第5話 彼女は「人」ではない

「で、どうなってるんですか⁉ ここの風紀は!」


 次の日、俺は理事長室で、理事長へと直談判をしていた。ここの風紀についてだ。

 別に男女でシャワーを浴びることが、ここでは普通なら普通で構わない。だが、それが続くようでは、俺の心臓が持たん……。いつか理性のたがが外れ、ここの生徒を襲ってしまうかもしれん。

 俺は昨日会ったことを洗いざらい話した。もちろん、イオの名前は伏せて。

 だがその話を聞いても、理事長はその微笑みを崩さない。うんうんとうなずいてはいるが、本当に聞いているのか?


「まあ、天使は人間と違って生殖本能がないから、男性に裸を見られて嫌だとは思わないわね」

「羞恥心は⁉」

「あるけど……恥ずかしいということよりも、あなたと友達になることの方が重要だったんじゃないかしら。その子にとっては」


 裸を見られて嫌だと思わない⁉ しかも生殖本能がないって、イオは

「男は変態」

って言ってたけど……。


「でもその生徒、男は変態って言ってましたよ! 天界の男も俺達と同じ変態だとしたら、男にあんな態度をとるのはまずいんじゃないですか⁉」

「ここの生徒、天使の男性とは接点がないから……下界の男性像と混じっているのかもしれないわね」


 じゃあ、昨日のイオとのシャワー室での一件は、健全な友達同士のじゃれあいだということかよ⁉ いや、確かに役得だけどさ!


「でもよかったわ。イオちゃんに友達ができたなんて。あの子、いつも寂しそうにゲームばっかしてたから」


 え⁉ イオだってバレてる⁉ ど、どうしよう……このままじゃイオが怒られてしまうんじゃ……。校則破って八時以降にシャワー室使ってたし……。

 ……自業自得じゃん。


「い、イオ⁉ だ、誰のことですかね……」

「とぼけなくたっていいわ。その時間帯にシャワーを使う子なんて、イオちゃん以外にいないから。まあ、注意はしておくわ。またシャワータイムに乱入されたら、人間の男性にはつらいものがあるでしょ? あの子、下界基準だと相当な美少女でしょうし」

「ま、まあ確かに……」


 心配されるのは俺の方なのか……。まあ相手は天使、当たり前か。


「それはそれとして、丁度よかったわ。今日は朝一から、あなたにお仕事の依頼があるの」

「仕事?」


 その後俺が連れてこられたのは、体育館。

 重い金属の扉を開けると……普通の学校の十倍以上はありそうな巨大な体育館に、ここの学校の生徒と思われる少女たちが、ずらりと並んでいた。


「へ?」

「それではマサト先生! ご登壇を!」


 壇上にいる妙齢の女性が、俺の名を呼ぶ。その声は、スピーカーで増幅され、体育館の向こうまで届いていた。おそらくはここの教師……。


「へ⁉」


 俺を先導してここに連れてきた理事長は

「登って」


と俺に耳打ちをしてきた。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、これって」


 俺は理事長に耳打ちをし返す。

 見る限り、これは全校集会。見渡す限りは、全員女性。男は俺一人しかいない。


「これからここで働く職員なんだから、当たり前でしょう?」

「マジですか⁉」


 これだけの女性の中。俺なんかいるだけで浮いてるってのに、さらに晒し者にされるなんて……。


「マサト先生?」


 壇上の女性が困っている。……まあ、俺も困らせたくてごねているわけじゃないしな。

 俺はおとなしく、壇上に登った。

 それと同時に、黄色い声が体育館から鳴り響く。

 なにこれ? なんか俺が人気者になったみたいじゃん。


「えー、お静かに。こちらが、これから皆さんがお世話になる、マサト先生です! 先生、ご挨拶をお願いします」


 すると、壇上にいた女性が、俺へとマイクを差し出してきた。

まあ、天使として生活する以上、下手に隠れるよりは、こうして周知しちまった方がいいのかもな。木を隠すなら森に隠せってことだ。

 となれば、このまま挨拶を拒んでちゃ、余計怪しまれる。

 俺はマイクを手に取って、自己紹介をした。ちなみに、天界でファミリーネームを持つものは少ないという話は、体育館に来るまでにされている。最初から俺に、全校生徒の前で自己紹介させるつもりだったってわけだ。


「えっと、ご紹介にあずかりました。これからお世話になります、マサトと申します。至らぬ点も多いかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」


 我ながら月並みな挨拶だ。だがまあ、その方が地雷を踏まなくていいだろう。

 俺が挨拶を終えると、やはりというか、体育館が沸いた。一体何を期待しての声援だろうか?

