第2話 煮沸消毒済みですよ(医師談)
通路の先の小部屋に通される。
その小部屋の奥には、大きな部屋があり仕切りがたくさんあった。
見たところ寝床だ。
そして目の前には机と椅子と、さまざまな品物が置かれた棚や家具。
ちなみに、机も椅子も知っている形だ。装飾や多少の違いは差異で、ここは助かった。
当然、その対面する相手も異形の姿だが、どうみてもお医者さんである。白衣じゃなくて中世の防疫衣装っぽいけど、医者の匂いがした。消毒くさいアレ。
服を脱ぐように身振りされて、あぁ健康診断かなぁ奴隷の?って予想ができた。
んで、さっさと裸になろうとしたら、ストップがかかる。
どうも裸になれと言われたのは、隣の包帯男の方だった。
脱いだ男は人間型だった。
頭部がグルグルなので、もしかしたらお顔は爬虫類かも知れないが。肌色は色白で普通。羽もないし、鱗も尻尾も無いぞ、残念。
多少の痣以外、切り傷や致命傷らしき大きな怪我は見当たらない。
頭部は薬が塗られているようで、その確認だけで終了。
よかったねぇとジロジロ見ていたら、今度は自分の番だ。と、脱ごうとしたら再びストップ。
歯並びと舌の色。背中だけめくって聴診器みたいのあてて終了。
先生は髭面の紳士で、三つ目がくるくるしてる。微妙にホラー風味。
で、最後に採血。
まぁそうだよねぇ、でっかいシリンジは浣腸サイズ。うわぁと思ったが、しょうが無い。と潔く腕を出す。消毒もされたから、感染症は大丈夫と信じたい。
いやぁ貧血にならんでよかった。
血を抜かれた後に、水分を渡される。
麦茶っぽい何か。
微温いお茶を飲んで一息。ここでも扱いは悪くないように思う。
血の一本や二本、死ぬほどじゃなければいいやって感じ。
それにペット、奴隷の健康診断は必要だよね。
犬とか猫とか飼ったら、予防接種とかするし。
拷問以外は諦めてるからかな。
けど、包帯男はそうじゃなかったらしい。最後の採血になると、急に嫌がりだした。
まぁ嫌だよね。下手したら失神する量だし、使い回しの針だったら最悪である。腕を消毒はしてくれたから、衛生面は信じるしか無い。などと見ていたが、何やら医師がこっちを指差す。
たぶん、嫌がる子供に言うセリフだろう。
こっちのが泣かずにやったんだ、痛くないぞ。それともお前は、そこのやつより意気地ねぇのかよ、ケケケ。
ちなみにケケケは、そんな感じの笑い方を本当にした。
ケケケって笑われた男が腕を突き出す。
脳内インチキ翻訳、正解の模様。
さて、そうして若干貧血気味になるほど血を抜かれた後、今度は更に下層の通路に促された。
薄暗い通路は、足元が石床で砂が撒かれている。
砂が撒かれた通路なんて、まるで闘技場である。闘技場は血や汚物が撒き散らされるから、吸い取って捨てやすいようにしてあるとか。
なに、その無駄知識。
ペットのトイレと同じだね。
地下へと広がる建物だ。清潔に保つためにも、砂や灰や藁を撒いて、汚れたら塵と一緒に運び出すのかもしれない。
と、何とか怖い想像を押しやる。
それに灯りが照らす範囲では、血も臓物も落ちていなかった。
いや、いや、どんなディストピアだよ。
でも否定しても怖いもんは怖いんだよね。
広場で公開処刑が普通にあるんだから、ホラー思考はあたりまえじゃね?
だってこっちの通路、武装した凶相の人としか出会わないし。
親爺も恐ろしげな顔だが、挨拶してすれ違う人種が全てカタギに見えない。巨漢の鬼とか泣きそうだ。
そこに首輪付きで連れ込まれて、能天気ハッピーだったら、薬中かアル中か、改造手術後かでしょ。あれ?まだ、改造されてないよな。
頭の中を超高速スキップで、雑な考えが過ぎていく。
現実感に今更圧倒されているってところ。
自分は何をやって、いや、そもそも、なんでこんな事になってるんだ?
