6
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アリアは新たな目的地の廃ビルにたどり着いた。本来存在しているはずのない捨てられた建物で、外見だけはまっさらの造りたてだけれど、中身は完全にがらんどうで錆も浮き始めているような、あくまで見せかけだけの黒い箱だった。
強化ガラスの外壁は中から外の光だけを通し、はたからは鏡に見える。だから今、中に光があることも誰にも知られていないだろう。
そんな廃墟に踏み入り、彼女は生きているエレベータで5階に上がる。新しく指定された場所、タッグを仕舞って乗り込む。すぐにゴンドラがやってくる、乗ると圧力、すぐに到着。
ピンポンと腑抜けた音響と共に戸が開き、時刻通りにアリアはゴンドラから降りる————するとそこに、ベージュのトレンチコートと覆面をして、安楽椅子に腰かけた人物がいるのであった。それはクルリ振り返り、彼女を迎える。
「いきなり場所の変更とは、そっちも大きい事をする」
しわがれた声の主はそうふてぶてしくした。それはこっちも同じだと答えてみると、彼は肩をすくめ、
「半券を」
そしてこれから本題だと、彼女の持っている特殊ケースを見る。彼は懐から機械を取り出しディスクを一枚取り出して差し込んだ。ピーと小さくランプが光り、起動する。イジェクトすると、アリアの方に手を伸ばす。
「これで」
彼女は先ほど手に入れたものを差し出した。男はそれを同じように機械に入れ、ボタンを押すと震える。機械は確認の明かりをともし、彼は電子錠を得る。ガチャリ、分割されて割れる様に開く。
「よろしい…………では、そのケースを」
それから、最後に物体の授受。隠し切れない警戒が緩んだのを見て、アリアは床にそれを置いて離れる————箱のくぼみに錠を押し込んで男は箱を開き、中にあるものを確かめてわずかに口角を上げる。中身を見ても問題ないということは、こいつもミュータント、ということか?
「これで受け渡しの依頼は完了……で、よろしいですね?」
探知機を取り出し、中身を隅々まで確認した彼は『ああ、もちろんだ』と答える。
「報酬は全て振り込んでおいた。確認してほしい」
そして男はケースを閉じ、先に去ろうと荷物を纏めていた。
信用の為に、アリアはほんの少しの間視線をタッグの画面に移し、表の銀行の残高を見る。間違いない、上がっている。問題は————それを言おうと顔を上げる、そして彼女は、数秒前にいたはずの男が影も形もなく消え去っているのを、目の当たりにして驚く。
いきなりの出来事。
それからほんの2秒ほど経つと、アリアの眼前に赤い液体が散布された。
拡散した臭気から血だと認識し、彼女は床材を砕くほどに飛びのく。一体どこから?見えないほどの速さで?何が、広げた?
彼女がその元を見ると、少し前までケースを握っていたはずの、左腕が消滅している。
ボトリと落ちているその先から、残圧で花を咲かせたようだった。
————!
様々の思考が浮かんでくるが、体はこれをした相手には勝てないと納得していた。だから逃げるために彼女はエレベーターに向かって駆ける。まずい、ヤバい。肉体が亜勝手に、鎧をまとう。
階段よりかはこっちの方が早いハズーーーー登るのなら別だが、下りはどう頑張っても重力加速度を超えられない。天井でも蹴れば別だが、そんなことをするなら一直線のシャフトを飛び降りた方が絶対に早い。
確かエレベータは二機並んでいた。来るときに使っていない方は確か、ゴンドラがこの階になかった。ならば。
アリアは扉をこじ開けてワイヤーをつかみ、足に巻き付けて手を離した。アーマーを摩擦よけにして、赤い火花を散らして落下。甲高い音が狭い空間に響く。
自分でも鎧ナシでこの高さなら、骨の一本か二本折れるのだ。ましてや外骨格めいたものの造れない普通のミュータントならば、どこかの内臓機能が確実に壊れる————これ以上の撤退はない。そう考えての行動だった。しかし、彼女がいま相手しているものは、そんな普通の相手ではないらしかった。
電撃的な移動速度が、彼女の身体に突き刺さる。
みぞおちに強烈な一撃。それは彼女を厚さ50センチの床をぶち抜いて地下の駐車場にたたきつけるのに十分な威力で、それを引き起こした黒い影が、反動で上に飛んでいくように見えるほどであった。
シャフトをパイプとして、計り知れない破壊音がビル内に撃ち込まれた。停止用のアブソーバーだの鉄骨だのが砕けた建材と共に彼女を埋め、肺の中の空気を全て吐き出させる。肋骨も数本が砕けて突き刺さり、おそらくブレブを作っただろうか。
舞い上がる粉塵の中で引っぺがすように息を吸い、作動する防護装置を眺めながら彼女は『一体何なのだ、アイツは』と力の限りで這い出る。
そしてなんとか立ち上がると同時に、各フロアに隔壁が展開してメイン通路以外を塞いだ。煙突になって炎を通すかもしれぬエレベーターシャフトに階段が階層ごとに封鎖され、独立空間となる。最低限の脱出経路のみを残して他がふさがれ、地下道を示す非常灯が赤く灯った。
これなら逃げる時間くらいはできる————とにかく、早く。
彼女は緊急時用の消滅装置を起動させようと、定礎板の元へと、蠢く。
右足を踏み込んでみると、なぜか体が言うことを聞かずに崩れた。どうして?と見てみると足首のあたりから、白いものが飛び出ていて、血もいくらか流れ出ていた。応急処置として鎧を変形、ギプス代わりに覆っていくらか踏んだ。