 俺はマイクを女性へと返すと、彼女は沸き立った生徒たちを鎮めた。


「では、数少ない男性となりますが、皆さん失礼のないように!」


 もう失礼されてるんですけどね。


「では、全校集会を終わりにします。後ろのクラスから列になって退館してください!」


 え、もう終わり⁉ 俺を紹介するためだけに全校生徒集めたの⁉

 俺が戸惑っていると、理事長が壇上まで上がってきた。そして、俺の耳に顔を近づける。


「よろしくお願いしますね、マサト先生」


 その後俺に仕事は託されず、おとなしく用務員室に戻ることとなった。仕事をするならしてもいいし、しないならダラケてもいいらしい。ただ一つ注意することは、俺が天使でないとバレないようにすることだ。

 用務員室に戻ると、見知った顔がそこにいた。中央に並べられた長机に着いていたのは、イオ。なぜこんなところに? もうすぐ授業も始まるだろうに?


「イオ? どうしたんだよ? もうすぐ授業だろ?」


 するとイオは、視線を伏せながら、静かに告げた。


「先生、人気者だった……」

「はい?」

「せっかく今日は、先生とゲームやろうと思ったのに! このままじゃ放課後、先生はみんなのものになっちゃうじゃん!」


 なるほど、嫉妬か。いや~なんか嬉しいような、面倒くさいような、だな。


「みんなのものって……あの声援は物珍しさからだろ?」

「絶対違うもん……」

「大丈夫だよ、今日も放課後は一緒にゲームしてやるから」


 イオは訝しげに眉を顰め、俺の方へ視線を流す。口をとがらせながら

「本当に?」


と問うてきた。


「本当だよ。だからさっさと授業に行ってこい、遅刻しちまうぞ」

「……約束だからね」


 イオは渋々といった様子で、用務員室を後にする。

 本当は今すぐ遊んでやりたいところだけど、学校の職員が学生の学業の邪魔をするってのは悪いしな。

 さて、俺は自分の幸せを追求するとしますか!

 俺の幸せとはつまり、他人の役に立つことだ!

 俺は繋ぎの襟を整え、職員室へと向かった。

 職員室にいた先生から、俺に課せられたのは、校庭の整備。まさに昨日、俺が目覚めた場所の整備だ。

 校庭の石を拾い、トンボを掛け、白線を引き直す。

 そんな俺の業務も、気付けば周辺の校舎から、生徒に見られていた。

 そんなに男が珍しいのか……?

 理事長の話によれば、天使にも男はいるんだから、学校の外に出ればいくらでもいるだろうに……。

 昼休みになると、俺は理事長に食堂へと案内された。案の定、俺は注目の的。

 俺の周りの席はあっという間に埋まり。俺を囲む女子生徒たちから、恋人はいるのかだの、趣味だのを洗いざらい聞き出された。

 午後は廊下の窓掃除。やはりそれも、周りの女子から監視されていた。

 授業に集中しろよ……。

 下校時間になると、今日の業務は終わりと理事長に告げられた。

 俺は心地よい疲れと共に、用務員室へと戻る。

 部屋の扉を開けると、そこは――。

 ――女子生徒で、あふれていた。

 黄色い声に、俺は思わず耳を塞ぐ。


「先生のご帰宅よ!」


 どうやら、住み込みのことはもうバレているようだ。

 瞬く間に俺は女子生徒に囲まれ、昼休みのものとそう変わらない質問の連発を食らう。

 女の子に囲まれるのは嫌いじゃないけど……放課後は、イオとの約束が……。

 その時、彼女の『みんなのものになっちゃうじゃん!』という声が、俺の中で響き渡った。

 迂闊だった。本気で彼女との約束を守るならば、待ち合わせの場所を決めるなり、何か手を打っておけば……。

 俺は不意に、部屋の隅で椅子に座っているイオを見つけた。彼女は寂しそうに――昨日と同じように――ゲームをしている。

 俺がバカだったばっかりに、約束を反故にされて。

 俺の視線に気づいたイオは、俺の目を真っ直ぐに見つめ返してきた。

 彼女の視線に、俺は必死にコンタクトを試みる。


「すまなかった」


 と……。

 すると彼女は、猫耳のフードをかぶり、人混みをかき分け、俺の元へと向かってきた。

 そして、俺の手を痛いほど力強く握ると、出口へと引っ張る。


「い、イオ……⁉」


 女子生徒の黄色い声が止む。

 大勢が詰めかけているなんて思えないほどの静寂が部屋を染める中、イオは淡々と俺の手を引いていた。

 人混みを抜け、用務員室を抜けた後も、イオの力は変わらない。

 何も言わず、俺をどこかへ連れていく。


「い、イオ……悪かった。お前の言う通り、みんなのものにされるところだったよ」


 なおもイオは、何も言わない。……怒っているのだろうか?

