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クリスは理由なくタッグを付け、つながらないのは知っていながら接続を確認し、そして理由なくタッグを消した。
辞職してから二日、ついに奴らが自分への追及を始めてきた。
わかりやすいチンピラを雇っての尾行から、銃撃戦に紛れての暗殺まがい。もしくは狙撃だの…………。どれも下手人の腕がよくなかったから成功はしていないものの、どれも適正な奴がしていたら自分は既に死んでいるだろう。
本当に恐ろしい橋を一日で渡ったものだ。
ポリスだった時に参加した武装テロの鎮圧でも、ここまで危険との連続だったことは無い。あの時は戦場から離れればひとまず安全が保障されていたし、装備だって撃ち抜かれても怪我しない程度には強力だった。
「……セーフハウスだのをいっぱい持ってたら楽なんだろうなぁ………」
だからクリスは、安心できる場所が欲しいなと、思い立った。
昔そんな殺し屋の物語を見た記憶がある。大量にセーフハウスを所持し、安全なところに移動しながら生活をし、仕事に赴くというものだ。
それを幼い自分は夢物語と思ったが、いざ追われる立場となると事実はそれよりも奇妙になるんだろうな……。
彼女は染みのないシルクリートの上を、滑るように歩く。ほんの一部分では人々が戦場かと思われる日常を過ごしているはずなのに、このアンダーの空気は今日も正常で、生きるのに必要な酸素と窒素は十全に税を払っていない者にまで送られていた。
ふとセンチメントを感じ、排気口を見上げてみる。
そこにあるのはもちろん、マットな黒で下地を塗られ、目立たぬようにと投影をされているマシーン。ビルから生える、道路を通る巨大なインフラ。
吸気は外からであり、この内からでもあり————その瞬間に、彼女はププッピドゥの一瞬となりかけて、嫌だなと少し身をかがめた。
その上を白銀の弾丸が通り過ぎ、シルクリートに命中してマッシュルームとなった。
狙撃……!
しかも距離遠いわ落下だわで狙いにくいとこで、狙撃に使えてなおかつ人体に命中すると異常なまでに膨らむ、フランジブルな弾薬。そんなものには、彼女は一つしか思い当たる節がない。
「ガードの装備……!」
クリスはすぐに人の波に入って射線を切り、そのまま適当なエレカをクイックチャートして道路へと走り出た。そんなもんをどこから持ち出した!ガードだぞ!名目上はアンダーの最高機関だぞ!!
法定速度ギリギリで彼女は駆けながら、ほかに何かマズイ対象がいないのかと確認をする。
あの人外どこと繋がってるんだ!なんてもんを見せられたんだ!クソ!!敵性組織が深くまでつながっているなんて思わなかった………。この街は、自分の考えていた以上に腐り切っていたんだな……!!
彼女はセーフハウスとなり得そうなところを軽く検索し、ゼロゼロ物件の一つを即断で借りる。場所はここから三キロ向こうだが、それまで安全に尾行の一つに見つけられることなく移動できるだろうか。
隣と後ろに走ってきている、見えないように装甲された黒塗りのエレカを見てクリスは吐き捨てる。
「隣も後ろもアウト、前に出れば危険運転でアウト、ってわけね………上等」
アクセルを踏み、この先1250メートルにある拘束用オービスに早くたどり着くため、後ろにいる黒い塊から秒速で20メートルほど速く走る。追随して黒のエレカも速度を上げ、接触しないように、追放されないようにとギリギリの速度に加速する。
右に左にと彼女はエレカを揺らし、一般車を回避しながら前を見る。あのサイズなら抜けられまいと思ったが、相手はそれを何事もなく跳ね飛ばし、高速でクリスを追うのだ。
「ちょっとは隠す努力を……って!」
その中で、一人がサブマシンガンをもって窓から体を乗り出す。
「街中で銃器持ち出すなんて!しかもあれもガード用のじゃない!」
弾丸がシルクリートの路上を追って光る。一般仕様のタイヤを履いているのだ、そんなものに当たれば一発でくるくるどかーんって事態じゃすまないだろう————いくらクラッシャブルストラクチャーの進化した現代でも、安全範囲+時速72キロはまずいですまない。
幸い曳光弾であったためにバックミラーで機動が見える。それはおそらく事故として処理しやすくするため、タイヤを狙って撃ち抜こうと軌跡がうごめいていた。
この速度域で事故れば相手もただでは済まないだろうが、そこは使い捨ての兵士だので対処できるだろうし、そもそもガードとつながる組織に通常の理論は無いものとして良い。
