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 距離は三キロメートル前方。性別は男性で、二人は周りに人のいない路地裏に立っている。そして旧時代の絵のごとくあえて本を持ち、歩きながら会話をしている―――情報伝達手段をアナログにすることで、漏洩しにくくしているのだろうか。


 確かにその場限りの符丁を混ぜての口頭伝達ならば、傍受の可能性も低くはなるし、最悪相手を殺せば初期で事変を抑えられる。ミュータントの能力をもってすればそれはただの垂れ流しと同義となるのだが、そんなものを持ち合わせているのはごく一部の強者のみなのだから、合理的であると言えるだろう。


 少年の耳に、それが届く。驚きつつ彼は、手すりから身を乗り出しそうになる。

 急な動きに老婆はびくりとしたが、何かあったのだろうと察する。


「フリーランスの猫がやられた」


 彼の視覚情報から二秒遅れて、筋肉質な男が不機嫌そうに言う。


「得意先が消えたのは痛いな……やった野郎の情報はないのか?」


 反対側のこれまた筋肉質な四角い男は微妙な顔をして答えた。パイプから滴る液体の音が周囲に小さく響く。老婆には聞こえない距離の、遠い世界がわかる。


「画質は悪いのしかないが、ある。待ってろ………」


 男はタグレースを取り出して、限定視界情報で四角い男にその姿を見せる。二人にしか見えないワイヤーフレームモデルが粉塵に空間にちらりと断片を見せた。ゆっくりと傭兵は言う。


「こいつだ。しばらく前から情報が流れてる、あの烏男だ」


 男は誰もいないか周囲を見回す。だが当然気づけない、気づけるわけがない。


「死体を残さないようにコアを跡形もなくつぶしてやがる。残るのは凶器らしき羽だけだ————しかもこいつ、EGF分類はなんとDランクなんだと」


 男の漏らす情報に、少年は何か底知れぬ思い当たりのようなものを感じた。それに合致するような人物を、数日前に目にしたような……。思考労働によってところどころ破壊されている脳髄から、彼の持つ細かな情報が漏れ出す。


 少年にまた、人物が誰かの解答を生む言の葉が流れ込む。あからさまに足の少しだけ長い黒の男を指しているそれを聞いた相方は驚いて、「D!?そんな雑魚でか?」と叫んだ。


 彼が驚くのも無理はなかった。

 能力発現率最低のDランクでは、見につくのは強化された身体能力とほんの少しの適応能力のみ。種族として持つ肉体変化を除けば、ファリスにあるのは人間より優れた能力のみだからだ。


「それであの猫を!?」


 彼は心底そうしている。


 彼の言っている『猫』とは、フリーランスのBランクミュータントのことであり、能力として拡大触覚による半径7メートルの空間認識を所持する歴戦の強者であった。彼はそれと筋力を組み合わせ、建造物内での高速戦闘で敵を葬るという戦法を得意としていた。

 今まで狩ったミュータントの数は優に百を超え、その中には手練れのAランクも存在している。時には一対三以上をも平然とこなし、戦場に現れるだけで戦局が確定するとまで言われるほどにまで称される存在。それが『猫』であった。


「本当か?!Dでだぞ?!……引き込まれでもしたら!」


 だからこそ、地平線の先で時速300キロの自動車に乗った標的を狙い打てる腕を持つ強者でも、驚かざるを得なかったのだ。


「……残念ながら、本当だ」


 男は目を相方から背けて言った。


「本当に、これが嘘だったら良かったんだがな。うちでは仮称コードとして『アハトレーベン』を与えたよ」


 有用なやつを失ったと言いたげに、彼はそう言葉を吐くそして懐からレアな紙巻煙草を出して、火をつけ煙を吐いた。少年の脳内に新たな忌々しさが去来していた。


 風のごとき高速性を持つ馬人に痛めつけられた傷が、もう跡形も残っていないのにうずき、彼は不可思議な焦りを感じる。烏のミュータント?

 恐れと憧れに似た言い表せない感情やさしさが鎌首をもたげ、逃げるように振り捨てたはずの過去がゆっくりと足を引っ張った。男は続ける。


「それだけじゃない。あのキンナムズのプラントを襲って生還したうえ、あっちの『馬』もやったんだ」


「ふざけるなよ!?そんなものがどうして今の今まで!?」


 角ばった男が声を荒げる。男の慟哭と、何かのかけらの音が響く。何か彼には思い入れがあったのだろうか、男は強く拳を握りしめて近くの壁を蹴った。手のひらからごくごくわずか青い血が落ちる。

 彼らは大きく息を吸い、そして強く吐き出した。


「落ち着け相棒。俺だってそうしたいんだ」


 少年は記憶をたどりながらつぶやく。自分を何の抵抗もさせずに気絶させた、あのゆらゆらとした高速の人型。あれはいつの間に消えたのだろう?あれは自分を殺そうとしていたはずなのに、どうしてあの時いなくなったのだろう?



