ショートストーリーズ 1

名無しの戦争

今回までのあらすじ


秘密組織ラビッツのミュータントであるエンデラは、自らの相棒ワルキュリアと共に謎の殺し屋を追っていた。しかしその最中で子細不明のミュータントに襲われ、ワルキュリアは命を落としてしまう。

ここは戦うべきか、逃げるべきか?

その問いにエンデラは自らのルーティンに従い、一度引いて攻撃をかけるべしと決断するのであった……



————




 エンデラ・マルコフは目の前に転がる肉塊をみて、三度目の絶頂を迎えるところであった。当然転がっているそれは彼が自らの欲望の為に殺した幼い少年の結末であり、彼の怪獣的嗜好を満たすためだけに肉塊にさせられた、恐ろしい事実だった。


 エンデラは小さなかけらのうちの一片を自らの腹に押し込み、自分のものとあまり変わらないであろう味を全身で確かめる。


「……ああ、やはり……」


 そうしなければどうしようもない。胸の奥にある物が色々削られた、自分ならやれるという自信だって、同じく消えた————だから、この時はいつも、こうする。


 彼は意味のない感想を述べる。精神的エネルギーの補充を終え、自分を追う強大な存在のことを考える。

 自分よりも強力な力を持つ、あからさまに尋常でないミュータントを考える。


 勝てるかどうかも怪しい、コートを着た灰白色の悪魔について、深く深く、考える。



————



 ケルス・シティの暗い空は、全ての物事を飲み込んでは隠してしまう。いや、それはもう空などではない。ただの漆黒の天井————分厚く複数のパネル、太陽光線代わりの機械仕掛けが埋め込まれた、フォールアウトを嫌う為だけの原子力駆動で、雨も風も、雷も、ありとあらゆる天候を再現できるように、作られている天井だった。


 それはたとえ百人単位での虐殺であったとしても、千人単位の詐欺であったとしても、万人単位の健康被害であったとしても、隠し通せるベールでもあった。


 それが取り払われたとしても、隔絶したこの街で何を知ることもないだろう————人が死に、ビルが燃える。焼け野原になっても、誰も知らずもみ消される。そして当然ながら、数人単位のミュータントによる壮絶な死闘など言うまでもない。



 そして、また消されるだろう物語の対象は、たった二人のミュータントだった。



 二人のうちの一人は、今しがた幼気な少年を殺し最大にまで自らの対処能力を高めた、エンデラ・マルコフ。そしてもう一人は、名こそわからないが圧倒的な戦闘経験を持った、大物だろう正体不明のミュータント。


 ああ、わが相棒。ほとんど同じ実力を持ち、自分とのコンビネーション攻撃で無敵を誇っていた最高の相棒、ワルキュリア。

マルコフは辛苦を共にしてきた半身を思い出す。


 彼は二人でミッションに当たる前の、選定ポイントへの移動時に一撃で殺された。どこかから飛んできた金属製の杭によって頭を吹き飛ばされ、何も遺言を残すことなく逝ってしまったのだ————脳裏に脳髄の5割を周囲にまき散らされた彼の姿が浮かぶ。


 彼の個人的趣向を初めて受け入れてくれた、唯一無二の相棒。

 畜生、それがどうして!


 謎のミュータントは何を考えているかも、どうして行動するかもわからない。ただ組織の人間のみを狙って殺すと言われている、正体不明の存在であった。トレードマークはコートと99ショートハンドガン、そして不明のメタルで作られた、様々の戦闘道具たち。


 体術、射撃、搦め手。三つを組み合わせて戦う、口元を改造された呼吸マスクで隠している謎のエネミー。あれに自分は勝てるのだろうか。いや、勝てるわけがない。


 でも、だとしても。

 彼は雰囲気で自分を殺すと叫んでいる目の前の男に向き、言葉を吐いた。



「……お前か。相棒を殺したのは」



 彼にできる精いっぱいが、それだった。


「それがどうした。お前もすぐにそっちへ送るのだから、聞いても無駄だ」


 帰ってくる言葉は、高位階の悪魔のごとき恐ろしい音だった。まるで煉獄の炎をくぐってきたかの形相で、それは深く身体を沈めている。

 しかし同時に、ありとあらゆる自由を持つようにこなし方は軽かった。


「……ならば、貴様を殺してでも俺は犯人を見つけて見せよう………さあ、かかってくるがいい」


 エンデラも構える。目の前の敵の恐怖は、ひとまず振り払った。



 天気計画ではこれから雨になる。幾ら感情を出してもいい時間になる————それは同時に、能力で生成した障壁の足場を用いた高速戦闘という自分の持ち味を、殺すことにもなる。