何でこんな冷静に...
誰かが笑っている
鳥の囀りのような言葉
それは人ならざる者の言葉
理解すれば破滅だ
神の御加護を
一瞬、意識が鮮明になる。だが、ズレて外れた。
空白だ。
今、何をしていたのかわからない。
どんどん先を進んでいく親爺と包帯男の背中を見て、思い出す。見失うな。
何だか背筋が寒いし、早く行こうっと。
***
次にたどり着いたのは、運動場のような場所であった。
地下だと言うのに広々とした空間が広がり、囲いに砂の敷かれた石畳。整地された土の地面もあり、隅には武器や道具が並べられている。
武具や道具の置き場所の側には、水場も用意されており、椅子や休憩する小屋も見えた。
運動場、武器や武道、訓練場だろうか?
天井部分が所々大きな水晶があり、そこから白い光りが降る。原理はわからないが、あれが灯りだろう。
太陽も望めない地下だと言うのに、空気は澄んでいた。
そのひんやりとした広場には、数人の、これまた凶悪な顔つきの男たち(獣っぽい人とか、鬼っぽい人とか、バラエティにとんでる。そんなバラエティパックはいらぬ)がいた。
組手などを行い、片隅では武器を扱い動き回っている。
そこへ親爺が入っていくと、皆は頭を下げた。
へい、お頭、今日はどうしたんで?
と、勝手にアテレコ。
それに親爺が、こっちを指さして何事か告げる。傍らの包帯男に倣えば、どうやら呼ばれたようだ。
おぅ、オメェら、今日は生きたカカシを連れてきたぜ。存分に切り刻みな。
って、話じゃなくて、体力測定のようだ。あれ?
何か、普通に就職面接採用後の健康診断の続きっぽい、あれ?
ゴロツキよりも数ランク上の、悪党集団のような外見の男たちに囲まれての、なんとも拍子抜けする丁寧で真面目な対応をされる。
こっちきな、ほら、こっちな。って感じで呼ばれるが、怖くないからなぁって集団でニヤニヤされた。
包帯男が嫌そうに顔をそむけてる。
自分も逃げたいが、何故か、こっちにニヤニヤしながら身振りでコミュニケーションを図ろうと詰め寄ってくる。いや、怖いし。
威嚇しあう動物のように、一定距離を保ってニヤニヤしながら向かい合うとか、怖いんだけど?
その彼らは、言葉の通じる包帯男から先に動かして、お前もやるんだよ、大丈夫かなぁ?って雰囲気で優しくジェスチャー。
そんで手始めはマラソンっぽく走るようだ。
包帯男に続いて、踏み固められた広場の端に沿って走る。記録を計測するらしく、書付を持ち出してきたので、やっぱり体力測定のようだ。
何ができて何ができないかを測っているってことかなぁ。
体力と持久力、自分は足が遅いけど体力はある方だし、持久力もある。
大人になってからは運動不足だけどね。だから、ゆっくり走ることにした。
準備運動がなかったし、ゆっくりと歩くように全身を伸ばしつつ動く。当然、包帯男は歩幅の大きいのであっという間に遠くなる。
そう言えば、服装は漏らした時に全部取り替えた。
元の服は処分。貴重品はなかったし、変わった持ち物なんてハンカチ一枚所持していなかった。
意識を失ってから、牢屋で目覚めるまでの記憶が無い。
だから、身ぐるみ剥がされていたのか、それとも元々何も持っていなかったのかさえわからない。
その中で靴だけは、元のままだった。
安いスニーカーだ。
水洗いされた後、サンダルを支給されたんだけどね。
靴は無事だったから、戻してくれた。
服の方は無事じゃなくてさ。
服、そうだ、なんでか通勤用の服装じゃなくてさ、薄い部屋着みたいだったんだよね。
やっぱり変だよなぁ。まぁ変じゃない事柄を探す方が難しいけど。
靴下のかわりに布を巻いてる。これ、バンテージみたいなのを渡されたんだよね。こっちに靴下ってないのかなぁ?
