戦乙女は俺への想いを抑えられない

都月奏楽

第1話 戦乙女は華麗に現世で蘇る

 いつからだろうか。こんなにも人生がつまらなく、何も感じなくなってしまったのは。


 いつからだろうか。こんなにも人間ってのは醜い存在だと忌避するようになったのは。


 いつからだろうか――。


 教室で呆然と死んだ魚の目でスマホのアプリゲームをしている男子高校生が一人。彼の名前は春原すのはら怜一れいいち。授業中にも拘わらず、一人だけ上の空で教諭の話を一切聞いてない有様であった。

 無論、それを黙って見過ごすわけにいかない教師は卓越したチョーク投げで怜一の頭を命中させた。撃ち抜かれた箇所を擦りながら我に返ると、不機嫌そうに此方を睨んでいた。


「春原! これを解いてみろ!」

「……X=-1、Y=3」


 まさか授業をまともに受けていない生徒が正解を言い当てるなんて思ってもいなかったのだろう。不真面目な生徒に恥を掻かせる目論見が失敗に終わり、呆気に取られていた教諭は悔しそうに何事も無かったかの授業を再開した。立たされていた怜一は気怠そうに座る。


(授業聞いてなかった事を普通に注意すればいいのに……。そんなに人を虚仮にしたいのかよ)


 ああいう陰気な事をする奴は生理的に受け付けない。怜一の印象がそれだった。それ以降何をしようが注意される事は無かったが、周囲のクラスメイトから冷ややかな反応を受ける事となった。


「何だよアイツ、うぜぇな」

「スカしやがって、カッコつけてるつもりかよ?」

「感じ悪っ、何であんなのとクラス一緒なのよ」

「あーいうの雰囲気悪くなるったらありゃしない」


 耳に突き刺さる罵詈雑言の数々。しかし、これこそが彼の目的だった。言ってしまえば、教諭を噛ませ犬として逆に利用したのである。

 怜一は何人たりとも自身の領域に触れられたくないと思っている。本来ガラじゃない筈なのに悪ぶって、ロクデナシの不良として高校デビューを果たしている。偏差値も高めな進学校で物事の分別をしっかり付けられる優等生が大勢在籍している学園にて、不良として高校生活を送っているのは学年で彼一人しかいなかった。人間は自分とは違う何かを恐れるものであり、ましてやをわざわざ触りに行こうとする者は滅多にいないだろう。しかしどんなモノにも例外は存在する。


「怜一、遊びにいかね?」


 わざわざ別教室からやってきた同級生が一人。不愛想な怜一とは正反対に、愛嬌さと爽やかさのある笑みと如何にも好青年がスマホをいじっている彼の前に立っていた。


「……変な目で見られるぞ。向こう行ってろ、誠司」

「何だよツレねぇな、お前どうせまだぼっちだろ?」


 ぶっきらぼうに追い払おうとしても逆に悪態を吐くこの男は櫻井さくらい誠司せいじ。怜一とは小学生時代からの付き合いで、この腐ったミカンに対して何の遠慮も無く話しかける事が出来るである。


「好きでぼっちやってんだよ」

「お前なー、の事はもう忘れろって。華の高校生活、そんなんでフイにするつもりか?」


 何が華の高校生活だ、馬鹿馬鹿しい。怜一は心の中で唾棄した。もう自分にはこれからの人生を楽しむつもりなんてない。そんな風に斜に構えるようになったのは、おそらく、否、間違いなく誠司が言葉を濁して放ったの所為である。


 事の一部始終を知っている誠司が気を遣って言っているのは分かる。ただ、それを思い出すのは触れるのも忌々しい程の古傷を穿り返す事と同義である。途端にあの惨めな光景がぶり返してきて、思わず気分が悪くなってしまった。


「おい、何処行くんだよ?」

「トイレ。……ついてくんな」

引き合いに出したのは悪かったって。なぁ~どうせ放課後暇なんだろ~?」


 確かに暇だが、今日はそんな気分ではない。そもそも誠司はクラスの人気者な筈だ。他に遊ぶ友達もごまんと居るだろう。わざわざ孤立している不良かぶれにつるむ理由が無い筈だ。


