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 サナトリウムは病院に連結されているから、先ずは受付に話を通すことになっていた。

 この病院はかつて、精神病患者の開放治療にも用いられた場所だった————あるがままを受け入れ放つことができるように、中で出来るだけ人を収めるようにできている。なのでまだ緩いとはいえ、外からでも呼び出しがなければ人は出ないのだ。


 アースチンはカウンターに立ち、古風なベルをチリンと鳴らす。時代の流れに取り残されたような、古い古い誰かの遺物。静かにオークの机で待つと、短髪の女性医師が出てきて、ああ、あなたかとカルテをと伝える。


「そろそろ、でしたね」


「ええ……しばらく迷惑をかけます」


 彼女は淡々として書類を書き込み、アースチンの部屋は335だと伝えて部屋に戻った。何度も来ているからわかるでしょう?という風体だが、実際間違いではないので問題なかった。前彼が過ごすこととなった部屋と偶然にも同じだったので、小さく時計を見てからコレマッタは階段を上るのだ。


「ああ、コレマッタさんですか」


 別の看護師が久しぶりの出会いに、あいさつした。アースチンは会釈し、見慣れた階段を超えてしばらくの自室を開ける。静脈認証の扉は手を振れるだけで軽く開き、小説棚のように整えられたベッドと机、小さな棚と引き出しの並べられた部屋が見えた。


 これからしばらくはこの部屋で生活することになる。食事が勝手に出てきて、着る物に困らない以外は今までとは変わりない。どころかむしろ楽しいくらいだ————ある種自分勝手で堕落できるようだが、その実は治療やオペに向けた調整のためのストレスフリー環境。


 彼はカバンを床に投げ、服を適当にハンガーに投げて身を転がした。ぼふと柔らかいマットレスが、空気を重そうに吐き出した。


 俺はアースチン。誰だ?コレマッタとは。



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 サナトリウムに来てから半月が経過して、久方ぶりの生活に体が慣れてきた。


 彼の例が特殊なだけなのだけれど、病院暮らしというものは楽なもので、一定の時間に自室にさえいれば、あとは割と好き勝手をできた。買い食いだったりはできないように病院外に出ることはできなかったけれど、代わりに栄養の許容バランス以内で構築されたドリンクだったりスナックだったりを提供された。


 その上外部ネットワークともつながっているから動画だのを見て馬鹿笑いもできたし、運動が欲しければアイソレーション・ポッドでVR世界に入ることも可能だった。

 おおよそ通常の病院とはかけ離れたような良い設備だったが、裏を返せば終末医療めいた状態だから許可されているようなもの。



 まっとうな社会復帰は望めないからと置かれているらしかった。



 それがわかったのはかなり前で、何度目かの入院の時。発作が終わって経過観察をしていたころだった。かなりの傷を負う羽目になったから仕方なく寝ていたのだが、その隣に部屋では患者が亡くなり、その隣の隣でも泣きはらす家族らしき人間がよくあった。


 防音処理がなされているからほとんど聞こえなかったが、扉が開いているときだけに入り込んでくる情報だけでそれは理解できる。だからまあ、状況は状況だと考える様にしてアースチンは、いつも小さな自由を遊んでいるのだった。



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 今日はだれか知らないが、新しい人間が来るらしい。サナトリウムに新たな住人が来るときは、必ず理解のある隣室の人間に話が来る。理解を得てもらうためというらしいが、実際のところ迷惑かけるということの宣言。

 医師曰く、彼は狂暴であるらしい。



 狂暴か、どんなものだ。コレマッタはある種楽しみにして息を吐いた。

 俺以上に狂暴なやつがいるのか、このアンダーシティに。




 午後2時ほどに彼はやってきた。付き添いするつもりがないのか、それとも耐え切れなかったのか。鋼鉄製のロボットの力によって引き込まれ、彼は蹴り飛ばされるようにして部屋に押し込まれた。

 アースチンは翌日にでも挨拶をしようと一度目を背けたが、彼はそんなこと知らんとばかりに通常と檻にやってくる。


「私は…………誰だろうな」


 そしてガシャンと檻を叩きながら叫ぶ。ボロボロの姿、何人かの返り血。


「…………はい?」


 どうしてもわけがわからず、アースチンは素っ頓狂に吐いた。


 バスローブに近いような簡素な白服した彼は、どう見ても20か30。そうでないにしても50には至らない————なのに声質が、明らかに若さのない、古ぼけたというよりかは擦れ切った声だった。肌質は明らかに年寄りなのに、筋肉の迸りはレスラー顔負けだ。


 だからアースチンは、少し不思議に一つだけを感じ、小さく続ける。


「ああ、はい。よろしくお願いします」


 しかし彼はそれを何も聞いていないようだ。

 少しの間とどまってつぶやき、部屋に戻って箱を一つ持ってきた。いわゆる手箱で、中になんぞを収めてあるらしい————がさがさと紙クッションがあるように聞こえ、ぶっきらぼうに差し出されたのを受け取り、小さく微笑んで見せて分かれた。



 いきなり開けるのも少しだけはばかられるがとどこかに置きながら、彼はそれを開いてみる。中にあったのはご丁寧にラッピングされた小箱で、500円のプラキット一つほどの大きさだった。



 何か奇妙なことを見てとったが、まあ冗談だろうと彼はそれを開いてみる。当然そこにあったのはまた一つ小さなボックスで、いくら開けても空き箱ばかり。いい加減にと小指ほどの物を開けると、そこに残っていたのはキャラメルだった。



 たったこれだけ?と思って空き箱の中をくまなく見てみたけれど、どう探してみても中身はそれ一つだった。大量に並ぶ箱は、縦に積めば天井にまで届くほどだ。

 たかがあれだけの為に、これだけの過剰包装だなんて、非常識な。


 腹立たしくなりかけたが、むしろそうでなければここになんて来ないかと考え直して、彼は二人を殴った。



 はたから見れば自分だって非常識————奇病に苦しめられながらも、通常を失わぬ変人だとみられていることを思い出し、わずかに息を吐いてそれを口にした。


 味はそれなりで、駄菓子といったもの。

 ベッドの上で幾分甘いカラメル味が広がって、彼はそのまま眠りについた。


 眠れるうちに眠らなければ、またあれが襲ってくる。



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