足回りは確かなので、走るには問題ない。
アキレス腱を伸ばしつつ、歩くように走る。
時々上半身もストレッチ。
牢屋の中でも柔軟体操と筋力トレーニングに励んでいたのは、食っちゃ寝で予想以上に肥えそうだったからだ。
ちなみに、運動センスはマイナスである。
センスってのが無い。
やれば一応できるけど、限りなく、最低ライン。
足は遅いし、水に入れば沈む。泳げるのか?ってレベルの犬かきはできる。川とかなら余裕で流されるなぁ。
それからサッカーとかバスケットなんてもう、目も当てられない。バット、クラブ、ラケット、握っちゃ駄目なレベルだし。
友達は端から、スコア係か見物に誘ってくれる。やっさしぃ。
まぁ得意な分野もあるにはある。
ロッククライミングとか。友達と一緒にやったことがある。けど、得意だけど好きじゃないってあれだ。
パルクールとかスピードクライミングは、ちょっと駄目かな。
じっくり攻めるフリークライミングに誘われて、適正あるよぉって言われたな。ボルダリングとかも。
つまり、地味に一人で景色見ながらジョギングとかなら好きだけど、スポーツは観戦したい派である。
だから、早く走れと追い立てられないのを良いことに、苦しくない程度に走った。
食事から時間が経っていて良かった。喉が乾いてきたなぁ、さっきの麦茶っぽいの、けっこう美味しかったなぁ。とか考えながら、周回数を数えないようにして走った。
数を数えると嫌になりそうだからね。
そうして走り続けていると、先を走っていた包帯男が立ち止まった。どうやら疲れたらしい。
その時、初めて見守っていた男たちから声がかかる。
声の調子と走り出した包帯男の様子から、立ち止まるなって感じの言葉だったようだ。
速度ではなく走り続ける事を求められているのだろうか。
で、言葉がわからないこっちに向けて、男たちが何だかよくわからない身振りをする。
わからないなぁ?って首を傾げて走る。停まると駄目なんでしょ?
すると、片手で飲む仕草をしながら、柄杓を差し出してくる。
飲め?
何故か水をもらった。まぁ普通の水だった。
ありがとうございます。ぺこり。
相手もニコニコしながら、けっこうな速度で並走。怖いんだけど、行為は優しい。でもギャップでは萌えません。
何だろう?この凶悪なお顔と友好な態度が、ものっそい違和感。
それから何周走ったろうか。
自分でもびっくりだが、息も少し苦しい程度で続けられた。
目標は、包帯男が立ち止まるより後にやめる、だ。
そして何周目かがすぎる頃に、包帯男を自分が追い抜いた。
このあたりで、ちょっとおかしい事に気がつく。
なんで走れてんの、自分?
日々の運動量なんてたかが知れている。そんな運動不足の大人が、突然、こんな長距離を軽く走り抜けられる訳がない。
包帯男の不調は、ケガのせいだとしてもだ。
自分の場合はだ、突然の運動で死ぬんじゃないかという不安が湧き上がる。
手首に指をあてて脈を測る。
息は、軽く上がっているが、やはり苦しくない。
もしかしたら、ここの酸素濃度が濃いとか?
でも、外の景色は高地だったし、ここは地下だ。
喉の乾きは、何故か笑顔の男たちから差し出される水で大丈夫だけど。
ランナーズハイ?