 それにも納得だ。むしろ、約束を破るやつなのかと呆れられているかもしれない。


「イオ……」


 彼女が向かっているルート、来た覚えがある。イオと初めて会った教室へ向かうルートだ。

 そして彼女に連れられて、俺はA1001の教室へと入った。

 イオ、どうしてここに……。


「ここ、空き教室なの。ここなら、人は来ないから」

「そ、そうなのか」


 さて、なんと言うべきか……。まあまずは、単純に謝るべきだろう。

 俺が言葉を選んでいると、イオは俺を教室の後方へと連れていき――。

 ――壁に俺を、押し付けた。イオ自身の体と一緒に。

 俺とイオの間で圧縮された彼女の胸が、俺に言い知れぬ切なさを催させる。


「い、いいいいいいいいイオ⁉ な、なにしてん――」

「興奮してる……?」


 イオは確認するように俺の瞳を覗き込むと

「……してる」


と自己完結した。


「し、してません!」

「私達だって、流石に天使の男の人が、変態じゃないってことくらい知ってるよ。だから、興奮してたらすぐバレちゃう。先生が――」


 イオは、微笑むように、嗤うように、その口角を上げた。


「――人間だって」

「⁉」


 バレ……てる……⁉


「そ、そんなわけ……!」


 不意に、イオは俺の心臓へと耳を当ててきた。彼女の髪から、ふわりと柔らかい香りが回ってくる。


「ドキドキしてる……興奮してるんだね」


 クソ! もう言い訳は通用しないか……?

 でも、俺が人間だとバレたところでどうなんだ?

 損をするのは、俺を間違えて殺した女神だけなんじゃないのか?


「ねえ先生。天界に来ちゃった人間が、どうなるか知ってる?」


 そんな俺の心など見透かしている様子で、イオが訊ねてくる。どうなるって、二か月後に生き返らせてくれるんじゃ……。


「よくて魔界……人間に伝わるように言うなら、地獄行きかな。……天界を見てしまったという罪を払うために、永遠に投獄されるんだよ」

「んな馬鹿な⁉」

「だから、先生は女の子に興奮してるところなんて、見られちゃいけないの」


 なんて言いながら、イオはさらに胸を押し付けてくる。


「ちょ、ちょっと待てって⁉ その、そんなことして、嫌じゃないのかよ⁉」

「嫌じゃないよ。私は先生こと、好きだから」


 クソ! 恥ずかしいことを軽々と!


「好きじゃなくても、嫌がったりしないよ。私は天使だから」


 やはり、天使と人間じゃ価値観が決定的に違うのか。ってそんなことは今はどうでもよくて!


「でも、先生は悦んでる。だから、人間なんでしょ?」


 言い返せなかった。人間だと認めてしまったら、何をされるか――。


「何もしないよ?」


 ――やはり、心を読まれてる?


「うん、これが天使の力だから。普段は使うの禁じられてるんだけどね」


 それじゃあ、これからもイオには嘘がつけないってことか。


「大丈夫だよ。先生が友達になってくれれば、もうこの力は使わない。約束する」


 約束――俺ついさっき、破いて捨ててしまったもの。俺はその二文字に、心を痛めた。


「もし先生が、これからも約束を破るなら……」


 イオは、俺の背と壁の間に腕をねじ込むと、床へと俺を押し倒した。寝そべった俺の上に、彼女は馬乗りになる。


「痛て……⁉」

「先生を、虜にしちゃうから……」


 イオ……何を……⁉

 そう言おうとするが、声帯が振るわせられない。喋れないんだ。

 これも、天使の力……⁉

 するとイオは、着ている猫耳パーカーを、俺の顔の上へと脱ぎ捨てた。

 俺はそれをしわにしないように、顔の上からどける。

 パーカーだけじゃない……ブレザーも俺の腹の上に脱ぎ捨てやがった。

 彼女がパーカーを脱いだことで、その裏に隠されていた、腰ほどまでの長い髪が靡く。

 何をする気で……⁉


「……いいこと」


 不意に、彼女は俺の腕を掴む。

 そして、それを自らの胸へと押し当てた。

 柔らかい……けれど、ブラジャーの硬い感触も、同時に感じる。

 触りたい……ブラジャーの奥にある柔らかい塊も、触りたい……。

 俺の中の俺が、そう囁く。


「そう、よかった」


 ぷち、ぷち、とイオは自らのワイシャツのボタンを外していく。

 そして、ついに彼女の下着が露わになった。

 同時に、彼女の背中が輝きだす。その光は、背の反対側にいる俺すらも照らすようで……。

 その光の中から現れたのは、白い……翼……?

 人ひとりほどの大きさのもので、真ん中あたりに関節がある。

 まさに天使の翼といった形だ。


「ねえ、先生。私の虜にされたくなかったらさ――」


 俺は、彼女の美しさに、思わず息をのんだ。

 下界ではありえない。

 どんな景色よりも、どんな宝石よりも、どんな人よりも、美しい。

 ――俺はここでの生活を、なんとなく、夢かなんかだと思ってた。

 でも、美しすぎる彼女の翼は、夢ではないよと俺を嗤うようで……。


「私の友達になってよ」


 その時俺は悟った。今俺がいるのは紛れもなく「天使学校」なんだと。

 俺は「天使学校」の用務員なんだと。

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