第30話 グリン、一日を思い返す(3)
「そちらの方は大丈夫ですか?」
危機を脱し、俺たちが落ち着いたのを見計らった少女が口にしたのは謝礼の要求どころか挨拶ですらなく、致命傷を負ったアイシアへのものだった。
……こんな幼い少女がここまで他人に献身的になれるものなのか。
助けてもらった感謝と感心で、思わず目頭が熱くなるのを堪えなければいけなかった。
そんな思いを隠しつつ、俺は感謝と礼の確約、自己紹介とそしてアイシアの容態を伝えた。
実はゴブリンから逃げていた時、アイシアには走りながらも手持ちの薬を飲ませたり傷口に塗り込んでいた。
走って行ったせいで荒い処置となってしまい、薬も多くを落としたりして無駄にした。
ゴブリンストーカーの二撃目を受けていれば死は確実だっただろう。
しかし、そうでなくとももはや手遅れという酷い状態だった。
それでも貴重な薬を使ったのは、やはり仲間を失うならせめて最後までできることをしてやりたかったという思いからだった。
生き残るためなら道理に反しない限り時に非情にならなくてはいけないのが冒険者だ。
しかし、欠けること無く長年を共にした仲間を見捨てることは俺たちにはできなかったのだ。
だが、その感情的な行いが稼いだ僅かな時間が、この命運を引き寄せたのかもしれない。
なんとミヤコと名乗った幼い少女は、驚異的な運動能力と大魔術に加え、治癒魔術すらも使えるというのだ。
治癒魔術の使い手は極めて少ない。
というのも、治癒魔術は"効果が出る時"と"出ない時"の乖離が激しい、時に命の博打とすら言われるほど不安定な魔術だからだ。
治癒魔術の使い手の多くは神を祀る教会や寺院などに多いため、神の慈悲がもたらす奇跡だというのが通説だ。
神に見放された者はその奇跡を賜れない、故に効果の差が大きいのだと。
ともすれば秘術ともされる治癒魔術を行使できるというのは、ますます目の前の少女が何者であるのかと疑問を抱かせるものだ。
しかし、彼女が何者であろうと縋れるものは他にない。
喉を出かかった疑問の言葉を飲み込み、俺はアイシアの治癒を頼んだ。
アイシアは魔術師だ。
過去には魔術を神の作った世界を改変する悪魔の所業として、保守派の教会勢力から弾圧された歴史もある。
一体なにが神の気に障るか分からない以上、俺には見守るしかなかった。
しかしアイシア自身は善良であり、日頃から神へ信仰を捧げていた素晴らしい人間だ。
冒険者たるもの神頼みはするべきではないという持論を曲げてでも、この時ばかりは彼女に神の救いがあることを心から祈った。
ミヤコが目を閉じ精神を集中させ、魔術を解き放つ。
「むむむむむむっ、【ヒール】!!」
まばゆい、それでいて命の力を感じる温かい光がアイシアの身を包んだのち、俺たちの目に入ったのは元のなめらかな肌に戻った彼女の姿だった。
全員がその奇跡とミヤコに感謝を捧げ、子供の頃に戻ったかのように喜んだ。
恥も外聞もなく、ただただアイシアの回復を祝ったのだ。
内心を読みづらかったミヤコもその時はわかりやすく喜色を浮かべていたものだ。
その後、口々にミヤコへ謝辞を述べ、そして緊張が緩んだからか酒場で馬鹿話をするかのように他愛無い言葉で笑いあった。
そこが危険な魔境の森であることも忘れ、目の端に涙を浮かべて生きながらえその日常のやりとりができる幸福を噛み締めたのだった。
そしてそこから狩りに行くと言ったミヤコのとんでもない自己申告で再び驚愕させられたり彼女の謎が深まったりしたが、今日最も……ある意味で最も度肝を抜かれることが起こった。
なんとミヤコが一瞬にして川辺に家を立てたのだ。
魔術による建物の建築。それは存在しない訳じゃない。
軍事魔術と呼ばれ従軍魔術師の用いるそれは、現代の軍隊には必須とされ様々な局面で多用されるという。
時に前線に拠点を構築し、時に攻撃を遮る城壁を作り出す。
ある軍事評論家はその術を行使できる魔術師の量で戦況が決まるとすら評するほどだ。
非常に有能な建築の魔術。
しかしそれらは極めて燃費が悪い魔術であるという。
なぜただの建築魔術が"軍事魔術"などと呼ばれるのか。
それは一重に、軍隊ほどの規模と資金力でなければその術を常用することができないからだ。
曰く、その魔術はただの人丈の石壁一つを生み出すだけでも、厳しい修練を経た選りすぐりの軍属魔術師を長く拘束し疲弊させるというのだ。
なるほど、それは確かに燃費が悪い。
人材に富み魔力を回復させる薬品を潤沢に使える軍隊でもなければとてもまともに使えるものではない。
そんな極めて高度な魔術を、瞬きの間にやってのけ、しかもまだ魔力は十分に余っているという。
おまけに建てた家は四面がわざわざ装飾が入った石壁で覆われ、中も石床、そして外壁よりさらに凝られた装飾の見事な浴槽を擁していたのだ。
おれは頭がおかしくなったのか? 目にしたもののあまりの非現実さに脳の処理能力を超え、頭を抱えうずくまった。
何も考えずにただ大はしゃぎしているケイが羨ましい限りだった。
風呂と言われ最初は俺も喜んだものだが、ここまでぶっ飛んだものを出されると流石に手に余る。
その後ささっと、"また"魔術で浴槽に湯を張ったミヤコは、俺たちに"またまた"魔術を使い汚れを取りついでのように【ヒール】で軽症すら癒やしてから、森へと消えていった。
その足取りは軽く跳ねるように楽しげなものだった。
……もう考えるのはやめよう。
そこからはケイ、ハンス、俺の順番で警戒役を入れ替え、交代で風呂を堪能した。
そして2人が気持ちよさそうに風呂から出てきたのを見届けて、ようやく俺の番になったと言う訳だ。
正直、俺は風呂は大好きだ。
冒険者になって一番つらかったことは魔物の相手でも冒険のしんどさでもなく、大好きな風呂に入れないことだった。
……仲間内でもこれはヒミツなんだがな。
しかし今こうして湯船に浸かり今日の出来事を思い返しながら生きていることを実感すると、改めてミヤコの異常さが浮き彫りになった。
あの少女は一体何者なのか。
秘境の民だというが、それもどこまで事実かはわからない。
彼女がやってきた方……魔境の深部にもし本当に人が生存できる秘境があるというのなら、あのデタラメさにも納得なんだが……。
ケイは冗談で言っていたのかもしれないが、何らかの事情で立場を隠した特級冒険者というのも十分ありえる。
うぅむ……。
どうにも釈然としない気持ちで風呂に浸かっていても、今ひとつ満足感がな……いや、この風呂は素晴らしいのだが……。
まぁ、ただ一つだけ言えることは、ミヤコのお陰で俺たち全員が命を救われたということだ。
この恩は一生かけても返せない。
色々と世間知らずなのも間違いないだろうし、なにか手助けできる機会があれば惜しみなく力を貸そう。
そろそろ湯も冷めてきた頃、俺は感謝の念と共にそう強く誓うのだった。
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