「人気? 俺が? 冗談きついって」

「嘘つけ。中学の時は友達多かっただろ」

「あー、それは表面上仲良くしてただけだから。友達って感じじゃなかったし」

「……そういやお前、放課後って。バスケあるんだろ?」

「バスケ? ……ああ、辞めた」


 一緒に用を足しながら他愛ない会話を繰り広げていく二人。そんな最中に誠司が何気に放った言葉に思わず衝撃が走った。


「バスケの特待生でこの学校に入ったのにか?」

「……何つーか、飽きた」

「お前なぁ」

「で、バスケしかやってこなかったから勉強なんてからっきしで、お利口さんなクラスメイトの皆からバカのレッテルを貼られて、だーれも相手にして貰えないってワケ」


 何やってんだ、コイツは。小中と今までずっとやってきて県内トップの期待の星にもなれたスポーツを軽々しく捨てている誠司に怜一は思わず呆れていた。バスケットのお陰で入学出来たといっても過言ではないのに、飽きたという理由でそう簡単に辞める筈がないが、きっと自分と同じ触れられたくない事なのだろう、と察したので敢えて言及するのは控えておいた。


「お前もぼっちなんじゃねぇか」

「そうなんだよ~。な、頼むよ。俺はお前と違ってぼっちの抗体なんて無いから寂しいと死んじゃうんだよ」

「……しょうがねぇな」


 何か癪な言い分だが、はみ出し者同士での付き合いなら相手の体裁関係無く気兼ねなく遊べる。底の底まで堕ちたのなら失うものなんて何も無い。地獄の果てまで付き合ってやろう。


「じゃあ放課後は決まりって事で」

「……誠司、お前のクラスの午後の授業って何?」

「うん? 確か情報と家庭科だっけ……」

「そうか。俺の所は体育と美術だから大丈夫だな」

「大丈夫。……って何が?」


 副教科しか無いのならばやる事は決まっている。授業を真面目に受けるつもりは無くとも、受けなくても受験に支障が出ない科目ならば問題あるまい。


「かったるいし昼休み中に抜けよう」

「おお! 何か楽しそーだな!」


 とことんにまで悪に染め上げてやる、と言わんばかりに怜一は誠司を巻き込んで非行に走ろうとする。誠司もまた、清廉潔白なスポーツマンとして生きてきて、そのアイデンティティを失った反動からなのか、躊躇う素振りは一切無かった。


 ※


 面倒な午前中の授業を終えて昼休み。皆が昼食を取ろうとしている中、小悪党二人は閉まっていた裏口の校門をよじ登り、無事脱出に成功した。最初こそスリルがあったが、いざ遂行出来ると呆気ないものであった。


「ひゅー、たまんねぇな」

「取り敢えず飯食いに行こうぜ。マックでいいだろ?」


 昼飯抜きで真っ先に学校を早退した為、怜一は腹ごしらえとばかりに某ハンバーガー店で屯する事を提案した。向かう途中、後ろから何か怒声が聞こえてきた気がしたが、二人が省みる事は無かった。


 警察官に見つかると拙いので、怜一達は道中で細心の注意を払いながら目的地に辿り着くと、二人は制服姿のまま注文する。平日の真昼間から高校生達が来店していた為、店員は怪訝そうに見ていたが、特に何も注意される事無く商品を提供してくれた。


「案の定だけど高校生って俺ら以外居ないんだな」

「当たり前だろ。普通は学校で飯済ませるんだよ。昼間に制服でこんな所に来る学生なんざロクでもないヤツしか居ねぇよ」

「自分で言うか、フツー」


 頬杖を突きながらフライドポテトを貪る怜一。周りは社会人やら大学生やら家族連れやらで店を埋め尽くしているが、高校生という客はこの一組しか存在していなかった。周りは何て事ない普通の日常であって、怜一達が少しばかり異質なのである。


「……どうだ? 少しは気が紛れそうか?」

「いいや、全く」


 怜一が一蹴すると誠司は少し残念そうにしていた。やはり気を遣われているようだ。だからと言って、無理にこんな馬鹿みたいな事に付き合う必要は無い筈なのに、何処までお人好しなんだか。


「お前の人間嫌い、ちょっとはマシになるといいな」

「無理だな。もうどうにもならん」

「俺でもか?」

「お前でもだ」


 例の事件が原因で怜一は人間不信に陥っていた。だから人との繋がりを断ち切ろうと、不良生徒を演じているのである。善人面して仲良くなってもどうせ最終的に人間は裏切る。裏切り裏切られこそが人間の性であり、醜悪な存在だという結論に達した。

 それは色々と気に掛けている誠司も例外ではない。今でこそ一緒に馬鹿をやっていて楽しいと感じているものの、心の何処かでは疑って掛かっている。もしかしたら今受けている小中から今も続いている仲も偽物ではないのかとも思っている。ならば、裏切られるよりも前に最初から繋がりを断ち切っておいた方が安心するまである、というのが怜一の持論だ。


「ま、そのうち心を許せそうなヤツの一人や二人見つかるさ」

「そんなの居るワケねぇだろ」


 そんな会話を繰り広げていると、誠司のスマホから着信音が鳴り響く。二人は相手先が誰なのか何となく察した。画面の文字を見て、誠司は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべて渋々電話に出た。


「もしもし。今何処に居るかって? いや、昼飯食べにマックに――。 ……家に帰ってこいって、飯食ったら学校に戻るから大丈夫だって。……いやいやそれは違うだろ!? ……あーもうウッゼェな!! 分かったよ帰ったらいいんだろ!? ウダウダ言ってんじゃねぇよクソが!!」


 どうやら学校側が家に連絡を入れたらしい。それで学校抜け出した事が露呈してしまったという流れだろう。電話越しで壮絶な親子喧嘩を繰り広げている誠司を見て、申し訳ない事をしてしまったと怜一は内心罪悪感で苛まれていた。


「……悪いな、ちょっと家帰らなくちゃならなくなった」

「学校サボったの、俺の所為にしていいぞ」

「アホか。そんなダッセェ事しねぇ。お前は何も気にしなくていい」


 さっきまでの剣幕とは裏腹に気まずそうに謝る誠司。本来ならば彼の他愛ない言葉をそのまま受け取るだろう。しかし、怜一は此処で誠司の言葉を信用出来なくなっている。建前では強がっているが、もしかしたら見えなくなった所で言い訳の材料にするのかもしれない。数少ない友人の筈なのに下種の勘繰りをしてしまう、そんな自分が腹立たしかった。

 こちらが自己嫌悪と戦っていると、鞄を抱えて残っていたジュースを片手に悪友は店を飛び出して行ってしまったのであった。


 ※


 日が暮れ始める放課後、学生達が下校していく中、怜一は行く宛も無くプラプラと近所を彷徨っていた。あれからスマホには着信一つ鳴る事無くサボりの時間を邪魔される事無く満喫する事が出来た。それは家族は彼の不良行為に愛想を尽かしていたり、見捨てていたりしているのではなく、息子の人間不信を考慮しての放任主義の方針を執っているだけである。成績さえ落とさない事と危ない事をしないのであれば好きにすればいい、という家族なりの配慮らしい。


「どうすっかなぁ」


 何をやっても半端で意味が無く、生きている実感すら無い。怜一という人間は空っぽになってしまっている。いくら好き勝手に生きようが穴の空いた器には満たされる事は無い。ある意味、人間として死んでしまっているのである。


 そうこうしている内に、宵の時間となった。辺りは一面真っ暗闇で、街灯と月明かりだけが街を照らしていた。子供は大人しく家に帰って明日の支度を始めている頃だろう。しかし怜一は何となく帰宅する気分にはならなかったので、先に家族にLINEで生存報告をしておいてもう少し娑婆シャバの空気を楽しむ事にした。


 一先ず条例の制限時間ギリギリまでゲームセンターで遊ぼうと通りの十字路を曲がろうとした時、怜一の体温が極限まで下がった。思わず身震いする程に恐怖した。吐き気も催してきた。

 それは何故か? 怜一の心を蝕んている事件のキーパーソンとなる少女が視界に入ってしまったから。幸いにもまだ彼女には索敵されていないようだ。少年は形振り構わず脱兎の如く走る。目的地なんて存在しない。ただ、確実にヤツの目が届かない領域まで。血相を変えて、無我夢中で逃げていくので巡回している警察官に引き留められそうになったが、怜一には誰かに声を掛けられた位の認識でしかない程に周りが見えていなかった。

