第2話 失墜
「空き巣です。胸を刃物で一突きでした」
そう言って来未がカプセルの側面に手をかざすと、ベッドがリクライニングする。真っ白な部屋の北壁に少し痩せた母の遺影が見える。香炉の蓋は閉じられているが、仄かに線香の薫りが漂っている。
「冗談、ここのセキュリティは万全だ。ノーア、そうだな?」
空き巣どころか、猫一匹でさえ侵入不可能なはずである。
『私はシノ、愛称が変わりました』
「ノーア?」
『私はシノです』
「……お前の現在の
『
人工知能の言葉に白衣の女性を見る。女は潤んだ瞳を細めて頷く。
「……あんた何者だ?」
監禁の可能性が脳をよぎる。過去には母親の研究を利用する為に近づいてきた輩もあった。
「ノーアには脆弱な部分がありましたので、私がOSの修正を」
「あんたが?」
息子の俺にすら把握しきれなかったこのシステムを、二十歳やそこらの娘が理解できるとは到底思えない。この女の脳が人工知能だと言うなら話は別だが。
「信じられないのは当然です。シノ、博士からのメッセージを」
『承知いたしました』
液晶モニターに五十川博士の顔が映る。自分の知らない、白髪に紫のメッシュを入れた母が手を振っている。
『流、起きたのね。これを見ているとういうことは、私は死んじゃったみたいね。災害か事故か、うっかり毒キノコを食べたのかしら?』
懐かしい声が、カプセルの内部スピーカーから聴こえる。
「ちょうど2年前の4月です」
来未は静かに涙を流す。
「何だ……?」
『寂しい思いをさせてごめんなさい。でも大丈夫、気立ての良いお嬢さんに出会ったの。美人だから、お願いして許嫁になってもらったのよ』
その声は明るく、強要されて言っているようには聞こえない。
『来未さんは博識で、スリープ装置を託すのに最適な人よ。彼女に全てを引き継ぐから、仲良くしてね』
「おいおい」
『あぁ、惜しむらくは孫の顔が見られなかったことねぇ』
「ノーア!」
俺はありったけの声で制御塔を呼んだ。きっとこれは罠だ、信じてはいけない。
『シノです。血圧、心拍数上昇中、深く呼吸をしてください』
「モニターを消せ。今の話は嘘だな?」
『事実です。五十川志乃博士は他界しました』
「嘘だ!」
考えろ。母を監禁しているとして、俺を生かす理由は何だ? 人質として利用するためか、被験者としてデータを取る為か……。
「シノ、続けて」
『再開します』
来未の指示で、再び母親の声が聞こえてくる。『デートに誘って愛を育むのよ』という冗談のあと、『流、愛していたわ』と締めくくり、動画が停止する。
『もう一度再生しますか?』
気の利かないオートマチックボイスが室内に響く。
「うるさい、一人にしてくれ」
涙が溢れた。遺影の母は幸せそうに微笑んでいた。
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