アルセーヌ・ルパンだ。もしくは天下の大泥棒の石川五右衛門でもいい。神出鬼没で誰も捉える事の出来ない影となれ。そう自分に言い聞かせて、小心者の小悪党は鍵をゆっくりと回し、音という音を抑え込んで扉を開けると、後ろで待機していた少女を中に招き入れた。

 そっと捻って鍵を閉じ、靴を脱いで暗黒に包まれている廊下を忍び足で渡っていく。彼女も地面を歩いたばかりの裸足で怜一の後を追う。次に居間へと侵入する。この区域も消灯されていていた。手筈通り後は階段を昇るだけ。上手く行き過ぎている位に作戦通りだ。だが、暗闇に慣れてきた目は誰かを察知した。


「——随分と楽しんでいたようね、親不孝者」


 一瞬にして明かりは灯される。眩しさのあまり目を細めたが、怜一は目の前に鬼が居る事を瞬時に把握してしまった。正確に言えば、鬼の形相をした母親の姿だ。まさか伏兵として待ち構えていたのは誤算だった。


「今何時だと思ってるのドラ息子!!」


 怜一に雷が落ちる。恐怖に支配された怜一は両手で頭を保護して身を固める。学校では不良を演じているが家では形無しだった。


「バカに小遣いなんてもう必要ないわよね? キッチリお父さんに報告しておくから」

「ちょっ! 待ってよ母さん! これには海よりも深~いがあってだな――!」

「申し訳ない事をした城主殿! は私にあるんだ! だから――!」


 しまった。戦乙女コイツの存在を忘れていた。怜一の作戦は失敗という亀裂から瓦解していき、彼女バカの出しゃばりで事態は悪い方角へと向かっていくのだった。


「お前入ってくんじゃねーよ!! ややこしくなるだろうが!!」

「しかしこのままだと君が打ち首になるのでは……!?」

「ンなワケねーだろ!! アホか!! あんなの嘘に決まってんだろ!! 真に受けてんじゃねーよバーカ!!」

「えっ……、何……? 事情……? 責任……!? 何、怜一!? アンタもしかして……その子妊娠させたの!?」

「違ぁぁぁう!! 断じて違う!! 誰がこんな奴とヤるか!!」

「お父さぁぁぁん!! 怜一が性犯罪者にぃぃぃ!!」


 怜一の決死の主張も虚しく空回る。母は外道に堕ちた息子を嘆き、別室で寝ているであろう父親に泣きついていった。収拾がつかなくなってしまった。


「賑やかだな。此処での暮らしが楽しくなりそうだ」

「ちっとも楽しくねーよ!! つうか勝手に住もうとすんな!!」


 他人事だと思って言ってくれる。怜一はこめかみに青筋を浮かばせた。だがまずはその目のやり場にこまる彼女の恰好をどうにかしなくてはならない。扇情的な身体を薄い布一枚だけで覆い隠しているのは、確かに一方的に行為に及んだと誤解されてもおかしくないのかもしれない。

 大きく脱線してしまったが、自由が利くようになった怜一は作戦を続行するべく、彼女と一緒に二階へと上がっていく。そして自室の隣の部屋のドアをノックした。


「姉ちゃん、まだ起きてる?」

「何~? 随分騒々しかったけど何やらかしたのよアンタ?」


 よれよれになった丈の大きいTシャツをワンピース代わりにし、ボサボサの髪をヘアバンドで纏め、片手に加熱式タバコを持って現れた、だらしなさを全面的に強調しているこの女こそ怜一の実の姉、春原すのはら小百合さゆりである。小百合は一応客人が目の前に居るにも拘わらずタバコの水蒸気を吹かせる図々しさを見せていた。


