第8話 『理運吸収』

「こんにちは」

「あ、こんにちは……」


 最初にここで待っていた時、彼女は驚きこそしたが、幸い嫌がっている様子ではなかった。

 僕はというとあの一件以来真面に彼女の顔を見ることが出来ない。

 きっとまだ自分の中に蟠りが残っているからだと思う。


「にゃー」

 猫はそんな重苦しい空気を感じ取ったのか、いつもより大きな声で鳴く。

 そんな時、頭上から黒板消しが一直線に落ちてきて見事頭に命中。

「ごほっ、ごほっ!」

 チョークの粉が頭にしっかりと付き、辺りに舞った。


「大丈夫ですか⁉」

 円福寺はおどおどしながら、粉を払い落としてくれようとしたが、汚れるから近寄らないよう警告しておいた。

 結局彼女と別れた後、粉を落とすだけじゃどうしようもならなかったから、ジャージで授業を受けることになった。


 放課後、定例の超能力会議は無かった。廻神も深水も用事があったらしい。

 僕はまたその場所へ向かった。彼女はこちらに気付くと猫を抱き抱え、手を振ってくれた。


「あの、本当に大丈夫でした?その……制服とか」

 彼女は改めて僕の服装を見て、深く頭を下げた。


「すみません……」

「え、なんで円福寺さんが謝るんですか?あれは只の事故ですし、僕の不注意で」

「きっと、私の所為なんです。前から私は周囲を不幸にしてきましたから。だから——」

 

