第2話 12月26日のこんばんは
崖の下に森が広がる。森の先に見えるのは真っ赤な夕日だけだ。
そこは約束の場所だった。それはわかるのに、約束の内容は思い出せない。
「コッコ!」
懐かしい呼び方をされて、夢の中だと初めて気づいた。
わたしの横には、長い髪が夕日で赤く染められた女の子がいる。
「
わたしはその子の名前を呼んだ。わたしも朱里ちゃんも幼い子供だった。
「ねぇコッコ。約束しよう」
朱里が小指をわたしに向けて伸ばす。そう。約束はこれからするのだ。
わたしは返事代わりに、自分の小指を朱里ちゃんの小指へと絡めた。
でもわたしは知っている。
約束が果たされることは絶対にないのだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「うーん。やっぱり見たことないわ」
「どっちも?」
「どっちもどっちも。名前にも聞き覚えないし、完全にウチとは無関係」
ピンク色に染めた長い髪のせいで、やたらと目立つ小柄な友人――
わたしは甘く淹れてもらったコーヒーを口に含んだ。ミルクとコーヒーの香りが混じった、スイーツ感たっぷりの香りがわたしは好きなのだ。
テラス席には、寒さのおかげでわたし達しかいない。
詩歌は黑乃さんを指差しながら、写真をわたしへと向けた。
「で、こっちの黒いのがウチのスマホを見たって?」
「そう。わたしが送ったメッセージの内容も知ってたから、嘘ではないと思うんだけど」
詩歌はまた写真を自分に向けて、今度は睨みつけるように目を向ける。
「うーん。確かにスマホに張り付きっぱなしってわけじゃないから覗かれる可能性はゼロではないんよね。でも昨日はずっと家にいたんよ。さすがに家に入ってきたら誰かしらが気付くと思うんだよね」
詩歌は実家暮らしで兄弟姉妹はいないものの、両親祖父母と同居している。一軒家に一人暮らしのわたしとは違うのだ。
「どちらかというと、わたしのスマホの方が覗かれそうだよね」
「そうそれ。虹子はスマホにロックとかかけてなさそうだし。昨日もこの子たち家に泊めたんでしょ。人に餌もらってる猫でももう少し警戒心あるね」
「部屋は余ってるし、盗まれて困る物もないから泊めるくらい、なんてことないよ。スマホのロックも昨日ちゃんとかけた」
「すでに見られてたら手遅れじゃん。お人好しなのはわかるけど、真面目な話。知らない子供泊めるのはマズイよね。虹子に悪意が無かったとしても、親からすれば立派な誘拐よ?」
まっとうな意見にぐうの音も出ない。
「でも、放っておけないんだよ。もしかしたら、施設から来た子なのかもとか思っちゃったりしてさ」
「ああ、『クピドの家』だっけ? 虹子がいた施設」
「そう。中学校に入るときに施設を出て、今の家に住み始めたんだけど――」
「何回も聞いたね。施設に寄付された家だから、後から他の子も来ると思っていたのに、全然来ないし施設とも連絡が取れなくなったんよね?」
「うん。そう。でもわたしはまだ待ってたんだよ。他の子が来るの」
詩歌が深くため息をついた。
「それって『わたしだけがこんな家使ってて申し訳ない』っていう罪悪感から来るやつだよね? 別に虹子は何も悪くないんだから、堂々と住んでていいんよ」
「そうなんだろうけど、寄付した人だって色んな子に住んでもらったほうが嬉しいと思うんだ。だからって知らない子を泊めるのは、違うのかもしれないけど……」
「そうそう。誘拐現場なんてなったら寄付した人が可哀想。さっさと二人とも警察に預けちゃいなよ。っていうか二人は今どうしてるの?」
「家でお留守番してるよ。わたしがバイト行ってる間、サクちゃんを見といてって黑乃さんには言ってある」
詩歌はパフェ用の長いスプーンでわたしのコーヒーのカップを叩いて、呼び鈴みたいな音を鳴らした。
「人様の子を知らんやつに任せる気がしれんわ。無責任」
「サクちゃんはすぐ黑乃さんに懐いたから、大丈夫だと思う。それに、いきなり休んでクビになったら困るじゃん。詩歌に頼んでも断られるし」
「ウチだって暇じゃないの。こうやって話を聞きに来ただけ感謝してほしいね」
「一番高いパフェにつられて来ただけじゃん」
詩歌の前には、空になった大きめのワイングラスのようなものが置かれている。数分前には当店で最も高い『デラックス苺ショートチョコレートパフェ』が盛られていた。
詩歌は知らないけど、わたしが練習で作ったものなので本当の価格は0円だ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「警察……警察ねぇ」
日が傾き始めた帰り道を歩きながら、考えを巡らせていた。といっても、同じことをぐるぐる考えているだけで新しい案が浮かんだりはしない。
警察に相談するとして、110番に電話すればいいのだろうか。それとも自ら足を運んだほうがいいのだろうか。その場合、警察署に行くべきか交番に行くべきか。そもそも警察に相談するのが正しいのだろうか。
それを3回ほど繰り返したところで、気がついたら家の前にいた。
鍵を差し込んで右に回すけれど手応えがない。そのままドアノブを引くと、あっさり開いた。
「危ないから鍵はかけといてって言ったのに……」
防犯の意味ももちろんあったけれど、サクちゃんが勝手に外に出てしまうのが一番心配だった。
「あれ?」
靴を脱ごうとして違和感に気づいた。
(いつも通りすぎる…………)
家を出るときに、自分のものでない靴があって、ちょっとした安心感を覚えたのを思い出した。でも今はその感覚がない。
(黑乃さんのローファーがない?)
