第19話 進喜撃の巨人

駅前のファーストフードで簡単な昼食を済ませ、駅の反対側にある住宅地を歩く。


「しんど-い!道場はまだ?」

『いつも自転車で行ってたからな。もうちょいだ。』


大きな通りの信号の向こうの三階建てのビル。その二階のガラスの向こうでは数人の練習生が身体を動かしているのが見えた。

狭い階段を上ると、すでにうっすらと汗の匂いがドアの向こうから流れてくる。

ガラス越しに師範を探すが、汗が蒸気になってガラスが曇ってよく見えない。

頑張って師範を探していると後ろから声をかけられた。


「いらっしゃい!入門希望!」


驚いてつい声を出してしまう。


『荒井さん・・』

「なんだ、俺を知ってるのか?前にあったことあったっけ?」


師範である荒井さんは身長が180㎝超え、それでもひょろっとした印象はまるでなく、胸板といい腕といい、やたらと厚く太くゴツゴツしている。おまけにジャマだって言って頭をきれいに剃り上げている。美由紀ならは悲鳴をあげて逃げ出すところだ。


『いえその、寺島君から写真を見せてもらったことがあって・・』

「悟の知り合いか!」


声、でかいってえの。


『その、クラスメイトで・・・』

「そうか、入れ入れ」


遠くから挨拶して帰ろうと思ってたのに、中に引きずりこまれてしまった。


「おいみんな、ストップ!悟の彼女だ!」

『いやいや違います!』

「違うのか?」

『すいませんが窓を開けてください!』


俺には懐かしい匂いだが、美由紀にとっては汗と男の悪臭に違いない。


荒井さんはとにかく勢いの人である。

そして強い。カリの世界では日本でもトップクラスの人だ。

俺は三年間、この人からみっちりとしごいてもらった。

母子家庭であることを揶揄われたことがきっかけで、昔の俺はずいぶんと荒れていた。

上級生に目を付けられて、それでも売られた喧嘩は買ってきた。

割と強い方だったと思う。


中2のころ、3年生4人に囲まれて、殴られているときに荒井さんが声をかけてくれた。

荒井さんの凶暴な風貌に3年生は逃げ出したが、俺は3年生に殴られた悔しさもあって、荒井さんにも突っかかった。手も足も出なかった。

そのままジムに連れていかれ、強制的に入会となり、そして更生できた。


「悟は残念だったな。続けていれば俺以上に強くなれただろうに。」


ホント?そんなこと一度も言ったことないくせに。

死者は基本的に褒めるという美徳のせいか、やたらと師範や練習生たちは俺を褒めてくれた。なんかムズムズする。早く言えよ。


「でももともと喧嘩が強かったせいか、一度付いた癖がなかなか抜けなくてな。」

「そうそう、特に足癖が悪くて。」

「まあ、それもあってあいつは強かったよ。」

「それと悟ってさ、たまに女の子の体験入門のときとか、俺は関心ありませーんって顔しながら、ちらちら女の子を見るのな。ムッツリスケベってやつだな」

「確かに!」


上げて落とすってか。誰も否定してくれない。俺も否定できなかった。


『あは・・あはははは』


笑うしかなかった。


「せっかくだから、ちょっとやってみないか?何事も体験、体験。」


荒井さんがオリシを差し出す。ラタンという植物の棒を使った短棍術だ。

俺は久しぶりに握ったオリシの感触を噛みしめる。


「こう持って、振り上げて・・」


荒井さんが手を添えて動きを教えてくれる。うれしくなってどんどん動いてしまった。


「おっ?もしかして経験者か?おい今野、軽く相手してみろ。」


後輩だった今野が「本当にいいんですか?」って顔して前に立った。

こういうときは先手必勝。俺は今野が構えた瞬間に飛び込んだ。


二本のオリシで積極的に今野に打ち込んでいく。

最初は戸惑っている今野も顔つきがマジになって、俺のオリシを受け流しながら隙を狙ってくる。今野の攻めのタイミングは知っている。その時に胴に隙ができることも。

俺は今野の腹への打ち込みを狙って踏み込んだ。


『ぐきっ』


変な音と強烈な痛み。

すいません美由紀さん、床に負けました。捻挫だと思います。


「ほんとにもう!バカなんだから!私の身体をなんだと思ってるのよ!」

「あの・・お客さん?」


テープで足を固めてもらい、タクシー代までもらって私はいま家に向かっている。

恐縮する今田さんと、「治ったらぜひまたいらっしゃい!」という荒井さんの満面の笑みに見送られてだ。


「いえ自分に怒ってるんで、気にしないでください!」

「はあ・・」


だいたいあんな筋肉お化けに勝てるわけないじゃない。

私はかわゆい女の子なんだから!

それに足だけじゃなくて手首も肩も全部痛い。

お母さんたちになんて言えばいいのよ。


運転手さんいの肩を借りて帰還した娘にお父さんもお母さんも大騒ぎだった。

いじめとかケンカじゃないこと、転んでひねっただけという無理くりの理由で強制的に納得させて私は痛みに眠れぬ夜を過ごした。

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