第10話 暗号
「幸運か。今際の際に眠りこけていた親不孝者が?」
目覚めの日時を先送りにしたのは、どうせ生き遅れるなら同級生よりも先の未来を生きてやろうと、そう考えただけだ。だが母が逝って後悔しか残らなかった。
「少なくとも、ママはコールドスリープ装置に人生をかけたんだ。あたいは薪割りしてくるから、そこんとこよく考えな」
皐はカーボン製の斧を肩に担ぎ、モデルのように腰をくねらせながら外へ出ていった。
「良い尻だろ? 虫が入らないように、体にフィットしたパンツを履くんだ。初めて出会った夜もあの服装で、ウッカリついて来ちまったのさ」
「手伝わないのか?」
「足手まといだよ。で、来未ちゃんには告白せずじまいか?」
平次がにやけて尋ねる。
「逃げてきた。人間でないと彼女の口から聞いて、頭が真っ白になった」
「感がハズレたか。いらん気を持たせて悪かったな」
平次は年季の入った小型冷蔵庫から冷えたウィスキーボンボンを取り出すと、ひと粒こちらへ投げた。
「よい機会だ、頭を冷やすさ。今日は別件で助言がほしい」
久し振りのウィスキーボンボンは、甘ったるい味がした。俺は事件の調査中であること、子供達が容疑者である事などを、包み隠さずに話し、スマホに収めた資料を平次に転送した。
彼は無言で画面をスクロールしていたが立ち上がり、小屋の外で濾過水をペットボトルに汲んできて一気に飲み干した。
「直接の死因は持病の心臓発作か。で、引出しの薬が無かったと」
「ああ。手の切り傷が原因で発作が出た可能性が高いが、この部屋で校長が昼寝をする時はいつも内側から鍵がかけられていた。それで能力のある生徒が疑われている」
「子供達のアリバイは?」
「当日は校長の誕生日で、大人はパーティの準備に追われていた。生徒は自習にしていたが、外に遊びに出ていた子もいた」
「ストレスを抱えているとしたら、この呉竹紋太って子じゃないか? 緑一色ってのは不安の現れだとどこかで読んだことがある」
彼の絵日記は異質であった。緑一辺倒で乱暴にはみ出し、曲線が殆どなく角ばっている。
「ああ。次のファイルに、子供達が描いた校長の似顔絵がある」
「はは、紋太くんの絵は緑だからすぐ分かるな」
「なぜか彼の似顔絵にだけ絵手紙が添えられていた。次だ」
便箋には細長い緑の虫と、信楽焼の置物のような狸が描かれていて、右下に片仮名で氏名が書いてある。
「青虫と狸?」
「たぶん毛虫だ。それによく見ると、クレタケじゃなくて、ケレタケと書いてある。」
「字が汚いだけだろ?」
「これ、暗号じゃないかな」
狸暗号はタを抜き、毛虫暗号はケを無視する。子供でも知っている文字遊びである。
「ケレタケモンタからケとタを抜くのか? えっと、レ、モ……ン?」
平次は混乱しているのかスマートフォンを90度回転させ、自分も首を捻った。
「ふざけて書いたのか、校長以外の誰かが読むと知っての事か……」
「レモンの意味は?」
「わからん。昨晩かかって調べたが、この学園はまぁマトモじゃない。表向きは自然学校だが、超能力のある子供を集めて英才教育を施している。自力党の息がかかっていて、諜報員を育成しているという眉唾ものの噂もある」
「スパイを育てあげようってのか?」
「資料によると紋太くんの母親は、2年前に駅のホームから転落して亡くなっている。美容院を予約していたことから他殺面での捜査が行われたが、すぐに事故として打ち切られている」
「父親は?」
「いない。直後に紋太は転入している。仮説だが、学園との間に何らかのトラブルがあって、母親が消されたのだとしたら?」
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