第3話 死の律は冥王の名を騙る

「この呪いはどうやったら解けるんだ」


 四半刻程殴り合いをした所で、ようやく十兵衛は座り込んだ。

 殴り合いといっても一方的なもので、全て躱されて終わったので勝負にもならなかった。かくいう相手は一度も拳を振るわなかったので、それはそれで腹立たしいと奥歯を噛み締める。


「呪いとは酷い謂われようだな。寿命が来るまで無病息災だぞ。お前達が崇める神でいえば、祝福にも当てはまるだろうが」

「祈ってもいないものから貰うんだ、呪いだろう」

「つくづく失礼な奴だ。まぁそうだな……、私の目的に付き合ってくれたら解こうじゃないか」


 フン、と鼻を鳴らして男が指を弾く。すると奪われていた打刀と懐刀が、いつも在る場所へと即座に戻された。

 とはいえこれで望むような切腹がもう出来ないのは重々承知しているので、十兵衛は刀を目にしながら苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「つまり部下の真意を知りたいということだな? ならば俺が代わりに聞いてこよう」


 まるで諜報を行う忍者の真似事だが、致し方ないと内心溜息を吐く。ところがどうも男の様子が芳しくない。

 渋る男からなんとか話を聞きだすと、どうやら十兵衛は部下達がいる領域に移動することは出来ないとのことだった。


 未だ信じられない話ではあるが、世界は複数存在しており、その中でも高次元領域と低次元領域という区分がされているという。

 そして、律の管理者に属する者で無い限り、低次元領域に生きる命の高次元領域の移動は不可能であるとのことだった。

 逆に高次元生命の低次元領域への移動は可能なので、故に十兵衛をこの世界に連れてくることが出来たらしい。


「まて。その低次元なんちゃらに今俺がいるなら、元の世界に戻る手立てはあるのか……?」

「…………」

「お前……!」


「どうせ死ぬ命だったろうが!」だの「その選択さえ奪ったくせに!」だのまたそこで不毛な殴り合いが発生したが、二回戦目は前よりも短い時間で終わった。


 ふいに十兵衛が涙を零してしまったのだ。


 殿のために役目も果たせず、侍としても死ねず、元の世界に戻って謝意を告げる事さえ出来ない。

ただおめおめと自分だけが生き延びて、寿命まで無病息災などという呪いだか祝福だか分からないものに健康まで補助されて、悔しさでどうにかなってしまいそうだった。


 幾久しくなかった涙の決壊は本人すら止めることが出来ず、それでも情けない声だけは出すまいと奥歯を噛み締めて泣く十兵衛を、おろおろと慰めたのは諸悪の根源だった。

「お前のせいだろうが」と恨み節を言う十兵衛の背を、「死ねずに泣くとか本当にもう分からん」と困惑しながら男が手でさする。

 その内、男が何かに気が付いたような声をあげた。


「今ざっと記憶領域をさらってきたが、肉体を保持したまま低次元領域から高次元領域に渡った実例があった」


 思わず十兵衛は目を見開く。


「在する領域でより高次元の存在になると、高次元領域に至る次元の壁を超えることが出来る」

「それはつまり……」

「端的に言えば、この世界の場合、一番高位な神となればいい」

「か……」


 涙も忘れてあんぐりと口を開けて言葉を失った十兵衛に、男は肩を竦めた。


「つまりお前の望みに至る道は、二つあるわけだ。私の知りたい答えに辿り着くまで付き合うか、この世界の神となって元の世界に戻り、主君に挽回の機会を求めるか」

「挽回など!」


 挽回の機会を求めるなど、と掠れた様に出た言葉は、喉の奥で消えた。

 ――思ってしまったのだ。「何故挽回の機会を求めようとしないのか」と男に言われた時、自身でもそうだな、と考えてしまったのだ。

 詰られる事に苦渋を嘗めながら耐え、恥を忍んで生を請い、殿のために失態を取り返すべく生きる事もまた、切腹に値する最上の忠誠と謝意になるのではと。


 安易に生に甘んじようとは思わない。けれど、もしもう一度会えるなら。死より辛い生き地獄を味わうことで恩義を返せるというのなら、それもまた、一つの侍の形なのではないだろうか。


