第29話 グリン、一日を思い返す(2)

 最悪が重なった俺たちのもとにそれと同じ、いやそれ以上の幸運がやってきた。



「あのー、すみませーん! 大丈夫ですかー?」


 いつの間にか大きな川の対岸に幼い少女が立っており、何を考えたかこちらに声を掛けてきたのだ。

 状況が見てわからないのか? その顔は眼の前の緊急事態を全く理解してない平然としたもので、まさか知恵足らずかと思うほどありえないものだった。


 俺は必死に危険だと叫んだ。ゴブリンを刺激してしまうかもしれないが、それでも無関係の少女を巻き込んでいいはずはない。

 早く逃げるように伝えた俺は、彼女の返事でやはり知恵足らずであるとその時は確信したんだよな。


「あー、危ないなら加勢しますね」


 何をどう考えたらそうなるのか。その意味不明な思考にはもはや言葉も出ないほどだった。


 それでもなんとか思い直させ逃げろと声を掛けたが、その後の彼女の行った事は更に俺を混乱させた。


 ぼさぼさの長い髪に何を考えてる分からないような呆けた顔をした彼女は、助走もせずに凄まじい跳躍をしてみせて川を飛び越し、俺たちとゴブリンの間に立ったのだ。

 あの小さな身体のどこにそんな力があったというのか。いくら身軽な身長とはいえ、普通の人間にできることではない。


 俺は夢を見てるんだろうか。こんな状況で自分を疑うことになるとは露ほども思わなかったな。



 そしてそこからはただただ驚きの連続だった。


 俺の制止もなぁなぁにしてゴブリンと対峙した彼女が俺たちに下がれというと、途端に俺たち全員が川辺ギリギリまで突風のような力で押し出されてしまった。

 今にして思えばアレも魔術だったんだろうが、詠唱も無く視線すら向けていない俺たちへの正確で適切な魔術の行使はやはり異常だっただろう。


 俺も一時期は若さゆえの憧れで魔術を学びはしたが、どうも考え方が硬すぎて合わず頓挫してしまった。

 その最大の原因が「認識と想像」の限界だった。


 目で見えている現実を意識しすぎていると、それに囚われ想像で改変することができず魔術が発動しないのだ。

 しかし同時に、変えるべき現実を曖昧に認識していると、現実と認識との差異が開きすぎてそれを補うため膨大な魔力が必要となってしまう。


 つまり、魔術とは「正しく現実を認識した上で、その認識を恣意的に改変できる異常な精神性と想像力」が必要なのだ。


 それを彼女は、"目で視る"という最も現実の認識に必要な行為もせず、まるでそこに何があるか分かっているかのように魔術で影響を及ぼした。


 高度な索敵スキルはあらゆる事象をその認識下に置くというのも書物で読んだことがあるが、同時にそれは相応の負荷が掛かるとも書かれていた。

 かつて安易に身の丈を超えた索敵スキルを手にした者がその負荷に耐えきれず死んだという記録もあるくらいだ。


 彼女がどの程度の空間把握をできるかはわからないが、少なくとも出力加減が難しく非常に繊細とされる風魔術で背後の俺たちを全く目もくれないまま傷つけずに優しく運べる程度には"現実"と"想像"をはっきりと認識していただろう。


 それが並の人間にできる所業だとは思えない。魔術師は「目で見た先の現実を改変する」というのが俺が学んだ一般常識だったし、その通りの術者しか見たことがなかったからな。


 上級上位、つまり人類の範疇としては最強の一級冒険者ですら、そんな異常なことをしてのける武勇伝は流れてこない。

 人類を超えた超越者と噂に聞く"特級冒険者"ならば視界外の事象すらも操るのかもしれないが……。

 



 その後の大魔術も衝撃だった。

 見たことも聞いたこともない神話のような光景を繰り広げた炎の魔術。


 威力だけなら山一つを消し飛ばしたとか、海を一面凍りつかせたとか凄まじい風聞はある。


 しかし、あれほど洗練された芸術的な、それでいて実用性も十分な魔術は寡聞にして聞いたことがない。



「『火精の輪舞曲フレイム・ロンド』!!」



 彼女の言葉と同時に精霊と言われても信じられそうな神秘的な人丈ほどの炎が渦を巻きながらいくつも生まれた。


 そしてそれはまるで炎に命が宿り舞い踊るように一匹ずつゴブリンを翻弄し焼き尽くしていく。

 ゆらゆらと揺れ動きながらゴブリンに寄り添うその炎は、いつか見た貴族のダンスパーティのようにも思える優雅さだった。


 その心に語りかけてくるような美しさに見惚れているうちに、やがてゴブリンの姿は消え足元に灰の絨毯が残るだけとなる。

 踊る相手がいなくなった炎たちはおもむろに一所に集まりだし、その身を溶かし合うように混ざりながら大きな炎の柱となった。


 空に向けて渦巻きながら燃えたぎり、渦の底から消えゆき儚く火花と散っていくその景色は、人生でも一番だと言えるほど素晴らしいものだったな……。

 仲間たちの表情を見てやればよかったと今にして思うが、その時はただ空へと消える炎を見続けるしかできなかった。



 そうして俺たちは数々の奇跡を起こした幼い少女によって絶体絶命の不運から救われた。


 どうやら運というやつは差し引きでしっかり均整が取れているようだ。いや、この場合はむしろ取れていないのかもしれないが。


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