そんな不安を持ちながらも、包帯男が動けなくなってから二周して終了となった。
終わりでいいよーって感じで笑顔の男たちに静止をうける。だから、並走されて囲まれると怖いって。
よしよし、水のお代わりいる?はいはいってな感じで、柄杓でもう一杯。これ生水で下痢しなきゃいいなぁ。
今の所、牢屋内での水を飲んでの下痢は無いけど。
水を飲んでいたら、何故か凶相の男たちに頭をゴリゴリ撫でられた。よくできましたーって感じなので、まぁ、子供じゃないがウンウンと頷いて返す。
すると倒れて水を掛けられていた包帯男の方は、何か誂われているらしい、ゲラゲラ笑われている。
何か、採血の時と似たやり取りなんじゃないかな。
たぶん、お前より小さい奴に負けてやんの、ヒィゲラゲラって感じ。
体育会系あるあるね。
元気が戻ったのか、もともと顔見知りだったのか、包帯男が何か言い返して皆笑っていた。
何となく緊張がほぐれて、というか自分の方も警戒が少しさがった所で、体力測定の続きとなった。
飛び上がったり、重い物もったりね。
終わってみれば、本当に体力と運動能力を見ただけの話。
決して武器は渡されないし、触らせもしない。当然だよね。
そして預けた後、姿を消していた親爺が戻ってきて、その記録をチェックしている。
けど、こっちは言葉もわからんし、雰囲気のみのインチキ語訳。
何もわからんなぁ。
まぁ同じく体力測定していた包帯男は、万能な身体能力って感じだった。
跳べば余裕で人の背丈は飛び越せる超人。
避けろって感じで石を投げられれば、後ろに目があるだろって反射で避けた。
で、自分は普通人である。
跳躍力も普通だし、石を投げられれば当たる。
投げた方の男が悲鳴を上げてた。
大丈夫かよ、避けろよぉって感じで頭を確かめに来たっけ。幸い石頭過ぎてタンコブにもならんかった。痛かったけど。
まぁ石っていっても豆粒ぐらいの軽石だ。ケガはしない。
そんな運動音痴が唯一誇れる記録がある。
水樽担ぎだ。
文字通りの水の樽を担ぐ。
包帯男は水樽ひとつでギブアップ。
そして自分の場合は、水樽三個に重しの円柱型の石を乗せても担げた。縄で縛ったらもっといける。自分でもびっくり。
何か拍手まで貰ったので、拍手が同じ意味なら、ウケたのかも知れない。どもども。
いや、いつのまに力持ちになったのかなぁ。
もともと重いものを持ったり、担いだりは得意な方だ。けど、ウェイトリフティングとか、本格的にはやってない。
身長も無いし、手足の長さとか体格的にも、本格的に学ぶには色々たりない。おまけに興味もなかった。
驚いたのは、水樽三個に重しでも、軽く担げたって事。
たぶん、樽の大きさと水の量から、見た目六十キロかなぁ。大人で紐かけても一樽ぎりぎりいけるぐらい?
包帯男の反応から見ても、そんなに外した重さじゃないと思うんだよね。
でも、妙なんだよね。
実は、あんまり重さを感じなかった。やれって言われたら、もっといける気がする。
つまり、とんでもない重量を担げちゃったわけである。幸い、関節が軋む様子はなかったよ。
持てたからと言って喜ばしいことでも本当はないんだよね。
人間が持てる重量ってのは、とんでもない記録があったりする。けれど持てても、筋肉の断裂とか骨折がおきる事もあるわけで、その代償を払ってまで、何かを持つ必要は無い。
ギネスチャレンジする人たちは、訓練した末の話だ。
そして、ごく普通の人でも、実はできないこともない。
単純に、百八十キロ以上を持ち上げられたとしても、それは人間のポテンシャル内ではあるのだ。
担げないし担がないのは、健康上のリスクがあるので、安全装置が働く。痛いとか苦しいとかだ。
つまり、単純に力があがったのか、感じないだけなのか?
