遅すぎた埋葬

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 早すぎた埋葬、と聞いたことのある人間は多いだろう。


 生きたまま埋葬されたり、仮死状態で埋められたのちに蘇ったり、はたまたは忘れられた子供がある日に見つかったり、老婆が病死したのが棺桶で蘇ったり————けれどそのほとんどは、埋葬が間違いでなくなる物語だ。


 ある小説では、体が仮死状態のまま硬直して動けなくなる人間の話があった。その話での主人公は、自分では完璧に現状を理解し思考しているのにもかかわらず、それを伝えることはかなわない。だから友人にそうなるのだと伝えたにもかかわらず、偶然から彼は埋葬の恐怖を味わう。


 そして恐怖とともに病から抜け出すという物語だ。



 彼が味わったのは、まず暗黒の中で誰もいない心細さだった。そうして状況に気づくとそれは仕方ないという諦観に代わり、そして最後には、いつもの居場所ではないという絶望感になった。


 そのうち酸素がなくなって死ぬことはわかるのだが、それがいつかもわからずに押し込められる暗黒。永遠のように長い時間の中で、そのうち眠るように自分の死が確定していくことを感じるしかできないその閉塞、そしてぷつんと切れる思考の糸で、加速する末尾の走馬灯。


 結局彼は埋められてなどいないという救いによって生き返るのではあるが、あくまでそれは、最後を今見ることへの恐れを除いただけ。どれも最後には体感したくないものだから、埋められる恐怖は恐ろしいと、ほとんどすべての物語は語るのは変わらない。



 土の下に埋められる。



 即身仏とも死体とも同様の手順であるのだけれど、求めるものは正反対で、だから準備などない人種だから耐えられない。風が予告して吹かないように、突発的な詩が浮かんでくるように、一瞬の死は誰もが恐れる。




 アンダーシティという超巨大建造物の壁を、二足歩行のウィーヴスがガヨンと動くようになったとしても、天空に宇宙の国を作り地球の円周を拡大することに成功したとしても、今だ不完全である医術は我々の不可思議さを抑え込めない。


 ミュータントという現代科学でも理解できない異常な存在があるのだから、一人が死んで生き返るなどもちろんだ。


 それが起こるのはずさんな管理が大半にはなるようになっているのだけれど、それでも時たま純然たる奇跡があって、完全に死んだように見えて死んでいなかったり、死んだにもかかわらず黄泉の淵から身を引きずり起こしたりが起きる————例えばそれは、二年前の事例になる。


 それはヴィクトリア・ラフルルという娘がヒロインとなった復活劇だ。彼女は大変美しく、多くの人間が彼女を求め求婚した。この時代でも珍しいほどに求められた彼女だったが、最終的にヴィクトリアは心を射止めた男、ユリウス・ヴォーシューに虐待されて暴力で死んだ。


 美しさでしていたモデル業を憎んでの仕業だったらしいが、実際はもっとひどかったらしい。青あざだらけの体を死化粧で隠され、最後の面会をすべく葬列になり、彼女を愛した男のうちの一人、ルナーが彼女に口づけをしようとしたところで事は起きた。


 幼いころから近くにあり、恋慕の情を隠しながら対等に接し続けてきた誠実なるその男は、身を引いていくらかの思い出とともに余生をと思っていたのだが、彼女が死んだとの知らせに急いで飛んできて、最後に口づけをと眠る彼女の手を取ったのだ————そして優しく接吻すると、彼にはいくらか肌に赤みが戻ったように思える。


 これはと思っていくらか強く握ると、脈が戻っていたというのだ。そして彼はすぐにヴィクトリアを病院に送り込んで、云々したのちに結婚したという。


 愛が死から命を呼び戻した。そんな話としてこれは受け入れられている。


 ほかにはこういう話もある。エド・ホッチキスがインフルエンザで外見上死んだときの話だ————彼は瞳孔が開き反射が消失し、病院の中で霊安室に置かれることとなった。


 そんな彼はこののちに、大学病院であったために解剖に回されることになっていた。なので身体を運ばれるはずだったのだが、そのまえに彼は、バカモノとしか言いようのない学生らによって、カウンターショックでビクビクする肉が面白いからという理由だけで遊ばれることになったのだ。