「あのさ、余ってる服とかあったらコイツに分けてくんない?」

「……こんな真夜中にこんな恰好で連れまわしちゃって。売春して孕ませたりでもした?」

「親子揃って同じような事を言うな!! 別に何もしてねーよ!!」

「あはは、冗談冗談。お姉ちゃんアンタがそんな事やれるほどの度胸も●●●●も持ち合わせてるワケないの知ってるって」


 最低だ、この姉。どうしてここまで品性の欠片も無く大人になったのだろうか。血を分けた者として恥もいい所だ。それに人前、ましては年端もいかない少女の前で男の大事なブツを虚仮にされて怜一のプライドはズタボロになった。

 だが女性嫌いを拗らせた怜一にとっては、唯一の理解者でもあり、唯一何の気兼ねなく話せるし、唯一相談も出来る女なのである。小百合は特に詮索する様子も無く快諾してクローゼットの中身を漁り始めた。


「……いつまで居る気? そんなにこの子の生着替えが見たい?」

「な!? ん、んんん、んな、ンなわけねーだろ!! と、取り敢えず有難う!! じゃあ後はヨロシクッ!!」


 激しく動揺した怜一は耳まで真っ赤に染め上げる。そして慌てて部屋を出て勢い良く扉を閉めた。廊下からでも分かる位の小百合の下種じみた笑い声が聞こえてきた。


「ごめんね~気が利かない馬鹿弟で」

「いや、そんな事は……」

「それで、怜一とはどんな関係?」

「怜一、と言う名前なのか。彼は」

「名前も知らないのに家までついて来たの? 変な子ねぇ」

「……そうだな、これから怜一の事を色々知りたいと思っている」

「あら、おアツいコト。……怜一ね、ちょっと傷を負ってるの」

「傷?」

「そう。ちょっとやそっとじゃあ治せない深い傷。仕事で色んなタイプの人と会ったり話したりするんだけど、貴女の様な子なら治せるかもしれないの」

「……? 怜一にそういった傷を負っている様子は無かったが……?」

「ふふ、面白い子。まぁいいわ、取り敢えずあの子の力になってあげて」

「よく分からないが……、分かった」

(……余計な事言ってんじゃねぇよ、馬鹿姉)


 怜一が扉越しで聞いている事に気付いているのか否か。小百合は少女にべらべらと話していく。触れられたくない事もしっかりリークしていて、思わず聞こえない程度に舌打ちをした。


「……じゃあちょっとに向けてしちゃおっかな♪」

「さーびす? って、わ!? な!? 何処を触ってるんだ!?」

「やっぱ見るからに大きいわねぇ、何カップなの? それ」

「かっぷ? さっきから何を言って……、や、辞めろ! 変な所を触るな!」

「すっごぉい……! 何という弾力……! 何という張り……! こんな至極の一品をお目に掛かれるとは……!」


 やはり気付いていたらしい。小百合が何を血迷ったのか少女を襲い始める。怜一はというと、扉の裏側に居る二人の光景を想像してしまい、悶絶して動けなくなっていたのだった。


 ※


「おっまたせ~。そうそう怜一、折角なんだし今晩のオカズにでもしたら?」

「するかっっっ!!」


 案の定げんなりしている戦乙女と、何故か顔色を良くしている姉が部屋から出てくる。一応依頼を果たしてくれた様で、身体に丁度良く美少女の美貌を更に際立たせるような如何にも高級であろう服を提供してくれた。激しく赤面する怜一をからかいながら、役目を果たした小百合は部屋へと戻っていった。


「何というか……、君の姉上は色々と凄いな」

「……すまん。あんなんでも俺の頼れる姉なんだ」


 為すが儘にされて言葉を失っていた少女に怜一は流石に同情した。幼少期の頃から豪快な女傑だったらしく、何故か母親代わりに進んで怜一の世話を焼いていた為にいつまで経っても頭が上がらないのである。下手すれば力の差は一生埋まる事は無いのかもしれない。