 摩擦係数を減らしてしまう水の粒は、何をどうしてか障壁に相性が悪く、触れた瞬間に障壁を消し飛ばしてしまう————空中でそんなことが起きたとすれば、彼は簡単に回避不能の死へと陥ってしまうだろう。


 充分に研鑽を重ねた挙句に、水の触れる間もないほどの瞬間的な足場生成という技を身に着けたのだが、それにはとてつもない集中が必要となるし、きっとあれほどの相手ならばそれを許さない。ミュータントでも強化の度合いにはそれぞれ差があるのだ。

 自分は運動能力こそ高いが、強度に関してはそこまで。銃弾ですら命には係わる。だから————。



 エンデラの思考が限界まで加速していく。主観時間が限界までねばつき、彼の脳髄に微小動物にとっての水のごとくまとわりつく。接着剤を泳ぐように、ぶっ倒れるかもしれない。


 普通の技量では勝てない。奴とはあえて平面的な戦闘を行い、それしかできないと相手が錯覚したところで全開の空間戦闘で一気に削り殺すのが勝利へのルート!



 そして一滴の雨が落ちる。ぴちゃりという音が双方の耳に届き、神経の限界を超えた速度で、これがこの戦闘の開始点であるのだと冷静に告げた。


 エンデラの脳内に敵が動くすべての創造しうるパターン情報が生成される。そのほとんどすべては右の足を起点としての前方向への走りから始まっており、それを潰せれば容易に敵を不利な状況にすることが可能であることが見えた。


 そこでエンデラは自らの能力をあえて敵側に向けて使用する。彼の能力である結界生成は半径10メートル圏内に1メートル四方までの物理的な実体を持ち、一定の摩擦係数に強度、物理的特性をもった空間の壁ともいうべき実体を生み出す能力であるのだ————攻撃を防ぐまでの強度は無いが彼はそれを利用し、相手の足を空中で止めることによりバランスを崩してしまおうというのだろう。


 それを選択したことによって彼の脳内で想定されるパターン情報がほんの少しだけ更新された。


 曰く、目の前のミュータントはバランスを少々崩すがそれをごくごくわずかの時間で修正し攻撃に再度かかるであろう。しかしそれによって生まれた小さな誤差が攻撃を回避するのには十分であること、そして相手の攻撃終了後の体勢調整にも微小の攻撃可能な時間的猶予が存在し、それを利用すれば一撃での勝利を収めることが可能であるはずことから、彼の勝利はほとんど確定していると言っていいだろうことが理解できる。


 エンデラはセットプレイじみたこの流れで完璧な最後を収めるために、想定した最高の回避手段であった前転で攻撃をかわし、そのまま足のバネで背中方向に宙返りを決めつつ蹴りをミュータントに叩き込む。


 当然これは回避され、そのまままっすぐカウンターが飛んでくるはずだろう————だがその時が奴の最後!その勢いを自分の勢いで増して完全なる勝利のための一撃に………。



————



「さて、思考機能と感覚器をまともに生かしておいたんだ。少しインタビューをさせてもらおうか」


 アストラは今までの技術を使い、身体機能を生かしたまま体の動きだけを殺した目の前のミュータント————エンデラに言葉を吐き捨てる。

 何か知らないが、動きが死ぬほど遅かった。ブツブツと呟きを繰り返していたのは何だったんだ?走馬灯か?


 まあ、それならそれでいいが。


「どうだい?カウンターを決めようと思った相手の、回避したはずの攻撃の味は」


 彼はわざと嗜虐的な表情をして問いかけた。


「それもこれもお前が吐いてくれないからだぜ?」


 それにエンデラは答えない。答えられない。肉体と精神を繋ぐ重要な神経部分だけが死んでいたからだ。呼吸、発声、以上をするだけのボディは、ノイズにまみれてショート寸前だったからだ。


「さあ吐けよ。『お前の従うお上さん』についてさ」


 アストラが何度すごんでみても、当然エンデラは答えない。彼の背後のゴミ箱の中にいた鴉が無慈悲に内臓と引きずり出そうと肉をつつき始めても、一切の言葉も、無理矢理接続されたパルス感知システムにも、何の反応をも返さない。



 だから彼に何を読み取られても、もちろん抗うことすら、できはしない。

 タッグに繋がれたエンデラの肉体は、どこか水槽の脳を思い起こさせた。そこから欲しいものを欲しいだけ読み取って、アストラは意味なく息を吐いた。


「………そうか。ならば仕方あるまい」


 そして右の拳を固く握った。

 何も手に入りはしなかったのだろうか。それが何なのかは、もうすぐわからなくなる。


 今日もまた、壊滅的な鐘の音が鳴る。



————

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