第5話 神官との出会い

「【癒しの風】!」


 スイのかけ声と共に、彼女を中心に暖かい風が集まる。アレンの膝の傷に翳した手から緑色の光が溢れ、目を瞠る十兵衛の前でみるみる怪我が治されていった。


「なっ……!」


 信じられない光景を前に、思わず絶句する。そんな十兵衛に対して、「奇跡をご覧になるのは初めてですか?」と、礼を言って飛び跳ねているアレンの頭を撫でてやりながら、スイがにこりと微笑んだ。


「女神レナ様の権能で、奇跡というんですよ。私達神官は信仰を捧げる代わりに、神の愛と奇跡を賜っているんです」


 今度は十兵衛へと手を翳し、治癒を行う。その暖かな風を受けながら、「それはつまり、仏門に入った僧侶や神社で神に仕える神主のようなものか」と十兵衛は内心思った。


 日本ではあり得ないことだが、こちらでは神の力を人が賜る事が出来るらしい。

 それは徳の高い人であることと同義だったので、十兵衛は咳払いをし、身を正して治療をしてくれたスイへと敬意を払った。


「ありがとうございます。初めて拝見致しました。あー……実は私は長らく山籠もりをしておりまして、世間一般に疎く……」

「やっぱり山賊じゃん」

「いや、山賊ではない」

「修行を為されていた、みたいな感じでしょうか?」

「……そんな所です」


「なるほどぉ」と頷くスイに、十兵衛は良心が呵責するのを感じた。徳の高い人間相手に嘘を吐くのも、なおさら堪える。

 ウッと眉間に皺を寄せながら俯く十兵衛に、ハーデスは肩を竦めると、「それで」と話を変えるように呟いた。


「アレン、お前はどうしてこんな所に?」


 その問いに、アレンはぐっと唇を噛み締める。急かすことなくゆっくりと答えを待つ三人の様子を見て、やがてぽつりと、「父ちゃんを探しに来たんだ」と小さく答えた。





 ――アレンの話はこうだった。


 アレンは幼い頃に母と離ればなれになってから父親と二人三脚で薬草売りで生計を立てており、一週間ほど前のその日も、隣村へ薬草を売りに行く父をいつものように見送ったという。