 火事場の馬鹿力という言葉があるが、今の状況がまさにその言葉を表しているだろう。普段運動はそんなにしていない怜一の文字通りの全力疾走は、普段身体を鍛えているであろう警察官達を振り切る程に迅かった。


 我に返り、辿り着いた先は天井や壁が吹き抜けている程に打ち壊さている廃墟の中であった。酷使に酷使を重ねた肉体は限界を迎え、怜一は制服が汚れる事も厭わないまま地べたに寝転がった。

 格好つけて粋がっても、本質は臆病で無力だという事を痛感し、改めて自分の矮小さを思い知った。こんな人間生きていたって何の意味も無いんだからさっさと死んでしまえ、と思うまで怜一の心は疲弊していた。


「何やってんだ、俺……」


 本当に自殺でもしようかと考えた。いっその事、此処が極悪人の住処となっていて、踏み込んだ罰として殺してくれた方が呆気なく死ねて清々する。ようやく呼吸が整い、体を起こすと、埃や砂まみれの廃墟の中で一つ、異質な物が瞳に映り込んだ。

 それは立方体。それも一際大きく、全体を純白で彩っている。興味本位で怜一が接近すると、さらに異様さが目立っていた。其処だけ空間を切り取られたかのように汚れ一つ無い、明らかに真新しい不自然な物であった。よく見ると、蓋らしき物もあって、まるで棺の様であった。


「……死体とかあったりして」


 何気ない一言に怜一は蒼褪める。しかし、彼の燃え盛る好奇心を抑える事は出来ず、此処まで見たからにはもう後戻りは出来ないとばかりに蓋を開けて中身を確認する事にした。

 何もない事を期待していた。空っぽであると望んでいた。だが現実は非情で、怜一の期待を容易く裏切る形となる。


「な、何だよ、コレ……!!」


 其処に入っていたのは人間もの。最初こそは精密に作られた人形かと思ったが、見れば見る程に人工物なんかではない事が理解してしまう羽目になる。この眠っているかの様に死んでいる少女が箱の中に隠されていたのである。

 最初こそは驚いて言葉を失っていたものの、怜一は自分でも信じられない位に落ち着いていた。この死体、歳は彼とそこまで離れていない事が分かった。歳若くして死んでしまった無念もあっただろう。もしかすると、自分よりも希望に満ちた人生を歩もうとしていたのかもしれない。そう思うと、怖さや不気味さよりも悲しさや虚しさで満ち溢れていた。


「……お前は生前どうだったんだ?」


 死体が返事をする筈がない。しかし思わず声を掛けてしまう。それ位に死んでいるとは思えない程に綺麗な物であった。

 この少女、可憐な見た目をしている。睫毛は長く、枝毛一つ無い長く黒い艶のある髪、両手で抑えられていても分かる程に豊満な胸。透き通るような白い肌。こんな美貌の持ち主が志半ばで死んでしまうなんて、運命とは残酷なものだ。


「……可愛いな」


 美少女に見惚れて口走ってしまった怜一が思わず自戒する。いくら人間不信になってしまったとはいえ死体に欲情するまで堕ちる訳にはいかなかった。


 その瞬間、さっきまで雲一つ無かった夜空に暗雲が立ち込めて、満月を覆い隠した。どうやら積乱雲らしく、ゴロゴロと鳴り始めた。嫌な予感がする。怜一は急いで少女の元から離れると、稲妻が彼女の元へと落ちる。間一髪だった。


 ――君か? 私を目覚めさせたのは。


 落雷により辺りが砂埃に包まれる中、人の影が映った。こんな真夜中に自分以外の人間が来たのか。いや、或いはあの死体は実は生きていて起きてきたのだろうか。

 有り得ないと思うだろうが、後者だった。正体を現したのは、先程まで死体だったはずの少女が生命を吹き込まれ、箱から降りて二本の脚で立っていたのだった。


 白く滑らかな細腕で黒い長髪を靡かせる。布越しからでも分かる程に大きな乳房を揺らす。目尻は吊り上がっているが、パッチリとした二重瞼と長い睫毛を持った麗しい目で此方を刮目する。


「……どうした? この私に見惚れていたんだろう? 遠慮するな。もっと見ても構わないぞ」


 これは夢なのか現実なのか。突然の出来事の連続によって腰を抜かして茫然としている少年の目の前には、浮世離れしている元死体の美少女が降臨していたのであった。

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