第9話 新たな天使、ミカ

一週間後。

 今日の仕事は、廊下の清掃だった。この学校、流石は天使学校というべきか、常にきれいに保たれている。だが、専用の清掃員などはいないらしく、使われていないフロアなどは汚れたままのことが多い。そう言った場所の保守管理も、用務員の仕事のようだ。

 午後十二時四十分、昼休みの時間帯だ。

 今俺が掃除している廊下も、普段は使われていない。そのため、この廊下に面している教室も、すべて空き教室だ。俺は鼻歌を歌いながら、床を箒で掃いていた。

 不意に、一人の少女が俺の前に現れた。あれ? ここって使われてないんだよな? なんで生徒がいるんだ?

 その少女は天使学校の制服をキッチリと着こなしている。上から猫耳パーカーなんてかぶっているイオとは大違いだ。髪型は透き通るような美しい金色を、左側でまとめたサイドテールだ。

 そしてやはりというべきか、イオと同じ超絶美少女だ。

 きっと天界でも見た目の優劣はあるんだろうが、下界の民にとっちゃ誰もかれも綺麗に見えて仕方ない。


「先生、こんにちは。何かお手伝いできることはありませんか?」


 その生徒は、俺へとお辞儀すると、そんなことを言い出した。でも俺は一応用務員、この仕事を生徒が手伝う道理はない。


「こんちわ。気持ちは嬉しいけど、今は大丈夫だ」


 それを告げると、少女は

「そうですか」


と俯く。なんだ? 手伝いがしたいのか?


「そ、それでは失礼します!」


 そして、そそくさと俺の前から消えていった。

 ……なんだったんだ?

 その後、俺は廊下の窓掃除を始めた。ガラス自体は綺麗にされているが、レールにはかなり埃が詰まっている。雑巾を用いて、その埃をかき出していると――。


「あ、あの!」


 聞いたことある声が、俺を呼んだ。


「ん? さっきの……?」


 振り向くとそこにいたのは、先程の少女。今回は雑巾まで持参している。


「何か手伝うことはありませんか?」


 そこまでして手伝いたいのか……? でも、この子にだって休み時間があるはずだ。貴重な時間を俺の手伝いに費やす必要はない。


「いや、今は大丈夫だぞ?」

「そ、そうでしたか! それでは失礼します!」


 そして再び、俺の前から姿を消した。

 ……本当になんなんだ?

 っと、トイレに行きたくなってきた。

 ここ、女子校な関係で男子トイレが少ないんだよな。ただでさえ広いんだ、催したらすぐに行動しないとな。

 それから約五分後、俺は廊下に戻ってきた。

 階段を上がり、廊下へと入ると……先程の少女が、目に入った。なんと、俺の使っていた雑巾で、窓のレールを拭いている。

 なに? そんなに手伝いがしたいの⁉

 俺は少女に接近し、彼女の後ろから声を掛ける。


「あの……」

「あ、ごめんなさい! 失礼――!」


 俺はその子が立ち去ろうとする兆候を察知し、少女の肩を掴んだ。


「ちょ、ちょっと待った! 手伝ってもらったんだ、お礼くらい言わせてくれ」

「い、いえ! これといったことは……」


 その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが、鳴り響いた。


「あ、授業始まるそうだぞ?」

「わ、私達は休講なので……。ところで、何か手伝うことはありませんか?」


 この子そんなに手伝いたいの⁉ まあ、ここまで言うんだから、少しくらいやらせてあげてもいいか。


「それじゃあ、さっきの続きをしてもらえるか?」

「……! はい!」


 少女は、さぞ嬉しそうに返事をした。

 この子、一体何なんだ?


「っと、その前に、名前を聞いていいか?」

「はい! 私、高等部二年I組のミカと申します!」



「ってことがあったんだよ」


 放課後。用務員室に戻った俺は、当たり前のように居座っているイオに、ミカとの出会いを話した。

 イオはモンファイをプレイ中、今まさに狩りの準備をしている最中のようだ。


「へぇ……ミカちゃんに会ったんだね」

「知ってんのか?」

「うん。同じクラスの友達!」


 友達ねぇ。こいつ、ゲーム以外に興味がないと思っていたが……。俺以外に友達がいたのか?