アリアは引きずって歩き出す。
どこから取引が漏れた?奴は一体?いつの間に抜けた?情報は?そんなあふれる不可思議の奔流に飲まれそうになるが、今はただ逃げねばと処理せねばと、ふらつく体を壁に押し付け、僅かに息を吸ってゆらめく。
忘れていた恐怖の一端が顔を出したような気がして、そんなことではいけないと小さくそれをどこかに折りこんだ。
鉄骨を杖代わりにして、砕けそうな体を前に進める。非常階段までの間が防火壁で閉じられていたので、付いている小さな扉を開こうとしたけれど、経年劣化か何かで歪んで開かなくなっていて。何とかしようと全力で蹴ってみたが、強固なつくりゆえに歪むくらいだった。
バランスを崩して倒れ、割れた塗装と砂利が膝を削る。本来は私の力でも蹴飛ばせられるはずなのに、ダメージで駄目だ。
メンテされずに何年かのあいだにここまで壊れてしまったのか。遠くから破壊音が聞こえてきたので、ハンドガンを取り出して腰だめに構えた。
音が近づくにつれ、アリアがグリップに加える力が増える。無意識に恐ろしさを押さえつけようとしているのだが、彼女はただ目の前に来る脅威だけを向いていて気づいていなかった。定礎板は遠くない。あと10秒、あったならたどり着ける。
背後を何度も警戒して、あと3歩になる。そこで隔壁が蹴り破られる。まだいける、まだ間にあう。同時に、彼女は破壊の方向に鉛玉をバラまく。
まともに逃れられるはずはない。煙の中に、2発3発と続けて弾丸を投射した。銃口から広がる爆圧によって砂利が舞い上がり、元から漂っていた破片の煙幕を空に留める。その空間を切り裂くのは弾丸だけだ。
モードを切り替え、フルオート。壊れそうに、連射。たどり着く。
彼女は鎧で砕いて、急いで中を見る。カードリーダー、バイオメトリクス。緊急用を取り出す、巨大な塊が煙から抜け出してくる。
クソ!何が敵なんだ……何が、敵なんだ!
やらせない……アンテルニアに、この核が渡るくらいなら…………!
人の姿に撃ち込んでみたけれど、旗に包まれたゴルフボールのごとく落ちる鉛の粒に無常を見つけ、感情を思い出す。圧倒的な死への恐怖。
人間サイズのものが縦横無尽に飛び回るから銃はすすめられないだけで、当たれば十分にダメージを与えられる。なんせ生物は銃弾ほどの速度で走れないのだから当たり前。かつてそう学んだ。
けれど真っ向からぶち込んでも、全てを表面で受け流してしまっているらしい。恐ろしいとしか言いようがない。人間をやめた人間がいくら望んでもできないことが、目の前で軽々しく行われてしまっていることが、斃れるほどに恐怖を生むのだ。
腰から崩れ落ちつつも、彼女はおびえるように連射した。残っている脚で操作を失敗しつつ、処分爆弾がカウントをするのが聞こえる。対照的に弾丸はその場でぽとりと落ちるだけで、全く男の服を貫かない。カチリ、ホールドオープン。撃ち尽くした。マグを抜く。
入れ替えて棒立ちの相手のどてっぱらにたたきこむ。けれど結果は、同じである。
けれど。
無為な行為だとわかってしまったけれど、それでも彼女は撃つことをやめられない。やめる理由がない。
「ストレイドの人造ミュータントか」
彼は低くつぶやいた。その間にも拳銃弾をつまんではじき返してはアリアに傷を与える。それでどうだというのだ。私はストレイドのミュータントだ。アンテルニアに敵対する、この世界の守りだ。
「大方捨て駒として、割れてる取引に持ち出された、というところか…………試金石というわけだな」
間違いなく、お前はアンテルニアだろう。地上を見捨てた人間どもだろう。
それは獣のような鋼の爪を出し、ゆっくりと近づいてアリアの頭蓋を軽く握る。それを振りほどこうとしてパンチを放とうとしてみたが、瞬間的に腕の関節を250度折り曲げられた。
蹴りを放とうとしても同じ。とにかく何かで反撃をと試みる度に、使った骨が綺麗に真っ二つにされるだけだった。
嫌だ。まだ死にたくない。
アリアのニューロンパルスがそれで埋まり始めた。まだ5年しか生きていないのだ。まだ何か知らない物を見たい。できることなら逃げられるものからすべて逃げたい。助かりたい。
残った力を振り絞って新たな鎧を生成してみるけれど、それも力で引っぺがされて使い物にならない。いつの間にか肉体の感覚が消え始めていて、ただ血と共に抜けていく体の奥の熱さが、10年もない生涯と共にほどけていくようだった。
けれども、それでも。
「悪いが……元はお前たちが始めたことだ」
そうつぶやき、男が彼女の頭蓋を握りつぶそうとすると、さっき彼が開けた穴から何かが下りてくる。だがそれが誰なのかはもうわからない。
邪魔だと投げ捨てられたことがごく薄く伝わってくるけれど、もう視覚も聴覚もなにもかも、体からは抜け出してしまっていた。でも、けれども、けれども。
やらせるわけには、行かないんだ。私たちが最後の、地上で生きる人間の理由なんだから。21グラムだけ、アリアの肉が軽くなる。白く濁った埃交じりの空気が、地獄でも煉獄でも向かおうかと地に満ちた。
けれども、その先の光だけは、カウントの時間をしかと見ていた。
「言いたいことは、あるか?」
軽すぎるものは、答える。
「お前なんかに……屈する私たちでは…………ない!」
グシャリと握りつぶされる。
だがカウントは、もう10を切って、全てがついに、動き始めていた。
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