 子細は省くが、中身が露わになったのか、薬漬けで変な色になったのかをしたのちに、最終的に彼は胸部の筋肉の一部に電池をかけられることとなる。そうすると痙攣的な動作で彼は立ち上がり、自らの内臓の調子を見て驚き、もろもろが切断されていたので全てをバラまき死んだ。すべての人々はその行いに恐怖し、マヒしたらしい。


 救護作業は行われずに、エーテルを吸ったかのように放置され、結局一切の事実を隠蔽しようとして失敗したため、半年ほどたってからスクープされた。


 その映像の中では、ホッチキス氏がどのように窮境に立たされ辛苦を受け、最後の命を無為にこぼすことになったのかが示されていた。

 すでに末期色になった崩れそうな皮膚に、躍り出る青黒い内臓。そして爆裂したかのように広まった血液の凄惨さ。


 うわぁ、うがぁと声にならない声を出している部分のみがニュース映像にされたのだが、それ以外がある『完全版』が法廷で証拠として扱われたことでそれは、二度目の大事件となった。


 なんせ彼は、まともな言葉を話して起き上がった後、まるで墓場から起き上がったゾンビを相手にするかのように、消防隊用の斧で脳をかち割られたのだ、人権屋が黙らなかった。


 ずっと、「私は生きている。何をしていたのだ?」というような普通の問から、状況がおかしくなるにつれて「これはどういうことだ」だの、「お前を俺と同じように、臓物引きずり出して革を剥がしてなめしてやる」だのと、恐るべき文言を連ねていたらしい彼ではあったが、それでもそうなるに至るだけの憎しみと怒りがわかったから、当然なのだろうか。


 この話はほとんど伝聞ではあるが、そうであるならばきっと、死ぬ寸前までずっと意識を持ちあわせていたのではないかと、私は思う。そしてそうでなく、ただの肉体の反射であることを同時に望む。


 なぜならば実際に、そんな例もあったからだ。リプチヒの医学書の中で、そんな幸福の物語があった。


 地上の翻訳者が適当に訳した初版から存在しているもので、現実にもその人間がいる。彼はとても小さな小説家で、馬に乗ることが趣味だった。彼はネタが浮かばないときは馬に揺られ、出来上がった意識の中身を書き付けることでファンを得て生活をしていたという————そしてそれは、彼が平穏にしているある日に起きた。



 彼は特に差し迫った危険もない平坦な道の上で、偶然にバランスを崩し落馬したのだ。人事不省に陥り、すぐに脳外科にかかることになる。しかし新人だったがゆえに処置はかなり手遅れに近いものであり、結局彼は死んだと診断された。


 そうして特に何の支障もなく土の下に送られてから二日後、彼は自力で土を掘りぬいて脱出したのだという。


 適当にうずめられたから酸素も入り、棺桶も乱雑だったから体に合っておらず浮いていた。そのためある程度身体を動かすこともでき、そして蓋は内開きできたものだったので土に触れられたからというのがその理由だった。


 薄くだけかぶせられた土だったのも幸いし、そこまで時間をかけずに彼は脱出することができた。そしてその足で墓守に語り、自分は生きているのだと力説する。ここにいるのだから当たり前だろうと耳を傾けない彼に、私は墓地から飛び出してきたのだと語って見せて、そうして彼は、やっとまともな病院に送られたのだ。


 そののちに彼はこう語ったらしい。


『案外土の中というものは悪くない。ただ一つ、自分が棺桶の中でいつ埋もれるかわからんことを除けば』


 おそらく彼にとって、蘇ったことはそこまでの問題ではなかったらしい。けれど治療の遅れから脳に爆弾を抱えることとなったと締めくくられていることから、それが良いことであったわけでもないようだ————そして彼は十年後、二度目の埋葬の羽目になった。


 死の直前に語ったところによると、彼は後から恐ろしくなってきたらしい。意識がもうろうとし始めたところになって、彼は思考を変えて世界を望む。結局土の下に行くのであれば、一度で済ませてほしかったという風にして、嫌々に彼は世を去った。


 これらが何を語るのかは一つだ。そしてこの物語がどう続くかも一つだ。



 さて、これから語ろう。長々と語り切った早すぎた埋葬を。その逆である、この遅すぎた埋葬という一つの結論を。



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