村無子と、神残しと、一月一日に殺されるわたし
もさく ごろう
第1話 12月25日のこんにちは
眩しいとき、もう目を閉じていたらどうすればいいのだろうか。
まぶた越しの光が眩しい。
体をひねって光から逃れようとしたけれど、体がうまく動かなかった。渋々開いた目に映ったのは、カーテンが半分だけ閉じられた出窓だ。太陽がこちらを覗き込んでいる。
窓の近くにテレビが見えて、いつもソファーから見ている光景だとすぐにわかった。
「そっか。
昨日は朝まで大学の友達と、いわゆるクリスマス女子会をしていた。途中からの記憶はないけれど、家に帰ってソファーで力尽きたのだろう。
「水飲んどこ……」
起きようとして、体がうまくひねれない理由がわかった。何かがわたしのお腹に寄り添うように置かれていてるのだ。ソファーの背もたれとそいつに体が挟まれている。
クッションか大きめなぬいぐるみかと思ったけれど、お腹に感じる温もりには間違いなく命がある。
「え? 誰か泊めた……?」
わたしは一軒家で一人暮らし。部屋に余裕があるけれど、昨日遊んだ場所からはかなり離れている。わざわざ泊まりに来るとしたら、一人しかいない。
「ねぇ詩歌。そろそろ起きよう?」
中学校時代からの友人の名前を呼びながら、体をゆする。それでも起きる気配がなかったので、わたしは詩歌を落としてしまわないように支えながら起き上がった。
支えている詩歌の体がとても軽く感じる。
「ぅん……」
寝言のようにこぼれた吐息は、詩歌のものしてはあどけなかった。明らかに大学生ではない小さすぎる体に、背中まで伸びた栗色の髪。
「……!」
喉まで出かかった悲鳴をなんとか押し込んだ。
(詩歌じゃないじゃん!)
見覚えのない3歳かそこらの女の子が、Tシャツ一枚で寝ていたのだ。
わたしは何よりも先に暖房をつけた。最近は陽気がいいとはいえ、今は12月の夕方だ。コートを羽織ったままのわたしはまだしも、Tシャツ一枚で寝るのには寒すぎる。わたしにぴったりくっついていたのは、暖を取るためだったのかもしれない。
「ごめんね。寒かったよね?」
起こさないようにソファーから立ち上がって、羽織っていたコートを毛布代わりにかけてあげた。シャツとセーターだけになると、やはり空気が冷たい。
「……え? 誰の子?」
冷静になったわたしは周りを見回した。リビングにはわたしとこの子しかいない。昨日遊んだ友人にも、子持ちはいなかったはずだ。
誰かを招いた可能性も考えて部屋を全部見て回ったけれど、いつも通り家の中は暗く静まり返っていた。人の姿どころか、気配すら感じない。
最後に洗面所に行き、顔を洗って鏡を見た。少し背が高いだけの女子大生が鏡に写っている。男に間違えられるからと伸ばし始めた髪は、やっと肩に触れるくらいになっていた。
(落ち着いて状況を整理しよう。とりあえず誰かを泊めた感じはしない。でも知らない子供はいる。えっと、じゃあ子供だけ預かった? それとも酔っ払ってどこかから誘拐してきたとか?)
考えただけではわかりそうにない。
あきらめてリビングに戻ると、女の子はまだ寝たままだった。人の家で寝ているとは思えないほど穏やかな表情で寝ていて、とてもかわいらしい。思わず連れて帰りたくなる、という表現はできるかもしれない。
(記憶がなくなるほど酔っていたとはいえ、流石に知らない子供を連れて帰ったりはしないと思うけど……記憶がないときの自分がどんな酔っ払いなのかわからないからなぁ)
かわいい子供を見て『この子はわたしが育てる!』とか言ってしまう酔っ払いがいるのは容易に想像できる。
「あれ……?」
視界の端に違和感を覚えて、背筋に寒気が走った。
ソファー正面のテーブルに紙ペラが一枚置かれていたのだ。起きたときには女の子に気を取られていて気づかなかったのだろうか。
(実はこの子は起きていて、わたしが家を見回っている間に置いたとかだったりして)
そういうイタズラだったらいいなと本気で思った。その紙はそれくらい異様な存在感を放っている。
紙には新聞の切れ端が並べて貼られていた。まるで古い映画に出てきた脅迫文のようだ。大きさも太さも色も違う文字が並ぶ様子は、どこかグロテスクで気味が悪い。
「『一月一日に、この子はあなたを殺す』……であってる?」
思わず眠ったままの子に確認してしまった。
(えっと……脅迫文? それとも警告文?)