「でも、全然帰ってこなくてさ。そしたら三日くらい前に来た行商人が、村長と話してたのを聞いちゃって……」


 深刻そうな顔で話し合っていたので、つい気になって盗み聞きしたアレンにもたらされたのは、衝撃的な話だった。


 ひと月ほど前、病を操る魔物がこのマルー大森林に現れたという。


 都市から来た討伐隊になんとか追い払われたものの、いくらかの村は汚染され、教会や神殿の神官の手が回らない所が多々出ているらしい。

 そしておそらく隣村もやられてしまったのではないか、と、隣村にいった仲間からの定時連絡がない事を理由に、行商人が語っていたのだった。


「父ちゃん薬草売りだから、もしかしたら手伝ってるのかもしれない。それだったら俺も行かなきゃって思って村を飛び出してきたんだけど……」

「狼に襲われたんだな」


 こくりと小さく頷いたアレンに、話を聞いていたスイが真剣な表情で顎に手を当てた。


「カルナヴァーン……」

「っ! それ! そう言ってた!」


 スイが知っていた事に驚いたアレンは、頷きながら声を上げる。


「かるなばーん?」

「魔物の将軍の名前です。……アレン君が言った通り、まさしく私はその神官の手が回らない所を巡りにやってきたんです。救助を求める人が、まだいるのではと思って」

「…………」

「スイ様……」


 不安げにスイを見上げるアレンに、スイは空気を変えるようにぱん、と手を叩く。


「大丈夫! こう見えて私、高位神官なんです! 患者さんもばっちり治してみせますよ!」

「ほ、ほんと!?」

「えぇ! でもとりあえずは、アレン君を村にお送りしましょう」

「で、でも俺……」


 父親の元に行きたいアレンは、ごねるように眉尻を下げる。

 そんなアレンの肩に手を置くと、十兵衛は宥めるように視線を合わせて微笑んだ。


「心配する気持ちも分かるが、まずはスイ殿をアレンの村に案内してやれ。救助するにしたって、情報が必要になるだろう?」

「十兵衛……」

「そしてそれは、お前の父の手助けをする事にだって繋がるはずだ。違うか?」


 神官のスイが現場に出向く事。それこそが父の役に立つと理解したアレンは、十兵衛の厳しくも真っ直ぐな言葉に頷き、顔を上げる。


「分かった。スイ様、案内するよ。俺の住むカルド村へ」

「ありがとう、アレン君」

「十兵衛達は? どうする?」


 声をかけられた十兵衛は、ハーデスと視線を合わせる。

 元よりこちらも情報収集の目的で村には行く予定だった。であればアレンの案内についていくのが得策だろうと十兵衛は思い、それを察してかハーデスも黙して頷く。


「分かった。道中狼がまた襲ってきては危ないからな。俺達も着いて行こう」

「ありがとう!」


 スイと手を繋ぎながら先を歩き始めたアレンを見つめ、十兵衛はふっと目元を和らげる。

 そんな十兵衛の隣にハーデスが浮きながら並んだので、十兵衛は表情を変えないまま、低い声でハーデスに呟いた。


「ハーデス。俺の足が勝手に速くなってる件、後で説明してもらうぞ」

「……あぁ。分かった」


「検討はついている」と言いながら頷くハーデスに、内心十兵衛は溜息を吐く。

 ハーデスはともあれ、当の本人である十兵衛は本当に驚いたのだ。

 まるで自分の身体ではないように動いた、狼との戦い。己の知らぬ所で身体が変わっているのは如何ともし難かった。

 納得のいく説明であれば良いが、と思いつつ、一路カルド村へと歩みを進めるのだった。




***




 歩いて一時間ほど、とハーデスが言っていた村が、アレンの村のようだった。素朴な木の家が建ち並び、牧歌的な雰囲気の漂うのんびりとした小さな村だ。

 村の入り口で門番を務めている男が十兵衛の有様にぎょっとしていたが、アレンと神官であるスイの口利きもあって無事に中へと通してもらい、ひとまず村長の元へ案内されることとなった。


「オル爺!」


 アレンにオル爺と呼ばれた好々爺が振り向く。真白い髪と同じ色のふっさりとした長い髭。鎖骨にまで伸びたそれは振り向くと同時に軽やかに揺れ、豊かな髭に憧れのある十兵衛は「良い髭だなぁ」と感心した。


「なんじゃアレン、お前どこに行っておった」

「父ちゃんの所に行こうとしたんだ。そしたら途中で狼に襲われて」

「なんと! 無事なのか!?」


 慌てるように声をあげた村長に、アレンは頷いた。


「無事だって! 剣士で山賊じゃない十兵衛と、魔法使いのハーデス様と、神官のスイ様に助けてもらったんだ」

「剣士殿に魔法使い様に神官様とは……! まこと運の良いことよ。皆様、本当にありがとうございました」


 深々と頭を下げる村長に、十兵衛達は気にしないでくれと笑った。

 良ければお茶でも、と村長が労うように家へと案内する。ちゃっかり茶菓子をねだろうと思っていたアレンは、そこで「外で遊んでおいで」と追いやられた。


「なんでだよオル爺!」

「お三方にお礼をせねばならんからな。おやつは後であげるから少々待っとれ」

「ちぇ~」

「トレイル! アレンとしばらく遊んでやってくれ」


 トレイルと呼ばれた門番が了承するように片手をあげた。アレンがまた父親を追いかけて外に出るんじゃないかと心配していた十兵衛は、ほっと息を吐く。


「オル殿、アレンの言った通り俺は山賊ではない。金品を要求するつもりはないので……」

「いえ、むしろ金品をお渡しするので、お頼みしたいことがあるのです」


 村長の家に入り、扉が閉まるやそれまで纏っていた和やかな空気が変わる。

 目を丸くする十兵衛と反して、スイは頬を強張らせた。


「お三方がいらしてくれたのは、まこと僥倖であった。アレンの父親も関わることなのだ。どうか、話を聞いてもらいたい」





 アレンとスイの言っていた病を操る魔物の話は、本当のことだった。


 マルー大森林で起こっていた事件を切々と語る村長の話は、十兵衛の想像を超えて酷いものであるらしい。


「病、というのはあながち間違いではない。処置が間に合えば助かるのじゃ。だが、間に合わない場合罹った者は魔物化する」

「魔の物……鬼になると?」

「鬼に限らん。異形の者となる」


 この世界はそんなものが跋扈しているのか、と十兵衛は息を呑んだ。

 スイは深刻そうな顔で俯くと、村長の話を補足する。


「カルナヴァーンは虫を操るんです。人に寄生する虫を放ち、内部から血肉を汚染し魔物化させる」

「……なんと……」

「寄生されてすぐであれば、神官の奇跡で祓う事ができます。ですが、オルさんのお話を聞く限り、もし隣村が侵されていたのであればもう手遅れに近い……」


 アレンの父親を思い、唇を噛み締めるスイに、村長は眉根を寄せて俯く。


「だが、魔物となってしまった村人を放置も出来ん。次に襲われるのはこの村となるからのう。故に、早馬を飛ばして冒険者の助力を願おうかと思っていた所だったのだ」


 話を切った村長が、ハーデスと十兵衛を見やって頭を下げる。


「どうか、手を貸して頂けないだろうか。狼を易々と打ち払うなど、並大抵の剣士ではないのであろう? ましてや魔法使い様も一緒だ。天の配剤に外ならん」

「私からもお願いします。もし万が一にでも処置が間に合う方がいるなら、一刻も早く助けてさしあげたい」


「報酬は弾みますのでどうか」と両名から頭を下げられた十兵衛は、ぽりぽりと頭を掻いて何か言いたげにハーデスを見やった。そんな十兵衛を、ハーデスは顎で促す。


「お前の好きにすればいい」

「そうか」


 端的に言われて、自分の望み通りにできる嬉しさから素直に笑顔を見せると、十兵衛は軽く膝を打った。


「委細承知した。その願い、八剣十兵衛とハーデスが請け負おう」

「ありがたい……!」

「で、すまないが報酬だけ先に貰えないだろうか」

「前金、ということですか?」


 命をかける話だ。最もだと頷く村長とスイに、十兵衛は机の下で足を擦り合わせながら、恥ずかしそうに笑った。


「草鞋を一足、頂戴したいんだ」

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