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 雨傘など必要ない曇天の空の下で、不必要な耐重金属酸性雨加工されたコートを着込んでいる男が一人。アーレット通りで知らぬ者のいない、情報売りのミラ・バルーンであった。


 誰だよ、ミラ・バルーンって。


 当然ながら彼の住居も持ち物も名前もすべて借り物である。何千何百万と一月で資金を稼ぐほどの腕を持つ情報屋であるミラは、一切のものに自らの情報を残さないようにと心がけているからだ————かえって奇妙にみられるような状況でもなければ、彼は退去する前に自らの痕跡をすべて消し、その際のゴミですら川か海に不法投棄して消し去るという念の入れよう。



 だから彼を知らないのは当然のことである。



 なのにそんな彼は今、あえて危険を冒してとある人物と接触を試みようとしている。それはこのケルス・シティの闇の象徴であり、この街を裏から支配する組織に追われている、正体の知れた人物。アストラ・リベルタスという、ケルスの火災の犯人。


 ウィーヴス人型地下作業重機をキルドーザーに変えて、ありとあらゆる建物を燃やし尽くして焼け死んだという、テロリストだった————そんなものと接触するのだからと、彼は最大限の準備を怠らない。


 フリーランスの最大戦力と言われる、『風刃』を自らの守衛として雇い、通常の人間ならば気づかないように隠れさせて待つ。それだけでなく、100程度はボディーガードを雇ってそこいらに潜ませてもいる。そしてその上で、ミュータントだった時を考えてアンチナノマシン弾入り拳銃を、懐に忍ばせている。


 ストレイドでも使われない、アンテルニアの最新式アイテム————本来は解析ですぐに持って行かれるようなヤバイブツ。それと神経接続式タッグを確かめながら、彼はあと223秒後に迫った対面の時間を待つ。



 果たして例のミュータントは、どんな人物なのだろう。



 そう静かに、興味をいくらか混ぜる。

 これまで幾多もの人間がそれを探ろうとしてきたし、実際その上でいくらかの情報だけは戻って来た。


 それが男性であること、それの身長が170センチ台であること、そして能力は何かを射出、回収するものであること。しかしそれ以外に大きな情報が返っては来なかった————例えば所属、例えば装束、例えば活動範囲。


 戦闘に関連する情報以外の全てが出てこないだけでも、それは優秀な能力をしているとミラは理解していた。


 アストラはここの住人だった。しかしそいつが残したはずのデータはどほとんどが焼損していて、戸籍と生活程度しかわからなかった。だから————天蓋に少しだけこびりついた重金属粉塵をちらと見て、彼は沈む太陽を受け入れる。そして今一度時刻を見て、道を前から歩いてきたトレンチコートの男に目を向けた。



 トレンチコートの男は確認用の札とタッグを取り出し、彼が求めている情報屋なのかと聞いた。彼は確認を終えるまで、何も話さないし話す気もない。しかしそれがアストラであるのだとは、なんとか理解した。


 ミラは自分の分の札を取り出して合わせ、番号を確認してタッグにパスワードを半分打ち込んだ。


 残りは当人が持っている。割符代わりの物理トークンなのだ、それを持っていなければ、ということなのだ。

 彼が静かに、タッチパネルの操作を終える。すぐにログインが終わる。


 それは彼に、目の前の人物こそが求めていた謎のミュータントであると告げる。


「………OK。じゃあ最後に一つ」


 だから彼は、もったいぶって合言葉を求めた。それは同時に、最大限警戒を白との合図でもあった————アストラは注意を払わないようにして、言う。簡単だが知らなければ絶対にこたえられないだろう、対の言葉。


「……汚い白菊」


 一応は警戒を解いたという風にして、ミラは少しだけ高くした声でそう話した。


「……いいだろう……では、交渉と行こうか。何の情報が欲しいんだ?」



 客に対しては失礼な態度をとるべきでない。しかし客が信用できないといった雰囲気を取る方が、もっと失礼だろう。

 そう考えての行動だった。


 相手もそれを理解したのか、肩に入っていた力をほとんど抜き、危険なまでに怒張していた暴力の権化を収める。そしてまた少し怖い顔をし、言うのだ。


「ストレイド」


 その、この街では言ってはならない組織の名を。



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 ミュータントの集団、と言えばそれはアングラじみたものであると思われるだろう。


 しかしストレイドの実際は、企業同士で組まれたアライアンスのうちの一つ、オルレイナード企業団体中央会によって設立されたナノテック企業『トーイドレス』である。より厳密に言えば、アンダーシティを作る企業そのものが、ストレイド。

 つまりこの都市丸ごと一つの生存環境をも支配できる、巨大企業の私兵ということだ。


 その本社ビル内の一室に、一人の男が鎮座している。彼はゆったりと椅子に座り、書類に目を通し判を押しているようだった。


 彼以外がいない部屋の中で、紙の捲られる音と判の机に衝突する音が冷徹に響く。それを包み込む衣擦れの音は、不思議なことにあまりしなかった―――なぜかはわからないのだが、彼の周囲だけ奇妙な力場が働いているように感ぜられる。


 それが十数分ほど続いただろうか。その沈黙を静かに破り、一人の女性が室内へと歩み入った。


 彼女は手に数枚の書類を持ち、一枚目のタイトルに『定例報告と処分対象』と書かれた厚めのレポートを一番最初に手渡す。

 男はそれを軽く眺め、中に記されている元ポリスの女性についてを大まかに鑑別したのちに、すぐ処分の許可を下す。


 女性は残りの書類をすべて定位置へと置き定め、レポートをうやうやしく受け取ったのち、風のごとく部屋から消えた。


 そしてまた、男は延々と鑑別と認可を続けていく………。



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