 僕は超能力のことが頭に出てきてしまって、気の所為だとか考え過ぎだとかは口に出来なかった。それを彼女が引き起こしていないと断言することが出来なかったから。

 その後結局大体の方向は同じということで一緒に帰ることになった。

 けれども、僕は別の意味で緊張していた。


一つ、次はどこから禍がやってくるのかという不安。

二つ、彼女にどう話しかけていいか解らないという気まずさ。


「あの……やっぱり、ご迷惑でしたか?」

「いいえ、そういうことではなくて……」

 いけない、暗い面持ちになっていたらしい。轍を踏む訳にはいかない。


「私が近くにいるとまた良くないことが起きてしまうんじゃないでしょうか」

「だから、そう決め付けるのは良くな——」

 そう言いかけた時、頭上で妙な音がした。

 見上げると鉄パイプが落下してきていた。避けられると思った。僕だけなら。

 タイミング悪く円福寺は靴紐が解けてしまったようで、全然気付かない。


「円福寺さん、上!」

「上がどうかしたんです——かっ⁉」

 大声で叫んで気付かせることは出来たけど、彼女は恐怖からか固まったままだ。

 どうしよう……

 こういう時の為の時間停止の筈なのに、一向に知らん振り。

 考えるよりも先に体が動いていた。何とか彼女を突き飛ばそうとした、その刹那。

 願いが聞き届けられたかのように、時が止まった。

 それでも僕の動作だけは続いていて、彼女は変な恰好のままで安全地帯へ逃れた。


「ふう、助かった……」

 この時、僕は油断していた。自分の超能力がいかに不安定で不明瞭かをすっかり忘れていた。

 最悪の展開。そう、僕だけが凶器の落下地点に取り残されたまま、時は動き出した。

 死ぬ。

 そう思ったからか、時間が凄くゆっくり流れているように感じた。

「……!」

 僕は目を丸くした。さっき突き飛ばした彼女がこっちに近付いてくる。死の宣告をされた僕の方に必死で猪突猛進、滑るように一直線に突っ込んでくる。貫かんばかりの勢いだ。

 駄目だ。

 彼女の策が成功しても失敗しても、人が死ぬ。

 そう諦めた心算だったのだけど、不思議と手を伸ばしていた。

 最期くらい潔く死のうと思った側からまだ生き長らえようとしていた。

 その時超能力きせきが起きた。彼女の手が触れた瞬間、鉄パイプは流されて傍の地面に落下した。

 おかしいと感じたけれど、助かったという事実だけで脳内が満たされていた僕はそれを気にも留めなかった。

 呆然と膝から崩れ落ちた僕の前には同じく、地面に磁力で吸い寄せられたように脚を付ける円福寺がいた。彼女は慟哭していた。

 普段の聖なる力に満ちた彼女とはかけ離れた、迷子の少女の如く泣きじゃくる彼女を間近で目撃して、僕の開いた口は塞がる気配がない。

 人生は驚きの連続って誰かが言っていたけれど、僕の最近の日々は正にそれだと思った。


「ひぐっ……ふぐっ……」

 その後彼女が叫ぶのを止めても、涙は閉め切っていない蛇口みたいに流れて垂れる。

 漸く話が可能になって、僕は彼女に泣いている理由を尋ねた。


「何でそんなに泣いて——」

 円福寺は一口発する代わりにどうしてか僕を抱き締めた。

 二回目だからかそんなに焦りはしなかった。ただ、数秒後に羞恥心が込み上げてきた。

 訳は解らないけど、凄く恥ずかしい。

 泣き叫んで十数分が経過して、彼女はやっと面を上げた。

 そして、予想もつかなかった言葉を放つ。


「あなたが、無事で、本当に良かった……です」

 本当に呆れるくらい彼女は優しい。

 優しいからこそ彼女は薄弱で、不幸。

 もういい加減回りくどい言い方は止めよう。

 彼女は超能力を持つにはあまりにも弱い。

 泣いている少女をきちんと慰めもせず、僕は冷え切った眼で目の前のそれを見ていた。

 しかし、途中ではっとしてすぐに掛ける言葉を考える。


「怪我はないですか?」

 首を縦に振る。

「立てますか?」

 そろそろ退散しないと人が集まってきてしまうと焦った僕は、よく考えず彼女の前に手を差し出した。幸い彼女は手を取って立ち上がった。少しまだ足が震えているけど、もう大丈夫そうだ。


「じゃあ、早くここを離れましょう。人が集まってきてしまうかもしれませんから」

「そうですね……」

「にゃ~」

 さっきまで隠れていた猫がひょっこり顔を出し、僕たちを先導する。

 猫は時々こちらを振り返るとにやにやと猫らしくもない薄気味悪い笑みを浮かべた。




 翌日の昼休み、僕と猫は昨日起きた不思議な現象について話し合っていた。

「あれが彼女の超能力によるものだというのはほぼ間違いないが……」

「一体何がどうなっているんでしょう。彼女の超能力は不幸の力ではなかったのでしょうか?」

「少し気になったのだが、超能力を二つ持つことは可能なのか?」

「さあ——」

 そう言い掛けた時、丁度携帯が震えた。毎度の如くタイミングが良すぎるなぁ。


「ちょっと電話が」

 少し猫から距離を取って、近くの柱の陰に立つ。

「やあ、それで?彼女の件は解決したのかい?」

「いえ、まだです。それより博士一つ尋ねたいんですが、超能力は二つ以上——」

「——持てないよ。仮に持ったとしてもすぐ死ぬだろうね。そもそも超能力を持ったが最後、普通の人生なんて送れないんだから」


「っ……!」

 頭から離れかけていた現実を突きつけられて肺が苦しくなり、心臓の鼓動が早くなる。

「——おっと、ごめんごめん。些か脅かし過ぎてしまったようだね。でも、今のは紛れもない事実だ。肝に銘じておいてくれ」

「はい……」

「まあそれはさておき、本題に戻ろう。彼女は周囲に不幸を撒き散らす疫病神のような超能力者だと、君は考えているんだね?」

「言い方は最悪ですが、そんな感じです」

「しかし、同時に彼女の能力によって君は助けられた」

「はい」


「ふむ。先ほども言った通り超能力を二つ持っている人間は存在し得ない。それ即ち彼女の超能力は条件によって効果が分岐しているということだろうね」

「はい?」

「えーっと、つまり時間、気象、場所、対象等の条件が変わると齎す効果も変化するという訳だ。君が彼女に助けられた時、どんな状況だった?」


「うーん、その日は晴れで、時間帯は夕方。工事現場の前を歩いていたら鉄パイプが落ちてきて、僕が円福寺さんを突き飛ばそうとしたら、時が止まって。その後ほっとしていたら急に停止が解けて、また落下してきて、それで彼女が僕の方に走ってきて……」

