第24話 「海辺の休息Ⅱ」

「すみません、遅くなりました~!」

「—— どうして二人は息を切らしているんです?」

「いや」

「何でもありません。気にしないで下さい」

「そうですか、何もなければいいのですが…… 」


 深水はその理由を知っても只「へぇー」と無色の声を漏らすばかり。


「兎も角。昼食にしましょう」

「「いただきます」」


 いつの間にか帰還していたクロも揃って前足を合わせる。

 焼きそば、たこ焼、ポテトフライと定番のエネルギー豊富な軽食が並ぶ。

 結構量があったと思うのだけど、空腹の働きかけもあって十数分で食べ終わってしまっ

た。


「あっという間だったな」

「まあ、あれだけ動いたからね」

 僕等は苦笑いしながら、そちらを一瞥。


「ごちそうさまでした」

「私はまだ食べられる!」

「え、あんた胃袋どうなってるのよ…… 」


 驚き呆れて深水は溜息を吐く。そして廻神はその眼差しを意にも介さず、えっへんと胸を張る。

 相変わらず唯我独尊というかマイペースというか。

 その後も超会の面々は飽きもせず遊び続けて、帰る頃には酉の刻。

 電車に揺られて徐々に自然から人工物へ変わっていく窓の景色を眺めながら、僕達は帰

途についた。もう藤原と深水とは別れて、廻神と円福寺と僕の三人になった。

 人が全然いないという訳でもないのに、僕は何となく寂しい心持がした。

 廻神は当然ぐっすり夢の中なのだけど、珍しく円福寺がすやすやと寝ている。

 その寝顔は美しいというより赤子のように可愛らしく、且つ弱弱しく何かに怯えている

ようにも見えた。


「わぁぁぁ…… 」

 細い欠伸を一つ。視線を感じたからなのか、俄かに円福寺が覚醒する。

 いつもの恭しくて美麗な彼女とは全く異なる、非常に人間味のある安心するような顔。


「あっ…… 」

「おはようございます」


 挨拶をすると彼女の顔から火が出て、懸命に髪を整える。

 手鏡で自身の顔を睨みつけると、ほっと息を吐き出して顔色を戻す。


「失礼しました…… 」

「円福寺さんが疲れるなんて珍しいですね」

「そうですか…… ?」

「ほら、山登りの時なんか天辺まで登って、それでも平気そうでしたから」

「その時は興奮状態で、体の疲れを感じなかったんです。翌日、ヘトヘトでしたよ」


 お淑やかに微笑む彼女。薄らいだといっても、そこはかとなく他人行儀な感じがする。


「あの、二つばかり質問があるのですが、いいですか?」

「どうしたんですか、行き成り?いや、勿論良いですけど…… 」

「えっと、一つ目は質問というよりお願いなんですけど…… 」

「お願い?」

「どうして、私にだけ敬語なんでしょうか…… ?」

「え」


 円福寺には失礼だけど、存外小さな要求で驚いた。言われて初めてそういえばと自覚した。

 どちらかというと敬語を恣意的に使っているというより、自然とそう変換されてしまう

という方が正しい。

 客観的に見て円福寺は成績優秀、運動神経抜群の文武両道に加え、優しく温厚な美人。

 そんな高貴な人物に下賤な民が気安く、馴れ馴れしく話しかけていいものだろうか。

 親しくなった今でもその御簾は何となく見える。


「だって円福寺さんは僕達より遥か上、雲居の存在ですし—— 」


 僕は悲し気な様子の彼女と対面して、口を止めた。

 泣く素振りこそしないものの、その暗い面持ちが殆どを語っていた。


「私はそんなんじゃありません。もっとちっぽけな人間ですよ」


 優しいオーラと鬱陶しい雲を纏って、彼女ははっきりと断言した。

 微かに身体が震えていて、暫し俯く。

 僕は眦を決して、恐る恐る口を開いた。


「本当にそうだよ。いっつも他人を気にして、自ずから行動しようとしないし、意志も弱い。挙句の果てに不幸を振り撒く」

 

 捲し立てた後で胸がずきずきと痛んだ。円福寺は愕然として暫時人形になっていたけれ

ど、遅れてこくこくと首肯した。


「そうですよね—— よし」

 次の瞬間、両つの手で両頬を叩くと、ぱちんと痛々しい音が鳴り響く。それなのに彼女は先程とは打って変わって薄ら笑う。


「ありがとうございます。御陰で気が楽になりました」

「は、はぁ…… 」

 今度は僕が吃驚する番らしい。

 もう一遍思った。彼女は俗人如きが関わっていい存在なのだろうかと。

 先程とは異なる理由で。

 でもその答えは導き出すまでもなく、彼女が示している。


「改めてよろしく、円福寺」

「は、はい!」


 絆をまた一段と深めることが出来た筈なんだけれど、両者ともに物足りなさそうな顔を

している。

 僕の方は僕が敬語を撤廃したのに、円福寺側はあまり変わらないという事に違和感を感

じたから。

 円福寺の方は…… 皆目見当もつかない。


「あ、それでもう一つの質問って?」

「えっと、それは—— 矢張り止めておきます…… 」

「いや、そこまで言って止められると凄く気になるんだけど…… 」

「笑わないで下さいね…… 」

「うん、善処する」

「人前で水着を着たのが初めてで…… 変じゃなかったですか…… ?」

 

 こんなに高スペックなのに極端に自己評価が低いのは、一度絶望の淵を味わっているか

らなのかな。誘導尋問のようにすら感じられる。

ここらで明言しておく必要が有りそう。


「とても綺麗だったよ。そう、まるで…… 人魚姫みたいだった」


 その直後彼女は俯いて立ち上がる。

 駅に着いた音だ。

 降りてから振り返って、窓からその満面の笑みを照り輝かせる。


「今日はとっても楽しかったです。では、さようなら」

 その数秒後彼女の姿は見えなくなり、僕は後悔から悶々としていた。

人魚姫って。もっとお洒落な喩えは無かったのかなぁ。自責の念は納まる様子がない。

 そんな中、廻神が漸く意識を取り戻した。

そして、一口。


「人魚姫って、何の話?」

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