第2話 戦乙女は大きく空を駆ける

それは人類が文明を生み出し始めた位の遥か昔。世界を終焉へといざなう程の大戦争が勃発した。


血で血を洗い、この世のものとは思えない惨劇のあまり、人々は絶望していた。


人と神の間に産まれし戦乙女達は戦争を止めるべく戦場に舞い降りて、戦い続けた。


やがて戦争は終わりを告げ、見事に世界は護られた。それと同時に、戦乙女達も力尽きてしまった。


人々は若くして果てる戦乙女達を嘆いた。そして安らかな眠りを与えるべく、神殿を作り、封印したのだった――。



怜一は混乱していた。今起きている出来事の情報量が多過ぎる。何故雷に直撃しておきながら平気でいるのか。そもそも死んでいる筈なのに何で生き返っているのか。考えるだけでも脳が理解を拒んでいて頭が痛くなってくる。

 きっと長い夢でも見ているのだろう。だとすれば目を醒ます事が先決だ。怜一は思い切り目を閉じて、悪夢を追い払おうとした。しかし暗闇の中、少女の少し低くした呼び声が邪魔をしてくる。


「遠慮するなと言っただろう。目を逸らさず私を見ておけ」


ゆっくり目を開くと、不機嫌そうにしている少女が間近に居た。思わず後退りする。その拍子で後ろの石壁に頭をぶつけてしまった。夢だと思えない位に激痛が走った。認めたくないが、夢ではなく現実らしい。


「失礼な奴だな君は。得体の知れないものみたいに私を見るな」

「得体の知れないものなんだよ!!」


男を虜にしそうな程に麗しい姿をしているが、人間すらも疑わしい謎の存在。心酔するよりも真っ先に警戒するのが正常だと思いたい。


「……所で、やけに静かだな。また戦争が始まったのだから私を起こしたのだろう?」

「……は?」

「姉様達は何処へ行ったんだ? 少し力を失っているが戦乙女が再び結集すれば容易く終焉を止める事が出来る筈だ。君、心当たりは?」


 こいつ、頭がおかしいのか? 怜一は意味不明な単語やフレーズを自分で勝手に繰り広げている少女に正気かどうかを疑った。益々恐怖を募らせる事となる。


「……何言ってんのお前。イカれてるのか?」

「……ちょっと待て! 大戦争なんて起きていないじゃないか! 何故だ! おかしいだろう!?」

「おかしいのはお前の頭だ!!」


 不穏分子か何かなのだろうか。今この日本で築き上げてきた平和をイカレ女は嘆いていた。同じ日本語を使っている筈なのに会話が全く成立していない。奇妙な恐ろしさを感じた。


「あのなぁ! ここは日本で確かにちょっと昔は戦争があって色々大変だった時代もあったんだろうけど、今は戦争なんて起きてないし起きる事も無いんだよ!」

「そ、そんな……。じゃあ私が目覚めた意味は……」


やっぱり頭のネジが外れているのだろう。殆どの人類が忌み嫌っている戦争をわざわざ追求しているこの女は決して関わってはいけない存在に違いない。そんなアンタッチャブルを不本意ながら目覚めさせてしまった事を怜一は非常に後悔した。

 気を落として項垂れている隙に爪先だけで足音を立てないように密かに撤退しようとした。しかし、逃げようとしていた事を勘付かれてしまい彼女に襟首を掴まれ拘束された。


「致し方あるまい。今の平和な世界を心行くまで満喫するとしよう。君、私を目覚めさせたのも何かの縁だろう。君の住処まで案内してくれ」

「ふ・ざ・け・ん・な! イカレ女ー!!」

「そんな邪険にしなくてもいいじゃないか。心配せずとも君に迷惑は掛けないつもりだ。何だったら戦乙女の加護を与えよう。これで文句あるまい?」

「現在! 進行形で! 迷惑! 掛けてるし! 文句も! 山ほど! あるんだよー!! ていうか離せーーッ!!」


この女の腕力、白く小枝の様に細い腕からは想像もつかない程の豪腕だった。どれだけ藻掻いても、どれだけ足掻いても、振り切る事が出来ない。こちらは力強く踏み出そうとしている筈なのに、少女は何故か微動だにしていない程に余裕綽々の様子だった。

つい先程無我夢中で疾走したツケが残っているのもあって、怜一はとうとう観念して逃げるのを諦めた。疲労困憊した身体を再び休ませるべく、へたり込んで深呼吸をしていた。自称戦乙女とやらはそんな少年の顔をじっくりと覗き込んでいた。


「……ふむ、君。なかなかいい顔をしてるな」

「……はぁ?」

「私好みの顔だ。魂は……一緒に過ごして知っていけばいい事だろう。どうだ? 私と番になる気は無いか?」


 本当に何を言っているんだ、この女は。初対面の筈なのにこの馴れ馴れしさ。番になる気? それは男女の関係にならないかという事?


