↓第44話 てじなの、しかけ。

「だれかー! だれかサインはいりませんかー!」


 迷子はサインを売っていた。

 ここは誰もいない暗闇の中。

 マッチ売りの少女みたいに、赤いずきんを被って。

 大きな手さげカゴの中には、大量のサイン色紙が入っていた。


「だれかー! だれか買ってくださいー! ひとつ100億万円ですからー! お買い得ですからー!」


 声をあげても、やはり振り向く人はおろか気配すらしない。

 果てしなくさまよう中、一人の女性が声をかけてきた。


「うふふ、それもらおうかしら?」


「ありがとうございますっ! おひとつ100億万え――」


 振り向いた瞬間、迷子の動きが止まる。

 それは彼女の祖母で、著名なミステリー作家でもある『才城リリィ』だった。


「お、おばあちゃん!? なんでこんなとこに!?」


「うふふ、ここは夢の世界だからねぇ。めいちゃんに会いにきたんだよ」


「びっくりしました。わたし、死んじゃったのかと……」


「うふふ、めいちゃんにこっちの世界は早いわぁ」


「助かりました。おばあちゃんにお願いがあります!」


「なんだい?」


「サインが売れないとこの世界からでられないんです!」


「それは困ったねぇ。あと何枚あるんだい?」


「100億万枚ですっ!」


「…………」


「おばあちゃん?」


「めいちゃん、夢の世界も悪くないわ」


「あきらめないでくださいっ! イヤですっ! 帰って自転車に乗るんですからぁっ!」


 迷子はリリィの足元にすがりつく。

 そんな孫の姿を見て、リリィはふと考えた。


「それじゃあ、わたしと勝負しよう」


「しょうぶ?」


 リリィはトランプの束を出す。


「いまからこの中の一枚をめいちゃんが引くの。引いたらその数字を覚えて、トランプの束に戻してね。それをシャッフルしたら、わたしがその数字を当てるわ」


「そんなことできるんですか?」


「うふふ、どう? おもしろそうでしょ?」


「ムリですよそんなの。魔法じゃないんですから」


「じゃあ、もしおばあちゃんが当てたら一緒にこの世界に住みましょう。自転車の練習はおあずけね」


「望むところです。ハズレたらサインを全部買い取ってもらいます!」


「ええ、小切手でね。ついでに事件の犯人もおしえてあげるわ」


「え、犯人を知っているんですか!?」


「うふふ」


 リリィはにっこりと笑うだけだ。


「よ~し……いっきますよーっ!」


 迷子は52枚のトランプを見定め、その中からランダムに一枚を抜き出す。

 その数字を覚えると、リリィの指示で束の一番上に置いた。

 ちなみにカードはハートのA。

 その束を半分くらい切ったあと、迷子に渡してさらによく切ってもらう。

 トランプは完全にバラバラになった。


「じゃあ、数字を当てるわね」


 リリィが指を鳴らすと、トランプが空中に浮遊し、ズラリと整列した。

 リリィは静かに視線を巡らせる。

 迷子はカードが見抜かれないか、ドキドキして見守った。


「う~ん、そうねぇ……」


「……」


「めいちゃんのトランプは……」


「…………」


「――これね!」


 リリィはトランプを抜き出す。

 くるりと裏返すと、ハートのAがキラキラと光った。

 迷子は大きく口を開け、茫然とする。


「な、ど、どうしてです!? なんでわかったんですかぁ!?」


「うふふ、残念だったわね」


「ひきょうです! 夢の世界だからって、やっぱり魔法を使いましたね!?」


「うふふ、じゃあ特別におしえてあげようか」


 リリィはトリックを明かす。

 ハートのAを、最初のとおり束の一番上に置いた。


「タネはいたってシンプルよ。めいちゃんのトランプは一番上にあるわ。わたしは二番目のカードが何かあらかじめ覚えておけばいいの。重なった二枚のカードは、相当細かく切らないと離れない」


「ということはもしかして……」


「そう。わたしが記憶したカードの上にあるのがハートのA。切り終わったあとからでも、数字と絵柄を見ればすぐにわかるわ」


 もちろん低確率でハズれることもあるが、基本、当たる割合は大きい。

 今回のトリックは、いくつかの数当てネタの一つだ。


「うわー! くやしいです~!」


「うふふ、さぁ、めいちゃん。おばあちゃんと一緒に暮らしましょう」


 ゴロゴロ転がる迷子に手を差し伸べるリリィ。

 迷子の動きがピタリと止まり、うつ伏せになったままボソリと呟いた。


「まだです……」


「?」


「まだ終わっていませーーーんっ!!」


 暗闇だった空間に風が巻き起こり、空から一筋の閃光が射し込む。

 迷子が手をかざすと、そこにハートのAが現れた。


「サインが売れなければ、自力で脱出するまでです! わたしはここから抜け出して、かならず事件を解いてみせますっ!」


 光の柱が迷子を包み、トランプの形が徐々に変形していく。

 迷子専用自転車――MVMだ。

 暗闇の世界が花畑に変わり、青い空の下に風が吹いた。


「うふふ、どうやらお別れのようね」


「さびしくはありません。きっとまた会えますから」


「いいの? 犯人を教えなくて」


「愚文ですよおばあちゃん。わたしを誰だと思っているんです?」


 迷子はMVMにまたがり、


「迷探偵ですから!」


 迷いのない瞳でそう答えた。

 彼女は前を向くと、そのままペダルを漕ぐ。

 フワっと車体が浮いて、光の射すほうへと昇っていった。


「――うふふ」


 花畑で孫を見送るリリィは、静かに微笑んで光の粒になった。

 青空に吸い込まれる無数の花びら。

 それらに導かれるように、迷子は昇っていく。

 ペダルを漕ぎながら、上へ上へ――。


 迷子は振り返らなかった。

 やがて光の柱はすぼまり、そこに開いた穴に吸い込まれていく。

 そして自転車ごといなくなった。

 広大な花畑にはそよ風が吹く。

 静かな空間に、ゆっくりと雲が流れる。

 

 迷いのない青空には、小さな涙が光っていた――

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