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 電灯の消えた小さな喫茶店のベッドで、黒い男が眠っている。睡眠時には邪気が抜けて無垢になると聞くが、彼にはそんなことは起きないようで、邪魔しようものならば殺すといった気配が熱量をもって広がっていた。

 煎餅布団を引っ張り、ゆっくりと男は寝返りを打つ。


「……明日……」


 深く眠っている証拠足る寝言が、彼の口からこぼれた。おそらく常人ならばあと二、三時間は目を覚まさないほどに快眠しているのだろう。二度目の寝返りを打ち、男は特徴的な足を組み替える。


「………眠りすぎた、頭痛……」


 彼はまた、言の葉を無意識化で押し出す。彼はいったい何を夢見ているのだろうか。彼は一体何を望んでいたのだろうか。


 前日に通常時の三倍ほどの強度の活動をしていた男は、泥に漬かって破壊されずに残った遺骸と同じように、永遠に見えるほど眠っている。三年前から常人でなくなったこの男が目を覚ますとすれば、八時間後もしくは今この瞬間だろう。だが今起こそうというのなら、よっぽどのことがない限り眠ったままで事足りる。


 それがミュータント。それが人外。マシンガン程度ではどうでもいいほどに、強くなった怪物————だが、彼を今起こすのはその同類なのであった。


 彼は仰向けの状態から背筋を使って飛び起き、一度停止してゆっくりと柱に体を預ける。着ていた黒いTシャツが変質し、彼の上半身と一体化して羽毛の鎧と変化、そして脚に鱗が生える、腕が羽毛で覆われて輪郭が完全に変化する。


 ファリスは腕に羽のブレードを展開し備えた————それから実時間で一秒、彼が起床してからほんの三秒後に、彼が予想した通りの客が、窓をぶち破って入って来る。彼が予想した通り、その物体の名は弾丸であった。


 雑多な室内が跳弾で破壊される。拾ってきた机の天板が撃ち抜かれ、フレームに穴が開いて床に転がる。暇つぶしに羽で編んだ反物もどきがバラバラに砕け散る。


 それらのうちの一つを適当につかみ取ると、彼は前転しながら射撃元に投げ返した。心残りと共に旋回する視界の中で投げられたそれは額に命中し、若いギャングの頭蓋骨を経由して脊髄を破壊して、生命維持機能を完全に破壊し砕ける。同時に彼は、ブリーフケースをつかみ取って外を覗く。


 残りは七、か。脅威となりそうな武器を持っていた男の顔を、海馬に刻み付ける。

 一人はやせ形でARグラスがPタイプガード仕様の横流し、もう一人は少しだけ背が高く細身。


 前転を終えるとともに反対側の壁へ足をつけると、彼はまた弾丸をひっつかみ投げつけた。わざわざ大きな音を出して飛ぶように握りつぶしたそのマッシュルームが、形状からして当然のごとく外れてエネミーの近場の壁に突き刺さる。


 足元と壁に命中したそれらに驚き、男たちは急いでガードレールに身を隠した。わずかな隙の間にファリスは後ろの扉から部屋を出て、表の壊れたままの枠を通り抜けさせ、ダーツめいてナイフ状の羽を投げ込む。


 今度はガードレールのリベットに命中し、軸を飛ばして二人の眉間に命中、食らったギャングが致命となった。それを見て、残った四人が決めきれなかったことに焦りを感じながら、喫茶店の壁にも隠れる位置に身を寄せる。


 何かをわめきつつだが、それを音だけで感知し、ファリスは脚力を用いて扉左側の壁に突進し蹴り砕いた。


 クリーム色の内壁がウエハースのごとく粉になり、鉄筋の入ったコンクリートがかけらになって道路へすっ飛び。レンガ模様のタイルを敷き詰めた外壁がバラバラに弾け飛んで残りをガードレールごと吹き飛ばした。

 いくつかは彼らの服の下の防弾着を突き破り、一人に致命的な出血を起こさせショックで死を確定させる。


 ファリスは虚を突かれひるんでいる生存者を殺すべく、扉の左に開けた穴から道路へ駆け出して羽をバラまいた。そして全てが正確に眉間に命中し、脳髄をシルクリートに飛び散らせる。



…………少し、とどまりすぎたか。



 それを振り返りもせずに彼は、壁に穴を開けるほどの力で上昇を繰り返した。壊れゆく外壁と共に、一昨日壊した外壁が、先週ぶち抜いてしまった天井が、明日の為に 取っておいた食料缶が、彼の身体から遠ざかってゆく。


 彼は反省を込めて苦々しげに、今しがた捨てた住居をちらと見た。

 心なしか、悲し気にたたずんでいたように見える。ファリスは駆け出しながら翼を広げ、ブリーフケースを背中に負って飛び立った。


 ひとまずの住処よ、さらば。


 風に乗り、体を上昇させ、そしてゆっくりと速度を乗せていく。この程度の追求なら、気にも留めるものでない。よくあること、慣れてしまったこと。だからどうでも————。



 彼の思考は、空気を切り裂いた音が代わりに担った。彼の体に染みわたる衝撃波の後に響いて、ファリスは青と金の血ミックスド・リキッドを吐き出し、衝撃の反対側を向いて堕ちた。



 屋上から三十メートルは上にいたはずの俺に、どうして……?

