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 数秒で砂糖を吸収しきったけれど、それですら思考を維持するのには不十分である。かなりの圧縮食事をしないといけないように出来ているのだ、当たり前に動けるわけがない。そして当然のことながら、嗜好品程度でどうなるわけがない。


 けれどもいくらだけかは、まともな意識を取り戻せるようにはなった————そしてだからこそ、彼はすぐに何をやったのかを理解してしまった。

 蹴破られた扉と荒々しく倒れたテーブルたち、そしてカラッポになった砂糖のポット、ジャンクになりかけのレジスター。全て彼がしてしまった破壊の跡であった。


 少年は自らの行動を顧みることになり、すぐに恥じる。

 いきなり何も言わずに押し入って砂糖をいただいてしまったが、良かったんだろうか…………いや、良くないだろう。いいわけがないだろう。人の物を盗むのは悪いことだ、さんざん受けたんだから、そうされたくないのは当たり前なんだ。


 誰かが捨てたのなら、それでもいい。けれどこんなに丁寧に整えられているのなら、間違いなく誰かが使っていたに違いないのだ。


 彼は無意識の行動を重々恥じながら、居るのかわからない店員を呼ぼうと声をかけた。外はガラクタの群れだったけれど、それだって本来は誰かの名残だ。誰かの、捨てていったものたちだ。

 多分、この店の人のも、あるはずなんだ。


 間違いないと推測していた。しかし当然ながら、声は帰ってこなかった。

 この喫茶店の主人は既に死んでいるのだし、それを奪い取った男は外を飛び回っていたのだから、誰もいないなら空白なのである。

 なんせワタリガラスのファリス・アウラは、壊れた扉のガラスを求めてどこかをほっつき歩いていたのだから。


 少年はカウンターから出て、どこにつながっているかわからない扉を開ける。

 目の前には、ブラウンの板敷で一メートルほどの廊下が見えた。そこもまだきれいに掃除されてはいたけれど、どうしてか散らかった雰囲気が漂っていた。ところどころに傷が深く、そのくせして乱れていないのがトルネードのようでもあった。もしくは白に塗りつぶすアヴァランチ、炎のないサンダーボルト。


 恐るべき力の流れが一気呵成に飛んでいったようにも思えて、人間大になった災害が二つ戦ったのではないかと思わせるのだ————馬人がそれだった。

 おなじものが何個もあるのかと、震えそうだった。


 トサリ、トサリと彼は進む。チョコレート板のような形した戸がある。

 さらに怖がり開けてみると、その小部屋には最低限のみが置かれた、生活スペースと思しき汚れた部屋が広がっていた。

 それを見て少年は不思議に思った。


 ここは何人かでの経営なのか?それともここの主は、外では几帳面になるタイプなのか?それとも…………何者かが、本来の持ち主から奪った、のか?


 彼がそう思うのも無理はなかっただろう。部屋の中はファリスの羽が落ち、ごみ袋や機械のクズでごちゃごちゃとしていた。その上に使い物になる家具、使い物にならなくなりかけた電子機器を積み上げて場所にしていた。

 それらは秩序が最低限あるだけの薄明光線レンブラントのようだった。


 訳の分からない、どこかから拾ってきたものばかりのそれらは、本当に外を掃除している人物と同じなのか?実は誰かがここを奪い取ったのでは……?と少年に確信させた。そうでなければ、納得出来そうになかった。


 床には脱いだ服と黒いTシャツが投げ出され、置いてあった書棚の本は順番など無視して並べられ、そしてベッド上の布団は、いったいどうしてか切り刻まれてぼろぼろになっていた。


「でも、だったらここは…………」


 少年は消えそうになる意識を保ちながら、最低最悪の過去から推測した。

 彼は戸を閉め、喫茶店スペースへと戻る。


「でも、ここで待ってれば、きっと誰か来てくれる……その時にでも、砂糖のことは謝ろう。そして、どうしてこうなっちゃったのかも、ちゃんとしよう」


 どこかからの視線に目を背けそう言ったところで、彼の腹がまた鳴った。限界を迎えた空腹によって彼の変化した肉体は省エネな人間のものに変質し、彼の意識をシャットダウンしようと脳髄が勝手に動く。


 急いで彼は、身の回りの物をまとめた。そもそもまとめるものはないのだが、この状態で倒れでもすれば、逃げた奴隷と見られてすぐにでも通報されるだろうから————まあこの状況でも通報されるはずだが、意識があるなら逃げることもできる。だからせめて、意識だけは………。


「駄目だ……まだ倒れるわけには………」


 少年は床へへたり込む。もう体がついてこない。

 エネルギーがなくなりかけているのだ。


「今……だけは……………」

 小さな体を床に折り、彼の意識は闇へ消えた。



————



 ファリス・アウラは代わりになりそうなガラス板を探して、崩れた天蓋の空の下を歩き回っていた。このブロックにはほんの二十×二十センチを切り出すに足りるだけの一枚板はもう残っておらず、代わりに粉々になったスカイブルーの透明な砂が窓枠と床に残っているばかり。


 だから手ごろな場所に最後の一枚が残っていたのは、彼に取ってかなりの幸運であった————強度、素材を確かめた彼は、やれやれと頭をかいて木の扉を羽のナイフで切り取る。ミディアム・クラスのエンハンスド。そこそこ強い、雑に持っても問題はないほど。


