第3話 ペットじゃないよ


 帝都随一の品ぞろえ。

 消費信者のために全てが揃う消費の大伽藍。

 またの名前を、百貨店と申します。


 私ことアフアが知っていたのも、新聞でその存在を読んだからでした。


 何はともあれ、世慣れぬ彼女。

 買い物をするならば、あそこが良いでしょう。

『私』の思惑など、その程度でした。


 敢えて言うならば、深い意図もなし。

 便利そうなところで、愉快にお買い物。


 けれども、というべきでしょうか。

 二本と四本の足の歩み。

 世界に憚るところのない、魔女と使い魔の行進は……。

 案じ顔の売り子さんに阻止されてしまうのです。



「お客様、その、当デパートはペットを連れての来訪はお断りさせていただいておりまして……」


 ぽかん、とした彼女。

 開いた口からこぼれるのは、オウム返しです。


「ペット?」


 ああ、と。

 そこで私は気が付いていました。

 だからこそ『私』は落ち着いた声を意識して、口を開きます。


「エルダー・アナスタシア。私のことですよ」


 なにしろ、と私は苦笑します。

 私、アウスグタ・フレデリカ・アレクサンドラは犬なのですから。


 たとえ、純白の真っ白でふさふさな毛並みで。

 首輪とリードがなくとも迷わないもので。

 知性と誇りと名誉を知る淑女であったとしても、です。


 でも、彼女にしてみればそんな寝言は理解の範疇外のことです。


「アフアは、ペットじゃないよ?」


「エルダー、行間を読んでくださいませ。動物を連れてお店の敷居をまたぐな、ということです」


 ピカピカのお店に似つかわしくない。

 つまりは、そういうこと。

 仕方ないですよ、と私は頷く。


「えっ? ……しゃ、喋った!? え、犬が?」


「使い魔なんですよ。アフア、と申します」


 ぽかんとしている売り子さん。

 アワアワとしている様子は、世慣れぬ小娘もよいところ。

 なればこそ、私は万事承知とばかりに再び道理を口にします。


「お店の規則なのでしょう? ご迷惑にならないよう、そこらで待っていますか。エルダー・アナスタシア、どうぞ、お構いなく」


「アフアはペットじゃない! だから、問題ないでしょ? 行くわよ!」


「ああと、その、あ、ええと」


 なんだか、申し訳ないほどに混乱している売り子さん。

 そして、『彼女』の頑な態度。

 こうなると、梃でも彼女は譲りません。

 世界を敵に回しても、きっと、変わらないでしょう。

 それが、『私たち』です。


 だからこそ、私が、思わず、ため息をこぼしそうになってしまっていた時のことでした。


「大変失礼いたしました、エルダー・ウィッチ。お連れ様は、使い魔であらせられますね?」


 大変に物腰の正しく、道理をわきまえた声。

 その声の主は、身だしなみの整った紳士でした。


 ああ、と私はそこで見て取った事実を一つ追加します。

 こちらへ歩み寄ってくる足取り。

 一見するだけでは、なかなかわからないレベルではありますが。


 注視すれば、何となく私にはわかります。

 ちょっと、左足の具合が宜しくないのでしょう。


「ええと、はい、そうです」


「ようこそ、ヴィルテ百貨店へ。私、支配人のトムソンにございます」


 よしなに、と一礼されるのは予想外でしょうか。

『彼女』は何と返してよいのかわかっていないようでした。


 ちらり、と私へ助けを求める視線を向けてきます。


 これが、魔弾の射手だとは。

 戦場のそれを存じ上げている身としては、なんとも、不思議な気持ちでもありました。


 そして、真の紳士は二度も間違えません。

 ちらりと彼女が背負うマスケットを見つめ、小さく頷き、彼は口を開きます。


「ははは、これはいけませんね。崩すことをお許しいただけますか」


 戸惑いを拾い上げたのでしょう。

 その紳士は、まっこと、見事なエスコートを申し出て見せます。


 足がお悪いでしょうに。


 背筋を凛と伸ばします。

 踵を打ち揃えるさまは、完璧でした。

 衆人環視の中であることは、彼の意識するところにあらず。


 ただ、エルダー・アナスタシアへの敬意だけで、そのご仁は下っ端のように声を張り上げていました。


「トムソン・ヴィルテ! 後備役第27胸甲槍騎兵連隊の老少佐であります!」


 彼の言葉を受ける彼女は、もう、ぽかんとはしていません。


「元第116アケラーレ『ルカニア』、アナスタシア・スペレッセです。初めまして、トムソン少佐。どうぞ、アナスタシアと」

 声には、凛然たる意志。

 軍人として、魔女として、『私たち』が『私たち』である彼女への復帰。


 ああ、やっぱり。

 彼女は、まだ、『慣れていない』。

 平和に、日常に、そして……『私たち』以外の世界に。


「初めまして、エルダー・アナスタシア。トスベルト戦線で、アケラーレに救われました。足一本で済んだのは、あなた方のお蔭です」


「名誉の負傷ということですね」


「ははは、そうたいしたものでもございません。ああ、エルダー・アナスタシア。大変に僭越ながら、貴女様の箒仲間を私共へご紹介いただければ幸いに存じます」


 老退役少佐殿の言葉に、私はすくりと立ち上がっていました。

 礼節をもってして、礼節に応じる。


 魔女と使い魔。

 その関係を知り、敬意を示してくれる。

 名誉を知る方、義務に敬意を払う方。

 ならば、私もそれに応じるまで。


「私、アウスグタ・フレデリカ・アレクサンドラと申します。どうぞ、アフアとお呼びくださいませ」


「アナスタシアさまに、使い魔のアフアさま、と」


「はい、ミスター・トムソン。エルダー・アナスタシアをどうぞ、良しなに」


「ええ、売り場をご案内いたします、さぁ、どうぞ、『お二方』ともこちらへ」


「アフア! 今、『私たち』だよね?」


 淑女として、紳士のお誘いをお断りすることもできますまい。

 だから、私は笑って頷きます。


「ええ、では、ミスター・トムソン。どうぞ、よろしくお願いいたします」

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