第17話

 家につくと、桜は一瞬でぼくの首を締めあげた。


 母さんがいた。色のない星と、やけた月が空にうかび、それらが反射した、へんてこな川のうえに彼女はたっていて、なにやら、人の骨みたいなものがそこをながれている。母さんのすがたをかくすように、まわりは霧におおわれている。母さんはなにかいっていたけど、よくわからなかった。


 ぼくの体は溶けていたから、しかたなく、川にとびこんだ。


 水しぶきがとび、空はおちた。母さんの首は外れ、赤い花火がとんだ。


 夜はどこかにゆき、朝日が新聞受けからさしこんでいた。

 お腹が空いていた。焦げた炭にはゴキブリがたかっていて、これはどうやら、食パンだった。たべた。日付を確認すると、ぼくは丸一日寝ていたようで、どうやら月乃さんと祠にいってから二日経っていた。


 体をうごかそうとすると、フラフラ、雲みたいだった。

 トイレにいって吐いた。便器のなかで黒いものがうごいていた。ながした。


 マフラーをして、ランドセルをせおい、つまりぼくは小学生で、お仕事はしなくてよくて、学校で勉強をしなくてはならないので、家をでた。夜に子供のパーツをあつめるなんて、頭のおかしい小学生しかやらないのだ。そして、学校にいけば給食がある。駅の広場には、クリスマスツリーがあった。ジングルベルジングルベル、鈴が鳴る……。耳ざわりな歌がする。

 去年のクリスマスは、ボソボソで、黒焦げのホットケーキを、桜が作ったのだ。

 

 だけど、今年の桜はホットケーキを作れないだろう。





「ユキト君は今日の夜、なにか予定あるの」


 教室、そして、ミヅキだった。

 頭と目がチカチカする。マフラーで、その首が宙づりになる、ミヅキのすがたが、目のまえのミヅキとかさなる。


 ミヅキがぼくの耳のそばへ、唇をちかづける。


「よかった……ねぇ、今晩はお仕事もお休みだから、白羽とクリスマスパーティをするの。パパ、今晩も帰りがおそくなるみたいだから、だれかお友達をさそったらって……そ、それで、もしよかったら」


 くいものがある場所ならどこでもよかった。


 放課後のグラウンドの影たちはゆらゆらし、カラスは、くちばしを鈴のようにならしながら、校舎の影と、オレンジの夕陽のかたすみに、きえた。

 門の柱のそばに少女の影がいた。


「急な誘いなのにごめんね! えっと、お父さんに連絡しなくて大丈夫? 白羽に電話させようか?」


 ミヅキはぼくに手をふり、いこうと先に歩きだした。


「ケイカやヨシミもさそったんだけど、がんばってこい、って……。もう、そんなんじゃないのに」


 もにょもにょ、なおもミヅキはくちびるをふるわせていたが、冷たい風が、山のほうからやってきて、最後の方はよくきこえなかった。


「なんでもないっ。わすれて」


 ミヅキは首を激しくふると、最近の教室について愚痴をこぼした。


「あのアズサちゃんのことがあってから、なんか変だよね。すっごくじめー……とした空気が流れているっていうか。元気がないっていうか、そりゃ、あんな事件があったから皆気分が落ちこむのはわかるんだけど、それだけじゃないっていうか」


 目のまえを、赤いランドセルが、心臓のように、トクントクン、している。

 ミヅキは事件のあと、アズサとあったらしい。


「すっかり別人、ってかんじ。まえまではよく笑う子だったのに、ぜんぜん笑わないし。なにをきいても、首をふるか、ちいさくうなずくだけで……、どうしちゃったんだろうね」


「もしかしたら、別人なのカモメ」


 月乃さんのまねをして、カモメの鳴きまねをすると、


「ぷっ、どうしたの? ユキト君が冗談いうのめずらしいね」


 ミヅキはすこし笑った。


 行き先はちかくのコンビニだった。

 例のストーカーに手を出されてからは、ミヅキは白羽さんの車で登下校しているらしく、コンビニを待ち合わせ場所にしていた。


「白羽って運転がすごくヘタクソなのよ。田んぼや畑に何度もおちているんだ~。でもね、おもしろいの、白羽がおちた場所は、次の年たくさん収穫があるみたいでね」


 車は、ぼくの計画に邪魔だ。困った。


「お待たせしました……って、ユキト君じゃあーりませんか!」


 白羽さんがむかえにきた。


「その……ゴムを買っておきましょうか? それから、今晩は私、早めに帰りましょうか?」


「ちょ、ちょっと、白羽、へんなこといわないで」


 ミヅキからきいたとおり、車はおっこちまくったせいか、ボロボロで、なるほど、びしょ濡れのクマみたいだった。


 ぼくとミヅキは後部座席にならんで座った。

 ぼくは窓に顔をくっつけて、外をみた。

 黒い影たちがウロウロし、すぐに、夜のなかへ溶けていった。


 なにかが肩にふれている……とおもったら、ミヅキが指でトントンしていた。


「このまえさー、ユキト君、同じクラスの月乃さんについて私にきいたでしょう?」


 ふりむくと、すぐちかくにミヅキの顔があった。


「ウン。それでね、私のパパも、私たちの小学校の卒業生なんだけど、このまえ、私、パパの車でドライブした時、学校のまえを通ったの……」


 ミヅキの今の目は、このまえみた、白いかたまりのなかに埋もれた、女の子の目とよくにていた。どこをみればいいのかわからない、死をまえにした、トカゲのようなクルクルした目。


「パパ、おかしなことをいうの。『俺たちが通ってた時には月乃さんっていうふしぎなクラスメイトがいてね。皆、名前はでてくるんだけど顔がでてこない、ふしぎな女の子なんだ』って。変だよね……、だって、月乃さんは今も私たちのクラスにいるのに」

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