第18話 ヨーコ?

「……くん、流くん」

気づくと俺は研究室のベッドにいた。

「ああ、来未さん」

「気分はどうですか? 平次さんから連絡をもらって迎えに」

「俺は気を失っていたのか」

「はい」

『脈拍、血圧共に正常値です』

ノーアがいつものように報告する。体を起こしてみると、まだ少し目眩がする。

「一体どうしたんです? ショックな出来事でもありましたか」

そうだ、気を失う前に何か大切なことを聞いたきがする。

「唇が艷やかでチョコまみれで……」

「何ですか、それ。気を失うほどのキスをどなたと?」


「ヨーコ……」

そうだ、妖孤と聞いた途端目の前が真っ暗になった。

「私にあんなこと言いながら洋子さんという大事な方が?」

来未は大きなため息をつく。

「ち、ち、違うよ、ヨーコってのはほら、あれだ、妖怪の妖に、狐、だ」

言った途端、来未の顔が強張る。

「皐さんがおっしゃったのね?」

「ああ。君、妖怪なのかい?」

「ハイ」

「はっ、まさか」

「化け狐ですわ」

来未は寂しげに微笑むと背を向けて、金色で先の白い尻尾を出現させた。やや左巻きの立派な尻尾は、ゆらゆらと揺れている。


「なぜアンドロイドを否定しなかった?」

「さあ、忘れました」

『流が、オカルトは嫌いだと言ったのです』

ノーアがモニターに監視カメラの映像を流す。映っている自分が「科学者の息子でね、オカルトは嫌いだ」と話している。

「こんなこと言ったか?」

『都合良く忘れるのが人間なの』

「何?」

『五十川博士の口癖です。彼女は痴呆症でした。それで来未様を説得してラボに招き入れたのです』


「母さんが……来未さん、本当かい?」

「ええ。昔、人間の罠にかかった所を助けられたの。その時から親交が」

「まさか、君はあの時の……」

「覚えていたのですね。毒が体にまわり、変化へんげが解けて瀕死の状態でした」

来未は遺影の前に行き線香をあげた。白檀の香りに刺激されて目頭が熱くなる。


「君はいくつなんだい?」

「さあ、あまりに長く生きてきたので忘れましたわ」

「ずっと人の姿を?」

「はい。様々な職に就きましたが、五十川博士との出逢いは格別でした。私は彼女に心酔し、全てを引き継ぎたいと考えました。博士からの条件はあなたが社会復帰して幸せに暮らす事と、その為のボディガード。許嫁という提案は、博士と貴方の側にいて研究を続けるのに丁度良い名分でした」

「はは、そうとは知らず」

恐らく母の体調管理もしてくれていたのだろう、毎日遺影に手を合わせる彼女には頭が下がる。


「本当に好きになる予定は無かったの。見守るだけのはずでした」

「来未さん、今何て……」

『流は忘れるのが早すぎます。マスターはこうおっしゃいました、本当に好きに』

「ノーア、黙って」

来未が諭すと、ノーアは黙るかわりにパネルの色を派手に点滅させて主張する。研究室が客のいないクラブハウスのような異様な雰囲気に包まれる。


「つまり、君は俺が好き?」

「ハイ」

「付き合うかい?」

「いいえ」

俺は布団を跳ね除け、来未の前に立った。琥珀色の瞳をまっすぐに捉える。

「思い出したの。私には多くの尻尾があったのに、ヒトに恋をして別れるたびに本数が減り、今では1本しかありません。深い傷が治せない程に妖力も弱まってしまった。また恋をしたら、今度は妖力が尽きて死んでしまうかもしれない。そうなれば博士との約束を果たせません。だから」

「だったら、別れなければ」

彼女の肩に手を回す。抱きしめて、誓うだけだ。

『死別は別れです。流の寿命はせいぜいあと50年です』

ノーアがまた横槍を入れる。モニターに寿命の試算表が映し出されている。

『現時点のシュミレーションで50年と47日です。悲運にもウィルスに再感染した場合、寿命は更に短くなります』

気の利かないオートマチックボイスが研究室に響いた。









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