「——あ、彼女の手を取った瞬間、落下物の軌道が急に変わったんです!」

「成程、これでもう彼女の超能力の内容は九十パーセント予想できた」

「本当ですか⁉」


「ああ。ずばり、彼女の超能力の名は『理運吸収』だ‼」

「いえ、名前はどうでもいいんですけど。具体的にはどういう……」

「僕の渾身の一作なのに……まあ、いいや」

「簡潔に説明すると、彼女のは『運』を司る力のようだね」

「えーっと、省略され過ぎて逆に解りません」

「その名の通り彼女は人の運気を吸収しているんだよ。だから周囲の人間は不幸になる」

「だから彼女は幸運になるという訳だ。尤も幸せかどうかは主観的な判断に委ねられるんだけど」

「あの、今の話で彼女の周囲で立て続けに災難が起きたというのは納得しましたけど、じゃあ何故僕は助かったんですか?幸運になるのは彼女だけの筈ですよね?」

「それについては予想の域を出ないけど……『手を繋いだ瞬間になった』って言っていたよね?」

「はあ……それが何か関係あるんですか?」

「多分、手を繋いだから一個体として認識されたんじゃないかな、多分」

「成程、じゃあ彼女に触れていれば禍は回避出来るんですね」

「そういうこと。でもさ、そんなことが可能だと思う?」


「どういうことです?」

「考えてもみてくれ、四六時中女子高生と手を繋ぐなんて無理だ。恋人同士でも憚られるのに」

「確かに……じゃあ」

「大人しく受け入れることだね。本当に危なくなったら彼女に頼めばいい」

「はい、分かりました」

「じゃあ、引き続きお姫様の保護頑張りたまえ」

「はあ……」


「すみません、お待たせしまし——」

 黒猫の場所に戻るとそこには二つの人影が。

「ふわぁぁ……眠い。ん?」

「何でこんな所にあなたがいるの?」

 どうして二人がここに?

「何故って、この猫にここまで連れられてきたのよ」

 なんと。この猫は一体何を考えているんだ?


「すまんな。時期尚早だっただろうか?」

 あれ、どうして人語で喋っているんだろう。

「そんなの簡単よ。私の超能力、もう忘れたの?」

「流石に動物の心の声が聞こえたことはないんだけどね。この猫からはどうしてか聞こえたから」

「恐らく私の前世が人間だったからかもしれないな」

 あ、それジョークじゃなかったんですか。

「隠しても無駄だって言ったら普通に話し始めて。驚いたわ」

「猫が喋るなんて常識」

「どこの世界の話よ……」

「おっと、そろそろ彼女が来る頃だ」

 校庭方面から影にもならないような存在が接近してくる。


「遅くなってすみません。あの、こちらの二人は……?」

「僕の仲間、です」

「仲間?友達ではなく?」

「えっと、実は——」

 そこから長い説明が始まった。「超能力」と僕が口にすると円福寺は目を点にしたが、周囲の不幸はその所為だと告げると、納得したように「そうなんですか……」と一言呟いた。

「とても摩訶不思議な話ですね……」

「まあ、こんな無茶苦茶な話信じろっていう方が無理ですよね……」

「いえ、そうは言ってませんよ。信じます。あなたは私の恩人ですから」

 恩人かぁ……大したことしたことしてない気がするけど。

 円福寺は再度姿勢を正すと、廻神と深水に向き直った。


「これから宜しくお願いします!」

「ん~こちらこそ」

「よ、よろしく……」

 廻神は夢心地でマイペースに答えるけれど、深水は様子が変だ。

「あの、遅れて来ておいて悪いのですが、今日は用事があって……」

「そうですか。では、また」

「はい。お先に失礼します」

 彼女の後姿が見えなくなると、深水に肩を叩かれた。


「あなた、あの子に何したの?」

「何って?」

 先ず彼女が泣いているのを目撃、いやそれはちゃんと謝ったし……

 猫から彼女のことを任されて、それで災難に巻き込まれて。

 疚しいことは何もない筈なんだけど……

 結論を言うと特に何もしてない。


「じゃあ、どうしてあんなことになってるのよ……」

「あんなことって、どんなこと?」

「言う訳ないでしょ。守秘義務よ」

 じゃあ、最初から気になることを言わないで欲しい。

 円福寺の問題は全て判明したと思ったのになぁ。

「そんな感じじゃ一生解けそうにないわね。つくづくあの子も不幸ね」

「……?」

「じゃあ、私もそろそろ帰るわ。心配しなくても彼女とは仲良く出来そうだから」

「うちにはもっと厄介なのが前々から住み着いてるでしょ」

 多分廻神のことを示しているんだろうなぁ。すぐ行方を眩ますし我儘だから厄介じゃない訳はないんだけど。

 珍しく笑顔で立ち去った深水は僕に大きな謎を投げて帰って行った。

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