ハンド・ロード
1
————
獰猛な風が、どこかの路地に吹き荒れていた。それは人間の姿をしていて、恐ろしい白銀の輝きをもってそこに佇むのでもあった。そしてそれは、青年に語り掛ける声でもあった。
「消えた方がいい……じゃないと、私はもう知らん」
その声は虚勢と虚飾に満ちていた。
強くあろうとしたけれど、その根本はまだこの稼業になじみきれてはいない、殺人には甘すぎる者の声であった。失禁し腰砕けな青年はそれを、どうしようもなく震えているしかできなかった。
「……次は、ない」
だから騎士は、血に染まった手を強く広げるのである。白銀の鎧にどこか寂し気な体を隠す彼女の姿は、なにか寂しそうに思え、そこから落ちる凹んだ球体が、彼女の内奥を逆に飾る。血に染まったその手を見て、恐れない人間はいなかったろうと、アルテコ輝きが彩る。男が静かに、意識を砕かれる。
ゆえに彼女は、仕方なく彼の頭を握るしかできなかった。
「次はないって、言ったのに」
三方を壁に囲まれた街灯の届かぬ暗闇には、骨格が変わるほど殴りこまれた人革が広がり、惨たらしくあごを外され眼球が血に染まって、転がっていた。首には締めた跡があり、大腿の骨は折れ、もともとカーペットだと言われれば疑いなく踏みつけるだろうほど、頭を除けばそれは人間とは思えなかった。
プレートアーマーにしか見えない姿が元に戻るにつれ、そんな光景を見てしまった、哀れな一般市民の悲鳴が加速する。誰がそれを行ったのか、ロボットが犯罪者を殺したとでもいう逃げ道が消えていくにつれて、知りたくなかった物が突き付けられていく。
「早くしなよ……死ぬよ?」
腰の抜けた彼の脳へ、女は静かに力を込める。
もう何を言おうと、彼は歩けない。
「……ごめん」
そしてその言語野が圧壊するのを聞くと、彼女は一思いにその男を殺してやるのだった————それから肉の一片も外に漏らすことなく体の中の骨だけを折り、体表を徹底的になめす。邪魔だと言わんばかりに歯の一本一本を全て抜いてから声帯を引きちぎり、そして体を恐るべき力で塗りつぶす。恐怖に叩きつけられた中枢神経を引っこ抜いて、静かに丸めて絡める。
「だから僕は言ったんだ……もう知らない、って」
そのまとわりつくような低音は聞けば心奪われるだろうほど、苦く鋭い。高鳴る鼓動を人から奪い、まだわずかに蠢くのを握り潰す。彼女は悲し気にもう一度、風に乗せる。
「だから僕は言ったんだ…………もう知らない、って…………」
本意ではなかった。そんな思いだけが小さく響いた。女は目の前に生まれた肉塊にかじりつくと、筋肉の4割を腹に収めて口を拭った。そうしなければ生きていけなかった。そうしなければ、人造である彼女はしようがなかった。
まるで涙のように返り血がこぼれ、彼女は天を仰いてノーティスに答える。
「終わった……これから帰投する」
そして静かに、身を清めて布を纏う。影を出る。
返ってくるタッグの声に耳を澄ませ、コートの女はビルの屋上に飛び乗った。
アンダーシティ・ケルス。まだ光は、深く深く、沈んでいる。
————
ディーゼルトラックが、ひっきりなしに建物を出入りしていた。その荷台にペイントされているのは『パルミジャーノ運送』という存在証明であったが、その実態はストレイドのフロント企業であった。証拠とばかりに、そこは通常の企業との取引を、一切していないのだった————それが積むのは、ストレイドの品だけだった。
それらのうちの半分は今日も、頼まれた
残りも偽装の為に普通の品を搭載してはいるけれど、必ず中には非合法薬物だの武器だの爆弾だのが収められていた————それが露見して何度となくポリスとコトを構えたこともあるが、運営にまで食い込んでいるこの世界の理に、勝てるものなどあるわけがなく、それらは無視されるのがいつものことであった。
「おはようございます。認証を行います。カードと生体をかざしてください」
アリア・マーゲイはエレカを下りると、玄関のパネルに左手をかざした。システム音声はカードも求めていたが、そのチップを彼女は埋め込んでいた————バイオメトリクスも組み込んで、生きていなければ動かないようにしていたのだ。
それはここを守るという、仕事に対しての意思表明でもあった。
今日もここを守るのが私の仕事だ。すべてはストレイドと、ここのメンツのためにある。アンテルニアという弱腰なんかに、この世界を取らせてなるものか。
彼女は小さくそうつぶやくと、走り去る一台を横目に階段を上がり、自分のデスクに座した。そしてこの間の殺害について、報告書をぶん投げて引き出しを引く。
ガタリ、オールドファッションのスチール机が音を響かせる。なかから始業時に目を通さないといけなくなっている、ペーパー・タッグが転がってくる。
内容は違法ドラッグ『シュルク』についてである。この街に蔓延りつつあるアンテルニアのアウター・ドラッグであり、認知機能を破壊しつつ電子依存にするという恐ろしい物体だ。それに侵されていないかを見極める、簡単なジャブランド式エンセシック検査法。
特に高純度なのを使った場合に現れやすい、電脳接続類似症と、その対処法————そして手遅れになってしまった時に
それをスクロールに開いて、アリアはセルフチェック、吸い込んでいないと仕舞いこむ。
「全く、宇宙などに現を抜かすからだ。阿呆どもめ」
彼女は護衛についたときの記憶を2分間憎悪に思い出す。ケルス政府の治安維持部隊が無謀にも攻撃を仕掛けてきて、それを彼女が難なく撃破したときのこと、それがアンテルニア・ドラッグによるものだったときのこと。
定期的にそんなのがここにもやってくる。ポーズで運送業としているから、それを崩すことも出来ない。だから破壊をされる。だから、殺してでも止めるということが、起きる。
だから————。
秘書によって彼女の元にまた、一通の依頼書が置かれる。
だから、こうして自分みたいなミュータントがいるんだ。地上に生きる全ての人類の為に、この地上を安全な世界に戻すという役割を果たすものが。それを守るものが。それに動くものが、戦う力が。
彼女はそれをめくる。
内容はうちの実態をバラすと脅すジャーナリスト崩れを殺してくれ、というものだった————別に公開されてもクローラだのはこちらが持っているから見えないのだけれど、草の根になると面倒。
「……また、あいつらか」
傘下の企業が送ってきていて、期限は3日後まで。それまでに指定地点に来なければ交渉決裂とみなすらしい。交渉決裂とは少し奇妙だが、しかし落ちるのはあちらの株だけだ、そこを許容するということなのだろう。
記者も記者だが。どうしてそんな情報収集能力があるなら、アンダーがミュータント側の物になっているとなぜ気づかないのか、どうして敵対しているあちらが、どれだけのことをしているかを見ようともしていないのか。
「すぐに立つ。私に回す仕事はなかったよな?」
彼女はコーヒーを一杯入れ、飲み下してそう言った。
どこもかしこもバカだらけだ。その中に自分もいるが、それを勘案しても、世界は愚かすぎる。だから争いあうのだろう、だから殺さねばならないのだろう。
いつの日かこういう仕事から離れる日が来るのだろうか。
カタリ、カップを置いて彼は立つ
いや、来させるしかないだろう。僕たちがこの世界を平和にしなければ、いけないのだろう。これから来る、誰かの為に。
————
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます