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 翌朝、アースチンは久方ぶりのシナプス痛に苦しめられて目を覚ますことになった。


 こんなに早く憎々しいのが襲い掛かってくるとは想定外だったが、そうなってしまったものはもうどうしようもなかった。


 どんどんと壁を叩くような鈍さが頭の中に広がり、少し運動でもすれば地獄のような圧迫感が連鎖する。心臓の鼓動に連動してつらさだけが続いて、いつまでもいつまでも終わらないように拡大発展してくれやがる。これが来ると、一週間ほどで症状が出る。遅ければ9日、早ければ2日。


 短いときは相対的に重い症状で、遅いときは軽くて済む。けれど全体の苦痛では等しくて、どっちにしろ憂鬱だった————アースチンはついに来たと担当に告げ、いつもの痛み止めをもらってベッドに倒れこんだ。

 この痛みがあるうちは、外で動く気がしない。



 どころかどこかに行けるわけがない————この一日、彼は外にほとんど出ることなく過ごすことに決める。こうなって何もできないから、サナトリウムの世話になっているのだ、出来るならするしかあるまい。


 外でこの苦しみを味わえば、ごまかせるわけがないのだ。


 誰かに助けを求めるのは悪いことではないとわかるが、どこか小さなプライドのせいでそれもできない性分。だからと言ってどうなるわけでもないから、耐え切れなくなった彼は数度ナースコール。


 飛んできた看護師がカンフルとして鎮痛剤を注射してくれて、いくらかの間は収まる。けれどまだ効き目が続くはずなのに痛みが戻ってきて、まるでドクササコでもかじったかのようだと彼は思った。




 時折部屋の掃除に食事だので開く扉から聞こえる外の音が、ハンマーのように脳を叩いた。まな板でニンジンを切る音が遠くからの銃声に聞こえる如くに、軽いような扉の開閉音。痛み止めで軽くはなったのだけれど、それが吐きたくなるようなものなのは変わらなかった。


 音を抑えてくれと通達してあるらしく、全員が全員努力は見えた。けれどそれでどうにかなるわけでもない。肉体の強さが今は恨めしい————アースチンはベッドの上でもがきながら、頭に手を当て顔をゆがめる。



 枕に顔をうずめて片目だけを開け、声帯をポコポコ鳴らしてあああああとつぶやきながら、いくらかありがたいと小さくニューロンにつぶやくだけができた。




 幾分軽くなった間に彼は、気晴らしにいくらかを飲んで食べてして吐き出す。

 夜には楽になって、痛みが消えるタイミングを見て彼は眠りにつく。


 次の日もほとんど同じ生活で、ただ一つだけ、自分で使える痛み止めを置かれたことくらいが違いだった。


 これが生きることというのか?と繰り返すけれど、どうしようもない。



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 4日ほどしたときに、隣人が何をどうしてかアースチンの部屋に飛び込んできた。彼は何か不都合があったからかくまってほしいというのだが、病院で誰をかくまうというのだとアースチンは答える。


 もちろん自分をかくまえとのこと。外の国から来た王族なのだと夢見がちに男は自らを『バルミューダ・エンペドクレス・ハスニレ・真田』と名乗った。本来は貴様と語るのもおこがましいほどに身分が違うのだぞと偉そうにしているので、アースチンは馬鹿じゃねぇのと布団に寝ころび見ないことに決める。



 誇大妄想か。何も感じないでいられるというのは、うらやましい。



 それを消極的肯定と受け取ったバルミューダは、どこで寝ようかと布団をはぎ取って彼に語り掛けてくる。何がどうとかをわめいているのが腹立たしい。


「冗談だろう……床で寝ててくれ」


 いらだち半分で彼は吐き捨て、強く布団を抱いて壁に転がる。半分落とされていた明かりの中で、バルミューダは他に何かないかと探し、ガンゴロガンゴロと部屋を踏み鳴らす。うざったくてうざったくて、痛み止めのアンプルをかじって彼は起き出した。



「ナース?隣人がこっちの部屋で寝るって聞かなくてね…………どうにかしてほしい」



 ベッドわきに常備されているタッグを取り、彼はトイレにこもる。聞かれないように抑えめの声だったことで理解され、一応だよと誰かを引き寄せることにしたらしい。


「王の為には幾分硬いが……まあ、よいだろう」


 部屋の方ではベッドを盗まれているらしい。せめてマットレスか布団だけは返せとしてみたが、バルなにがしは全く答えなかった。

 戻ってアースチンは言葉をぶつける。


「だから人の部屋を勝手に…………」


 そしてはぎ取ろうとすると、バーソロミューだか何だかは飛び起きるのである。


「私の物だぞ!王に逆らうとでもいうのか!」


 彼は怒りなのか冗談なのかわからないように一瞬叫び、それからすぐぷつりと紐が切れたように睡眠に戻った。いったいこれがどういうことかわからず、彼は看護師が来るまでキッチンのココアを淹れ、ため息を吐きながら埋め込みのタグレースをつけた。


 深夜番組で、もうアニメしか残っていなかった。


 あまり気は向かなかったが、これしかないのだから仕方ない。心惹かれるものを番組表で探しだし、彼は足音が扉を破るまで、ハイとはほど遠いテンションを維持していた。


 俺が何を、したというんだ。



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