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 ベンチに腰掛けドリンクの蓋を開け、クリスはそれを喉奥に流し込みつつちらと尾行者の姿を確認する。パンクかぶれの若者といった風をしてベンチで横になり、眠っている風に装っている、背格好からすれば男、だろうか。


 金でロングのかつらとサングラスをしていて大まかには隠されているが、まだ口元には剃られた髭の青さが見える。多分本業は別にある、雇われといったところか————風体に比べると、がっしりとし過ぎている。


 だがまあ、この程度の推測したところで外れる時は外れる。こればっかりじゃ何かのしようもない。まだこれにも、意味はない。


 クリスは飲み終わったボトルをベンチ脇のゴミ箱に投げ捨て、立ち去ろうとする。今度はどう着替えてくるだろう?どう身を変えてくるだろう?ある種楽しみでありながら、彼女は対処をどうすべきかと思案する。

 こうなっているなら家だってバレているし、どのタイミングで何を買うかだって————逆に相手のことを調査しているな。公安になった気分。


 彼女はどうやって撒こうかわずかに考えた。栄養ドリンクの趣味もバレているだろうし、下着干してるのなんだあったかもそうだろうなぁ。でもまあ、今更ではあるし————そのうち内容がだんだん下世話になり始めたので、クリスはクルリと追っ手の方を見た。



 あいつはどうなっただろうかと見たかった。

 けれどそれは、もうどこにもいなかった。



 空中から人間の形をした何者かが、圧倒的な高速度でシルクリートの大地へとたたきつけられたからだった————それはクッション代わりに尾行を使い、血しぶきに変えて自分の安全を図る。それを追いかけてきた何かが、同じように今度はコンビニの柱をそうする。


 一本が丸ごと粉砕され、パンケーキクラッシュのわずか一歩手前にまで至る。


 いきなりの衝撃的な出来事にクリスは言葉を失い、風圧への抵抗なくベンチへと押し戻された。灰塵と帰したシルクリートの柱が空を舞い、周囲の人々の視界を遮る。

 まるで彼らの存在を消し去ってしまうかのように、見せてはいけない物を隠す強大な何かの意思めいてそれはクリスを包む。


 彼女は目の前の事実を、その目にまた焼き付ける。


 謎の存在が、あの時見た戦いとはけた違いと言えるまでに研ぎ澄まされた動きで、一挙手一投足の連続動作がつながって見えないほどの速度で、人間を超えた争いをしていたものを無慈悲に追い詰めていく姿。ほぼ同じ形状の人型が、そのままの姿で地面から起き上がる姿。


 その真っ当な人間の形した謎の存在は、前に見た化け物の一撃をギリギリでかわしてカウンターをまた叩き込む。

 上から振り下ろすような一撃をそのまま地面へと押し込ませ、背中へと回避不能の一撃を入れる。


 骨の数本が折れたか砕けたかの音が、周囲に鳴り響く。おそらく交通事故か何かかと遠くの人には聞こえたはずだろう。


 さすがに内臓のほとんどが破壊されたと見え、化け物は動きを止める。

 そして訳の分からないという彼女を置いて、それが相転移し粒子になって消えてしまった。


 ベンチに転がる彼女を謎の存在が発見し、それをちらと眺める。今の今まで殺しあっていたそれは、目の前の彼女に襲い掛かるのかと思いきや、そのまま死体の身に着けていた道具類をあさりもっていくだけであった。


 しばらくの間放心し、クリスは衝撃を飲み込んで事実を見る。

 果たしてどうしてかミュータントの戦いを生き延びた彼女は、これから何か恐ろしいものが来るのではないかと理解し、ベンチに転がったまま意識だけ身構えた。


 しかし彼女が家に戻るまで、それらに何かをされることは、一度たりとてなかった。



 ————



 クリス・エヴァンスの自宅には、そこまでの武器装備などは無い。仕事のための道具は持ち帰りが禁じられているし、そもそもこのアンダーシティでは武器の所持自体に高いレベルでの制限がかかっている。


 当然ながら人民を押さえつけるためであり、それは抑制する側のガードやポリスであっても変わらないのだ————とはいえ、もうルールを守るとかそういうことは、どうでもいいことになる。

 これから来るだろう何者かの襲撃を理解している彼女は、それまでに十全の装備をそろえておかねばと心に刻む。


 果たして民間で手に入れられるレベルでは、何があったろうか……。でも、ポリス用装備を衝撃で飛んだ破片だけで破れる相手だった、対抗できるのか?彼女の脳裏に初めて見た人外の存在が浮かぶ。