「取り敢えずお前! 今晩は泊まらせてやる! ただ明日以降は自分でどうにかしろよな!」

「そんな殺生な」

「母さんのさっきの様子を見てこの家に居候させてくれると思ってるのか?」

「母さん? ……そうか。そういやそうだな。改めて君の御両親に挨拶しておかないといけないな」

「マ・ジ・で・や・め・ろ・よ、お前~~~~!!」


 階段を降りようとする戦乙女を慌てて手を引き、自室へと連れ込む怜一。今日起きた出来事が多すぎて一気に疲れが降り注いできた。ベッドに座り、今日一番の溜息を吐いた。


「何だ怜一。一気に老け込んでいるように見えるが大丈夫なのか? 戦乙女の加護が必要か?」

「……いらねぇよ、そんなエナジードリンクみたいな加護」


 もうツッコミを入れる気力も無かった。小百合が零していた自分の名前を早速気安く呼んでいる事にも気になったが、指摘するのも気怠かった。


「……お前、名前は?」

「名前?」

「一方的に名前を知られて呼ばれてるのが何か気に入らねぇだけだ。深い意味は無い」

「名前は……無い」

「お前ふざけるの大概に――」

「すまない、本当に無いんだ。ないんだ」


 どうやら本当に名前が無いようだ。彼女は少し悲しそうな表情を浮かべていた。貰ってない。産まれてくる時に授かるであろう名前を貰っていない。怜一は少女の壮絶な過去を想像して、少し気まずそうにした。


「……お前、自分の事を戦乙女って言ってたよな」

「如何にもだが」

「じゃあ、戦乙女ヴァルキュリアだから、ハルノキリエとでも名乗っておけ。名前が無いと流石に不便だろ」


 駄洒落の様な適当な名付け方だが、戦乙女もといハルノキリエはとても満足そうに微笑んでいだ。その裏表の無い純粋な笑顔に不本意ながら少し心を揺さぶられたような気がした。


「有難う怜一。男子からの贈り物なんて初めてだ。君から貰った名前、大切にするよ」

「んな大袈裟な……」


 そこまで有難がられるとは思ってもみなかった。この天真爛漫さは今まで見た事が無かった。

 だが怜一の受けた傷は深い。それでも尚、キリエへの警戒心を解く事はしなかった。きっと何かを企んでいるに違いない。中々の役者だがそう簡単に騙されるわけにはいかない。彼の頭の中は、迎撃態勢と取る事で一杯だった。


「怜一、まだ起きてるか? 降りてきなさい。その……チョメチョメしたっていう子も一緒なんだろう? その子も連れてきなさい」


 父の声が一階から聞こえてきた。普段はそんなに父親らしい威厳も有りはしないのに降りて来いと催促してきた。

 面倒な事にあの母親くそばばあ、有る事無い事父親にチクったらしい。そもそもチョメチョメっていつの時代の言葉なんだよ。

 馬鹿の一つ覚えのように怜一は大きな溜息を吐いた。そして状況を把握しきれていないキリエを見やる。


「……取り敢えずついてこい」


 渋々怜一はキリエと共に部屋を出て階段を降りていく。普段は食卓を囲む暖かい時間を提供する筈だった居間のテーブルには冷え切った表情を見せている両親が居た。


「父さん、母さんは何て言ってたの……?」

「……そこ空いているだろう。早く座りなさい」

「あの、父さん、その、俺は別に、何も――」

「いいから座りなさい」

「父さ――」

「座りなさいっっっ!!」


 怜一はその鶴の一声に思わず昔を思い出した。今じゃあ考えられない様な馬鹿を小百合と一緒にやらかした時、全然怖くなくて温厚だった筈の父が修羅の如く怒りを露にして、二人ともテーブルに座らされて、一緒に泣きながら叱られた苦い過去。その時と酷似していた。

