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「大丈夫ですか!?すぐに担当を呼んできますから!」


 彼は何かを察し、昼前に語ったかかりつけを呼び出しにコールセンターに走った。一応のボンベと体位で最低限だけは確保してあったからの行動。わかってはもらえたようで一安心ではあったが、同時に人が消えておそろしくもあった。


 待ってくれ、置いていくな。


 そうしたかったが、だめらしい。しばらくの間忙しい足音だけが残って、少し空虚になる。目を閉じ逃れるために眠ってみたいとも思ったが、、そうはうまくはならない。代わりに現れた人影くらいが、コレマッタを和らげるものであった。


「ああ、アースチンじゃねえか。こりゃまた痛そうに」


 隣人の彼だった。


「ああ、アースチンじゃねえか。そこに薬落ちてるぞ?」


 彼は空瓶を拾い上げ、しげしげと眺めたのちに彼に手渡す。そして中身でも幻視しているらしく、


「ああ、アースチンじゃねえか。飲みたいのか」


 と口に押し当ててコクコクと笑い、そして最後に


「ああ、アースチンじゃねえか。痛みはどうだ?」


 といいことをしてやったり顔になるのだ。


「ああ、アースチンじゃねえか。なんか来たがどうしたんだ?」


 そのまま彼は居座って、ボンベのバルブを開け閉じして楽しんだり、背中をさすってみたりと遊ぶ。正直邪魔でしかなかったが、昼寝に気づかず腹を蹴りぬくような愚か者でなかっただけにマシに思えた。



 数分で誰か来るとみていたので、彼は少し和らいだ痛みを肴に、つかの間のひと時を飲み下す。



 奇妙なことに、あの男が来ると同時につらさはなくなり、ただ『まあ、そうだろうな』という程度のことでしかなくなってしまっていた。


 夢に干渉できる機械でもって覗き見られたような不思議な感覚がニューロンに広がる。ぐりぐりしたものからなでなでしたらしい気分で、まだ愛らしさのように見えて少し受け入れ、彼は気を失った。



 ————



 さて、私はまるで眠るようにという表現を使ったことについて謝らねばならない。なぜならば『まるで』ではなく実際に眠ってしまっていたからだ。


「おはようございます、コレマッタさん。気分はいかがですか?」


 既に見知った天井がそこにあって、左手には見慣れたくない針がチューブとともに突き刺さっていた。それを辿ると黄色い液体があり、隣に胸から延びる電極コードが置かれている。


 シナスタジアにも似た色彩感覚が壁のポスターから浮かび、音には空気のように吸い込んだ感覚まである。虹色がにじんでいるのは、そう、たしか————。


「…………最悪、ですね」


 アースチンはそれが麻酔の残り香だと理解して、久方ぶりの開腹の跡を知った。センチメンタルとセンチピードが同時に意識に張り付いて、何を見たのだと知己に問う。


「今はどうなっているんです?」


 すると彼女は、いつぶりだったかとして小さなサンプルとタグレースを取り出し、空中投影タイプのそれは彼の体にどんなものがあったかを見せ、効果がなかったこと、物理摘出は不可能だったと告げるのだった。


「痛みで気絶し、半日。その間に1度の開腹で、取り除けないと全員が納得しました」


「……どういうことです?」


「…………つまり、肝臓から化け物が飛び出るということです」


 彼女はどうにか切り取ることのできた部分を示し、アクリルに封じたそれを持たせる。なかにあったのは昆虫にも似たクチクラ表面の軟質と硬質を併せ持つもので、切り裂けるようなナイフ状の脚が無数に並んでいる。


「これは?」


 冗談じゃないくらい、恐ろしい代物だった。



 人間の体から何をどう間違えばエイリアンが飛び出してくるというのだ。

 セントラルドグマだのが失敗して生まれるガンでも、あくまで止まらないのは増殖だけだ。それが意志持って動き出すなど、どんなカエルのスティグマというのか?



 けれど否定しようのない事実で、少し前から腹の中に硬さがあることは理解していた。だから受け入れかけている自分自身が嫌いだった。


「先も見せた通り、貴方の体の中にあった生物…………ですね」



 逃げようのない事実だからと言って、受け流してはいけない。そうわかっているけれども虚偽を信じているのが、2+2を5とする誰かの理屈なのだ。


 どこぞの書物には現実逃避とあるだろう。反動形成のようななにがしとされるだろう。けれどこうでもしなければなんとかならんのだ。



「ブラックジャック……みたいだ」


 アースチンは悪化の方向を見てそうつぶやいた。


「…………違うでしょうが、カードの方ですか?」


 まるで教科書のように、幾分辛く彼女はつぶやく。いいやと横に振ると、やっぱりなと続けた。



「あれは…………旧世紀の、夢物語ですよ」



 ハッピーエンドにバッドエンド。ただ一人を描いた物語だ。植物が人間を乗っ取り、機械は鬱を書き換える。望みを持った虚構。


 月世界旅行めいた本当に本当の、理屈を持った一つのジョークだ。



「けれどあながち、冗談とも笑えません」



 だから彼女は聞こえないようにささやく。あくまで正しさを持って動かなければならない立場上、虚構には厳しくあらねばと自分を律したいと望んでいたからだった。


「そうでなければ、入院費なんて出されないでしょうからねぇ」


 アースチンはどうでもいいと、少し体をくねらせる。痛みにほんの少し耐え、それなりに置きっぱなしの体の圧を逃したのだ――――ちょっと干渉し、点滴で刺すような痛みが走った。


「まあ、安静に。それさえ守れば特に自由ですから」


 医師は輸液を確認し、最後にそう吐いて部屋を去る。


 遠くから、『ここの住人はオペ後ですので立ち入り禁止です』と誰かに告げる声に、ガードマンの動きが伝わってきた。



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