 思考の外の出来事、彼は考える暇もなかった。だからゆるくそこにあった答えに、反射をするしかできなかった。


 がりがりと爪で屋上のタイルが削られる。何が削っている?

 ネコ科の特徴を残した人の姿だ。あいつがやったのだ。


 吹き飛ばされながら、彼は襲撃者の存在を理解する。乾いた音波の到達とほぼ同時に、それは爪をコンクリートに突き刺して強引なブレーキをかけ、トラクションを稼いで瞬発力を十全に利用した突撃をする。ファリスは屋上の床に落下する肉体を、ギリギリでエアブレーキ、脚力で蹴りを出す。


 回避され、追撃がくる。それを神経の伝達限界ギリギリでかわしたならば、彼は襲撃者の正体を改めて視認。


 それはジャンプして地面に足を食い込ませ、体を百八十度回転させてスピードを殺して着地した。長めの尾と細身の体、強靭な筋繊維に独特の表皮模様。ミュータントもカラスのミュータントと同じように、その生存を確認している。


「俺の一撃で死なない、か。能力分類が当てにならないレア物だな」


 そして言う。


「うちの最高戦力を殺したというのは、嘘ではないらしい……やりがいがある。たしか検索番号33-4HNSN……いや、今はイレギュラーか」


 彼は少しだけ息を切らせ、足を引き抜く。そしては少年の持っていた名前で、ファリス・アウラを呼ぶ。テナーの心地いい声が悪魔の響きをもって染みる。


「貴様を殺す。理由はない、ただ殺す」



「やってみるがいい」



 ファリスは腕にバックラーを生成する。殺しに特化した相手を抑えるには不十分だが、それでも受けきる道具がなければこの相手は厳しいかとの判断だった。


「貴様と同程度なぞ、既に数え切れんほど殺した」


 そして自らの闘争心も、相手の闘志も同時に、煽る。

 二人の声が漆黒の闇に染みて消え、二人がほんの一刹那睨みあう。


 龍と虎の、ほんのわずかの読みあいのごとき凍結は、ニューロンのパルスとなって両者に確定した未来を見せ、そして不確定の選択を迫った。ごくごく微小な時間、ファリスが先に体を動かす。


 体を沈めてからの直線的な左拳が、獣の腹へと飛んだ。小振りかつ隙の出ぬようにカウンターの投げをも用意したその攻撃を、男は上体をのけぞらせてかわし、尻尾を用いてスライディングにつなげる。そして背後を取って彼はファリスの背中に右足で蹴りを繰り出した————しかしバックラーで受け流され、当初の目論見通りの投げで男の体が地面で弾む。


 そのまま追撃されるのを防ぐために男は、バウンドと同時に体を回転させて脚から着地しなおし、ブレーキの体勢のまま後ろへ飛んでロンダートした。ファリスも同じように距離を取り、ついでとばかりに羽のナイフをバラまいて、次の機動に使われそうな地点を抑えた。


 つかむことのできないように全縁を刃に変えたそれが、獣の眼光で瞬く。男はやはりかといった様子でそれらの峰を蹴り飛ばし、一つ一つ破壊しながらファリスのもとへと飛び駆ける。彼はギラリ吐く。


「殺しがいがある奴隷!いい相手だ!」


 男は息を大きく吸い込む。


「本気の出しがいがある!」

 彼はそんな喜びの声を置き去りにして、また姿を消した。空間が歪んだかと思えるほどに遅い、パンと乾いた音がファリスの耳に届く。また間に合う…………か!

 ニューロンの電子パルスの中で、彼の体の左側に高速の風が吹き抜けた。


 とっさに後ろへ飛ぶ。それは回避のためでなく、軽減のためであった。スピードを乗せた男のパンチが叩き込まれ、脚力で抑えられてなお、彼を二つ隣のビルへと吹き飛ばして壁を破壊した。


 内臓に小さな裂傷が発生し、ファリスの腹腔が少しだけ膨らむ。肺から血を吐き、べしゃりと叩きつけられると蒸発する。


「同じだな。貴様の先任も同じように死んだ」


 ファリスが殺した相手の、強がりのような事実。男は小さく息を吐き、わずかに笑う。彼は爪を研ぐようにこすり合わせ、ついていた粉を吹いて飛ばした。


「残念だが、先任は俺よりも遅いのでな————アイツが音なら俺は光だ」


 そして片足でコンクリートに穴をあけ、スターティングブロックとして両手をついた。


「どうだ、お味は。ここからがメインディッシュだ」


「オブラートが欲しいね。苦すぎる、貴様のソテーは」


 一拍置いてコンクリートの床が崩れ落ち、柱がむき出しになる。爪の跡が二つ目のビルの外壁をえぐり、かけらが目にも見えぬ速さですっ飛んでゆく。遅れて音が響いてくる。ファリスは声が響くと同時に羽をバラまき、高速のミュータントを自らの速度で切り刻もうと試みたが、それは綺麗に躱され軽い蹴りが背中に置かれた。

 わざと痛めつけるための行動だろう。


 押されたことによって自分で撒いた羽に体を削られ、ファリスは濁った血液の雫をぽたりとこぼした。


「オードブルは嫌いかい?一スプーンセットプレイをいくらでもそろえたんだがね」


 それからも来るものを、どうにか彼は、受けることしかできない。



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