ここの重力が違うとか、重さとか体積とか運動力学とかが、まったく違っているのか?のどれか。
実に悩ましいが、体調の変化は無い。
お腹が空いただけだ。
つまり原因不明。
わからないので、棚上げ。
空を飛んだわけじゃないし、別にいいや。
***
それから食事になった。
訓練場の先、一回下に下ってから、別の主要通路らしき大きな通路で二階上がる。
たぶん、ここ蟻の巣のような作りだと思う。
規則性はまだ、わからないけれど地上の街より広大だと思う。
で、たどり着いた場所は、各通路が繋がっている大広間で、厨房があるんで食堂って事。
大食堂だ。
片側が厨房、中央に暖炉、反対側の壁面は酒を提供しているのか貯蔵棚と酒樽。
薄暗くて火の気があって、暖かくていい匂いだ。
通路は四方にあるが、自分たちが入ってきたのが、多分、北。
西側が厨房、東側が酒樽と飲んべぇスペース。
中央に大きな暖炉と言うか囲炉裏みたいな物が置かれて、天井には巨大な排気口かなぁ。
正面南側には水場があって石造りの流れが置かれている。
奇妙なオブジェクトは利用方法が謎だけど、概念的には共通の形状だ。椅子は椅子だし、机は机。
燃えているのが、石炭には見えない謎物質の黒い何かだけど。
その大食堂には、不思議な文字でメニューなのか規則なのかが、壁にベタベタ貼り付けられていたり、黒板らしき何かがあったりと物珍しい物ばかりだ。
厨房では異相の人々が忙しく働き、食べ物にありついている人々がテーブルを埋めている。
時間的には昼を過ぎてだいぶ立つだろうに、中々の混雑である。
ちなみに、ここも三食が基本で、体感的にも朝昼晩とそれほど変化は無いように思う。
さて、大食堂には長テーブルが幾つも置かれている。椅子は背もたれの無い丸椅子。
木のテーブルで足元は灰と青々とした葉っぱに細かな藁だ。
中世スタイルで塵が混じっているのかと見るが、綺麗だ。
魚や肉の骨とか塵を豪快に足元に捨てて、鼠とかゴキブリの温床にするスタイルではなさそうである。
ただ、やっぱり塵や汚れ対策ではあるようだ。時々、何かこぼしたりすると掃き清めて新たに緑を撒いていく。スッとするいい匂いのちょっと乾燥した葉っぱだ。
その中に入っていくと、やっぱり親爺に、皆、頭を下げる。この親爺、偉いようだ。買付担当って言うより、ここの管理職なんだろうか?
厨房に声をかけると器に盛られた粥みたいなのを渡される。
粥に堅パン?それにペースト状の何か。
それを持って親爺に続く。
端の空いている場所に座ると、親爺が声を掛けてきた。隣の包帯男の様子で、食べてよしって感じだろうか?
親爺は特に食事を取ってはいない。
かわりにピッチャーのような器から、木の椀に水を注いで渡してくる。
それを受け取り、一口。
おぉ、何だろう?水じゃない。
水に何か微妙な味がする。
何だろう?
しょっぱ甘い?
うっすーいスポーツドリンク?
よくわからんが、気にせず食事をすることにした。
食器は陶器と漆器のようだ。
木の匙というかヘラっぽいので、お粥を口にする。
雑穀のお粥っぽくて、出汁は魚介を感じたが、具はない。
パンの方も、もっとスカスカした食感で見た目より塩分が強い。けど、牢で食べたのより美味しい感じがする。
そんでその堅パンで謎のペーストをとって食べてみる。
見た目と違って甘いぞ。甘い豆っぽい。うましうまし!
ガツガツ食べていたら、何故か親爺から干し肉を貰った。ちょっと唐辛子風味っぽいけど美味しい。肉だ肉だって齧っていたら、何だか親爺の眉が下がった。
何だろう?っていうか、懐に干し肉入れているとか、いつもツマミ持参のタイプ?