「……もし、元の世界に戻れたなら、お前の言う通り恥を忍んで挽回の機会を殿に求めよう」


 目元を拭い、尻を払って立ち上がった十兵衛は、男に強い眼差しを向けた。


「だが、許されず切腹を求められたら、その時は呪いを解いてくれないか」

「……いいだろう」

「よし。お前の願いを叶えるのが早いか、俺が神とやらになるのが早いか分からんが……、とりあえず、だ」


 握手を求める十兵衛に、男は二度程瞬いて手を伸ばし応じた。


「潔いのが侍の美徳か?」

「よく分かってるじゃないか」


 握られた手に力を込めて、十兵衛は不敵に笑う。



「八剣家が末子、八剣十兵衛やつるぎじゅうべえ。侍だ。萬事宜しく」



――と、名乗った所でふとある事に気が付く。



「そういえば、お前の名はなんというんだ」


 諸悪の根源相手にもはや礼を尽くすのも止めて、ずけずけと十兵衛は男に尋ねる。面白そうに片眉をあげた男は、「そんなものは無い」と切って捨てた。


「無いのか?」

「無い。死の律は私しか存在しない。故に個体を判別するものが必要ないんだ」

「では死の律と呼べばいいのか?」

「うーむ、お前の概念に照らし合わせると、箒に箒と呼ぶようなものだからな……」


 察するに高位の存在だろうに、自らを称する比喩に箒を出すのが不思議でならない。

 神、もしくは神に近い存在とは、もっと尊大で傲慢なものだと思っていたが、その認識を改めなければならないなと、男を見ながら十兵衛は内心頷いた。


「まぁ神ではないが……お前の世界の死を冠する神の名を借りるとするか。好きに選べ」

「え!」

「ハーデス、オシリス、エレキシュガル、アフ・プチ、モート、イザナミ……は少し違うか。それから……」

「まて、まて。そんなにいるのか!?」

「国が違えば祀る神も違うだろう。山に住まう者と海に住まう者でも違うように」


 言われてみればそうだな、と納得する。実りの神や雨の神を祀るのが山間の村なら、無事な航海や豊漁を司る海の神を祀るのが漁村だ。

 村で違うのだから国で違うのは当たり前か、と認識を新たにし、そこから更に語られた数多ある神々の中から、結局始めに挙げられた名を選んだ。多すぎて選びきれなかった、というのが正解に近い。


「ではこれより、ハーデスと自称する」

「承知した。ハーデス殿」

「ハーデスで良い。死の律を殴り殺そうとする奴に敬称をつけられても困る」

「お前が悪いんだろうが!」




 ***




 日も明けきらぬ早朝、十兵衛は湖畔に蹲り顔を洗っていた。

 蒸気霧にけぶる湖面は昨夜の装いとは違いこれまた幻想的で、やはりすでに死んでうつつの夢にいるのではと勘違いをしてしまいそうになる。それでも水の冷たさから悴む指が強く現実に引き戻すので、十兵衛は深く溜息を吐いた。


 仲間達と時を同じくして死ねなかったのは、心底悔しかった。けれど、加地達ならきっと冥土で待ってくれているだろうとも思う。であれば、あの神もどきの願いに応えた後今度こそ切腹し、閻魔大王の裁きにあたって最期の善行の報告とさせて貰うのも良いだろう。

 腹を括れば早かった。十兵衛はぐいぐいと袖口で濡れた顔を拭うと、すっくと立ちあがった。


「入水した所で死なんから、ずっと苦しいだけだぞ」


 そんな決意を秘めた所で、背後から声がかかった。むっと眉根を寄せつつ振り向けば、同じ様に眉間に皺を寄せたハーデスが腕を組んで仁王立ちしていた。


「顔を洗っていただけだ」

「どうだか。随分長いこと湖面を見ていたようだが?」


 いつから見ていたんだと突っ込みたくなったが、沈黙を貫く。

 そんな十兵衛をひと時じっと見つめたハーデスだったが、溜息を一つ吐くと「まずは何から始める?」と問うた。


 何から、と言われて十兵衛も唸り声をあげる。

 前提として、今いる世界がどういう世界なのかを十兵衛は知らない。神とやらを目指すにしても、まずは情報の収集が大前提だった。

 死を望む者の真意についても、多数の者にあたって近しい答えを知るならまずは何かしらの生命がいる場所に赴くのが先決である。律の者は言語の壁がないと自称するハーデスに通訳は任せるとして、「とりあえず何か大勢の者がいる場所を目指そう」と十兵衛は提案した。


「大勢の者? それは人間という認識でいいか?」

「ここは人の世界なのか?」

「人もいる。様々な様相だがな。ここはお前の世界の一つ下の次元だから、似通ったものも多いだろう」

「なるほど。ではまず近しい村に向かおう。ハーデスは飛べるのだから先導してくれ」

「飛んで確認せずとも知っている。ところでお前は歩いていくのか?」


 きょとんと目を丸くする十兵衛に、「物理的に飛ばすのも空間を開けて飛ばすのも可能だ」とハーデスは提案する。

 どちらもぞっとしないものだったので、十兵衛は丁重に断って歩くことにした。村に着いたらまずは草鞋を調達しようと、肝に銘じながら。



 十兵衛の歩みをつぶさに見ていたハーデスから、村までおよそ一時間だという情報がもたらされた。聞いたこともない値に質問を重ねる十兵衛に、ハーデスはことさら丁寧に説明する。

 夏至と冬至で一日の時刻が変わる十兵衛の常識とは違い、この世界は十二等分に時間が分けられているとのことだった。日の短い季節でも時間は変わる事なくあり、それはどの地域にも共通のものであるという。

 諸々の基礎知識は分けてやろうと厚意からハーデスが手をかざせば、十兵衛の脳内に膨大な情報が流れ込み、目が回って吐いた。

 ぎょっとしたのはハーデスの方で、これでも相当絞った方だったらしい。昨夜ぶりに背をさすられ、竹筒から朝汲んだ湖の水で口を濯ぐと、十兵衛は深く溜息を吐いた。


「何かする時は頼むから一声かけてくれ」

「う、うむ」

「ともあれ値と言語? あたりの事はおおむね理解した。それは感謝する。ありがとう」

「でももう二度とごめんだぞ!」と吠えたあたりで、重なる声があった。


 ――遠吠えだ。


 はっと口を噤んだ十兵衛は、打刀の柄に手をかける。ハーデスは常と変わらぬ様子で立っていたが、何かを見ているのか目を眇めていた。


「確認するが」


 周囲に気を配りながら十兵衛が呟く。


「俺の寿命に細工出来たなら、他の命の寿命も見えているという認識でいいか」

「間違いない」

「では身の危険を判断して俺が切って捨てても、お前は律の者として介入することはないのか?」

「しない。寿命とは大往生に限らず、事故であっても同じこと。それに見える寿命も左右されることはあるからな」

「何……?」

「己の強い意志で運命を変えるか。――もしくは、自死を選んだ時だ」



「うわああああ!」



 十兵衛が問い返す前に、幼さの残る叫び声が二人の間に割って入った。

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