第5話 12月26日のおさんぽ

 改札を出て一歩目が土を踏んで普通に驚いた。そういえばこの辺りは草原くさはらに獣道があるだけの場所だった。


 思い返してみれば、集落の中に舗装された道なんてなかった気がする。子供のときは気にならなかったけれど、この暗闇の中、スマホの明かりだけで歩くのはかなり怖い。


 駅は高台に作られていて、この道を下っていかないと枯月には行けない。うっすらと積もった雪が余計に恨めしく感じる。


「夏になるとこのあたりは背より高い草が生えて、壁みたいになるんだよ」


 黙っていると息が詰まりそうだったので、思いついたことを言ってみた。寒さのせいか恐怖のせいか。口がこわばって少ししゃべりにくい。


「日本でそんなに高い草が生えるんですか?」


 黑乃くろのさんの声はやはりいつもと変わらない。


「こっちにいたときは子供だったから大きく見えてただけかも。バッタとかもこんな大きかった気がするし」


 スマホを持つ右手の人差し指を伸ばし、反対の手の人差し指も並行に立てる。二本の指で示されたバッタの大きさはスマホを優に超えていた。


「そんな大きなバッタ。都市伝説ものですね」


「たしかに。でも熱帯雨林とかにはいそうだよね」


 「そうですね」と笑う黑乃さんは余裕がありそうだ。オカルト研究部というのが本当なら、こういった状況にも慣れているのかもしれない。


(もしかして黑乃さんって、危ないところに行きまくったせいで殺されたのでは?)


 黑乃さんの言っていることを全部信用することになるけれど、それなら納得がいく。


「前見ないと危なくないですか?」


「あ、ごめんね」


 黑乃さんに向いてしまっていた視線を前に戻す。夏と違って草は枯れてほとんどなくなってしまっている上に、うっすらではあるものの雪が積もっているせいで道の境目がわかりにくい。油断すると道から外れてしまいそうだ。


「なかなか道にでませんね」


 黑乃さんからそんな言葉が出るのも納得だ。


「一応、今も道を歩いてるんだけどね。ここを下りきってしまえば、もうちょっとわかりやすい道にでるはず」


 そう言っている間に下り傾斜は緩やかになっていく。そして完全に平らになったところでライトが木の根本を照らした。左右に光を振ると、そこが森になっているのがわかる。


「そういえばこんなとこ通ったわ。黑乃さん。この森を抜ければ枯月だよ」


「わかりやすい道って行ってませんでした?」


「ごめんね。ここのこと忘れてて……。でも大丈夫。たしか……」


 道の続く先を照らし、その左右を確認する。すると細めの丸太が両方に置かれていた。それがずっと先まで続いていて道を作っている。


「この丸太の間を歩いていけば大丈夫。子供のとき『丸太の外は怖いぞ。絶対に出ちゃいかん』って脅かされたんだ」


「子供のしつけのための民話ですね。外に出るとどうなるんですか?」


 黑乃さんの声が少し明るくなったので、わたしも笑顔を向けて――


「クマに食べられる」


 そう言ってあげた。


「ロマンのないお話ですね。せっかく子供に話すのなら、妖怪の一つくらい出してほしいです」


「それをわたしに言われても。それに、山の中に住んでるとクマだってすごく怖いんだから」


 黑乃さんはつまらなそうにしていたけれど、わたしは今の話をして少し余裕ができていた。


(怖い話って、自分ですると逆に怖くなくなったりするのかな)


 先の見えない森の中も、案外怖くはなかった。むしろほとんど雪が積もっていないのと、斜面になっていないぶん歩きやすい。


「あ、抜けたかな?」


 ライトが木に当たらなくなった。近くに見えるものがなくなったせいで、余計に暗くなったように感じる。


「枯月に入ったと思うんだけど、サクちゃんの時計はどの辺にある?」


「えっと……もう少し奥ですね。この辺りはマップに道も建物も描かれてないのでなんとなくの位置しかわからないんですけど、ちょっと山肌を上ったところにいるみたいです」


「山肌? そんなところに家なんてあったかな? まぁいいや。もう少し歩いてみようか」


 足元を照らしながら前に進む。道は車が通れるくらいの広さになっていて、だいぶ歩きやすかった。もちろん舗装なんてされていない。


「本当にここ集落なんですか? 道沿いになにもないですけど」


 黑乃さんがスマホの画面を懐中電灯代わりに道の脇を見ていた。そこは道から一段下がっているだけで、確かに建物などはない。


「その辺は畑だったかな。人の少ない集落だから、家は数えるほどしか建ってないの。ここがメインストリートだけど、周りは畑か田んぼばっかだよ。でももうちょっとしたら……ほら、あった」