 彼はしばらくの代用品を右手にお盆のごとくして持ち、ナイフを体に吸収させてから外へ飛び降りた。三十メートルほどの高度があったが、彼の地からすれば些細なもの。


 だが手のガラスにとっては、いくら強くとも十分すぎるほどに致命的。だからファリスは烏の脚力で、ダメージを地面に押し付ける。どれだけ雑な移動をしていたのか示すように、路面が蜘蛛の巣以上に細かく砕けて分かれる。パラリと砂煙になって、白さが舞い上がる。


 それを気にせず、彼は歩いて巣(ネスト)へと向かった。

 彼に取って、自分の汚れよりもガラスが割れていないかの方が問題だった————しかしそれは、十分に衝撃を逃したようで、問題なかった。彼は周囲に何もいないという自分の感覚を信じて行く。

 というより、そうじゃなければやってられない。四六時中戦闘モードだと疲れてしょうがないのだから。



 だがそうしたのが間違いであったと、目と鼻の距離となったところで、彼は気付くのであった。


「………明らかに俺が出したのと違う羽根が落ちてやがる………」


 それは明らかな、不用意の落とし物だった。彼は体に力を込め壁に背を預けながら、ゆっくりと入り口の戸の脇に体を預けた。


 中の音を読み取って敵を確認する。しかしほとんど聞こえない。なら帰ったか?でも用心に越したことは無い、彼はゆっくり戸の枠からのぞき込む。

 三度、六度、十度、十二度…………金庫破りのようにして体が入るに十分な角度となったところで、彼は体を完全に変質させながら飛び込んだ。


 前転の最中に飛ばした数枚の羽が床と壁に突き刺さる。機関銃めいてダダダと甲高く、深々とそれは人間では抜けない。だが彼はそれを立ち上がると同時に一枚引き抜き、右手に生成したバックラーと共に左手に構えるのだ。


 そして侵入者に相対し、どんなミュータントなのかと正しく恐れて、どこかからかっぱらってきたカーテンの塊が映る。彼の顔にすぐ、呆れが浮かぶ。


 それは全く動かず、青い顔をして胸を上下させるばかりであった。


「……これはご挨拶だな」

 彼はため息吐いてつぶやく。


 ファリスが見つけたのは、奥の床で眠っている少年だけだった。彼は死んだように眠るそれをつんと突いて、目を覚ましそうか、彼が自分を殺すに足る実力を持つものなのかを確かめた。確かめるまでもなくこんなところでグースカピーだ、けれども最後の最後くらいはとの行動だった。


 だが少年は、目を覚まさなかった。


 おそらく疲れているか、それとも空腹で意識が無いか……どっちにしろ多分、半日は目覚めまい。彼は脅威でないと確信し、部屋の戸を開けた。


「こいつ一体何があったんだ?」


 出来る限り目を離さないようにしながら変身を解かずに駆け、二秒で部屋から全部をまとめたブリーフケースを取ってくる。ゆっくりと少年の姿を観察する。ひとまずは邪魔だからと、カーテンの羽織を取り払う。


 顔立ちは幼いが、それにしては少々しわが深い、か。肢体は細いが十分以上に筋肉がついていて、ファリスと同じように少しだけ、胴体に対して足が長い。そして腕に、壊れた何かのロック機構が取りついていて、戦闘をしたらしく穴だらけの服だ————これらから見るに、こいつは元奴隷か。


 体には寒さを耐えるためだろうか、ファリスのものより少しだけごわごわした羽根が生えていた。だが皮膚そのものは傷だらけだ。超回復能力が、うまく機能していないらしい。


 ファリスは目を覚まさせるために、何か大きな音の一つでも出せないかと周りを見た。猫のごとき姿した持ち主から奪ったこの喫茶店だが、大分綺麗で使いやすいのだから、あまり壊すことはしたくない。だから護身用銃でもあれば……。


 仕方ないので彼は、腕だけ変身を解いて、体が壊れないギリギリで手を叩いた。



 爆発かと聞き惑うような衝撃音が、そこまで大きくない喫茶店の一室に響き渡る。



「!」

 少年が目を覚まし、わずかな時間飛び、耳をふさいだ。

 文字通り跳ね起きた少年は、自分と同じ烏の姿した亜人を見て、自分も変身して飛び下がった。


「お前は……?!お前は誰だ!」

 少年は目の前に現れた獣に問いかける。


「それは俺のセリフだ。お前こそ誰なんだよ」


 ファリスはまともに付き合う気がないのを察しろとばかりに、質問に質問で返した。


 空腹でそれに気づかない少年は、解を探そうとする。


「俺は………」


 憂いた目をして止まりかけの脳を回す。深夜テンションのごとき不思議な状態を維持し、停止する。壊れたビデオテープのようだ。その姿にファリスは、彼が戦場に立って戦う人間で無いことを見て取った。


「……もういい」


 そして少年に対応できない速度で床を蹴り、彼の首元の羽根をつかんで外へ投げ出す。おまけとばかりに期限がまずいチョコレートバーをすべて彼に向けて投げつけ、彼は「二度と来るな餞別だ」と理由なく切り捨てる。


 そして蹴破られた扉を叩きつけて、ケースクローズとした。そうして彼は、まだ残っていたティーバッグを取り出す。続いて電気ポットの湯で淹れる。最後に古ぼけた香りを、鼻に緩く、吸い込む。


 闖入者ガキに対して、酷く優しすぎることをしたなと彼は思った。


 けれどもいくらか、安らいだのかもしれないのは救いだった。



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