単純にわたしを怖がらせようとしてるようにも思えるし、その子を返せと遠回しに言っているようにも思える。
(どうしよう? 警察に連絡するべきかな? でも友達のイタズラだったら、そこまでするのは気が引けるし……)
少し考えて、わたしは友人に連絡してみることにした。最初は昨日遊んだメンバーのグループチャットにメッセージを送ろうかと思ったけれど、とりあえず信用できる一人を選んだ。
アプリから
詩歌は中学時代からの友達で、家も隣駅で近い。昨日の女子会からも一緒に帰ってきたと思うから、何か知っているだろう。
まだ既読はつかない。
「ん……」
自分以外の声に心臓が止まりそうになった。変な置き手紙のせいで神経が過敏になっているのかもしれない。
声は寝ていた女の子のものだった。足をぴーんと伸ばしたあと、大きな目を開ける。
「んぅ……」
女の子が体を起こした。わたしは屈んで目の高さを合わせる。
「おはよー。なにか食べる?」
本気の猫なで声を出した。わたしの中でスイッチが切り替わり、頭の中が『この子に泣かれない』の一色になる。
先にお菓子でも用意しておけばよかったと、少し後悔した。
女の子はまだ寝ぼけているのか、黙ったまま虚ろな目でわたしを見つめている。
正直嫌な予感がした。目の前にいるのがお母さんじゃないと気付いたら絶対に泣く。今の静寂は嵐の前の静けさなのだ。
そう思っていたら、ゆっくりと体を寄せて首に手を回すように抱きついてきた。
「たべる……」
独り言のように小さくゆっくりとした声でつぶやく。
「はいはい。なにがいいかなー」
そのまま抱き上げて冷蔵庫にむかう。ただ子供が泣かなかっただけなのに、死を免れたような気分だ。
気が緩んだ瞬間に、首の後ろに冷たくて硬いものが触れた。
「ひゃっ……!」
わたしの体がこわばるのに反応して、子供の手に力が入るのを感じた。
「ごめんごめん。びっくりしたね」
背中を軽くさすって、冷蔵庫の正面にある調理台の上に座らせた。子供のはまだ眠たそうで、手を離したら調理台から落ちてしまいそうだ。
さっきまで気づかなかったけれど、子供の手に腕時計が握られている。さっき首の裏に当たったのはこれだろう。
「これ、見せてもらってもいいかな?」
「ん……」
時計を持つ手をわたしに向かって伸ばしてくれた。
「ありがとう」
時計を手に取って――と思ったけれど、女の子は時計のベルトをしっかり握っていて手を離してくれない。しかたないのでそのまま時計を見せてもらった。
時計は少し大きめな丸い銀色のケースの、男物と思われる時計だった。ブランドロゴは見当たらず、シンプルなデザインのアナログ時計だ。詳しくないわたしには、自動巻き時計であることくらいしかわからない。名前やイニシャルなどの持ち主に繋がる情報が彫られていないか探してみたけれど、見当たらなかった。
「まだ……?」
女の子は手が疲れたのか手を下げた。腕時計はがっちり握られたままだ。
「あ、ごめんね。すぐ用意するから、一人で座ってられるかな?」
女の子はうなずくとわかりやすく背筋を伸ばした。
手を離しても大丈夫なのを確認してから、冷蔵庫を開けた。冷凍庫にはアイスが入っていたけれど、真冬に出して喜んでもらえるかは怪しい。
(なにかいいものは……これでいいかな)
カップのヨーグルトを取り出した。機能性をウリにしたシンプルなヨーグルトだけれど、無糖ではない甘いヨーグルトなので子供でも食べられるはずだ。
引き出しからスプーンをだして、女の子に近寄った。
「おまたせ。ここじゃ食べづらいからあっちで食べようか」
わたしが手を伸ばすと、ちゃんと抱きついてきてくれた。そのままさっきのソファーのところに戻る。そしてソファーを背もたれにするように床――というかラグの上に座らせた。
ソファーの前に置かれたテーブルは低いから丁度いいかと思ったのだけれど、女の子の背だと少し高いようだった。仕方ないのでわたしの膝の上に座ってもらう。
ヨーグルトの蓋を開けてテーブルに置き、スプーンを女の子に渡す。
「はい。いただきますできる?」
女の子はこくこくとうなずくと、両手を合わせて呪文でも唱えるかのようにゆっくりと「いただきます」と言ってからわたしの顔をのぞき込んだ。
「いいこいいこ。ほら。食べな?」
そう言うと表情が一気に明るくなった。さっきのゆっくりとした『いただきます』が嘘のように、勢いよくヨーグルトをかきこんでいく。でも勢いの割にはヨーグルトが口に入っていないようで、わたしだったら3、4口で終わってしまう小さいカップと5分近く格闘していた。
女の子はカップを置くとわたしの顔をじっと見つめる。
「うん? ごちそうさまかな?」
女の子はわたしの言葉に反応しない。何事かと思ってカップの中を見てみると、角のところなどに見てわかるレベルでヨーグルトが残っていた。
「あーうん。ちょっとまってね」
女の子からスプーンを借りて残っているヨーグルトをかき集める。
「はい。あーんして」
スプーンの半分くらい集まったヨーグルトを口元に持っていってあげると、大きく口を開いて食らいついた。
女の子の笑顔からは不安の色は感じられない。
(人見知りしない子なのかな?)
