第6話 お互いを知るためには…

「それは危なかったわね」


 三日目の早朝、俺とイオは理事長室へと呼び出されていた。

 どうやら、昨日イオが翼を広げた際の光を見たものがいたそうだ。

 誰かまではバレていないが、理事長だけはその正体に目星をつけたという成り行きだ。


「マサト先生、天使と交わることは何があっても避けなくてはならないわ」

「ま、交わるって……」


 そんな恥ずかしいことを淡々と言うなんて、やっぱりこの人たち羞恥心ってものがないんじゃ⁉

 理事長は神妙な顔つきで続けた。


「その快感は、人間には耐えきれない。たちまち廃人になってしまうわ」

「は、廃人?」


 ギョッとした俺は、イオの方へと振り向いた。

 彼女は唇を尖らせながら、


「本当にしようとなんてしてないもん」


と呟いた。


「でもイオちゃんの気持ちもわからなくはないわ。昨日の騒ぎでは先生も困るでしょう?」

「ま、まあ……」


 またイオに色仕掛けされたら、堪ったもんじゃないからな。

 昨日解放されてから酷かったんだぞ! その、いろいろ昂っちゃって。


「一応、用のない生徒は用務員室に入らないよう、放送を掛けておくわ」

「助かります。昨日は堪えましたから……」


 ただ、そんなことより理事長に聞きたいことがある。


「それで、理事長」

「なにかしら?」

「もし俺が人間だということが、皆に知れたら、俺はどうなるんですか?」


 昨日、イオが言っていた言葉だ。

 魔界に永遠に投獄されるって……。


「イオちゃんから聞いたのね。下手をすれば、魔界に投獄」


 やはりか……。


「もっと下手したら、人間の魂が耐えられないほどの苦痛を与えられて、この世から消されるわ」


 マジかよ⁉ 信じらんねぇ⁉ なんで間違えて連れえてこられて、そんなことされなくちゃならないんだよ⁉

 いや、消してくれるだけ、永遠に投獄より優しいのか?


「あなたの魂に、天界の匂いがついてしまっているから……」

「天界の匂い?」

「そう。下界の誰かが、あなたに近付くと、その誰かまで天界の存在を悟ってしまうの」

「そ、それって、俺を生き返らせちゃまずいんじゃ……」

「そうね。下界に天界の存在が知られているのは、過去にも今回みたいな隠ぺいが起こったってことの証拠よ」


 な、なるほど……。下界の人間が

「天使」


という概念を知っているのは、この間のポンコツ女神みたいなやつの所為なんだな。


「もっとも、先生のいた時代では、天使の存在は当たり前に周知されているから、生き返らせても問題はないわ」


 ならいいんだが……。


「ごめんなさい。隠していたわけではなかったの。ただ、そんなことを知ったら、先生の気が動転してしまうかもしれないと……」

「確かにこれは……いつバレるのかとヒヤヒヤしてしまいますね」

「そういうことだから、今度は友達を脅すようなことはしないでね、イオちゃん?」

「も、もうしません! 私達、友達だから……! 絶対にバレないように、力を貸します!」


 イオの心の中は、俺には見えない。だけど、その言葉は心の奥底から出ているものだと、俺にはわかった。

 っていうか、昨日のことも、約束を破った俺が悪いんだしな。

 約束破ったらハリセンボン、子供でも分かることだ。


「それじゃあ、今日はここまでにしとくわ。二人とも、友達を大切にね」


 俺とイオは、元気良く返事をした。

 だが俺はイオを、異性として意識してしまっている。あんなことをされちゃあ、仕方ないかもしれないが……。そのことに、俺は胸を痛めていた。

 理事長室を後にした俺達は、並んで廊下を歩いていた。

 なんというか、かける言葉が思いつかないんだ。

 初対面の時は、あんなに普通に話せたのに……。


「先生、冷たくなった」


 そんなとき、イオはさぞかし寂しそうな声を上げる。まるで、子猫のような。


「そ、そんな……。そう、かも」

「怒ってるん……だよね?」

「お、怒ってなんか……」

「怒ってるよ、怒って当然だよ。私、昨日は寂しくて……こんなの、言い訳にならないよね」


 違う、違うんだ。

 イオを遠ざけようとしているわけじゃない。

 むしろその逆なんだ。彼女が、あまりにも魅力的に映るだけなんだ。

 そしてそのことに、罪悪感を感じている。

 だけど、俺はそれを表現することができなかった。


「なあイオ。怒らないから、もう一度俺の心を覗いてくれないか?」

「……え?」

「人間ってさ、天使と違って、その……。人に伝えるのを、恥ずかしいって思っちゃうんだよ。だから、もう一度――」

「だったら、先生の言葉で伝えて」


 俺の声を遮ったのは、イオの

「思い」


。俺の言葉を求めてる、イオの。


「……わがまま、だけど。でも、もうあの力は使わないって、約束したから……」


 そうか、約束したな。俺はまた、イオとの約束を反故にしようとしていたのか。

 だけど、俺の口は動こうとしない。

 なんて言えばいいのかわからないんだ。

 好きだ……いや、違う。違ってないけど、違う。

 一緒にいて欲しい……いや、これも違う。一緒にいたいのは本当だけど、違う。

 俺が言葉に困っていると、イオは俺の手を掴んできた。


「それじゃあ、先生。デート、しよ?」

「な、なんでそうなるんだよ⁉」

「人間同士は、自分たちの気持ちを確かめるためにデートをする……。恋愛ゲームで、そう言ってた」


 そして、イオは少しだけ恥ずかしそうにはにかんだ。初めてだ、天使の恥ずかしそうな顔を見るのは……。


「それに……私、先生とデートしたいから……。ぬふふ!」


 俺にはその誘いを断る理由なんかない。

 そのとき、俺もきっと、恥ずかしそうな顔をしていたんだろう。

 そんな顔で、俺は頷いた。

 あ、でも今日の放課後は、どんな顔して会えばいいんだろうか……。

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