第6話 『転校生と黒猫』

 あの後誰もあの事件を覚えていないようだった。

 一人一人尋ねた訳ではないけど、波風が立っていないためそう見做みなした。

 以前と変わらぬ日常がそこにはあった。何も無いが有るみたいな。


「あ~もうすぐ定期テストだよ……勉強したくないなぁ」

「だったらしなけりゃいいだろ?俺はしないぜ。必要ないからな」

「え?そんなに頭が良かったの?」

「いや、逆だ。何をしても無駄だから潔く諦めた」

 

 投げたんだ……

「気楽だなぁ。三年で地獄を見るよ」

「再来年の事は再来年考えればいいだろ」

 脅しに狼狽えるどころか反発している。

「ははは……」

 反応に困り果て、苦い笑いを浮かべる他無かった。


 それから数週間が経ち、結果が発表された。

 何でも上位数名は貼り出されるというのだから驚きだ。


「どうだった?」

「全然駄目。そっちこそ良かったの?」

「僕はまあ、そこそこかな」

 本当に感情が湧かないような微妙な点数だった。

「佐伯は……分かってるからいいや」

「おい!」

 

 佐伯が騒いでいるのを流しながら、僕達はその白い紙を見た。


『一位 円福寺麻妙 

 二位 賢木江麗真 

 三位 深水棗  』


「凄いなぁ……」

「あれ?この名前、転校生じゃない?」

 一位の氏名を指さして尾崎が言う。

「転校生なんていたか?」

「一組だったっけ。テスト前でそれどころじゃなかったからあんまり気にしてなかったけど」

「全然知らなかった」

 

 こんな時期に転校生なんて珍しい。

 人間関係も出来上がっている中馴染むのは大変そうだなとふと思った。


「これから見に行くか?」

「そうだね。僕も気になるし」

 斯くして僕達三人は授業の合間を縫って、その転校生を一目見ることにした。


「ここ、一組だよな?」

「いない……みたいだね」

「まあ別に今絶対に見ると決めた訳でもないし、また今度に——」

 諦めて大人しく自分達の教室に戻ろうとした時だった。


「どうかしましたか?」

 不意に背後から声がして揃って驚く。

 その拍子にシンクロするように滑って転んだ。

「驚いたぜ……」

「ここの床だけ新しくなってた」

「いてて……」

 どうやらここだけ床材が新品だから転んだらしい。

 だからといって三人揃って転ぶなんてそうそうあることじゃない。


「大丈夫ですか?」

 声の主は良い人のオーラを醸し出した清楚で可憐な女子生徒だった。

「はい、大丈夫です!」

 分かり易く尾崎のテンションが上がった。

「すみません、行き成り声を掛けて……」


「いえ、こちらが全面的に悪いので気に病む必要はありません!」

 このまま放っておくと暴走しそうな気がする。

「どのような御用件で?」

「いや、大したことじゃないんだが、少し転校生とやらを見物に」

「転校生って……もしかして——」

「——私の事でしょうか……?」

「「え⁉」」

「申し遅れました。一年一組円福寺麻妙えんぷくじあみです」




 彼女と話して謎多き転校生の姿が雲の間から垣間見えてきた。

 一年一組円福寺麻妙。編入されて直ぐトップに君臨。

 容姿端麗、才色兼備、明眸皓歯。学校内のヒエラルキーでも僅か数日で最上位になったという。

 想像通りの品行方正な生徒だった。


「綺麗だったなぁ~同じ高校生とは思えないよ!」

「ああ、充分分かったからそろそろ落ち着け」

「うーん……」

「どうかしたか?」

「いや、何でも」

 非の打ち所が無さ過ぎて逆に引っ掛かる。

 漠然とした疑念が僕の中で渦巻いている。


 その放課後深水に「例の場所で」とだけ電話で伝えられ、皆がばらけ始めた廊下をすーっと通り過ぎていく。

「遅いわよ」

「ちょっと道が混んでて」

「本当、遅い遅い」

 どういう訳か廻神が先に到着している。

 それと……


「にゃー」

 もう一人、いやもう一匹加わっている。

「この猫、柵の近くにいて危なっかしくて。だから一時保護してるの」

 猫の顎を撫でながら深水が柔らかい表情で経緯いきさつを述べる。

 

 いつも硬い表情なのは僕達の所為なのかと思う程、優しい瞳。その何気ない仕草に彼女が女子高生であることを再確認させられる。

「変な事言ってんじゃないわよ……!」

 頬を赤らめて怒りを露わにする。思考を奪われた所為で超能力者であることも忘れていた。きっとみっともない心の声を漏らしていただろうと思うと、急に羞恥心に襲われる。


「大人しい。でも何故こんな所に?」

「一旦それは置いといて、そろそろ本題に入りたいんだけど」

 正座して脚の上に猫を乗せながら再び真剣な顔つきに戻る。

「例の転校生について」

「誰?初耳」

 君は話を聞いていなかっただけでしょ。


「ああ、円福寺さんか。テストで一位って凄いよね」

「ええ。それも全教科満点」

「は?」

 最早人間ではない。日本一の秀才の力を持ってしても難しそうだ。

 それこそ細心の注意を払わないと成し遂げられない偉業だ。

 信じ難いその事実に思わず愕然とする。


「変だと思うでしょ?」

「まさか——」

「違うわよ」

「可能性が無いとは言い切れない。十分在り得る」

「因みにどういう……」

「カンニング」

 確かに少し疑りたくもなるけど……彼女がそんな人間とは思えない。

「え?あなた、転校生に会ったの?」

「うん、友達と一緒に教室まで見に行ったよ」

「それで……?」

「噂通りの素直で優しい美少女だった、かな……」

 

 というか、深水なら尋ねずとも筒抜けだろうに、なんで態々質問をするのだろう。

「「へー」」

 つまらなそうな顔で長くそう発した。

「そういえば、深水って頭よかったんだね」

「え、何で?」

「だって、学年三位でしょ?」

「あなたねぇ……どんだけ清純なのよ。それとも私が超能力者ってこともう忘れたの?」

 それは、どういう……

「はぁ……もうちょっと頭を柔らかくした方が良いと思うわよ」

「全く、何もわかってない」

 廻神までやれやれと首を振る。


「クラス全員の声を聞いて多数決取ったに決まってるじゃない」

「えぇ……」

 決まってるんだ……

「羨ましい。それなら私も勉強しなくて済む」

 別の方面で超能力が悪影響を齎している気が。

 堕落という甚大な被害。


「まあ、それは置いておいて。私が思ったのは、あの転校生が超能力者じゃないかってこと」

 彼女が超能力者⁉どうしたらそういう結論に至るんだろう。

「まあ、ちょっとした予想から立てた仮説でしかないけどね」

「根拠は?」

「単純に全教科満点なんてものが信じられないからよ。何百時間勉強しても、そんな芸当出来るとは思えない。それに——」

「それに?」


「——あの女の周りで色々と奇妙な事が起きているみたい」

「奇妙とは?」

「どこからともなくボールが飛んできたり、落下物に当たりそうになったり、何もない所で転びそうになったりするらしいわ」

「要するに『不幸』が訪れる?」

「一組の人間は大体そんな感じね」

「偶然、ではない?」

「まあ、一種の仮説でしかないけどね」

 彼女が原因であるという根拠もないのに、無意識に結びつけてしまう。

 まだ、そう決まった訳じゃない。

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