「……今、失礼なこと考えたでしょ?」


 やっぱりこいつ、バカなくせに鋭い。


「ああ、考えたよ。『俺以外の友達がいるのか』ってさ」

「いるに決まってるじゃん! 私をなんだと思ってるの!」

「ゲームバカ?」

「ぬふふ! 誉め言葉だね!」


 やっぱりこいつバカだ。


「でもさ、ミカちゃんはちょっと真面目過ぎるんだよね」

「真面目ぇ⁉ まあ確かに、頑なに俺を手伝おうとしてたし……真面目……なのか?」


 ちょっと、というかかなり変わってる子だけどな。


「凄く成績もいいし、綺麗だし、いい子なんだけどね。ぬふふ……もしかして先生、ミカちゃんにドキドキしちゃった?」

「しないしない。誰かさんの所為で耐性付いちまったからな」


 真面目な子相手に、人間だとバレるだなんて、考えたくもない。地獄に一生投獄だぞ? まったく、美少女だらけの学園で、美少女にときめいちゃダメなんて、酷な話だ。

 その時だった。コンコンと、扉をノックする音が聞こえたのは。

この部屋に来るなんて、理事長ぐらいだ。


「は~い」

「高等部二年I組、ミカです」


 だが、扉の向こうから聞こえたのは、ミカの声。まさか、手伝うためにここまで来たのか?

 イオはミカの声を聞くや否や、手に持っていたゲーム機を机の死角に潜り込ませた。……何を恐れてるんだ?


「どうぞ」

「失礼します」


 ミカは引き戸を引き、俺達の前に姿を現した。手には雑巾を持っている。


「あの……先生が、先程雑巾を置いて行ってしまわれたので……」


 あれ? そういえば、窓掃除を任せたときに渡しっぱなしだったな。


「おお! ありがとな!」

「い、いえ。お礼を言われるほどのことでは……」


 俺はミカから雑巾を受け取り、入り口横の掃除用ロッカーへと仕舞う。すると、ミカの目線は机でくつろぐイオの方へと向けられた。


「ところで……イオさんがどうしてここにいるのかしら?」

「え、ええっと」


 ミカのドスの効いた声は、完全に子供を叱ろうとする親のそれだ。イオ……友達じゃないのかよ?


「あなたのことだから、どうせ先生に迷惑を掛けているのでしょう?」

「掛けてないよ! 先生は友達だもん!」

「先生が……友達……? あなた、先生をなんだと思ってるの⁉ あなたと対等であるわけがないでしょう⁉」


 なぜか怒り心頭の様子のミカ。とても友達に対する態度とは思えない。これ、イオが一方的に友達だと思ってるだけでは?


「ま、まあいろいろあるんだよ」


 とりあえず俺は、イオのフォローに入った。このままだと大喧嘩に発展しかねないと思ったからだ。


「先生、申し訳ありません。私のクラスメイトが、とんでもない失礼を」


 え⁉ 何この子謝ってんの? イオの言ってる真面目過ぎるってのはこういうことか。


「いや、俺がこいつの友達なのは事実だからさ。あんまりイオを責めないでやってくれ」

「そんな⁉ 先生ともあろう者が、生徒の友達だなんて⁉」


 こいつこそ俺をなんだと思ってるんだ? 俺、ただここに不法滞在してるだけなんだけど。


「は⁉ まさか⁉」


 ミカは突然何かを思いついたように、手をポンと叩く。なんだか、ろくでもないことを思いついてそうだが。

 彼女はくるりと表情を変えると、今度は慈愛の念を滲み出し始めた。


「イオさん……ごめんなさい。あなたは先生のお手伝いをしていたんですね。故に、先生が友達と認めてくださったんですね」


 なんて、イオの頭を撫でながら言い出した。なんというか、思い込みが激しい奴だな。


「そ、そうだよ! ね、先生?」


 イオもイオで便乗してるし……。


「それではイオさん! 共に先生の業務のお手伝いをしましょう! あなたがいれば百人力です!」

「そ、そうだね! や、やるぞ~!」


 イオの奴、墓穴掘ったな。

 とは言っても困った。今日はもう店仕舞い、イオと一緒にゲームをするつもりだったから、仕事はもらってきていない。

 手伝ってもらう業務がないんだから、ミカにはお引き取り願うか。


「やる気になってるところ悪いけど、ミカ。今日の仕事はもうおしまいだ。また明日にしてくれないか?」

「そのことでしたらご安心を、バスケ部からシャワー室の掃除を承っております」

「え……はあ……」


 まさか勝手に仕事まで取ってくるなんて……。俺は人の役に立つならいくらでもやってやるが、イオが可哀相だな。

 俺はちらりと、イオに視線をやった。


「や、やるぞ~~」


 なんて、涙目で言ってやがる。

 哀れイオ……。

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