 照らした先にあったのは大きな一軒家だった。大きな――といっても一階建てで、広いといったほうがしっくりくるかもしれない。生垣に囲まれた敷地はちょっとした公園くらいある。町の一軒家だったら五、六軒は余裕で建つだろう。


「地主さんの家ですか?」


「ううん。違ったと思う。ちょっと名前ど忘れしちゃったんだけど、気のいいおっちゃんが住んでるんだ。土地はあるからみんな家が広いんだよ。野菜を加工する場所とか、保管する場所も敷地内にあったりするから」


「そういうもんなんですね」


 黑乃さんは生垣の開いている門の部分から中をのぞいた。


「それにしても、真っ暗ですね」


「この時間だと、もうみんな寝ちゃってるんじゃないかな」


 サイドボタンを押してスマホの画面をつけると、零時を回るちょっと前だった。


「それだといいんですが」


 スマホから目線を戻すと黑乃さんの姿がなかった。


「え? うそ?」


 黑乃さんがいたはずの場所に駆け込むと、目の端に明かりが映る。画面がついたままのスマホを持つ黑乃さんの姿が生垣のなかにあった。


「えっ、ちょ……! なに勝手に入ってるのっ!」


 声を押し殺しながら黑乃さんの手をつかんだ。


「たぶんですけど、大丈夫だと思います」


 わたしがつかんでいる左手で、家の玄関部分を指さした。そこには横開きの戸があるはずなのだけれど、外れて家の中に倒れてしまっている。


「ここ、廃屋ですよ」


「え? そんなこと……」


 わたしは家の右側に回り込んだ。そこに縁側があるのを知っていたからだ。夜は雨戸か障子で閉じられているはず。けれど今は大きく口を開いてわたしを待っていた。中に光を当てると床は骨組みだけになっていて、その下に畳だったと思われる黒い糸くずが溜まっている。


 どう考えても、人が住める状態ではない。


「そっか。もう十年くらい経つんだもんね」


 引っ越したりする人だっているだろう。もうわたしの知っている枯月ではないのだ。


(もっと早く、一回くらい帰ってくればよかったな)


