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 中は外からの印象とは違い、明らかに人の手が入っていると見えた。

テーブルはすべて顔が映るほどに磨き上げられ、椅子は傷跡一つ一つをクズで埋め、その上から丁寧にニスを塗り磨いてある。その上カウンターもテーブルと椅子同様で、その裏に置かれている豆や茶葉はすべて、新鮮さを裏付ける深い芳香。ついでに緊急時のためのショットガンまでも、丁寧に整備が行き届いている。


 今すぐにでもここで開店出来そうなほどにそろっている————しかしこれらの状況証拠があるにも関わらず、彼はここに自分以外誰もいないと理解していた。それは自分がつい先ほど、持ち主を殺したと分かっているからだった。


 ファリスはカウンターの壁際に腰掛け、細い指で置かれていたベルを鳴らした。当然のことながら、誰かがそれを聞きつけてくることは無いし、誰かに何かを頼もうというつもりでも、毛頭ない。

 ただ同類にも人間らしさがあるだけのセンチメンタルに、僅かの時間抱きしめられているのであった————それはすぐに薄れ、やらかしたと思いだす。


「あのガラス、新しいのどうするかなぁ」


 そしてウォッカでも握ったような顔で、彼は自分の行いの反省をつぶやくのだ。



 もうケルス・シティにはロクな設備、道具、資材は残っていない。鹵獲する予定なら、ノリと雰囲気で壊すのは愚行だ————五年七カ月前に放棄された地上の孤島に、何を期待している?

 年単位で生産に時間のかかる木材はともかく、鉱産資源はすべて掘りつくされ、海からは最短で千キロメートル離れている為に、運輸にも期待はできない。そもそも金鉱によってできた街だ。金に物を言わせるという手法が出来無くなった時と同じ、レアメタルが廃鉱になるまでと、同じ。


 アンダーシティとなるまでの間数十年間も、ゴーストタウンとして放置され、そして『月の花事件』で都市はまた崩壊し、今に至るのがここなのだ。だからガラスなんていう高級品をわざわざ残していたここが、どれだけ手をかけられていたか。


 ファリスはカウンターに塔のごとく並べられていた白いコップを一つ取り、光り輝く蛇口を捻る。まだ生きている給水設備から殺菌された飲料水が湧き出し、300ミリリットルほどを満たした。

 これだってそうだ。どこに配管を通した?どうやって地下水を汲み上げた?どうやって、そんな資材を融通した?


 あまり考えなくても答えに至れた。



「ダンタリー・コープ、か。×●■■▼●●彼の脳内チップにより発音されていないがっ!」


 資材回収という名目で、実験を繰り返していた古い企業。ファリスは自分の改造元を思い出し、腹が立ってマーク付きのコップを叩き割った。全く関係しないものの、コーポレート・ロゴにはいい思い出がなかった。



 統合政府からの登録抹消という非情を受けてなお、この街には現在でもかなりの数の人間が生活しているし、数千の流入人口があるし、ここで生まれて死んでいったものがいる。四千と二百三十兆の資金流入が存在し、生活物資の輸送までもが行われている。金さえあれば、飛ぶ鳥どころか人工衛星だって落とせるのがケルスだ。


 だがそのほとんどは非合法組織のためのものであり、彼らは法律が永遠の休日を取っているここを利用すべく、流入人口として仕事の為に来ている。当然ほとんどは企業の所属であり、そうでないのはモヒカンの似合う暴徒かわずかの気狂い、そして背中にキズまみれの愚か者か、出て行っていない古い住民だ。


 代わりに無地のカップを取って水を注ぎ、塩を入れようと思いたってファリスはカウンター裏をあさった。人間の姿をしていてもなお鋭い爪がテーブルのワニスをこすり、アカシア色の平板に一直線の傷をつけた。


 爪の中の小さな不快感を無視、白い粉の入った入れ物を三つ見つける。どれにもレッテルのかけらすら無く、仕方ないので彼は手近な一つを取り出して中身をなめる。塩とも砂糖とも違う微妙な味が、彼の舌にピリリと染みた。


 クリアブルーの強化ガラス管の記憶と、自分の持っていたものの大半をすべて捨て去ることを強要された、明けない夜のごとき延々と続く一夜の出来事が見える。体に突き刺さる、全てが書き換わっていく慟哭に似た破壊による再生に、白と黒の影と光の波。進化の代償として、失った未来と過去。


 成るまでにかかった絶滅すべき邪悪の数々、彼は捨てかける。

 すぐに思い直して止める。


「維持剤か」


 つぶやき、ブリーフケースから同じ粉末の入っているスクリューキャップの箱を取り出して中に詰め替えた。


 彼の体内の血はすべて青と金の複合液へ変化し、表皮は独立した冷却装置と化して熱伝導の良い赤の液体で満たされることとなっていた————そしてその肉体を、二つの心臓によって作られる超人的な筋力に持久力、肺活力とエネルギー生産能力で、強引に維持生存させられている。通常の人間に入れれば即死しかねない劇薬のカクテルで、あの強酸の同類が流れていると思うと、また苛立つ。


