第28話 グリン、一日を思い返す
-冒険者グリン-
「ふぅー……」
熱い湯船に浸かると身体の芯から疲労が溶け出すのを感じる。やっと人心地ついた気分だ。
それと同時にこれが本当に現実なのかとも疑問を抱いてしまうほど、今の状況は異常だ。
まさか魔物が闊歩する魔境の森のど真ん中でのうのうと風呂だなんてな。
これがもう死後の世界で、俺は永遠の微睡みの中で都合のいい夢を見ていると言われたほうがまだ納得できる。
まぁ、あり得ないことの連続でこれ以上余計な脳みそは使いたくはないから仕方なくこの非常識を受け入れるが。
何から何まで、今日は本当に数奇な一日だったな。
今回俺たちが受けた依頼は『ゴブリンの繁殖調査』だった。
ギルドに魔境の森の中域でゴブリンが繁殖している可能性が報告されたことで中級冒険者にその調査依頼が回ってきた。
ゴブリンは単体でなら初級冒険者でも倒せるが、群れてしまうと途端に甚大なリスクが生じる面倒な魔物だ。
特に一定数を超えた群れは一気に増殖スピードが上がる。
そして、増えすぎた群れへの食料供給を維持できなくなりテリトリーの外部へと雪崩のように侵食する。
魔物の脅威の体現とも言える代表格だ。
そんなリスクを孕んだ依頼も当初は問題がなかった。
報告があった地域へ到着後、俺たちのパーティはまばらに遭遇するゴブリンを各個撃破できていたからだ。
その時点で群れの存在はある程度確信していたが、優秀な斥候職であるケイの索敵で警戒しつつも安全を確保しながら捜索を進められていた。
はずだったのだ。
調査開始から2日後、魔境の森の深部にやや近い付近を捜索していた時、それは突然現れた。
いつも通り倒しきれるゴブリンを相手に危うげなく戦闘を展開していた俺たちの背後から、突如として闇が襲い掛かってきたのだ。
それはゴブリンストーカーと呼ばれるゴブリンの希少変異種だった。
殆どの冒険者が一生の内で一度も見ることがないほど稀有な特異種だ。
まさかそんなヤツがいきなり襲ってくるとは誰も想像していなかった俺たちは、それで途端に崩れた。
まず後衛で火力の高い魔術師であるアイシアが真っ先に狙われた。
鈍そうな鉈で袈裟斬りにされたアイシアを遠目に見て、俺は冷静さを失ってしまったのだ。
そしてそれはパーティの誰もがそうであったようだ。
全員が眼の前の敵を捨て置いてアイシアに致命の追撃を与えようとするゴブリンストーカーに狙いを定めた。
結果としてそれはよかったのかもしれない。
というのも、ゴブリンストーカーというのは一度見ている敵全員が意識から外すと【潜伏】というスキルを使い、知覚はおろか索敵スキルすらからも認識されなくなるのだとギルドの魔物情報録にあったからだ。
もしそのまま全員が目の前の敵を優先していれば、その時点で俺たちは全滅が確定していただろう。
まずケイが既に番えていた矢の狙いをゴブリンストーカーに変え速射をしていた。
普段からなかなかの弓術だと思っていたが、あの時のケイは中級上位の冒険者にも劣らないほど冴え渡っていたな。
敵がアイシアの後ろにいるにも関わらず、その僅かな射角で正確にゴブリンストーカーの目玉を射抜いたケイはそのまま2射、3射と怒りの矢でヤツの肉を穿っていた。
軽戦士のハンスはその速度を活かし、ケイの作った隙で即座に接近しゴブリンストーカーの露出した関節を切り裂いた。
軽装になりがちな暗殺型の敵の急所をよく心得ている。普段はおちゃらけた奴だが、その仕事は決して手抜きではない。
重戦士である俺が辿り着いた時には、すでにゴブリンストーカーの戦闘能力は激減していたことだろう。
少なくともまともに動けるようには見えなかったそいつに自慢の愛剣でトドメを刺したのだった。
流れるような連携は普段の俺たちではできないほど神がかっていた。
ゴブリンストーカーは希少変異種であり、その力は上位種にも届くという。【鑑定】持ちが確認したわけではないので、過去討伐した者の感覚らしいが。
それでも、生半な冒険者が挑んで何人も返り討ちにあったという報告書は付随されていたので、その力は確かだろう。
それを1人欠いた状態で瞬殺した。中級中位にやっと届くという俺たちには快挙だった。
しかし、それを喜ぶ暇はない。放置していたゴブリンはどうやら増援を呼んだようで、しかも運の悪いことに俺たちの退路側から現れたのだ。
しっかり潰しながら移動してきたつもりだったが、まだあんなにいたとは。
ゴブリンが弱い魔物の部類でありながら脅威になり得る理由はこれだ。
少ないが決して無い訳ではない邪悪な知性を使い、人間を罠にかけるのだ。
まんまと包囲された俺たちは、一呼吸の間に視線で決意を交わす。
ケイが包囲の薄い前方に矢を釣瓶撃ちしたのを合図に、俺は瀕死のアイシアを抱え全員が一斉に走り出した。
その後は誰もが必死だった。
背後から石や武器の投擲が飛び、前方からは隠れていたゴブリンが奇襲を掛けてくる。
後者はケイが索敵して先制攻撃で始末できたが、投擲はたまに誰かに当たり着々と傷を作っていった。
ゴブリンは基本的に足が遅い。人並みの速さはあるが、中級冒険者の足には追いつけないのだ。
そうして逃げていると森の切れ目に出て、大きな川へとぶち当たってしまった。
上流か下流か、逃げる判断をする間もないままにゴブリンの集団がその双方向からやってきた。
なんと、ここまでが連中の罠だったらしい。
異常なほど組織だった追い立てに、相手がゴブリンと言えど思わず舌を巻くしか無かった。
なるほど、群れにはすでに支配階級が生まれていたのか。
知能の低く協調性もないのが通常のゴブリンだが、進化した個体は下位のゴブリンを従え組織的に動かすことができる。
しかもその知能も高まり、人間相手にも知恵比べを挑めるほどだという。まさか俺自身でそれを体験することになるとは思いもしなかったが。
逃げ場を失い、ゴブリンたちの包囲が狭まる中で森の奥から合流した一団の中にそいつはいた。
普通のゴブリンの1,5倍以上デカい、進化種のゴブリンだ。
そいつが統率しているのか、本能しかないはずのゴブリンが秩序だった動きで包囲を小さく縮めていくる。
戦うならばもはや正面から戦うしかないが、それは無謀というものだ。
ゴブリンは単体では弱いが、群れると視界外から危険な一撃を与えてくるようになる。
武器の力を引き出す【
もはや装備のまま背後の川に飛び込み、運良く陸に再び上がれることを祈るしか無い……そう思った時だった。
「あのー、すみませーん! 大丈夫ですかー?」
あの子供との遭遇が、その日ずっとツイてなかった俺たちにとっての最大の幸運だったんだろう。
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