思わず靴箱を開きそうになって、やめた。靴なんかよりも、本人を確認するほうがずっといい。
「く、黑乃さん? いる?」
靴を脱ぎながら耳を澄ます。返事はなかったけれど、人の声のようなものはかすかに聞こえた。
ただその声も言葉と呼べるものではない。唸り声――とまではいかないけれど、ただ喉を鳴らしているだけの、無意識に出てしまっている”音”といった感じだ。もしかしたら猫のような小動物が迷い込んで、不安にかられて声にならない声を上げているのかもしれない。
リビングに入ると、その声がキッチン側から鳴っているのがわかった。思わず忍び足になる。
キッチンに近づくと、冷蔵庫が半開きになっていて、小さな電子音で抗議していた。酸っぱい香りが鼻をつく。
(この匂い……ヨーグルト?)
覗き込むと、キッチンの広いとは言えないスペースに小さな影が伏せていた。その影はわたしの姿に気づくと、ほんの少しだけ声を大きくした。
「あぅ……うぁっ!」
「サクちゃん!? どうしたの!?」
思わず抱き起こしたサクちゃんの顔は涙とよだれでべたべたになっていた。
「うあぁぁ……! コッコ……! コッコぉ!」
しがみついて泣き叫ぶサクちゃんの声はかすれていて、お婆ちゃんの声みたいだった。床は吐き戻したのかこぼしたのか、ヨーグルトで汚れている。こんな状況でも握ったままの腕時計も、ヨーグルトまみれだ。
「ごめんね。ずっと泣いてたんだね。もう大丈夫だからね」
黑乃さんへの怒りが湧いたあと、すぐに詩歌の言葉が頭の中で流れた。
『人様の子を知らんやつに任せる気がしれんわ。無責任』
まさにその通りだ。わたしが悪い。こうなる可能性を、もっとちゃんと考えるべきだった。
サクちゃんの頭を撫でる手に、思わず力が入る。
細かいリズムの電子音が部屋に響いた。インターホンの音だ。
わたしはサクちゃんを抱きかかえたまま、玄関へと向かった。頭に渦巻くモヤモヤを全部、外で待つ人にぶつけるために。
「ちょっと黑乃さん! どうしてサクちゃんを放って……」
玄関を開きながら放ったわたしの言葉は、一気にしぼんでいった。外で待っていたのは黑乃さんではなかったのだ。
一人はメガネを掛けた真面目そうな若い男。もう一人はオールバックに髪を固めた大柄の中年の男だった。二人ともスーツを着ていて、揃ってしかめっ面をしている。
中年のほうが口を開た。
「いま黑乃さんとおっしゃいましたか? それは目目 黑乃さんのことで間違いないですか?」
「え……? ん?」
聞き取れなかったわけではない。ゆったりとした丁寧な口調はむしろ聞き取りやすかった。ただ、わたしの頭が『素直に答えていい』と言わなかったのだ。
「ああ。怪しいものではこざいません。警察です。片野理署の
警察手帳を開いてわたしへと見せた。写真も名前も間違いはなさそうだ。
「け、警察がなにが御用ですか?」
サクちゃんを抱いていること。黑乃さんを泊めたこと。後ろめたさが爆発しそうだった。
岩塗警察官が懐に手を入れる。
「
取り出されたのは、透明なビニール袋に入った小さな手帳だった。
「これって黑乃さんの……」
昨日見せてもらった生徒手帳だ。打ち込みづらい名前と、青い目が印象的な写真もそのまんまだ。ただ昨日と明らかに違う部分があった。
手帳が赤黒く汚れているのだ。
「な、何があったんですか?」
岩塗警察官はしかめっ面を崩さない。
「協力していただけますか?」
「協力します! わたしも警察に相談したいことがありますし……でも! その前に何があったのか教えて下さい!」
岩塗警察官が生徒手帳をしまいながらため息をついた。
「詳しいことはここでは話せませんが、目目黑乃さんが遺体で発見されました」
サクちゃんの握る腕時計が、わたしの首に当たった。
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