 そう思いながら門のところに戻ると、黑乃さんが周りを見回しながら待っていた。


「ごめんね。先を急ごうか」


「はい。サクちゃんたちはしばらく動いてないですけど、いつまでそのままかわからないですし」


 黑乃さんは来たのとは逆の道を進み始めた。わたしは後ろから黑乃さんの足元を照らしてついていく。


 五分ほど歩くと次の家があったけれど、光を当てただけで誰も住んでいないとわかった。


 屋根が崩れ落ちていたのだ。


「黑乃は思ったのですが」


 黑乃さんは足を止めずに言った。


「もしかしてこの集落には、もう人が住んでいないのではないですか? それなら空き家が放置されているのも納得できますし、先ほどの運転手の反応もわかります」


 一瞬だけ、どの運転手の話をしているのかわからなかった。


「ああ、電車の運転手ね。確かにこんな夜中に『里帰りです』って廃村に向かう人いたら怖いかも。完全にお化けのやることだもん」


「新しい都市伝説の誕生ですね」


 黑乃さんの顔は見えなかったけれど、きっとにやけているのだろう。


「でもそれはここが廃村だった場合の話でしょ。警察の人が留まっている場所があるなら、そこには人がいるんじゃないの?」


 黑乃さんが立ち止まった。


「え? ごめん。なにか気に障った?」


「いえ、こちらこそ驚かせてすみません。この辺りなんです。少し上ったところにサクちゃんの反応があります」


「上ったところ?」


 ライトを振ってみると、道の左側に枯れた草に雪のかぶった山肌があった。


「もしかしてここって……」


 山肌に近づき、照らしながら歩いていく。すると少しだけ表面が角ばっている部分があった。低いところを足でこすると、石のブロックが出てくる。


「やっぱり。ここから上れるよ」


 石のブロックでできた階段だ。年月のせいか、適当に振りまいたザラメのように傾いたり外れたりしている。


「わたしがいたころは綺麗だったんだけどな……」


「上らないんですか?」


 黑乃さんがわたしの顔を覗き込んできた。


「ううん。行こう。傾いたりしてるから気を付けてね」


 雪を落とした石段に足をのせて体重をかけてみると、意外と安定していた。一段ずつ、確認しながら上っていく。


 子供のころは長い階段だと思っていたけれど、いま上ってみるとたいした長さではなかった。駅の階段の半分もない。


 一分とかからず上りきると、その先は二人が並んで歩けるくらいの上り坂になっていた。今までほとんど感じなかった懐かしさが、ここでやっとこみあげてくる。


 黑乃さんがわたしの横にならんだ。


「ここから山に入れるんですね。この先にも家があるんですか?」


「クピドの家」


「え? 誰の家ですか?」


「クピドの家。わたしがいた施設がこの先にあるの」


 坂を上っていくと森が少しだけ濃くなる。けれど坂が終わると森が終わり、一気に前が開ける。


 暗くてよく見えなくても、それだけははっきりとわかった。


「ここが虹子さんのいた施設ですか?」


「うん。あそこの建物がそう」


 スマホのライトを右に向けると、コンビニを広くしたような建物がうっすらと見える。わたしが子供時代に暮らしていた家だ。いま立っている広場はわたしたちの遊び場だった。


 黑乃さんはクピドの家に近寄る。


「ここも人が住んではいなそうですね。サクちゃんの反応も、建物の中よりは広場寄りな気がします」


「広場って、ずっと動いてないんでしょ? そんなところにいるわけ――」


 広場の中央で何かが光っている。弱い光――というよりかは、隙間から光が漏れている感じだ。


 駆け寄ってみると、錆びた鉄のような臭いが顔を覆った。光の近くに小さな影が座っているのが見えなければ、足を止めていたかもしれない。


「ごめんね。ちょっといい?」


 そう話しかけると、影は顔を上げた。


「コッコ!」


 懐かしい呼び方をされて頬が緩むのを感じた。


「やっぱりサクちゃんだ。どうしてこんなところに? 警察の人たちは?」


 サクちゃんは大き目な黒いコートを着ていてなんだか新鮮だった。しゃがんで顔を合わせる。


「え――」


 思わず息をのんだ。目の前にいるのは間違いなくサクちゃんだった。けれど、その頬が真っ赤に汚れているのだ。


「大丈夫!? どこかケガして――」


 サクちゃんが地面を指さす。そこには人が倒れていた。


「え、そんな……」


 スーツ姿の男が二人倒れている。頭に浮かんだのは家に来た二人の警察官だった。本当にその二人なのかはわからない。でもきっとそれは、あまり重要じゃない。


 周りの雪が真っ赤に染まっていた。


「うぷっ……」


 明るい場所で見ていたら吐き出していたかもしれない。吐き気を全力で押し込みながら、倒れている二人に手を伸ばす。


「だ、大丈夫?」


 手前の体をゆすった。重たいけれど抵抗なく揺れる体は嫌な予感を強くする。確認なんてしたくない。


「あの、虹子さん?」


 黑乃さんが頭側に立った。


「見ないほうがいいと思います。首。ばっさりいかれてます」


 黑乃さんがしゃがんだので倒れている体を調べるのかと思ったけれど、その視線はサクちゃんに向けられていた。


「サクちゃん。何か持ってませんか?」


「え? 時計じゃないの?」


 サクちゃんを照らすと、右手の中では時計が光っている。ただその右手を添えるようにしている左手には別のものが握られていた。


「ほうちょう……?」


 それは間違いなく、真っ赤に汚れた包丁だった。

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