そうしてガツガツしてる自分とは対象的に、となりの包帯男は静かだ。
どうやら、粥とかスカスカパンとかの健康食、まぁ正直に言えばカロリー摂取だけに焦点をしぼった賄いは、お気に召さないようだ。
何かブツブツ言ってるが、様子から文句突ったれていそう。
留置所のご飯も美味しかったけど、ここのは出汁文化がちゃんと浸透していそうなんだぞ。美味しいぞ、わんわん。
と、すっかり奴隷になりきりながら、よく噛んで食べる。
健康第一だし、腹を下したら折角のカロリーがもったいない。
で、隣はいやいや食事を終え、こっちは未練がましく干し肉をカミカミしていると、親爺が何かを話しだした。
もちろん、自分にとっては、意味不明。
それは相手もわかっているらしく、たぶん、前置きで、お前はわからんだろうがって言ったのかも知れない。
親爺は、これまた懐から紙を取り出した。
藁半紙のような紙は、繊維がよれてごわついている。それに小さな木片のような物で何かを書きつける。
棒と丸。
これ人間だ。
親爺は棒人間を書いた。
そして自分を指差す。
それから棒人間を指差す。
あぁそうか。
と、名乗った。
「
下手な言葉を継ぎ足さずにいうと、親爺が「ヌガー?」と繰り返した。だめだ、聞き取れないらしい。
数度お互いに繰り返したが、結局、菓子のような名前が棒人間の正式名称になったようだ。
次に、親爺が器用に新しい絵を描く。
その棒人間は、穴の中に入っていく。
次に背中にはたくさんの袋を背負って出てくる。
おぉ、画伯的解説画だけど、何となくわかった。
つまり、自分は何かを背負って運ぶのが仕事らしい。
なるほどぉ。
理解したので頷く。相手もウンウン頷いた。
どうやら頷くというジェスチャーは同じ肯定の意味であってるようだ。
体力測定の結果、無事、仕事がみつかったらしい。
よかった。と、朝からの流れでやっと気持ちが少し軽くなる。
食事ができたこと。
場の雰囲気。
何よりも相手がコミュニケーションをとろうとしてくれる態度に、ホッとする。
暴力や虐待を受ける可能性だって微レ存だが、それでもここは思うより酷くない。というか首輪つきにしては、結果的に最悪ではない。
画伯的説明図を見ている内に、隣の包帯男と親爺の話は済んでいた。
どうやら職場が違うようで、ここで包帯男は別の人がやってくると連れ出された。その別の人も、スカーフェイスのマフィアっぽい巨漢。サイの角みたいなのが額にあるよ、うわぁ。
けれど包帯男は、恐れる様子もなく気軽に去っていく。まぁ大丈夫なんだろうなぁ、ここの人、顔が怖いの標準ぽいって段々わかってきたし。
そうして手を振ったら、親爺が何故か頭を撫でてきた。
そういう文化なの?
それとも背が低いからか?人としては標準なんだぜ。
***
食事が終わり、セルフで食器を戻す。
なんとなく社員食堂な感じ。
中の人に声をかける親爺、明るい返事が返ってくる。続く自分は、ペコリ。明るい返事が同じくかかる。
ありがとうで、お粗末様でした、かな?
この食堂と同じ階層で、暖かな空気の流れがある通路へと進む。
方向的には、食堂から南だ。
通路は煉瓦のような感じ。
半円を描く天井、灯りは輝く何か、火ではない。
所々に電灯みたいなのが下がっている。
地下だが空気は一定方向へと微かに流れており、淀みが無い。相当高度な換気と通気の構造を持っているようだ。
技術レベルは、文化文明がまったく異なるので比較もできない。でも、快適だと体感できるのだから、高度なんだろう。
地下空間の目にした限りの建材が、石やレンガや漆喰なのにだ。
落ち着きはじめて、やっと気が付いたって感じ。
そして電灯っぽい何かは、水晶だった。ファンタジーなのか、それとも光学系の技術がとんでもないのか。
鎧兜の肉弾戦がまかり通る文明レベルと侮っていると、足元を救われてしまうかもかも。
とは言え、フィジカルな方向で頑張っても、初手で奴隷の首輪だし。
それにここに人間はいるのか?ってところからだ。
親爺の背中には、羽が生えてるし。
すれ違う人たちは、人型だが人らしき部分と違う部分がある。
じゃぁそもそも人間とは何かなんて話に逃げそうになるが、同じDNAをもっている奴はいるのか?って話であってだ。
最後に案内された場所は、寝床だ。
終点だ。
今日も一日ご苦労さま、生き延びたよ。
で、そこも食堂と同じく体育館ぐらいの大部屋だった。
地下だから窓は無いけど、奥の壁には水晶の灯りに、温水の小さな泉。小さな木が三本生えている。
椀と木桶があるところから、洗面台かな?