「羽………」



 考えもしなかった思考が彼の中に渦となって沸き起こる。自分のものかと思っていた、あの散らばった羽。床に残っていた、ほんの少しのつややかな毛の束。壁に張り付いていた丸いしみ彼はもらったチョコレートバーのことを思い出す。そして、それを彼に与えた男のことと、彼の力量を。



「自分と同じ……鴉……あの人も烏…………!」



 少年は一つの解をつぶやく。彼の中の心当たりが爆発した。


 古くなっていたガス管が彼の背後で炎を上げる。酸性雨で傷ついていたのだろうそれが、この街で起きる事故の一つの事例となって今ここに実体化したのだ。それは日常ではあるのだが、今の少年にとっては幸か不幸か、喜びか悲しみか。話し合っていた男が襲撃かと思って振り向き、機械化された眼球の能力で少年の視線に気づく。当の本人は老婆をかばい、爆圧を受け止めて何かを吐き出していた。


「!」


 銃弾が襲い掛かった。けれども少年はその場から動けなかった。目の前の老婆から離れたら、間違いなく撃ち抜かれるだろうと思った。彼の羽根が数枚抜け落ち、肉が少しえぐられる。傭兵たちが、敵組織の一員かと思って口封じしようと仕込みライフルで射撃したのだ。


「ッ!」


 『逃げなければ』のサインが繰り返し響いていた。


 少年はあたりを見回し、何か対抗できそうなものを探した。破片、壊れたチップ、ガラスのかけら。キップルばかり、どうしようもない。けれどどうにかするしかない。


 少年は階段へ身を引くと、すぐに老婆を置いて飛び出し、見つけたものをすべて投げた。近くの地面にチップが、二人にガラスのかけらが命中し、傭兵たちは少しの間ひるむ。その間に彼は駆け出し、カラの準備を終える。


「……また、いつか!」


 彼はそれだけをいって、力強く地面を蹴り砕いた。


 少年の体に当たった大気中のダストが、腕の肉を削り取る。目や頬に命中し液体が飛ぶ。傭兵たちによって射出された金属の破片で、右足が削れて落ちる。鉛の弾が胴体を貫通する。だがどんな傷であろうと、今の彼にはどうでもよかった。


 修復能力で一瞬で元に戻るからでもあり、結局自分は、誰かを見捨てられないのが分かってしまったことでもあり。


 『逃げなければ』彼は表面的なその一心で、不自然に開いた闇の空白地帯を飛ぶ。さっき三時間後と聞いてから、もう四時間たっていた。彼の本質が『恩の一つでも』と語る。だが、彼の進化による精神と葛藤がそれを抑えた。


『今は生きろ。アイツへの恩は、死ななけりゃいつでもできるから』


 言い訳かもしれなかった。けれども同時に、それは勝手にあの喫茶店へと向かわせるのでもあった。だから少年の表層は『逃げるため』に彼の身体を動かした。ただ遠くへ、ただ遠くへと。


 遠く遠く、ファリスのもとへと、少年はただ翼を動かしていた。

 間に合ってくれと、生き延びたいと、二つを重ねながら。



————



 少年は弾丸を受けながら、時折ぶち抜かれた天井の見えるゴーストタウンを全力で抜けていく。


「いたぞ!ターゲットだ!」


 ついさっきファリスを襲った組織の一員が、彼に中距離型のライフルを向け、射撃する。強大なイレギュラーミュータントの始末という大きな作戦の為に、ファリスの喫茶店周辺は一時的な空白地帯とされたことを、当然ながら少年は知らない。

 勿論彼が同類に見えるから間違われていることだって、知り得ない。


 けれども彼は、戦闘しながら飛び去った男のブリーフケースわすれものを見つける。置いていかざるを得なかったらしい物体を、そこに見つける。


 脳内に走った、黒い男のパルスを再び呼び覚まし、彼は鏡で見るようにそれを思い出す。背中から生えた出し入れ可能な二対の翼。必要に応じて武器にも翼にもなる、人間の腕。彼と同じように変化した鱗の鎧とゴリラ以上の握力の足。

 そして、自分に食料を与えてくれた、粗暴ながらもほんのわずかの情けを持つ人間性。


 確かあれは、彼が持っていた………。少年は弾丸を避けつつブリーフケースを拾って飛び上がり、その周辺の破壊の跡と羽、血痕と肉片を再度発見する。


「まさか………」


 彼を超える圧倒的な強者の姿が浮かぶ。手も足も出ないほどに破壊されつくした、奴隷のころに見た同僚の死体めいて、脳裏でファリスが横たわる。銃弾が彼の左手を撃ち抜いて壊す。大量の弾丸に襲われて、いくらでも好き放題に彼を狙い破壊する。


 そんなことが、まさか…………?!



 腹腔にしまわれていた臓物の断片が外に落ち、修復に伴って灰と消える。

 少年のものが、今、現実に。



「ッ!」

 右足の付け根が撃ち抜かれ、鱗がはがれて落ちた。


 彼はあたりにいるのが、さっきのとは別の敵なのだと理解した————対処の為にファリスのごとく羽根を飛ばすが、傭兵に支給された最新装備と彼の能力不足によって刺さらずに砕け、ダメージとはならない。

 首元などの関節部も狙ってみるが、そちらは少年の力が足りないがために、装備の表層を切り裂くにとどまる。


「……くそ!」


 少年は包囲円の中で、最も弾丸が飛んでいない場所へと体を向けた。

 チカチカと生と死が繰り返しのさばっているのを、なぐりつけるようにして、直線に伸びる異常の破壊の跡を、まっすぐにまっすぐに。



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