 その瞬間、怜一の忌まわしい記憶が蘇った。


 あの女も最初は随分とベタベタ寄ってきた。そして心を許した途端に牙を剥いた。アイツは玩具の様に俺を弄んで、飽きたら俺を襤褸雑巾の様にかなぐり捨てたんだ。辞めろ、辞めてくれ、もう嫌なんだ、俺以外に何を信じたらいい? 何回俺を裏切るつもりなんだ? どれだけ俺を傷付けたら気が済むんだ――。


「やめろ!!!!」


荒げた声と共に彼女の差し伸べていた手を思い切り払いのけて、急いで自力で立ち上がり拒絶した。一瞬呆気に取られていたが、女は全く懲りていない様子だった。


「……すまない、気が早すぎたな。まずは戦友から始めるべきだったな」

「そういう問題じゃねぇよ! ……悪いけど、俺は女が嫌いなんだ。虫唾が走る位にな。だからお前は初対面の時点で嫌いって事だ」

「なんと! ……そうか、そうだったのか」


これでようやく分かってくれた筈だ。嫌悪する存在と一つ屋根の下で暮らすなど、土台無理な話だ。何処も行く宛がない彼女を放って帰るのは流石に心苦しいが、これでいいんだと言い聞かせた。もう真夜中だ。高校生が外を出歩く時間ではない。怜一が帰ろうとした時、女はとんでもない事を口走ったのだ。


「つまり今は嫌いだとしても、これから私の事を好きになってくれたら問題あるまいな!」

「……はぁ!?」


 怜一は素っ頓狂な声と共に思わず立ち止まり、振り返ってしまった。すると、女は細い両腕で彼を羽の様に軽く持ち上げると、胸に抱きかかえたのだった。


「安心してくれ。君が男色家だとしても私の気持ちは変わらん」

「何してんだよ!!降ろせ!! ていうか俺はホモじゃねぇ!!」

「恋は困難であれば燃えるというが、まさにその通りだな」

「ふーざーけーんーなー!! 誰がお前のような非常識な奴の事好きになるかバカ女!!」

「取り敢えず君の御両親に話をつけなくてはな! いざ、驀進ばくしん!」

「つかお前、俺の家知らないだろ――」


 彼女が両膝を曲げ、力を溜める。そして一気に解放して真上へ跳躍する。しかし、それは想像を絶する程の高さだった。天井を突き破り、長い年月を重ねている樹木を軽く超え、雲まで届く程の高さにまで跳んでいた。


「しかし、戦争が無いという事がどれほど素晴らしい事なのか、姉様も知らないだろうな」


怜一は絶叫する。落ちたら即死の空の世界。命綱は無い。彼女も落ちたら一溜まりも無い筈なのに、何故平然といられるのだろうか。寧ろ楽しんでいるまであるようだ。

少女は華麗に着地する。どうやら命は落としていないらしい。助かった、と思ったのも束の間。再び空の旅へと連行された。


「いい景色だ。最高だ。戦争の中でしか存在価値を見出せなかった私だが、此処なら何か見つけ出せそうな気がするぞ」


怜一は絶叫する。助かった命がまた危険に晒されている。彼女が自称している戦乙女というのは本当の事なのだろう。今ここで女が手を滑らせて落っことしたりでもしたら忽ち肉塊と化すだろう。

少女は澄ました様子で着地する。また命拾いした。だが彼女は甚振るのが好みなのか、またしても大空の彼方へと飛び立った。


「……しまった。君の住処を聞かずに飛び出してしまったな」

「教える!!! 俺の家案内するからもう辞めてくれ!!!! 降ろしてくれ!!!」

「本当か!? 強情かと思ったが案外素直な所もあるじゃないか。そういう所も愛おしいと思うぞ。さぁ、早速案内してくれないか。……うん? どうした? 眠ってしまったのか? それは困るぞ。今更寝たふりをするとか無しだぞ。早く起きてくれ。おーい?」


さっきよりも勢いよく急降下していく。今度こそ死ぬかと怜一は思ったらしい。着陸と同時にまだ生きている事が理解出来たと同時に怜一の意識は途絶えていたのだった。

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