木は温かみのある光りに照らされて、まるで陽光を日々浴びているかのように、青々としている。ちょっとハッカみたいな香りだ。
それが奥の壁にあり、そこから左右の壁沿いに寝床が並んでいる。仕切りは低い動かせる板が備えられているが、プライバシーは無い。
それはどうもわざとのようだ。
寝たり、寛いでいるのは子供ばかりだ。
安全面から、様子を見れるようになっているのだろう。
親爺はここで別れた。
引き継がれたのは子供部屋の年長の子で、そばかすが可愛らしい少年だ。たぶん、少年だと思う。
外見上は人間だ。
吹き散れたような金髪に、細く切れ長の目。そばかすが散った頬を笑顔にしている。
身振りで寝起きする場所だよ、これ毛布とゴワゴワの煤けた毛織物を渡される。
言葉がわからない幼児と同じあつかいらしく、ジェスチャーで使用方法を説明してくれる。
一番奥の水場の近く、そこの空いている寝床が自分の割当らしい。
木組みの箱に布団を渡されて敷く。毛布、枕は木のヤツだ。わぉ。
箱寝台の下は引き出しで、物入れ。
水場では、洗面と飲水用の木の椀を配給。歯ブラシ代わりの何かモサモサした棒と塩配給。
そしてトイレ。
壺じゃなくて、穴で除くと下水?らしき流れが見えた。スゴイ、匂わないけど、プライバシーなしのトイレだった。穴が三つ並んでる。
そこでドン引きしていたのがわかったらしく、これは幼児用で大人が介添えしてやる用のトイレだった。
大部屋の外、通路を逆行した途中にトイレがあった。
ここは個室が並んでいる。
同じ穴だが、安心した。
どうも衛生面やらなんやら、地下住居では最新の環境のようだ。確かに、地下生活、つまりシェルター生活と同じなのだ。よほど注意しなければ、地下生物でもないかぎり、病気になってしまう。
と、感心したのはそこまでだ。
歯磨きして、トイレ入って、水飲んで。
この間、ずっと大部屋の子供が集り続けていたりする。
新入り珍しい、言葉話せない?赤ちゃんなの?大きのに赤ちゃんなの?
って、感じで全身に集る。
背中に一人、腹に一人、トイレの時だけ振り捨てて入った。覗かれたけど。
で、腕と足にもひっつかれた。
もう、案内の少年が苦笑いだ。
それでも怪力になっちゃったせいなのか、子供ぐらい張り付いてても動けた。
そして子どもたちも、バラエティにとんでいた。
犬型猫型から始まり、爬虫類に人型に近い猿人系に、鬼っぽい子供、それから鳥さんが混ざったような子供。
いずれも発する言葉も鳴き声のように聞こえるし、時々、カミカミされて痛痒い。
噛んだ子は、寝台にポンポン投げる。投げると喜ぶ、そして噛みに来るのループ。見た目以上に子供らが頑丈。
まぁ色々説明してくれるんだけど、言葉がわからないよって言うと向こうもわからないから、最後はお互い勝手に喋って終わる。まぁ寝床の使い方なんて、かわりようもない。勝手に子供らは喋るし、自分はさっさと横になる。
光源節約なので水場の木の側の灯りだけを残して消灯。
まとめ役の子が子供を散らしてくれたけど、けっきょく二三人の子供が潜り込んできた。
腹に犬顔の子、足に爬虫類の子、他は鳥さんみたいな小さな子が、何故か頭部に。
仕方がないので、ちょっと下にずれて枕を外して寝た。
牢屋から出て、首輪を嵌められて、それでこれだ。
感慨にふける暇もない。
お陰で、夢も見ずに眠れた。
初日にしては、よくできたんじゃないかな?
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