 改造されたなら、離れて生かさないために薬がいる。この量なら、手持ちと合わせて二カ月、か。


 彼はカラになった入れ物をとりあえずテーブルに置き、さっき見つけた残りを一つ取り出して、なめた。指の塩分を差っ引いても感じる、あからさまな甘味。

砂糖。


 ならばと彼は残りを確認せずにコップへ粉末を落とし、置いてあったマドラーで適当に混ぜて飲み下した。しかしその想像に反して、彼の喉には二度目の甘み。


「畜生」


 心から嫌う味を少しでも除こうと、手の甲で口をぬぐった。



 まあ、それならそれでもいい。彼はカップを置き、彼は人間離れした跳躍力でカウンターを飛び越えて店員側に入る。

 当然ミュータントなのだ、発汗だって人間離れ。だから補給は生死にかかわる。


 だからあるはずなのだが。


 見渡してみたが、豆から道具まですべてが美しく整頓された景色の中に、Saltの四文字だけは見当たらなかった。


「……野郎、どこに隠してやがる?」


 彼は服のポケットに常備している塩の入れ物から塊をほおばり、戦闘で大量に放出したナトリウムイオンを体内へ取り込んで神経伝達を加速させた。


「まあ、いい。おいおいどうにでもなるだろう」


 もう一度水を満たし、乾いた口内を潤す。そして羽織っていたものをすべて脱いで、彼は高足のカウンターチェアに腰掛ける。相手の持っていたタッグを起動し、中のデータを確かめようとする。

 生体ロックがかかっていて、だから溶けて消えたかと烏は吐いた。


 死と同時に崩れ落ちるよう設計されたミュータントなら、指を拾ってロックを抜けることもできない。自分のでは電波信号があることくらいしかわからない。そこに接続することは、これがなければできはしない。


「………やはりソッチは、徹底してやがる」


 憎々しげに吐き捨てた彼の、人よりも少し赤い素肌へ夜の風が吹いて熱を盗む。

少しだけ寒い。暖房の一つでもないかとまた周囲を見回し、椅子を降りて数歩歩いて壁のそれらしきスイッチをいじる。天井のスリットから冷たい風が吹き出し、彼の肌をなめる。


 ということは、これがエアコンだろう。

 統一された操作方法に従って彼は隣のスライダーをいじる。しかし風の温度は全く変わらず、それならと旧時代の方法も試してみるが、すべて同じであった。


野郎ダーティー・キャット……!」


 彼は仕方なく冷房を切り、さっき脱いだレインコートを羽織りなおした。

 そして体に力を籠め、羽毛を形成する。


 ワタリガラスの高空に耐えるマットな黒が一瞬で彼の筋肉質な肉体を覆い隠し、けば立ったそれに体から発する暖かい空気が満ちてゆく。

 彼はまたブリーフケースからまたチョコレートバーを取り出し、パックを剥いてほおばった。


「結構腹に来るから、あまりしたくないんだがな……」


 ファリスは無造作にカウンター奥の扉を開け、中へと踏み込む。三メートルほどの廊下をしばらく歩き、奥の部屋へと入る。そこはベッドと書棚に机の置かれた生活スペースだった。

 どれも綺麗に整頓され、書棚にも床にも一切の埃は見当たらない。机の隣に置かれていたゴミ箱もカラにされており、几帳面なのかはたまた神経質なのか、元住人が綺麗好きだということがうかがい知れた。シングルベッドに横になる。


 罠じゃないのかと思いたくなるくらいに、注意が払われている。彼は新品同様の布団に潜り込み、ふかふかな枕を頭に敷く。いつの間にどうにかして干されたのだろうか、ダニの死臭おひさまのにおいが彼を迎えた。


 いくら猫の感覚が鋭いからと言って、ここまでするのは明らかに異常ではある。もう少し雑になるのが人間だ……それに、今までの小さな邪魔の例もある。やはりこいつは……誘って、いたのだろうな。


 彼は思考に一度ブレーキをかけた。仮に罠であったとしても、それならそれで、理解すれば怖くはない。コープのミュータントがこんな場所を、本拠地として使うだろうか?きっとNOだ。趣味の場所だ。

遠征をするなら自分たちのコンテナを使う。


 だから罠はない……罠はない……。彼はそう言い聞かせた。


 それより………。そしてブリーフケースを拾い上げ、タッグを充電しておこうと、枕もとにコードを引っ張ってこれないかと考える。しかし行動する前に彼は、いつの間にか忍び寄っていた、甘美な睡眠という名の堕落に意識を魅かれ、睡眠という名の無意識に沈んでしまった。


 とはいえ、行動は頭の中をなぞってくれる。彼の肉体は、作業を一瞬で、終えてくれてはいる。

 無意識は優秀だ。悲しいことに。



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