秒速20メートルで迫る自動運転車をナビ情報で回避しつつ、クリスはさらに速度を上げる。オービス手前までたどり着ければこっちのものになる………。
そう思った瞬間に、右のタイヤが何かを踏んで車が跳ねた。そこを付け目だと考えたのだろう、目の前の車のタイヤを車の男が撃ち抜いてスピンさせ、回避できないようにと巻き込まれない範囲でサイドから詰めにかかる。
あと2秒もかからずに衝突。その事実に彼女の脳が高速で回転を始め、見慣れた鈍足の世界に彼女を引きずり込む。どうすればいい、チェイスは繰り返した。身体を信じろ、感覚を……!彼女はその波を自力で振り切り、前の車の撃ち抜かれたタイヤの方へ、サイドブレーキを引いてハンドルを切った。
前方向の加速度をほんの少しだけ左に移動させ、エレカはそのまま回転を始める。その回転速度は調整によって前の車のスピンと同じ速度になり、互い違いに組み合わさって回る歯の数2の歯車のごとく、ちょうどよく隙間が見える。
そこに入り込んで二つはすれ違った。
「っしゃおらァ!」
クリスは目的がすぐそこにあると、喜ぶ。
オービスには自立機動ドローンが配置されており、それには明らかな違反をしている車両のみを強制停車させるために特殊なる電波を放出してシステムに干渉するという機構が搭載されている。
加速度も最高速度もエレカを優に超え、それを回避するのは不可能————それが通常なら、電波とドローンには抗えない。
回転する車体を慣性ドリフトで立て直し、クリスは数秒後のオービス通過に備えてまたサイドを引く。
それが、ポリスが必要に駆られて出てくる事態でなかったのならば、だが。
彼女は
クリスは遠心力をこらえながら、足で自分から遠い方のドアを蹴り飛ばし、少しでもと誤認を誘う。交通事故なら安全確保のため、速度制限をかけてくれる。今現在の速度はまだ通報域————だからせめて、これで通ってくれないと、この後のがうまく行かなくなる。
道路に埋められた検知コイルに向けて、黒い四本の線が引かれていく。
スピンで狂ったバランスを一度立て直したが、まだ制御は失いかけだ。敵のエレカは、この後の処分でも考えたのだろう。速度をオービスの検知範囲から外し、安全運転にまで戻して縦に並んだ。
パンクまで持ってよ、あと少しだから!
彼女はそこから、アクセルを踏み込む。
窓から出ていた男が、逃がさんとクリスのエレカへ射撃し、タイヤ周辺に風穴を開ける。その破片か跳弾かがクリスの右腕をかすり、厚手のジャケットと皮膚を切り裂いて消えた。
並びに並んだ車列が邪魔に、彼女は抜けられるかとサイドを引いた。時間はもうない、スピンしたって…………!
引きすぎ、回転が始まる。止められない!
それと同時にタイヤがコイルのある位置を超え、そのまま検知情報が伝わってドローンが起動。重低音が響く。
心強い忌々しいマシンが、羽根を広げる。
聞きなれたその音をバックに、彼女は検知位置を超え切って車体を立て直す。タイミングの全てはポンコツAIの気分次第だ————だから戻るまであと、3、2…………放射、間に合え!
ギリギリのところで、車体が安定を始める。
タグを右手で、バキリと折る。
クリスのエレカの速度が落ちる。周囲のエレカが瞬間的にブレーキを引かされる。
……遅かったか?!
停止信号が先に、出てしまったか!
彼女がそう思った瞬間、タイヤが酷い音を立ててバーストするのが聞こえた。
スキール音の代わりに、けたたましいブレイク・ノイズ。間に合っていたのだ。タイミングを、あわせられたのだ。
黒のエレカの前に、強制停止させられた車列が壁となって押し寄せる。無論あちらも対抗策はあるだろうが、群れにながされれば成す術がない。急停車が入る。
「へっ!ドラテクなめんじゃねえ!ポリスのをよ!」
そのまま彼女は時速200キロにまで加速し、140キロの速度差をもってジャンクションに滑り込んだ。それからすぐ、エレカのレンドを切って近場にあるのを借りなおす。
契約の主を失ったエレカは自動で近場へのステーションに消えてくれるし、大体のエレカは自動運転。中身を見なけりゃ相手は捜査できない。細かいのの消し方はまだわかるんだ、悪いけどね。
そして彼女は、さっき契約したセーフハウスへと、エレカを向かわせる。
とはいえ、かなり市民には被害を出した————気づいたとはいえ、そういうことは、したくない。
彼女はこの街の裏を想いつつ、上だけを変えられればと、静かに走った。
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