とりあえず機嫌は良さそうなので、次の段階に進むことにした。
「お名前はなんていうの? あ、わたしは
ゆっくりと言い直すと、女の子は2回頷いた。
「コッコ!」
懐かしい呼び方をされたので、ほんのり胸が熱くなった。
「うん。昔そう呼ばれたの。君は何ちゃんかな?」
「サクはサクだよ!」
女の子――サクちゃんは元気いっぱいに答えた。苗字も知れたらと思ってフルネームで名乗ったのだけれど、意味はなかったようだ。これくらいの子だと自分の苗字なんて知らないのかもしれない。
次は時計のことでも聞こうかなと思ったところで、机に置いたままのスマホが光った。
「ちょっとごめんね」
手にとってみると案の定、先程送ったメッセージに返信が来ていた。
『なにそれ。ウケるんだけど』
返信の内容はそれだけだった。追加で文章を打っているのかと思って少し待ってみるも、何も送られてこない。
『何も知らないの?』
そう送ると、スマホとは別のところで、電子音が細かいリズムを刻んだ。近くで詩歌のスマホが鳴ったみたいなタイミングだったけれど、そうではない。家のインターホンが鳴ったのだ。
「こんなときに……ごめんね。ちょっと待ってて」
サクちゃんをソファーへと座らせて、壁に取り付けられたインターホンの受信機へと駆け寄り、通話ボタンを押した。
「はーい」
その一言だけで相手の反応を待つ。いつもはそうだ。
でも今回は違った。
「え? 誰?」
思わずそんな声が出た。受信機のモニターに映っていたのが、真っ黒なセーラー服を着た女の子だったのだ。宅配でも近所の知り合いでもない。
『こんにちは。モクメ クロノっていいます。詩歌お姉ちゃんの携帯を見て来ました。ムラナコに似た状況になっているんですよね?』
「ムラナコ? まぁいいや。ちょっと待ってね」
玄関に向かいながらふと思った。詩歌に妹はいなかったはずだ。
(妹じゃなくても、お姉ちゃんって呼んだりはするか)
わたしが詩歌に連絡したのを知っているのだから、無関係の子というわけではないのだろう。
玄関を開けると、三歩先の門の向こうに、古い白黒写真から抜け出して来たような女学生が立っていた。色白で細身。そして艶やかな長い黒髪と、あらゆるもので裏付けされたちょっとだけ冷たい印象の美少女だ。でも彼女が目を引く部分は別にあった。
瞳が海のように青いのだ。日本人らしさを強調した容姿のせいで、余計に目に入る。
(なんだか、日本人形に西洋人形の目を取り付けたみたい)
そんなことを思っていると、クロノさんはカードのようなものをスクールバッグから取り出して、警察手帳でも見せるかのようにこちらに向けた。
「一応、身分証です。怪しい者ではありません」
近寄って見てみると、それは学生証だった。写真の少女も青い目をしていて、名前の欄には『目目 黑乃』と書かれている。小さく書かれたふりがなも『モクメ クロノ』と先程黑乃さんが名乗った音と同じだった。
「これはどうもご丁寧に。詩歌から聞いてるかもしれないけど、わたしは河比良 虹子。えっと、詩歌の携帯を見て来たって言ってたっけ?」
「はい。今日たまたま詩歌お姉ちゃんのところに遊びに行っていて、虹子さんのメッセージが送られてきたときにスマホの近くにいたんです」
門を開けてあげると黑乃さんは学生証をスクールバッグにしまいながら「失礼します」と入ってきた。
「ムラナコは県内北部で古くから伝わっているお話が都市伝説となったものです」
「え? ごめん。あがっていいから中で話そうよ」
扉を開けると、小さな影が玄関マットの上にあった。
「コッコ! コッコ!」
その影は可愛らしい声でわたしを呼ぶ。
「あれ? サクちゃん? どうしたの?」
視線を合わせると、サクちゃんの顔は涙で濡れていた。
「あぁごめんね。一人でさみしかったよね。大丈夫だよ。うん。大丈夫」
両腕を伸ばして抱き上げようとしたら、サクちゃんが自分で抱きついてきた。体を支えると、背中が少し痙攣しているのが手に伝わってくる。
「よしよし怖かったね。知らないお家に一人だもんね。怖いよね」
「その子がムラナコですか?」
黑乃さんがサクちゃんを覗き込むように前にでた。
「ムラナコじゃなくて、サクって名前みたいだよ」
「あぁ、いえ。名前ではなく、都市伝説に似たようなシチュエーションがあるんです。先程も言いましたが、昔話から派生した都市伝説です」
黑乃さんはかなり早口になっていたけれど、落ち着いた声色のおかげか聞き取りやすい。
わたしは靴を脱いで玄関から上がった。
「玄関で話すのもアレだから、中で話そうよ」
「お邪魔します」
リビングに向かうわたしの後ろを黑乃さんがついてくる。
「詳細をお話しますと」
その間も黑乃さんは説明をやめなかった。
「昔話としてのムラナコは、ある集落に見知らぬ子供が迷い込むことでお話が始まります。皆で面倒をみるのですが、ある日その子供が集落を滅ぼすと予言が出てしまうんです」
リビングについたので、ソファーをすすめて黑乃さんに座ってもらう。
「ありがとうございます。それで、その昔話から派生した思われる都市伝説のムラナコは、まさに虹子さんの今の状況です。見知らぬ子供が家にいて『その子はあなたを殺す』と何らかの方法で予言されます」
「確かに。まんま今起きてることだね」
サクちゃんをソファーに座らせようと思ったけれど、抱きついたまま離れそうになかった。首の後ろにサクちゃんの握る腕時計が当たって痛い。
仕方ないのでわたしが黑乃さんの横に座った。
「それで、その昔話は最後どうなるの?」
「昔話の方では、子供を恐れて
机に置きっぱなしにしていた脅迫文を手に取りながら「その神様と子供を祀った神社もあるんですよ」と興味なさげに言った。
「問題の都市伝説の方ですが、こちらはシンプルです。子供を預かった人は最後には子供に殺されてしまいます。予言のされ方と殺され方にはバリエーションがあるんですよ。和風ホラーよろしく呪い殺されたり、サイコスリラーみたいに包丁で襲ってきたり、子供が殺人アンドロイドだったみたいなパターンも――」
「待って待って」
一転して楽しげに話す黑乃さんを止めた。
「なんで怖い方を楽しそうに話すのよ。わたしは昔話の方を推す」
「推すとかではないのですが。状況が近いのは都市伝説の方ですよ?」
説得力に押し込まれそうになり、わたしは首を横に振った。
「やだやだ。わかってるけど怖いじゃんそんなの。そもそも黑乃さんはどうしてそんな話に詳しいの?」
「実は黑乃はオカルトが好きでして、学校でもオカ研を名乗って活動してます。虹子さんからのメッセージを見たときは、居ても立っても居られなくて飛び出して来ちゃいました」
黑乃さんはウインクした。わたしを助けるために来たようにも受け取れるけど、たぶんそうじゃない。
「あなたに送ったわけじゃないけどね。一応確認するけど、詩歌にちゃんと許可取ってから来たんだよね?」
「詩歌お姉ちゃんはうたた寝をしていたので、何も言わずに来ちゃいました。でも大丈夫ですよ。何かあっても怒られるの黑乃ですし」
「いやダメだって。いきなりいなくなってたら心配するじゃん。わたしから連絡しとくからね」
わたしはスマホを手に取る。
「やめといたほうがいいと思いますけど」
「そんなこと言って。帰らされるのが嫌なんでしょ? でもこういうのはちゃんと連絡しておかないと後が面倒なんだから」
黑乃さんの名前の入力に少し手こずりながら『目目 黑乃さんっていう子が詩歌のスマホを見てウチに来てるよ』とメッセージを入力して送信する。
既読はすぐに付いた。
『え? そんな子知らんし、ウチのスマホ見たってどういうこと?』
詩歌からそんなメッセージが返ってくる。
「だからやめといたほうが良いって言ったんですよ」
わたしのスマホを覗き込む黑乃さんの声が、耳をくすぐった。
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