第一章 さようなら、帝都

第1話 さようなら、軍隊


 こつん、こつん。


 可愛らしい足音でした。

 本当に、小さく、控えめな音。


 大人たちの足音は違います。

 ごつん、がつん、と軍靴が忙しなく奏でる音。


 なのに、決して、打ち消されたりはしません。

 小さな足音は、その小さな世界の征服者でした。


 音の主は、ふわりと銀髪をたなびかせ、ゆっくりと歩みを進めます。


 入り組んだ事務室の通路も、慣れたもの。


 水色の制服をたなびかせ、軍靴の音も軽やかに。

 我が家のごとく知り尽くしたとばかりに進む小柄な彼女。


 誰が、その歩みを阻めましょうか。

 誰もが、彼女の前では歩みを止めます。

 遠方からですら、大の大人が姿勢を正すのです。


 背中に背負うのは、彼女の身長にはちょっと大きすぎるマスケット。

 テトテトと隣を歩くのは、綺麗な白い体毛の犬。


 魔女の歩みは、進んでいきます。


 目当ての部屋にたどり着くや、魔女の方は規則正しくもどこか気の抜けた一礼。

 比して、アベコベなくらいに優雅な一礼を見せる白犬。


「第116アケラーレ『ルカニア』、エルダー・ウィッチ、アナスタシア・スペレッセです」


「お世話になります、ヴォルカー大佐殿。私のことは、アフアとお呼びくださいませ」


 部屋の主である初老の軍人は、思わず苦笑してしまっていた。

 なんともまぁ、奇妙な組み合わせなことだ、と。


「ようこそ、エルダー・スペレッセ」


 それに、とヴォルカー―大佐は礼節正しく続けます。


「ミス・使い魔もだ。その名前からすれば、金曜日のティータイムに、お誘いすれば良かったかね?」


「素敵なお誘いに感謝いたします。ですが、差し支えなければ旧知のモノがおりまして……」


 うんうん、と頷いていた初老の軍人。

 好々爺然としていた表情は、しかし、白犬の言葉でかすかに強張る。


「感謝を、折角ですし、分かれの挨拶をしておきたいのですが……よろしいでしょうか、ヴォルカー大佐殿」


「……ああ、構わないとも」


 エルダーが辞める、か。

 などと胸中でつぶやいたとしても、初老の軍人はそれを顔面に出さない程度には人生経験を積んでいた。


「まぁ、かけてくれたまえ。エルダー・スペレッセ。今日はゆっくり話がしたかったのだ」


 初老の軍人さんの顔にあるのは、案じる色合い。

 午後のちょっとした、お茶の時間だからだろうか。


 暖かい陽光交じりの室内で、魔法瓶がそっと置かれている。

 珍しいというほどではないのだろうけれど、『私たち』ならば懐かしい光景。


「戦場帰りだと、横着してしまってね」


「ついつい、魔法瓶に入れて持ち運んでしまう、と。懐かしいですね」


 うん、とヴォルカー―大佐は頷く。


「そういってもらえると助かる。では、一杯いかがかな?」


 ありがとうございます、と彼女はそこで頭を下げていた。

 穏やかな午後、温かな紅茶と冷たいビスケット。

 部屋の外では、誰もが忙しなく行き交う中でのちょっとした時間のまどろみ。


 初老の軍人さんと、魔女のお茶会。


「退官か。……考え直すつもりはないのだろうか?」


 ああ、と彼女は微笑む。

 引き留める言葉はとても、優しい。

 きっと、そうだろうな、と分かってはいた。


『私たち』はでも、『私たち』として彼女は


「ありがとうございます。でも私は、ウォーカーなんです。もう、箒が折れてしまいました」


 だから、と彼女は少し困ったように笑う。

 翔べない魔女、ウォーカーはご厄介者ですから、と。


「余人ならいざ知らず、エルダー・スペレッセ。君は、魔弾の射手とまで謳われた古強者の一人だろうに」 


「生き残っただけ、とも言いますよ」


「エルダー・スペラッセ、悔やんでいるのは承知しているが」


 違うだろう、と初老の軍人は語る。

 一言、一言を区切るにように語り掛ける。


「何本もの箒が折れていった。その中で、一人、残っているのだ。貴女は生き残ってしまったのではない。生き残れたのだろう」


「過分なご評価には、感謝します」


「何が過分なのモノかね。星が9つに、月桂樹が201個なのだよ?」


 ヴォルカー―大佐は知っていた。それが、どれほどの重さかを。


「ご存じでしょう? 『私たち』のことです」


「そこを、まげて」


 お願いしたい、と彼は頭を垂れる。


「なればこそ、お願いしたい。後人を導いてはいただけないか。第116アケラーレ『ルカニア』の魔女よ、若き魔女の道を照らしてほしいのだ」










 こつん、こつん、カツン。


 廊下の程よいところで、ちらり、と彼女があたりを見回せば。

 毅然と輝く白い体毛。


「あ、お待たせ」


「いえ、私も勝手をいたしましたので」


 優雅な一礼。

 相変わらず、この子はと彼女は笑う。


「お話し合いの結果は、いかがでしたか?」


「退役だよ。お役目ご免、自由に何処へでも歩いて行ける」


 約束を果たせるね、と彼女は口元をほころばせる。


「歩こう、どこまでも」


「ええ。『私たち』で歩きましょう。エルダー・スペレッセ」


 それが、『私たち』と『私と一匹』の約束。


 憧れを、焦燥を、嫉妬を、悲願を、夢を、絶望を、全てを、包み込んで、『私たち』に捧げる旅。


「では、行けるのですね?」


「うん。いこうか、アフア」


「はい、エルダー・スペレッセ」


「アフア、私、もうエルダー・ウィッチじゃないよ? ただのアナスタシア・スペレッセ」


 ただの、お願いだ。


「はい、エルダー・アナスタシア」


「……アフア」


『私たち』の一員として。

 彼女は、じっと相棒たるべき使い魔を見つめる。


「お許しいただけませんか?」


「ううん、私こそ、ごめんね?」


「謝ってばっかりではいけませんね。私も、エルダーも、どうにも……」


「そうだねぇ……。でもまぁ、今後ともよろしく」


「はい、こちらこそ」


 ぺこり、と下げられる頭。

 階級で呼ばないのが、きっと、アフアなりの譲歩なんだろうと彼女は小さくほほ笑む。


「さて、旅に出ますか。アフア、旅の道具って、どうしようか」


「……お考えじゃなかったのですか?」


「ずーっと軍隊だったもん。帝都なんて、どこに行けばいいのかもさっぱり」


 魔女にだって、知らないことはあるんだとばかりに彼女は笑う。


『私たち』は、でも、知っていました。

 一人ではわからないことも、『私たち』ならば聞けばいいのです。


「わかる? アフア?」


 ええ、と使い魔嬢は頷きました。


「近くに百貨店がございますよ。よければ、ご案内いたしましょう」


「流石!」 

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