 圧倒された怜一とキリエは言われるがままに座る。対面には、深呼吸をして説教の準備を始めようとする父と、泣いて目蓋を腫らしている母の姿があった。


「……下手な嘘や言い訳をするなよ。その子、どうした?」

「……家までついてきた」

「ついてきたって……カルガモじゃあるまいし」


 嘘は言っていない。正確に言えば家まで連れていかないと高度からの紐なしバンジージャンプの刑に処されそうだったから。


「……君、名前は?」

「……ハルノキリエ」

「キリエちゃんか。キリエちゃん、行く宛ては? 御両親とかは……」

「……行く宛も無いし、両親ももう居ない」


 変な事を言うなよ、と隣で圧を掛ける怜一だったが、父の問いに対して当たり障りの無い返答を口にしていたので胸を撫で下ろした。


「お父さん……!」

「うん。……怜一! お前!」


 思わず身構える。父が怒る時はいつもそうだ。正論ばかりでこちらに反論の余地も与えない。だから苦手意識を抱えていた。


「よくやったな!! お前も立派な男だ!!」

「……はぁ?」

「そうよ! よくやった……え?」


 怜一の予想を遥かに裏切る様な父の言葉に気の抜けた声を漏らしてしまう。全くどういう意図なのか、彼は理解出来なかった。


「キリエちゃん、もし良かったら此処に住まないか?」

「は? おい、ちょ、待てよ父さん」

「どういう事お父さん!? 話が違……」

「皆まで言うな怜一。母さんの話聞いて分かったよ。身売りのキリエちゃんと偶然出会ってキリエちゃんの壮絶な過去を知ったお前は居た堪れなくなって、悪い組織から一緒に逃げ出したという事だろう! どうだ? 当たらずとも遠からず、だろ?」

「母さんから何を聞いたらそんな想像を膨らませる事が出来るんだよ!? 全っ然違ぇ!! 的外れな事言っておいて何決めてやったみたいな顔してんだよ!!」

「ん? 違うのか?」

「当たり前だろっ!!」


 この家でまともなのは自分しか居ないのか、と怜一は常識知らず共に囲まれてしまい頭を抱えた。


「まぁ細かい事は置いといてだな」

「細かくねぇよ……!」

「取り敢えず行く宛が無くて御両親も居ないのだから困っている事は確かだろう。キリエちゃんはどうしたい?」

「……私は、怜一の事を知りたい。だから怜一の傍に居たいと思っている」

「そっか、なら決まりだな。歓迎するよ、キリエちゃん」

「いいのかよ母さん!?」

「お父さん、大事な事をその場のノリで決めちゃう所あるから……もうこうなったら止められないわ」


 一家の大黒柱がそんな有耶無耶な行動方針で大丈夫なのか。今まで路頭に迷わなかったのが不思議な位だ。

 怜一は十六年共に過ごした筈なのに未だ知らなかった父のエキセントリックな面に驚きを隠せなかった。蛙の子は蛙。きっと姉は父に似たのだろう。さっきまで取り乱していた母も落ち着きを取り戻していて、半ば諦めていた。


「感謝する。……このようなご両親を持って怜一は幸せ者だな」

「俺は自分の両親が二人こんなのだと知って過去最大の不幸を噛みしめてるぞ」

「……まぁいいわ、取り敢えずキリエちゃんって言ったっけ。まさか怜一に変な事とかされたりしてないでしょうねぇ?」

「とんでもない、寧ろ怜一には色々として貰っている。その、を貰ったしな。ふふふ、私とあろうものが、流石に気分が高揚したな」

「やぁっぱりぃ!! 今すぐ親子の縁を切りなさい怜一!! アンタがそんないたいけな子を弄ぶ様なド畜生の●●●●だとは思わなかったわ!!」

「母さん違う!! 俺は何もやってない!! てかってそんなんじゃないって!!」

「まぁまぁ母さん。今日日の子の性は進んでいるモンだよ。あ、避妊はちゃんとしたんだよな怜一? お父さんそれだけが心配なんだ」

「やってねぇって言ってんだろクソ親父マジで殴るぞ!!」


 斯くして、戦乙女は春原家に迎え入れられた。真夜中だというのに有り余る程の勢いを見せつけている怜一達。キリエはそれを微笑ましく、可笑しそうに笑ってみていたのであった。

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