 まるで異能力バトルロワイヤルのキャラクター。

 もしくはどこぞの魔法を混ぜた、何かの力のアニメイテッド。



 あんなものに、民間の技術程度で何ができるのだろう。

 あんなものに、自分程度の力で何ができるのだろう。

 あんなものがいるのに、法律とは一体何を守るために、あるのだろう。



 彼女は開いていたタブをすべて閉じ、日常的に見ていた映像サイトへと接続した。参考のために見ていた犯罪者だの、事故の映像だのが、今のクリスには可愛いものにしか思えなかった。


 銃で死ぬならそれは弱い。

 向けて怯えるようなら、それはまだ動物だ。それに向かって来るから、人間として見られるのだ————そしてそれを素のままでどうでもいいとできるから、化け物。


 一つ一つ、そのおすすめを見ては閉じていく。

 オールド・キュレーションズはもう意味がない。こんなものがあるなら広まっているのだ、どの情報にも、信用なんて————。



 このままくすぶっていても意味が無いし、せめて行動を。

 彼女はとりあえず食事をしようと寝ころんでいたベッドから飛び起き、ポットの湯を期限切れギリギリの防災食に注ぎ、一分ほど待ってから蓋を開けた。


 そして珍しく机に向かい、あえて古風な書き物をする。


 彼女は懐かしの万年筆を取り、便せんにそれなりの理由をしたためてインクを吸わせ、折りたたんで胸ポケットにしまい込んだ。


 一応何かありそうだとはわかっていた。だから数日の間に処理はしていたのだが、まさか本当に、それを選んだ方がいいかもしれない羽目になるとは……。

 このエレクトロニクスの時代なのだからタッグだのタグレースだのでいいと思うだろうが、これは自分自身に対するけじめでもある。



 彼女はもう帰らないだろう部屋から資金と端末、発電機能付きバッテリーと最低限のガジェットを取り出し、そのまま鍵をかけて契約をオンラインで無効にする。


 内容証明で送り付けると、読まれないとも限らない。だからこうやって、物理をする方がいい。


 そしてエレカに乗り込んで、自らの所属する意味のなくなってしまったポリスへと、アクセルを踏み込んだ。



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「一身上の都合、か。それ以外に理由があるんだろう?」


 警察組織に近しいものではあるが、ポリスだって大本は企業だった。だから辞めることに制限はないし、制限をつけられない————けれども、安定しているのだからやめるものはほとんどいない。

 だから上司が、四年ほど付き添った彼女の性質から理解して言った。


「ダーティ・ワークか?それとも————」


 数人が静かに働くこのオフィスの中に、彼らの声が響く。他人のことには口を挟まず首を突っ込まないが基本ではあるのだが、それでも他人の会話というものは気になるもの。

 聞き耳を立てられていることを理解している彼女らは、せめて波の一つも立たないようにとぼかした風に発言しあう。


「少し大きな不幸がありましてね…………ガードの仕事ができるような状況ではなくなったんです」


「不幸、ねぇ……お前さん独り身だろう?カレシでもヤッたのか?」


「ポリスの出る幕じゃないことですよ。ホスピタルで事足ります」


「そうかい。俺はまた余計なことに首突っこんで死にかけたとかを想定したんだがね、ビッタの時みたいにさ」


「ベリスとは、会ったことももうないですよ」



「まあ、そうだったな」


 彼はあごひげをさすり、ほんの少しだけ上を見て言葉を続ける。

 本当のところは、彼だってミュータントのことを知ってはいた。彼女がそれと直面してしまったこと、細かいことを言えば即座に始末が走るかもしれない、ということも、同じく分かっていた。

 だからこそ、彼は何も気を利かせられは、しないのだった。


「むしろよく頑張ってくれたよ。前の火災だので一気に来た人の避難誘導に事後処理と、現場にいた一ポリスとしては完ぺきだった」


 そして辞表をデスクの引き出しにしまい、引継ぎ要員のリストを取り出して彼女の肩をたたく。


「お疲れ様。退職金は生活に十分なだけある、安心しておけ」


 彼は余計をするんじゃないぞと、明示する。

 現段階でも半年は生きられるが、それでも金はあるに越したことは無い。どうせこの後、あの化け物どもについて調べるのにも、結構消え去るのがわかっているのだから。


「……ありがたく頂戴しましょう」


 けれどそうしないクリスは言葉を畳み、ドアノブを左に捻った。

 もう二度と開けることはないだろうが、世話になったことはたぶん、忘れはしない。



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